横浜開港記念館: 1917年(大正6年)に竣工した「開港記念横浜会館」で、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で時計塔と壁体以外が崩落し、内部は火災で消失したものを、1927年(昭和2年)に復元した建物だ。
2階ホールのステンドグラスは主としてアメリカKokomo社製のガラスを使用して作られ、全部で2046ピース、400kgあるとのこと。このステンドグラスも昭和2年に復元されたが、経年劣化で歪や汚れが目立ったため、2008年(平成20年)に平山健雄さんの手によって修復されたのだそうだ。
上は「鳳凰と横浜市章」、左は「呉越同舟」、右は「箱根越え」という日本的な絵である。
また、貴賓室に通ずる階段にあるステンドグラスは、1854年3月31日に日米和親条約を調印するために日本側が小舟で米国旗艦ポーハタン号に向かうところを描いてある。ポーハタン号の艦尾に星条旗が描かれていたことから、戦時中は全体を布で覆って見えないようにしていたそうだ。それにしても、当時の日本軍がこのステンドグラスの絵柄を「敵性」として破壊しなかったのは、どのような判断によるものだったのだろうか?
ボランティアガイドの方の説明では、戦後にこの施設を接収した米軍は、その保存状態に対して敬意を顕していたということだった。ちなみに、ポーハタンとは、アメリカ先住民族のある部族の首長の名前だそうだ。
横浜開港資料館: 開催中の広瀬始親写真展「横浜ノスタルジア」は、昭和29年頃から数年の横浜の様子を伝える写真展だ。この頃私は生まれたばかりなので当時の記憶はないが、展示されていたような光景は小学校低学年の頃まではまだ残っていた。戦後の物資が乏しく生活の厳しい時代に、私たちきょうだいを必死になって育てた両親が見ていたであろう風景を、追体験するように観ることができた。
氷川丸と日本郵船歴史博物館: 両方とも日本郵船株式会社の施設で、花毛布のことを調べるために昨年も訪れた。氷川丸では一等客室のベッドに飾られた花毛布を撮影し、一等社交室や一等食堂などの豪華な内装と、これらとは対称的な三等客室(8人部屋)も見ることができた。
機関士出身の私としては、大きな空気圧縮機を備えた空気噴射式複動ディーゼル機関(B&W社)が何度見に来ても興味深い。
日本郵船歴史博物館を見学したあと、練習船大成丸(2世)に改装する前の貨客船「小樽丸」の写真を販売してもらえないか受付で問い合わせたところ、すぐにアーカイブから検索し、絵葉書数枚程度の価格で印刷していただけた。
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