横浜国立大学・神奈川県立総合教育センター連携による「学習環境デザイン研修講座」を今年も受講した。講師は例年通り同学教育人間科学部教授の有元典文先生で,納得研究会では毎回ご一緒させていただいている。
今回の副題は「子供の学ぶ力を高める授業作り」で,2時間の講義および1時間のワークショップ形式で行われた。参加者はとても多く,小・中・高・養護から25名の現職教員が集まった。
講座の骨格となるキーワードは「社会的分散認知」と「正統的周辺参加」そしてRISP(Reality,Identity,Significance,Participation)である。
今日の内容をより深く理解するための5冊(新しい順に):
- 茂呂雄二他『社会と文化の心理学 ー ヴィゴツキーに学ぶ』世界思想社,2011年
- 有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ』北樹出版,2008年
- 海保博之他『文化心理学』朝倉書店,2008年
- 加藤浩・有元典文他『認知的道具のデザイン』金子書房,2001年
- Jean Lave,Etienne Wenger(佐伯胖訳)『状況に埋め込まれた学習――正統的周辺参加』産業図書, 1993
学校は学校内の達成のために学習する場ではなく、学校外の生活の質を高めるために学習を行う場である。
(学校の生徒にするためではなく,こどもが社会の中で生活してゆけるようにするために学習を行う場)。
QOL(Quality Of Life)
人間は「言葉」という人工物によって新しい知を生み出し共有し、次代に伝える(教育する)ことによって、身体能力の限界を超えて生活できるようになった。暗ければ街灯をともし、場所を示すのに地図を使う。他の動物よりも走る・跳躍する・獲物を捕らえる・夜間に行動するなどの能力が劣るのにここまで生き延びてきたのは、教育と学習による。これらは個人の能力ではなく、集合的である。
人間の学習の特徴:チンパンジーと人間の子供に対する実験のビデオ視聴
実験1:からくりのある黒い箱、(1)棒で箱をトントンと叩き、(2)鍵のようなからくりを棒で操作し、(3)はこの真ん中の穴から棒で飴を出す。この教示をチンパンジーと人間の子供に見せる。どちらも教示のとおりに飴を取り出すことができる。
実験2:実験1と同じだが透明な箱:実験1と同じように教示する。
チンパンジーは(1)と(2)の手続きを省略して箱の真ん中の穴からやすやすと飴を取り出す。
人間の子供は(1)と(2)の手続きを忠実に守って飴を取り出す。
この例は、人間がチンパンジーよりも劣るという意味ではなく、ヒトの学習の特質を示すもの。
ヒトの学習の特質:模倣的/他律的/服従的
→人間は教わるのが得意すぎる(人間の子供は教えられることを期待しますが、類人猿は真似することはできても互いに教えあうことはないと多くの研究者は考えています。佐伯 胖:「学校を「学校的」でなくするには」)
ある小学校での「変な文章題実験」,小学校3年生が作った算数の問題
- 意味のないかけ算:窓の数と窓の数を掛け算
- 非現実的な数値の問題:人間の身長が6mもあるような掛け算
- 条件が不足した問題:所要時間がなく速度だけしか与えずに歩いた距離を計算する問題
- テスト群:解答できるはずのない問題を解答してしまったり,問題の不備を指摘できなかったりする割合が高い。
- 先生視点を与えた群(この問題は小学生が作ったのでおかしなところがあれば教えて):問題のおかしさを指摘する率がとても高い。
社会的分散認知(アンサンブル)
犬:リードをつけて散歩するときは、犬はリードの範囲しか歩けない。リードをはずすと犬の走り方をする。水に入れれば初めてでも泳ぐ。車に乗せればずれないようにシートベルトに頭を差し込んだり背もたれと座席で上手にバランスを取る。
→犬が生得的にもっている行動ではないことでも、社会的・文化的な状況とのセットから行動が生起する。
人間が頭を使うということはすべからく社会的分散認知である。思考するのに使う言葉は個人が作ったのではなく社会的に成立してきた。「人間は社会的動物である」というのはこういうこと。
人間の能力の限界:横浜駅の某コーヒー店、1時間に300ものオーダーをほぼ間違いなくさばく。
研究室でこのコーヒー店のようすを実験:10種類のオーダーを覚えて再現
頭の記憶だけ・・・最初の1-2個と最後の1-2個だけしか再現できない。
実際の店と同じようにコーヒーカップにオーダーの種類を記号で記入する→100パーセント再現できる。
コーヒーショップ・・・社会的分散認知、オーダーを外部装置(コーヒーカップ)に記憶させて人間の記憶力を補う。
(この記憶テストの再現率を示すバスタブカーブは、機械の初期故障期、安定期,偶発故障期の故障率を示すグラフの曲線にそっくりだった。)
人間の本質は社会の諸関係の総体(アンサンブル)である・・・マルクス1845/1888
正統的周辺参加(コミュニティへの参加)
正統的周辺参加=学習 として。イコールとして。組織への参加として。
学習というのは実践コミュニティへの参加である。知識とか技能は実践共同体に参加することでおのずと身につく。
頭に知識を注入すると応用できるようになるという誤解。実は逆で、参加することによって知識・技能が見につく。
基礎が応用に花開くのでなく、応用するから基礎的なことが身につく。
その実例:横浜市のヨットスクール、子供たちにディンギーを教える市民ヨット教室。
ほとんど座学しないで教える。用語の説明などしない。その教室の「場」は、手前にアクセスディンギー、奥には本物のヨットがある。
実習だけのための場ではない。教室の向こうに大人社会の実物がある。実践のアリーナ、実践の中で学ぶ。ヨット用語や理論を教えない。
4回くらいの実習で一応のことができるようになる。
基礎→応用でなく、応用がまず先にあってできるようになってゆく。子供たちはお互いをよく見ている。
「学校」のやり方とはぜんぜん違う。風向きは一定でないから今習ったことが今使える保証はない。
学校外の学習、コスプレ、暴走族・・・学校よりも熱心に学ぶ。そこには、参加してあの人たちのようになりたいという内発的動機がある。:なりたい者に近づく,なりたい者になるためには自ら学習する。
隷属的な奴隷のような学習でなく、QOLのある学習。知的好奇心、主体的な学び。
テストのために学ぶ・・・矮小だ。
暴走族の学び・・・出前のバイクのように見えるようにはバイクに乗らない。暴走族に見えるようにバイクに乗る、その乗り方を自ら学んでいる。
内発的動機づけ:その動機が引き起こす活動以外の賞に依存しない動機づけ。賞というのは報酬のこと。
一時期成人式で大暴れする若者をよく報道した。後輩はその先輩に憧れる。だから翌年に模倣する。テレビで大きく報道するのは後輩たちに動機を与えている。
外発的動機:シールくれるとか、点数を稼げるということで学習が進むのはよろしいことではない。
(我が息子が小学校のときの先生で、水道方式で算数を教えていて、問題ができるとパチンコの景品のチョコレートくれる先生がいたのを思い出した。)
一見チャラチャラしたように見せているミュージシャンだって陰では必死に努力している。脚光を浴びるためには人目に触れないところで血のにじむような努力をしている。内発的動機があるから。
やる気は教えることではない。やる気はかきたてること。子供を何かに向かわせる。彼らをして彼らが動き出すような場を作る。教育のロマン。教えるのではなく考えさせるのだ。
授業デザイン:先生の目に見える状況に依存する。いろいろな子供がいて、いろいろな向き不向きがいる。→正規分布(Normal Bell-shaped Curve)の大きく広がった層に向かって授業している。このことを覚えてもらいたい。これが教室の特徴。
RISPのある授業。
R:Reality(リアリティ)
I:Identity(アイデンティティ)
S:Significance(意義)
P:Participation(参加)
Work1
3分間でA4の紙1枚でタワーを作るワーク。高さを競う。参加者はみな真剣に取り組んだ。
リアリティがある。なぜタワーを作るかという意義はないけれど、リアリティがある。「やりなさい」と指示された外発的なものだけれど、高さを競いたいという内発的動機が誘発され、競うことに「参加」した。
入試でよい点をとりたいというのはリアルではないのか?皆さんはどのように考えるか?点を取りたいことにはリアリティがあるのか?難しい。
授業の実例1:音楽
篠笛の授業:笛はあっても先生も吹けないし、吹き方を説明するだけ。生徒が吹いても音が出ない。
笛はあっても楽器ですらない。竹の筒をフーフー言わせるだけの授業。
映像も見せなければ、録音も聞かせない。吹ける生徒の見本演奏もない。
→リアリティがない。「あんなふうに吹いてみたい」という動機を誘発させる工夫がない。
Work2
ごみ処理場のワーク。
学校の裏側にごみ処理場を建設する計画。2-3人で議論し、賛成か反対か、そしてその根拠を発表する。
これはIdentityに関するワークである。自分のこととして考える。抽象的な課題ではない。どこかの知らない土地のことではない。
NIMBY(Not in my backyard. そのことの社会的必要性は認めるけれど、俺んちの裏庭には通さないでくれ。イギリスで鉄道を通すときの議論。課題の当事者化。わがままのことでなく、自分ごととしてどう考えるかということ。)、ごみ処分問題は誰でも知っているけれど、自分ごととして考えるための課題設定。
授業の実例2:保健体育
グループワークのように班を作らせているが、相談、討議などを行わせていない。→班活動には行動のデザインが必須。
怪我の様子と種類を結びつけるクイズ、正解に対して1点与える→外発的動機づけ。
子供が運動会で転んで出血して、そのときに授業で血のことを勉強したこと、赤血球とか白血球を思い出した。→その子供は転んで初めて血液のことを自分ごととして思い出した。
Work3:理科の学習指導要領から
「日陰の位置の変化や,日なたと日陰の地面の様子を調べ,太陽と地面の様子との関係についての考えをもつようにする」ことの意義を5つ挙げる。2ー3人で話し合って発表する。
授業の実例3:現代社会
鯨の授業、「これ覚えといて」「これ覚えといて」の連発。
シーシェパードの話題にして議論させればよいのに。それをしない。
これが大事だと大人は思うけれど、学習者はその意義がわかるのか?
何を教えるか授業の冒頭で宣言する授業を、2-3回しか見たことがない。
私語のやまない生徒たちに、「お前たちが困らないようにこの授業をやるんだ」と宣言した先生。
Work4:音楽の学習指導要領から
創造的に音楽にかかわり、音楽活動への意欲を高め、音楽経験を生かして生活を明るく潤いのあるものにしている集団を5つ挙げる。5-6人で話し合って発表する。
授業の実例4:音楽
先生がピアノに向かい、アベマリアを歌う。
生徒と技術的な話のあと、本質に集中。
音楽の授業の向こうがわに文化のにおいのする授業だった。
授業の実例5:商業科目
検定試験の準備のために、計算の手続きを徹底して教え込んでいる。
授業の実例6:英語
文化が何もない授業。前置詞の位置はどこ?
教師の本能としてCall and Responceしたいのか?
このほかいくつかの授業事例。漢字の授業なら、漢字を楽しむ、漢字を愛でるような方向に持っていっても良かったはず。
RISPが全部そろっているのは、実践集団。学校では全部は無理だろう。どれかひとつは盛り込もう。年に何回かはそのように練り上げて授業しよう。
動機、能力、主体性は子供の持ち物のように思うけれど、それは教員との関係性から決まってくる。個人の能力は周りとの関係で現れる。学校で問題児でも地域では・・・ということからもわかる。
人格は個人の中にあるのではなく周囲とのセットがなせること。
コミュニティへの参加が学習となる。
個人の能力に頼るのではなく、個人の能力が輝くような場を設定することが教師の役割。そういう授業作りを目指す。
授業の実例ビデオ:ミシンの例
黒板には黒板に空欄補充問題が書いてある。
先生は「布を」とか「はずみ車」などを強調して発話する。その用語を覚えさせたい。そのために板書があり、説明している。
本当には縫わないで、点線に沿って空縫いする。
本来RISPが備わったミシンの授業で、用語の説明となっている。
子供向けのヨットスクールとの対比
ヨットは用語の説明しない。知識を注入しない。まず実践に参加させてできるようにする。知識は後からついてくる。
Work5:RISPが少なくともひとつ備わった授業を提案する。
提案1:高校物理、力学的エネルギー保存の法則
運動エネルギーと位置エネルギー、足したらいつも同じ。
初速0、位置エネルギーがたくさん、運動エネルギ0
ジェットコースターの話をする。最高位よりも高いところへは登れない。
遠心力もわかる。どこが怖いかわかる。結果がわかっていて乗るとおもしろくない。2回目はなにも考えずに乗ると理屈もわかっておもしろい。
有元先生:教室の中で椅子から飛び降りてもよい。紐を振り回してもおもしろい。レーサーは遠心力がわかってそれを体感する仕事。
提案2:6年生の家庭科
1食分の食事を作る。「もうすぐ中学生!安くて栄養たっぷりのお弁当をつくろう!」
1食分の弁当を作る。買い物学習と合わせて、230円くらいの予算で近くのスーパーで買い物をさせてきて弁当を作らせる。
栄養士の先生に栄養素の勉強をしたりしながらバランスのよい弁当を作る。
有元先生:4項目のどこら辺?アイデンティティ、リアリティ、クックパッドへの参加、意義も大きい。
提案3:中学1年生の分数の足し算。
1/2 + 1/3 これをどのようにして教えるか。
りんご半分とりんご3分の1個。これを5人で分けたい。という課題を出す。それぞれを6等分のうちのどれだけかというところに持っていく。
図解で教える。
有元先生:分数の通分の意義まで教えられるとおもしろい。ピアジェは日本の算数で通分させているのを見て驚いたという。
提案4:小学校4年生、ごみの問題。
理科と社会は実生活に近いので実生活に還元できるような授業を。
G30、ごみ30パーセント削減。インタビュー、取材などもする。
エコバッグを使うかどうか、もって行くかどうかという話にする。子供たちは使うべきだという意見が多い。
以前はエコバッグがアピールされたが今はそれほどでもない。一人一人が実生活に置き換えたときに、これまで勉強してきたことをどのように生かすか。学習の本質にせまる。子供たちに話し合いをさせる。
有元:オープンエンドなところがよい。(「だからエコバッグを使おうね」というところに誘導しないところ)
提案5:小学校6年生の理科。
コンビニ弁当ででんぷんが含まれているものと含まれていないものを考えさせる。弁当の中身ひとつひとつについて、生徒にでんぷんが「ある、ない」で答えさせる。
でんぷんの実験をする。
コンビニ弁当のどこにでんぷんがあるか。
ポテトサラダ
ウインナーソーセージ
ちくわの竜田揚げ:コロモが怪しい。
白身魚のタルタルソース和え
それでは糊は?ボンドは?セロテープは?
結論:植物原料はでんぷんが入っている、動物原料はでんぷんが入っていない。
植物原料には太陽にもらったでんぷんが入っている。
有元先生:みんながあおられて発言したくなりました。
《 感 想 》
授業にRISPを。「これ大事だから覚えといて」という授業や、空欄補充のワークシートで進める授業に違和感を持っていた。そのスタイルには、教員が覚えるべきだと思っている用語を、なぜ覚えなければならないか、覚える価値があるかどうかを生徒が考える余地がないからだ。「それがなんの役に立つの?」と生徒に質問されて返事に困ったことがある。この問いに答えられる授業、生徒がそのことを知りたい・できるようになりたいという動機を持てるように授業をデザインすることが教員の仕事だと理解できた。
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