2014-08-22

授業デザイン研修講座

授業デザイン研修講座(横浜国立大学と神奈川県総合教育センターおよび横浜市、川崎市、相模原市、横須賀市各教育委員会の共催)に今年も参加した。
(講師:同大学教育人間科学部教授の有元典文先生)

【この講座を継続して受講している理由】
2006年に亀井野庁舎で開催された初回から9回連続の出席となった。私の他にもリピーターの先生がかなりいらっしゃる様子。
この講座は、授業づくりのKnow How, How to を受講者に「教える」のではなく、人が学びたくなる場のデザインについて、
① 内発的動機づけ
② 発達の最近接領域(Zone of Proximal Development:ZPD, Lev Vygotsky (ヴィゴツキー, 1896–1934))
を背景として検討することを目的としている。
ヴィゴツキーは「直接人に教えることはできない」と言ったそうだ。このことは,これまでの自分の経験と一致する。
振り返ってみれば、学校で,あるいは社会に出てからも数えきれないほどのことを教わってきたが、自分の知識、技能、技術として獲得できたのは、人に助けられながら自分でできるようになったことと、自分でできるようになったことを土台として自分で解決したことだ。

教師になって30数年を経た今、「生徒を真っ白な画用紙に見立てて、そこに「知識」という絵の具を塗って絵を描きあげる」という授業観から抜け出して、ある主題について生徒が自分で考えて解決する授業づくりを模索している。
自分で「できる」「わかる」ことが一番嬉しいし、その嬉しさが「学ぶ」意欲を湧き出させ、後々まで覚えていて身につくことだということを、誰でも実感してきたのではないだろうか。
だから、空欄補充プリントを作って、順番に生徒を指名して空欄に正答を埋めてゆき、「試験に出るから覚えておこう」式の授業には違和感どころか、批判を向けている。この「違和感」と「批判」に理論的な裏付けをしたいと考えて、有元先生のこの講座のリピーターとなっている。

【講義の導入】
◎本日の目的
1 学習の必然性のある場
2 主体的な学習の4基準
本当の事
私の事
価値のある事
なかまがいる事
→「ほんわかな」授業をつくる
3 背伸び:未来の自分を体験させることの意義
4 生活の質を高める授業案を提案して実演する(本日の到達点)
5 学習観をとらえなおす

講義の最初に「本日の目的」と「到達目標」が示されるので,受講者は「どこへ連れて行かれるんだろう?」という不安を抱かずにすむ。
現場で日々行う授業も,このようにすると生徒は安心して授業を受けられる。

◎学習は人間だけが持っている能力
人間は自分達の生物的限界を超えた環境を学習によって生き抜いてきた。世界は変わり続けており、今の子供が大人になった時には、今はない仕事に就く可能性が大きい。変わり続ける世界を生きてゆくには学習が必要だ。

馬の出産シーン動画:母馬が何にも教えなくても生まれたばかりの子馬はすぐに立ち歩く、走る。そうしなければ捕食者の餌食となってしまう。
よちよち歩きを始める子供の動画:人が歩き始める時、親は練習みたいなことをさせる。人間は生理的早産と言われる。何もできないで生まれる弱い生き物だが、学習によって厳しい環境も生き抜いてきた。人間という種の先天的特徴は学習能力である。

【講義概要】
◎人間は学ぶことが得意すぎる
(1)puzzle box(ある手続きを踏むと飴を取り出せる黒い箱がある。実は箱の内部の上下は完全に仕切られていて,下の段の引き出しをあければ飴を取り出せる。しかし、わざと意味のない手続き(箱の上のボルトを外す,そのボルトで箱をたたく、上部の孔からボルトを差し込む、つぎに下の段の引き出しをあけて飴を取り出す))から飴を取り出す手続きをチンパンジーにやってみせると,チンパンジーはほぼそのとおりの手続きをして飴を取り出す。
次に同じ構造の透明な箱をチンパンジーの前に置くと、チンパンジーは「無意味な」手続きを省略していきなり下の段から飴を取り出す。

しかし、同じことを3-4歳児にしてみせると、透明な箱に対しても子どもたちは「無意味な」手続きをして箱から褒美を取り出す。
テキサス大学、Victoria Horner, puzzle box
http://www.nytimes.com/2005/12/13/science/13essa.html?_r=0
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15549502?dopt=Abstract

この実験は,人間がチンパンジーよりも劣っていると示したいのではなく、人間は学習する(学習してしまう)動物であることを示している。完全に真似ることが人間の発達には重要である。人間の学習は、指示追従性、模倣、slavish、他律的服従的という特徴を示す。
それは、教育可能性でもある。→人間らしさ
しかし、教育の場のデザインによっては、目的と手段が逆転して手段が目的化してしまい、生徒は「意味のないこと」、「おもしろくもないこと」、「興味もないのに「やれ」と言われること」を延々と忠実に、slavishにやることになる。

(2)変な文章題実験
「みかんが3個、リンゴが5個あります。かけると何個になるでしょう?」「身長5メートルの子供が8人います。全部で何メートルになるでしょう?」「家から学校まで2キロメートルあります。歩くと何分かかるでしょう?」などの算数問題を提示すると,ほとんどの子供が「解答」してしまう。
しかし、「この問題は小学生が作ったからおかしいことがあれば指摘してください」と前置きしてからこれらの問題を提示すると、これらの文章題の問題点を指摘する割合が高くなる。
問題の与え方によって、同じ人間でも対応が変わる。言われたことはやってしまう。という人間の特質をふまえた上で,学習の場をデザインする必要がある。
『認知的道具のデザイン(状況論的アプローチ)』,加藤 浩, 有元 典文,金子書房

◎内発的動機づけ
motivation(英語)、motif(仏語)に対して「動機づけ」。しかし、「づけ」られなくてもやりたくなることが内発的な動機。
知識理解が進めばやりたくなるのではなく、やりたいから、なりたいから練習し、勉強した結果、知識や技能が身につく。
バットの素振りを延々とやらせれば野球選手になりたくなるのか?
そうではなかったはず。プロ野球選手に憧れて、そのようになりたいから素振りでもランニングでも熱心に取り組むのではないか。

→背伸び:未来の自分を体験させることの重要性
やりたいから、なりたいから練習する。
「学校実践」という特有の環境の中ではいつの間にか「手段」が目的化してしまっていないか。

◎ヴィゴツキーの園芸家のたとえ
「園芸家は,間接的に,環境を適切に変化させることによって,花の発芽に影響を及ぼす。同じように,教育者も環境を変えることで子供の教育をするのです。」
授業力=環境づくり。間接的に、環境を通して、主体的な学習と活動に向かわせる力。

◎発達の最近接領域と「足場掛け」
「ひとりでできること」と「教えてもらわなくても皆と一緒ならできること」の間の差分を「発達の最近接領域」とヴィゴツキーは定義した。
何回に一回か、そんな授業を計画する。
できない自分を経験させるのでなく、足場かけ(ちょっとした手助け)によってできる自分を経験させる。→未来の自分を体験させる。

→私が子供の頃には子どもたちの間に「ミソっかす」という優れものの制度があった。今はもう廃れたかもしれない。
親に幼い弟妹の面倒を言いつけられた兄姉たちが「鬼ごっこ」などの遊びをするときに、弟妹も一緒に遊ぶけれどもその子たちは勝敗の得点に勘定しないという遊び方。弟妹たちは一緒に遊んでいるつもりになっているし、一緒に遊んでいるのだから兄姉たちは親たちに叱られない。そして兄姉たちは自分達のルールの中で遊ぶことができる。
弟妹たちもこれを繰り返すうちに少しずつ成長して、いつの間にか兄姉たちに混じって同じルールで鬼ごっこをできるようになる。
これは、ZPDでもあるしLPPでもあったのだなぁ。

→この夏参加した、ある研修会のグループワーク2題
1 研修にちなんだ替え歌を15分くらいで作って披露する
2 講師にインタビューし、その講師を紹介する寸劇を考えて演ずる
この二つとも、全く自分個人の能力を超えていた。替え歌も劇の台本も、わずかの時間では自分一人でひねり出す事など到底できないことだった。しかし、5人ほどのグループで取り組むことで二つとも無事にクリアできた。「みんなとならできる」、ZPDを体験する事ができた。

→本日のの研修2題
1 スパゲティ10本とマスキングテープ1メートルだけを材料にして、自立できるタワーをグループごとに作る
2 同じグループで、「ほんわかな」どれかに動機づけられる授業案を考案し、その導入部分を実演する
これらもやはり、「みんなとならできる」、ZPDを体験する課題だった。

【結び】
◎学習の再フレーム化
学習を個人で獲得すること、個人の垂直的な成長として捉える学習観から、「未来の集合的活動に備えて、いま・ここでできることを、皆で支える行き方もある。そのことでできなかったことができるようになったら、それも「学習」」とする。「いまを皆で支えることを学習ととらえる事について、検討したい。」
個人内の垂直的な学習→みんなの水平的つながりによる学習

→社会に出てからの人の活動は、ほとんどの場合集合的に達成される。会社でも、学校でも、官公署でも、個々人を周囲が支え、知恵を出し合って仕事を進める。
どれだけの知識を頭に詰め込んだかを問われるのは、学校や、入学試験、資格試験などの特殊な場合に限られる。

→学習指導要領に「言語活動の充実」「グループ別指導」と書かれているから、中央教育審議会の答申に「コミュニケーション能力の育成」と書かれているからグループワークをやってグループごとの成果を発表させる?
それは、ただグループワークをやって発表させただけのこと。
グループ活動によって「ひとりだったらできなかったかもしれないけれど、皆といっしょだからできた」,その達成過程を通じて、必要に迫られて言語活動もするし、コミュニケーション能力も鍛えられる。ということを授業者が意図してその授業をデザインしたのかどうか,そこが大切だ。
わたしたち教員は「学習とは」、「授業とは」「学校とは」何かを常に自問しながら、教員採用試験のために暗記した用語の意味を改めて捉えなおして現場に立つべきだと、意を新たにした。

本研修講座をより深く理解するための書籍
デザインドリアリティ[増補版]―集合的達成の心理学,(有元典文 , 岡部大介 ),北樹出版,2013/10
状況と活動の心理学―コンセプト・方法・実践,(茂呂 雄二,有元 典文,青山 征彦,伊藤 崇,香川 秀太),新曜社,2012/04
社会と文化の心理学―ヴィゴツキーに学ぶ,(茂呂雄二,伊藤崇,有元典文,他編著),世界思想社,2011/08
文化心理学(朝倉心理学講座11,海保博之監修),(田島信元,有元典文他編著),朝倉書店,2008/02
認知的道具のデザイン,(加藤浩,有元典文編著),金子書房,2001/10