2012-02-04

ウメサオタダオ展

日本科学未来館にウメサオタダオ展を観に行った。彼の著書は『知的生産の技術』、『モゴール族探検記』、『文明の生態史観』を読んでいる。(ちなみに、息子さんの梅棹エリオ著『熱気球イカロス号』も読んだ)。知的刺激を受けることばかりで、国立民族学博物館へ行ってみたいと思いながら果たせずにいた。
知的生産の技術で紹介されていた京大カードやオープンファイルとその整理棚、縦書きかな文字タイプライター、こざね、スケッチや写真などのレプリカを見て、知の巨人と言われる所以がよくわかった。
『知的生産の技術』が書かれたのは1969年なので今から40年以上前だが、そのあとがきで教科「情報」の新設を次のように予言している。

 『知的生産の技術』岩波新書pp.217-218より引用
「情報の生産、処理、伝達について、基礎的な訓練を、小学校・中学校のころからみっちりとしこんでおくべきである。〜中略〜ここにあげたさまざまな知的生産の技術の教育は、おこなわれるとしたら、どういう科目で行われるのであろうか。国語科の範囲ではあるまい。社会科でもなく、もちろん家庭科でもない。わたしは、やがては「情報科」というような科目をつくって、総合的、集中的な教育をほどこすようになるのではないかとかんがえている。」

本で読んだだけではわからないことが、たくさんのレプリカを見て、感動をともなって理解できた。平成15年、高等学校に氏の予言どおり教科「情報」が新設された。それから10年目になろうとしているが、いまだに「指先スキル」のトレーニングに終始した授業も多い。私も含めて、教員自身が「情報の生産、処理、伝達について、基礎的な訓練を」受けていないことが原因なのだろう。
情報技術の進展にともなって、情報の整理に使う道具は40数年前とは比較できないほど高度になったが、その活用方法はあまり変わっていないのではないだろうか。コンピュータはひとり1台持ったとしても、コンピュータさえあれば情報を整理・活用できるとは限らない。高性能のカメラを持っていて、その複雑な機能を使いこなせても良い作品を写せるとは限らないのと同じだ。

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