2009-12-31

2009年大晦日

 今年も大晦日を迎えた。この1年,なんとか糊口をしのげたことに感謝している。子供の成長とともに,親に育てられていた頃にはわからなかったことに気付く。この先もずっとそうなのだろうと思う。
 月並みだけれど,健康で平穏な毎日の積み重ねを大切にしたい。

きれいな月だった。

2009-12-27

本年最後の納得研究会

 青山学院大学の1室を借りて本年最後の納得研究会が開催された。
13時からだったが、12時~14時、秩父宮でラグビー大学選手権の撮影のため遅刻して14時から参加。
報告1 動物園の飼育と解説担当者から。
発表題 博物館等施設での展示を用いた対話型解説活動について。
動物園の来場者に対する解説を通した考察。
「もの」の展示の場合と「生き物」の展示の場合で、来場者を「誘いたい」世界への導き方に違いがあるのだろうか?という自問。
(1)「ものを媒介とした展示」の場合
 それが何であるのか、なぜそこに展示してあるのかを知ってもらうのに時間を要する。そして、展示を通して来場者が何をつかむか、何を得るかは来場者にゆだねられる場合が多い。
→成功したと思う場合:何か発言が出たり、深く考えるきっかけになったりしたとき。自分の日常生活との関連がわかってもらえたとき。
→失敗したと思う場合:来場者に話しかけていい、という雰囲気が伝わってこない。話のきっかけがつかめないなどのとき。
(2)「生き物の展示」
それがなにかは瞬時にわかる、動物個体について知ることを通じて考えてほしいことがある。動物を見て「かわいい、すごい」という印象だけでなく、自然保全に関心を寄せてほしいと言う意識が解説者には働いている。
解説者は、来場者と一緒に見たり聞いたり考えることを助ける。
感じてほしいことを大事にしている。動物についてわかりあえることを来場者とともに。立ち位置が「ものの展示」の場合と違っている。魚などの場合には一緒に見るということになるが、大きな動物の場合には斜め45度に来場者のほうに向いて説明する。観察シートを利用しながら。
→成功したと思うとき:動物を見ることが好きになったり、自分の知っている生き物の世界に関連付けてもらえたり、来場者の経験に照らし合わせて話題にしてもらえたり、感じたことを表現してもらえたとき。
→失敗したと思うとき:あいまいな反応をして展示の場所を去ろうとするそぶりをしたり、印象や感じたことを表現するのをためらったりしたとき。
(3)利用者が「文化への参与者」であることの自覚は、どのように生まれるのか。

発言1:飼育者としての場合と、説明者としての場合とは異なるのではないか。解説者としての札をぶら下げて解説する場合と飼育者が解説する場合とは異なるのではないか。
発言2:なぜ45度か、なぜ一緒に見ないのか?
→来場者の表情を見なければならないから。つまらなそうだとか、その場を離れ去るなどの雰囲気を察知しなければならないから。
発言3:物と生き物の場合に違うのか。
→物の場合、なぜそこに展示してあるかをわかってほしい。その人の日常生活との関連を見出してもらう。
→生き物の場合、それが何であるかはすぐわかる。その動物個体について知ることを通じて考えてほしいことがある。
発言4:なぜ「者」と「生き物」を分けたのか
→そこが皆さんに議論してもらいたいところ。生き物と物を同時に展示しているところはあまりないので。
発言5:来場者が解説者とその場に出会ったのは偶然なのか、それとも目指していくことなのか?目指してくる人を増やすのが営業努力であろう。
→ほとんどは前者。
発言6:解説というのは辻説法ですね。
発言7:このごろではヘッドホンで自分のペースで見ることが出来るようになっているので自分のペースで見ることが出来る。解説者が寄ってくると、「結構です」と言うこともある。なので、解説者は「おせっかい」という捉え方もできる。
発言8:教育と言うのは「壮大なるおせっかい」ということもできます。(「おせっかい」の結果に期待するものがあるから教育が成り立っている)。
発言9:横浜の開港記念館,解説のボランティアのなり手が増えている。やりがいがある。来場者に説明する。そういうことを自分の生きがいにしている人もいる。専門家でなくても、何回かの講習でそのボランティアになれる。今度その人たちにインタビューしてください。
発言10:おせっかいが増えている。ということですね。(笑)
発言11:何かやろうとしているのが人間なのであって、どこかみななんかうごめいているのが社会であって、解説者の側も来場者も。知識レベルでの解説ではなくて解説者としてではなくて人生を共にする人というありようもあるのではないか。
 (何とか言う芸術家の話、その人は)小さいときに壷を見ていた。おじいさんがジーッと一緒に見ていた。それが彼の石造りの原点である。象をジーット見ていて、それがある人にとってはなにかの原点となり得る。そういう人との出会いが人生を変えることもある。最近は、知識を作り変えればいいのではないかとい
う方向になっているが、自らの世界を作り上げると言うことに立ち返れば・・・・。

報告2
「表現と内容の理解について~4枚カード授業実践報告~」高校教師から。
「Wasonの4枚カード問題」と、それと論理的に同型の「飲酒問題」を課題研究という授業で実践した。今回の対象は2年生45名。3年で履修する課題研究3単位の準備段階として、ミニ実験や図書館の利用の仕方などを行ってきたその一環としての授業。
授業の目的:「論理的に同じ内容でも、表現によって内容の理解が異なること」を体験する。「論理的に考える」とはどういうことか体験的に学ぶ。

(1)授業計画
単元設定:「表現と内容の理解」
3時間(1時間ずつ3回)でおこなう。
1回目 飲酒問題
2回目 4枚カード問題
3回目 類似問題の提案とまとめ

(2)飲酒問題(1回目)
課題の設定:パーティで缶コーラと缶ビールを出している。成人は名札に赤いテープを貼ってある。
しかし、会場では名札が見えにくかったり、飲み物の缶が見えにくかったりする。未成年が飲酒していないか、どの人を調べればよいか。

実演:状況を説明するために、4人の生徒に名札をつけ、「ビール」「?」「?」「コーラ」とかいた缶を持たせた。
・成人だけれど、飲み物がわからない。
・名札が見えなくて、コーラを飲んでいる。
・名札が見えなくて、ビールを飲んでいる。
・未成年だが、飲み物がわからない。

個人ごとに解答:どの人を調べるか、理由も含めて解答させた。
45名の生徒に実施して42名が正解した。(正答率93.3%)
生徒が考えた「理由」:
ビールを飲んで年齢不詳・・・調べる
  調べないと成人かどうかわからないから
赤いシールがあって飲み物不詳・・・調べなくてよい
  成人なら何を飲んでも良いから
  赤いシールがあるから何を飲んでも良い
赤いシールなしで飲み物不詳・・・調べる
  成人でない人はビールを飲んではいけないから
コーラを飲んで年齢不詳・・・調べなくてよい
  コーラは誰が飲んでも良いから
  コーラは酒ではないから

(3)4枚カード問題(2回目)
状況の設定:ロングホームで先生が次のような課題を出した。
4枚セットのカードを作る。
片面にアルファベット、裏面に数字を書く。
大文字を書いたカードの裏は偶数にする。

作ったカードがルールどおりか調べるには、どのカードを確かめればよいかをグループで討議する。意見が一致したらグループの意見とし、意見が一致しなければそのままでよい。

41名の生徒に実施して19名が正解した。(正答率46.3%)
この実践では、飲酒問題を先に実施し、同じ生徒に4枚カード問題をグループで考えさせたため、心理学の教科書に出てくる(正答率は4~5%)という結果とは大きく異なる。グループの友達に理解してもらえるように説明することも授業の目的だったので。飲酒問題と実施方法が異なることに注意。

4枚カードの解答内訳
Aと3をめくる・・・・・・・19名
Aと8をめくる・・・・・・・11名
Aをめくる・・・・・・・・・・3名
Aとmと8をめくる・・・・・・3名
3とmをめくる・・・・・・・・2名
Aと8と3をめくる・・・・・・1名
8と3をめくる・・・・・・・・1名
8をめくる・・・・・・・・・・1名

(生徒が考えた理由)
Aと3をめくる
  Aは大文字なので裏が偶数か確かめる。
  3の裏は小文字がルールなのでめくる必要がある。
  3の裏が大文字ではいけないからめくる必要がある。
  8の裏は大文字でも小文字でもよい
  mの裏は奇数・偶数どちらでもよい

Aと8をめくる
  奇数のときのルールはないので、小文字と奇数のカードは確かめなくてよい。
  偶数の場合大文字というルールだから、偶数と大文字だけ調べればよい。
  Aの裏は偶数、8の裏は大文字でなければならない。
  3の裏は小文字、mの裏は奇数に決まっている。 → (だから調べなくてよい)
  3とmは反対側が正しくても3とmがルールを破っている。 → (小文字や奇数のカードはルール違反)

Aをめくる
  Aは大文字だから裏が偶数か確かめる。
  小文字のmは(ルールがないので)確認不要、奇数の裏も(ルールがないので)確認不要。
  小文字の裏は奇数と決めてないからどちらが書いてあってもよい。

生徒の理由まとめ
・そもそも問題の意味を理解していない。
  「大文字と偶数以外のカードはルール破り」
  小文字の裏は3だと思う。
・「小文字の裏は奇数」「 8の裏は大文字」などのルールを作ってしまっている。
  奇数と小文字にはルールがないからめくる必要はない。

(4) まとめ(3回目)
3回目の授業では、「ビール問題」と「4枚カード問題」をベン図で解説し、同様の問題を生徒に提案させた。

類似問題の提案:
例示
友達同士で「僕のバイクを使ってもいいけど、使ったときはガソリンを満タンにして返してね」という約束をした。これも、ベン図を書いて説明。友達が約束を守っているかどうか、調べるのはどの場合か?
・距離計から、使ったことがわかった。
・ガソリンは満タンになっている。
・ガソリンは満タンになっていない。
・距離計から、使っていないことがわかった。

生徒が提案した問題
提案1
「消しゴム」と表示するなら、字を消せないといけない。
次のどれを確かめればよいか。
字を消せる  「消しゴム」と表示してある  表示なし  字を消せない

提案2
食品実習工場に入るにはゴム長を履かないといけない。
次のどの人を見張らないといけないか。

ゴム長を履いている人 工場に入る人 工場に入らない人 ゴム長を履いていない人

生徒の提案をベン図に当てはめて解説

生徒の感想
・解くことはできるが作ることはできなかった。
・ビール問題より4枚カードのほうが難しい感じがしたけど、実際は同じような問題だったので、多分表現を変えるだけで違ってくるのかなぁと思った。
・言葉の言い方で感じ方が変わるのに驚いた。
・何か一つを基準にすると考えやすいと思った。
・なんとなくはわかるけど理屈がまだつかめない。

(5) 3回の授業を通して
個人解答の「ビール」はほぼ直感でほとんどの生徒が正解した。
「4枚カード」はグループでかなりの議論をした。
グループ内に正解者がいても意見が一致しない場合があった。
グループ内の正解者の説明に納得して意見が一致する場合もあった。

授業でおこなう「たとえ話」の危うさを実感した。その「たとえ話」を生徒は学習の主題と結び付けて考えているか?結び付けていないかもしれない。
学習は本当に「転移」するのか?
「問題解決の能力」「思考力・判断力」といわれるけれど、「問題解決の能力」という一般的な能力があるのか?「思考力・判断力」を育てることができるのかという疑問がわいてきた。

この報告に対して
発言1:「問題解決能力 」なる一般能力があるわけではない。そういう幻想を抱く人はあるが。
問題解決なる一般能力があるわけではない。
発言2:転移の一形態としてアナロジーがあるわけではない。最終的には、4枚カードについて、3段落で説明しなさいとか、相手に納得できるように説明しなさいとかいうことが授業であって、そこで終わってはただのお遊びとなる。この後が大切である。ここから授業をどう展開するかが大切だ。
発言3:直感であっても「飲酒問題」は解決できたのだから「問題解決」をしたことになるのではないか?
発言4:プログラムのデバッグなどでは、総当り式の問題解決方法を否定しない。
発言5:ビール問題は社会的なルールなのでわかりやすかったのではないか。
発言6:4枚カードの問題提示方法として、たとえば「ルールどおりでないカードを見つけたら賞品を出します」などのように社会的な罰や褒賞と結びつけると正解率が変わったり、生徒の取り組みが変わったりするのではないか。
発言7:理屈、論理だけで考えなければならないか?直感での問題解決は問題解決とはいえないか?現実社会ではいろいろな状況があるので、総当り式が必ずしも悪いわけではない。
発言8:実利的なことだけを追うの出ないところが学校という制度だ。理論、論理的なことから始まるやり方、そこに学校のロマンがあるともいえる。
発言9:ストーリーの類似性がわかるというのと、論理的に考えてわかるというとこは違う。ストーリーを横に移動させてわかっているだけ。論理に落とし込んでわかることが必要。「問題解決能力」と言いたがるけれど、そういう一般的能力、論理的思考力という一般能力があるわけではない。それは幻想だ。

大学ラグビー選手権2回戦

 秩父宮ラグビー場で大学ラグビー選手権2回戦2試合が行われた。第1試合,法政対慶應を撮影。結果は24対33で慶應の勝ちだった。法政は準決勝進出ならず残念だったが,良い試合だった。








モールを押し込んでトライ!


 今日は納得研究会もあるので,第2試合(早稲田対帝京)は観戦せずに研究会の会場である青山学院大学に移動した。

2009-12-23

横浜みなと博物館

 妻と二人で横浜みなと博物館へ行った。5年前に撮影していた日本丸総帆展帆の写真を「横浜の帆船日本丸」写真展に応募していて,佳作にも入らなかったのだが,全応募作品を展示してくれるということなのでそれを観るのが目的だ。横浜みなと博物館は本年4月に新装していて,横浜開港の歴史や関東大震災のときの模様,第二次世界大戦と関連した展示なども興味深かった。


日本丸後姿

 私の写真は,たまたま通りかかったときに総帆展帆をしていたので撮影したものだったが,他の作品と比べるとベタな印象で人前にさらすのは少々気恥ずかしい。しかし,公の場に展示されたのは初めてなので記念すべき作品である。
 博物館の展示と写真展を観たあとは,日本丸に乗船した。本日はクリスマスシーズンなので特別に電飾が施され,17時以降も見学することができた。私は1983年12月から1984年6月までの半年間,本船に三等機関士(教官兼務)として乗船していた。そのときの遠洋航海では,海洋写真家の中村庸夫さんが取材のためホノルルまでの航海に同乗し,楽しく過ごしたことを覚えている。
 中村庸夫さんといえば,1974年(昭和49年)の初夏だったと思うが,玉川高島屋でヨーロッパの練習帆船レースの個展(整髪料メーカーのオールドスパイスがスポンサーだった)を開催したことがあった。当時高校3年生だった私は,商船大学進学希望だったのでその写真展を観に行き,帆船への憧れを新たにした。彼は私の人生に大きな影響を及ぼしたひとりということになる。

出入港では私が操縦していた右舷機



三等機関士の居室

 妻と日本丸を見学して,帆船に憧れた高校生の頃,三等機関士として乗船していた20代の頃など懐かしい過去に思いを馳せた。

日本丸電飾

2009-12-20

大学ラグビー選手権1回戦

 名古屋市瑞穂公園ラグビー場で大学ラグビー選手権1回戦があった。12時キックオフなので,4時起床4時半発で片道350kmを走り,9時前に着いた。
 試合は法政51対22流通経済大学で法政の勝ちだった。
 渋滞が気になったので第1試合終了後はさっさと帰路につき,早稲田対立命館の試合は観戦しなかった。15時過ぎにグランドを発ち,20時半には帰宅できた。
 往復700kmの日帰り旅行は1000円高速の影響による渋滞を心配したが,大井松田~秦野中井~横浜町田の流れが悪かったほかは順調で,写真を撮れたという満足感もあって楽しかった。


激しいハンドオフで顔もゆがむ



フォローがしっかりついている



トライ!

2009-12-19

にじいろさかな号

 数日前に,大島商船高等専門学校の三原先生から「三崎の『にじいろさかな号』という半没水船を見学しに行きたいのだが,現地の様子が知りたい」と相談があった。私が学生だったときには学内の練習船深江丸機関長兼務の助教授をされていた,とても親しみのある恩師であり先輩なので,この機会にお会いすることにした。
 『にじいろさかな号』は三崎海業公社が運航している観光船で,船底から魚の泳ぐ様子を見ることができるようになっている。大島商船高等専門学校のある周防大島に,最近サンゴが発見されたので,三原先生とそのお友達が中心となってハイブリッド推進システムの観光船を開発し,周防大島観光に活用しようという計画なのだそうだ。
 卒業後に練習船勤務をしていた折,山口県の安下庄(あげのしょう)の近くに船を仮泊させたことがあり,そのときにお会いして以来なので,25年ぶりくらいになる。久しぶりの再会も嬉しかったが,研究成果を地元に還元しようとする姿勢は素晴らしいと思った。


にじいろさかな号



操舵室




海が見える船底の部屋



魚の群れが見える

2009-09-12

認知科学会ワークショップ

 慶應SFCで開催された日本認知科学会第26回大会の,DEE(教育環境デザイン)分科会ワークショップに参加した。大会は10月10日から3日間の開催だったが、最終日の「知覚の文化的デザイン」だけに出席した。心理学を専攻していない私には難しい内容だったが,心理学の先生や大学院生と交流することで教員としての自分に足りないところがいろいろと見えてきて,勉強しなければと感ずる。なので難しくても,機会があれば出掛けるようにしている。
 今日のテーマは,「生態心理学」,「エスノメソドロジー」,「文化心理学」という解釈の異なる3つの立場から,「知覚」が生成される過程について考えるというもの。難解そうだなぁ!
 「文化心理学」の立場から有元典文先生がコーディネータとなって全体の概要の説明があった。
 次に「エスノメソドロジー」の立場から,明治学院大学の西阪仰先生による「胎児を見る道具を介した視覚の達成」という題で,超音波診断装置を媒介して医師と妊婦がどのようにして胎内の胎児を視覚として共有してゆくかという報告があった。
 「生態心理学」の立場から,早稲田大学の三嶋博之先生による「アフォーダンス知覚とその公共性」として,感覚→知覚→認識という伝統的な捉えかたと,感覚と知覚が並立していて両者にまたがる領域に認識があるというGibsonの理論の比較説明があった。

2009-09-05

卒業30周年記念クラス会

 卒業30周年記念クラス会に出席した。東海汽船グループのレストランシップ VINGT ET UNの1室を借りて総勢80名の立食クルーズを楽しんだ。
 東京湾を2時間かけて航海した。出港船,入港船いろいろな船が行き交って,船乗りだった頃を思い出した。


東京海洋大学練習船海鷹丸



超高速ジェットフォイル セブンアイランド(東海汽船)



さるびあ丸(東海汽船)




自動車専用船

2009-08-24

第二回全国高等学校情報教育研究大会

 茨城県の筑波学院大学で開催された「第二回全国高等学校情報教育研究大会」に出席した。ナント遠いと思っていたが,秋葉原からつくばエキスプレスの快速で45分,充分に通勤圏内だった。
 午前中は文部科学省初等中等教育局の永井克昇視学官の基調講演があり,本年3月に告示された学習指導要領「情報偏」のホットな話題を聴くことが出来た。


つくば学院大学学食のカツカレー



「情報デザインの手法を取り入れた情報の授業」



「平成25年度に向けて高校情報教育の検討~コンピュータ教育から情報デザインへ~」




ポスターセッション



 午後は6分科会場で合計24本の発表,2会場で合計10本のポスター発表があった。
 私は第三分科会で「情報デザインの要素を取り入れた教材開発と実践」として,スパゲティカンチレバーの実践紹介を行った。同じ分科会では,いっしょに研究を進めている先生方から「情報デザインの手法を取り入れた情報の授業」,「平成25年度に向けて高校情報教育の検討~コンピュータ教育から情報デザインへ~」の発表があり,最後に「第2回研究大会のサイン計画について」という発表で締めくくった。第三分科会は,結局情報デザインに関する4本の発表でまとめられていた。
 とくに,最後の発表は(一緒に研究しているメンバーではなく)本体会のプログラム,パンフレット,大会ロゴ,会場のいろいろな案内表示について,大会を運営する先生方がクライアントになって会場校の学生に依頼し,半年かかってそれを作り上げてゆく過程の実践発表だった。大勢の人が集まる研究会では,参加した人が迷わずに目的の分科会に行けたり,休憩したり,昼食をとったり等々ができなくてはならない。その全体のサイン計画を学生に発注して実践するのは,これこそ情報デザイン教育だと納得した。
 大会のあとはつくば駅至近のドイツレストランで立食パーティ。生ビールとソーセージ,芋,ザウアークラウトでご機嫌だった。帰りはつくばエキスプレス,最高速度130kmを堪能し,2時間半で帰宅できた。

ビール!うまかった

2009-08-14

情報部会研究会

 教科研究会情報部会の研究会に出席するため横浜清陵総合高校へ。午前中はSqueakによるプログラミングの基礎的な教材例,午後はマイクロソフトのPublisherによるDTP基礎の教材例紹介。
(1) Squeakによるプログラムは,慶應の大岩先生が紹介しているサイトを見て独学していたが,やはり人に教えてもらうとよくわかる。C言語やBASICなどの場合には,コマンドを覚えたり,プログラムのでバッギングをしたりすることに時間を奪われて,プログラムで大切な論理構造が見えにくい授業となることが多い。また,その論理構造を図式化するためのフローチャートについても,「食わず嫌い」を生みやすい。まずSqueakでプログラムに対する敷居を感じないようにした上で,本格的なプログラムに取り掛かると効果的と思った。

(2) マイクロソフトPublisherによる校内新聞と名刺作成:
 世の中では,ワープロソフトではワードが事実上の標準のように扱われており,学校の授業でもワードによる文書作成,ポスター作成などの教材を扱うことが多い。ワードアートやクリップアートを多用した作品は,数年前なら目を惹いたが,今ではワードの諸機能を使ったことが見え見えで,とくに素晴らしいとも思わない「作品」が多いようだ。
 ワードの諸機能(ワードアートやクリップアート)が悪いわけではない。ポスターや三つ折りチラシのような,「人に見てもらって,情報を伝える」ために必要な理論的裏づけなしに,ソフトウェアの機能に依存した作品を作って満足してしまい,「人に見てもらえるか,伝えたい情報が伝わるのか」についての検討をしないことが問題なのだ。
 Publisherもソフトウェアである以上,そのような愚に陥る可能性がないわけではない。しかし,本日の研修では,ポスターやチラシを制作するうえで,「人に見てもらう,伝えたい情報を人に受け取ってもらう」という本来の目的を達成するための理屈,そしてそれを実現するためにソフトウェアの機能を利用するという視点を教えられた。
 見てもらうために,画像や図表をどのように配置するか,「見出し」の位置と大きさと書体,なぜ段組が必要なのか,字の大きさと行間や字間の関係,どうすれば見てもらえるか・・・ポスターや新聞は感性ではなく理論で作られている。必要な情報を全て書き込んでも,ベタなポスターでは誰も見てくれない。こういうところにも「合成の誤謬(ごびゅう)」という経済用語が当てはまりそうだ。
 ソフトウェアも使いようだから,「情報教育は何でもかんでもワードとエクセルとパワーポイントで完結」という状況から脱却し,伝えたい情報は何か,どのように表現するのか,どのように伝えるのかという,情報教育本来の姿を目指したい。

2009-08-09

水中ビークル

横須賀市夏島の海洋研究開発機構に水中ビークル(潜水ロボットと水中グライダー)の見学、水中グライダー工作体験に生徒を引率。
潜水ロボットは制御技術、水密技術、工作など総合的な技術と技能が必要。
水中グライダーは浮力と錘と揚力のバランスで水中を走る。主な材料はペットボトルと塩ビパイプ、タミヤのプラバン。
このバランスを計算で求めるのはたいへんなので、いまのところは試行錯誤で工作しているらしい。
教材としてもおもしろい。

2009-08-07

学習環境デザイン研修講座

 横浜国立大学で「学習環境デザイン研修講座」を受講した。平成18年から毎年受講していて,完全にリピーターになった。講師は横浜国立大学の有元典文先生。

本日の目的は2つ。
   なぜ
   いかに
     授業をデザインするのかを考える。

(1) なぜ授業・活動をデザインするのか。
 「何時に起きるか,何時に昼食を食べるか」などの人の活動を決めているのは,生理学上の要求からか?そうではなく,どちらかと言うと社会的、文化的なことから決まっている。人間の行動は生理学上のことだけでは決まらない。
 日本人が3度3度食事をするよういなるのはいつからか?狩猟民族は獲ったときが食べるときであったはず。農耕民族はちがう。農耕が主だった時代は一日二食だったらしい。
 空腹になると血糖値が下がるが、昼食をたべるのは空腹だからか?そうではなく,昼を食べると言う文化があるからではないか。朝起きる時間も、放っておけば何時に起きるかわからない。仕事がある、電車の時間があるから起きる時間が決まってくる。
 これらの行動を規定しているのは文化である。人間は体だけで行動するのではなく、文化によって行動が決まる。

 パーソン・ソロとパーソン・プラス(パーキンス,2000)
 パーソン・ソロ:教室の中で自分の周囲に資源を持たない生徒。紙と鉛筆などだけで計算する人。
 パーソン・プラス:、周囲に資源を持つ生徒。計算機、人に訊くなど、周囲の資源で計算する人。

 学校はパーソン・プラスをパーソン・ソロにしようとする運動をし続けている。
 私たちを買い物に行くとき、食材をメモしていく。私たちのパーソンにプラスしてメモ帳、携帯などに記憶させている。買い物へ行く時に頭の中だけに記憶させる人はあまりいない。私たちは道具を使って記憶を補助する。
 ところが学校は道具の利用に制限をかける。一人でできにことを仲間と実現するとしたらそれはその生徒一人の能力とは認めない。試験で人の助けを借りたり、メモを参照して答案を書いたりしたらカンニングとみなされる。→ひとりでできるようにするのが今行われている学校の教育。
 しかし社会では、メモを使う、人に聞く、辞書を使う、・・・回りの資源を使って生活を実現させている。
 日常生活ではパーソン・プラス。しかし学校ではパーソン・ソロを求める。
 『分散認知ー心理学的考察と教育実践上の意義ー』ガブリエル・ソロモン編、松田文子監訳、共同出版。

 人間の能力は皮膚の内側だけで成り立っているのか?そうではない。
 今だから授業でパワーポイント等を使っているが。私ひとりではなく、私プラス何かでこうした講義を実現している。

 パーキンス:「生徒が学校を卒業したあと生活できるように準備をすることが学校の使命に含まれているのならばパーソン・ソロに近いものへの固執は"実社会"からずれている。 ほとんどの生徒は認知を分散する術についてたくさん学ばなくてはならず、学校はそれを手伝うべき。」p.127

 わからないとき誰かに聞くことは誰でもする。しかし試験ではそれができない。試験というのは個人の能力を測るための行為。
 「能動的思考者は周囲を豊かな周辺に作り上げ、パーソン・ソロでは手に入れられないような結果を得るために周辺とうまく相互に作用しあう。」
 個人の外に資源を求めることは、我々が普段していること。
 本日の目的二つは何?と聞くと、皆さんメモを見るでしょう?

 人間の記憶能力は 7±2 。7桁の電話番号がせいぜい。短期記憶では30秒が限界。リハーサルをしないと消えてしまう。落語の与太郎、用事を唱えながら使いに行く。途中でいろいろなことに出くわして用事を忘れてしまう。江戸時代から人間の記憶の限界はわかっていた。

 電球が輝くメカニズムとは?豆電球が光るのはなぜですか?
 フィラメントが発熱するときの発光。電球の中が閉じられていて、真空になっている。 という答えが返ってくるが,これらは物理的なメカニズムだけ。しかし,電球が光るためには,物理的なメカニズムと社会文化的なメカニズムの両方が必要。
 ・物理的なメカニズム:フィラメントの抵抗
 ・社会文化的なメカニズム:ソケット、電気、発電所、電力ビジネスモデル(インフラストラクチャ、公共料金自動引き落としシステム)などによって電球は光る。電球単体では成り立っていない。

 人間はどうか?
work1  間隔がちょうど10センチになるような2点を、目分量でノートに打ってください。
私の目分量の結果:92.5ミリ

メートル法 1791年 フランス
 北極から赤道までの子午線の長さの1000万分の1 1792~1798年にかけて測定。
 1875年メートル条約
 1886年(明治19年)日本加入
 日本のメートル原器はNO.22で、国際メートル原器との差は0.78マイクロメートル
 現在は原子の振動数がメートルの標準となっている。
 1791年までは人間は10センチを図ることができなかった。
 25メートルプールも100メートルそうも、身長177センチも、10ヘクタールの農地も「100m先を左折して」も地上333メートルもわからなかった。
 人間は生まれつきに長さを直感する能力と言うものはない。しかし道具によってそれを感ずることができるようになっている。生得的な能力ではない。

 パーソン・ソロというのはそもそもありえない。
 生まれつきの人間には(その可能性はあっても)
  長さを図る能力
  時間を図る能力
  音階を聞きwける能力もない。
  (その直感も意図もない。)

 目を閉じて30秒したら手を上げてというと、だいたい30秒前後で手が上がるがこれは秒という時間感覚を後天的に得ているから。

 大航海時代に船の位置を測る上で分の単位では足りないから、秒ができた。second のminute だからsecondというようになった。・・・納得的理解!
 音階:振動に対して名前をつけて音階ができた。

人間はパーソン・プラスである。それが私の心理学の拠って立つところである。人間とは一匹のイキモノではない。一人の人間も歴史と文化の集合体である。

 意思の疎通の概念、距離の概念が変わっている。ここから新宿までの距離という概念は、5世代前とはちがう。新宿まで歩くと、9時間かかる。新宿に飲みに行くなどありえなかった。
 横浜新宿間の距離:曽祖父、高祖父の時代にはその距離感が違う。そのようなことを考えてみても、パーソン・ソロはありえない。

 言語もパーソン・ソロではない。外来語も入ってくる。今この瞬間に行っていることは過去の先人との共同作業である。ここが動物と違うところ。一人で成り立たないのが人間である。
 たった一人であれば、毛のないサルである。生理的早産。他の動物に比べて見れば、圧倒的に早産である。産み落とされてそのまま放置されたら人間は生きてはいけない。立ち上がれない歩けない。

 しかし、教育は個人の皮膚の内側に人の行動の原理を移植しようとする。グループワークや共同作業をしようとする授業はあるが、基本的には個人の中に何かを注入しようとする。
 それはまるで、電球が光るのは電球の内側の作用であるとただ直感しているに等しい。

社会文化的サイボーグ
 人工的な器官と一体化することで生まれつきの能力を超えた人間。
 私たちは皮膚の外の世界の人工物と一体化し、知識・技能をインストールされて出来上がったサイボーグである。

 九九の計算を暗記して、今、7・8=56(シチハゴジュウロク)が即座に答えられたからといって、それは計算したのではなく頭の中の九九の表を参照しただけ。計算したのではない。←チャンク化した記憶の参照


人は社会文化と不可分である。
 ただし、社会文化から離れて自律(この字で正しい)はできない
 暗闇でも移動する能力を持つが、たとえばそれは懐中電灯と一体化しているときだけ。 自転車:人間が一番少ないエネルギー源で最も多くの距離を移動できる道具。茶碗一杯の飯で30キロメートルを移動できる。

 パーソン・ソロ:学校ではパーソン・ソロ
 九九表を頭の中に入れる・・・パーソン・プラス。漢字:パーソンプラス(漢字は自分で作ったものではなく、あるものを参照している)。しかし、それを覚える過程ではパーソン・ソロ的に使わせているのではないか。
 英文和訳をさせるとき、頭の中に英単語が入っていることを期待されている。英単語を覚えたときはパーソン・プラスだが、使うときはパーソン・ソロだと思う。

 暗闇でものが見える:人間の視覚は色に敏感で、形に劣る。犬は色の能力を抑えて形をよく見えるようにしている。
 私たちは世界を道具越しに経験している。
 文化心理学上のまとめ。カレンダー、メジャー、・・・暦が発明されるまでは、一週間前のことがわからない。
 私たちは世界を道具越しに経験している。みなでよってたかってデザインしてきた現実を生きている。世界を素のままでなく、道具を介して理解している。

 認知は単にサイコロジカル(個人内)でなく、ソーシャル(個人間、個人と道具間)
 朝倉心理学講座11文化心理学 田島信元編 9章『認知科学と文化心理学』有元典文,pp165-185、2008

 なぜ授業・活動をデザインするのか→認知能力は固体の内にあるというより集合的だから。
 いかに授業をデザインするのか。

 すべての知識・技能は応用可能か?
 学校で教わったことで今生活で使っていることは?私たちを育てたのは学校かそれとも社会か?

アダルトマスプログラム
大人が計算をどのようにしているかの調査。学校の算数はまったくできなくても、買い物ができる。1980年代の教育関係者のショック。学校算数の能力と買い物の計算能力には相関がないことがわかった。

あまり問われないことを問うのは大学の勤め。普段考えないことを考えていただく。

ストリートマス:ブラジルのココナツ売り。算数はできないが、絶対損をしないような売り方をする。

こうして実例を見てみると、学校で教えている算数とは何なのだろう?
社会学者は「学校というのはゲームだ」といっている。

30分休憩。
1430再開

(2) いかに授業・活動をデザインするのか。
work02
内発的動機とともに取り組んでいることについて伺います。
1 その活動    (例 野菜作り)
2 目下の課題   (収量と味の向上)
3 情報源     (雑誌、参考書、仲間)
4 評価はどこから (現実、隣の菜園との差)
5 動機      (ともかくたのしい!)

例1 ラグビーの写真撮影
カメラの性能と自分の腕前
雑誌、本、インターネット、隣で撮影しているプロの人の手ほどき
写真を見た人からの世辞。俺って上手い!という自己満足。
子供の写真を写すことから高じて。しかし、子供がなかなか試合で使ってもらえない。人から写真をほめられたい。よい写真をプリントして人に喜んでもらい、その結果としてほめられたい。


例2 天然鰻釣り
道具とかいろいろなこだわりがある。ヒゴという道具を使う。
目下の課題:釣れない。10回行って2回くらいしか釣れなかった。
やり方の情報:叔父が釣っているのを見て。
研究不足。
天候、状況、などを記録する。
動機付け:楽しいから。


例2 ケーキ作り
3度の食事よりもケーキ。10歳くらいからやっている。36年くらい。プリンから始まった。
目下の課題:自分の舌に合うものが作れるようにはなったがさらにおいしいものを作りたい。プロにはかなわない。
情報:食べ歩き、舌で覚える、プロの味を見る、本を読むなど。
「この味」の再現方法に気づいたことは?イメージどおりには作れるようになった。
情報源:主として舌。

例3 リズム活動
子供たちが基礎リズムを体得すること。
情報源:研究会などはあまりないようだ。この4月から教職。それまではフルートの演奏活動。小学校の専科で音楽教育。
課題:日本の音楽教育の現実を見てしまった。音楽は嫌いなのにカラオケには行くと言うギャップ。音符が読めない。積み重ねができていない。楽譜にとらわれないでできる音楽として、リズムがある。そこがわかってきた。

音楽嫌いだがカラオケは好きというのは面白い。

例4 手作りの簡易ドーム型テントを趣味として作り,子供たちに見せたい。
プラネタリウムができる。いろいろな素材を探し、グラスファイバーのポールで丸い形を作っていく。
情報源:本物のテントを見て、こうやるのだと気づく。100円ショップなどに行ってよさそうな道具をさがす。

例5 野菜作り
収量とか味は向上するのか?→頑張っただけ向上がある。6年くらい。はじめは思うようには行かなかった。肥料など。
情報源:雑誌、仲間との情報交換。

これらの活動を支える周辺を確認していただいた。活動の周りにはいろいろなことがる。課題、進めていくための情報、おおむね自分の満足感、人の評価、内発的動機:これらの活動では動機はあるに決まっているが。それでは学校では?

work03
一番最近教えた内容について伺います。児童生徒にとってはどうでしょう。
1その活動    例、小2音楽「しろくまのジェンカ」リズム遊び
2目下の課題   歌いながら踊る
3情報源     先生、教科書、CD
4評価はどこから 先生、友達との違い
5動機      なぜやるの?

自分の活動との差を考える。
教室での内発性の困難
 学習事項が外発
 問いが外発
 動機が外発
 意義が不明確
 アイデンティティが不明確(自分は誰で何のために何を追及するのか)」

動機付け:motivation 
 今学ぶことの意義がわかる子供は幸せ。分数の通分約分の社会的な意義がわかればそれは素晴らしいが、大概はわからずにやっている。
 逆説的であるが、学校は学習するのに一番困難な場である。
 少年サッカーはサッカーをしたくて来る。学校は行くことになっているから行く。動機が一致せずに学校に来ている。そういう点では,専門高校の生徒の多くは動機があって来ている。看護学校の生徒。彼らは動機、アイデンティティがあって来ている。

教室での実践の特徴
目的が希薄(個人の学習以外の)
メンバーは任意
練習はあれど本番がない
きそはあれどおうようはない
損も得もない(学業上の達成度以外の)
あえてつけないと動機がない(だから「動機付け」!)
児童生徒でしかない。
これが個人の趣味に邁進している人間との違い

教師とは:要するに学習に不向きな場所で学習させるための工夫をする仕事、学習環境のデザイナーである。

動機の喚起
×・・・教材・教具の工夫(小さな文脈の工夫はオブラートであって,(学ぶ主体の生徒に動機がないという)構造は変わらない。

○  大きな文脈の工夫(よりおいしいケーキを作りたいという文脈、そのための小さな文脈。)

どうしたら人は内発的に理解を求めるのか?
性格?指導者?それとも
どうしたら内発的理解を求めるようになるのか。

二人ペアになって相談し、自動車のエンジンからタイヤまでのtからの伝わり方を簡単に図示してください。
http://y-sunka.org・3f_ind/car/index.html

Miyake(1986)ミシン構造
今回二人にはミシンの仕組み、原理について話しあってもらいます。どのようにしてミシンは布を縫えているかについて、私に図で説明できるように話し合ってください。

糸1と糸2がどうやって絡み合うのだろう。
ボビン自体が回るという巧妙な仕掛け。

Miyakeの動機付け再考
ペアで一時間くらい相談
山田(2009)の追試では30分程度
全ペアともレベル5まで理解。
山田(2009)ではほぼレベル2度止まり。
→「内発的動機」

理解と文脈
 今回二人にはミシンの仕組み・原理について話し合ってもらいます。どのようにしてミシンは布を縫えているかについて小学校5年生に対して授業が出来るように話し合ってください。[その後3分間の模擬授業]

理解:自分が理解することと誰かに理解してもらうためのこと
理解とは頭の中の抽象的な出来事ではない。具体的な「理解を必要とする文脈」が重要

鰻の釣り方を教えても、「鰻を釣る」動機がなければ教えられない。

小学校の音楽の授業:琴の写真もければ音もないのに、琴の部品や道具の名前を覚えさせる。これは、生徒にとっては覚える動機も何もない。

「子供に教える」という文脈で理解しようとする。それに対して子供は、使う当てのないことを覚えさせられている。

優れた授業から
 カマキリになってみる
 模擬株式
 酸性雨ネット(アメリカの小学校):それが行政を動かした。
 伊那小
 校長に嘆願書
 一本のバナナから
 一番大きな容積
 時の為政者になってみる
 絵コンテ作り

優れた授業から
アイデンティティ
 カマキリになってみる
 時の為政者になってみる
 絵コンテ作り

活動がリアル
 模擬株式
 いちばん大きな容積(一枚の紙から作る)

社会的意義
 一本のバナナから(フィリピンからバナナがどのように日本に届けられているのか、自腹切手フィリピンまで行った先生の授業作り)
酸性雨ネット

実践共同体
 校長に嘆願書;アメリカの作文教育、ピンクフロイドの音楽をかけて学校でダンスしたいという嘆願。
 伊那小:

優れた授業を見ると

理解を求める文脈とは:
 活動自体がリアル
 アイデンティティがある
 社会的意義が見える
 実践のコミュニティに参加する。

今飲みにくい薬を飲ませる小手先の動機付けではなく、文脈。

活動自体がリアル
目的がある
社会的に評価される
出来不出来、勝ち負けがある
自己評価、周りの評判
学習事項オープン
方法答えはオープン

    昔、茶筒に少量のガソリンを入れてシェイクし、電気をつなぐとスパークが飛んで、茶筒の蓋が飛ぶという授業を受けたことがあった。今なら出来ないかもしれない。

アイデンティティがある
誰として取り組むのか明確
見本となる存在がいる
社会にその実践がある

    Jリーグ:将来これで食べられるという見本、それにより小学生にサッカーが盛んになる。

社会的意義が見える
なぜ取り組むのかわかる
学力のためではない
自分のためではない
意義が公共的
社会に影響を及ぼす可能性
自分たちが知恵の原因になれる

一年に一度でもこのような授業が出来れば

実践のコミュニティに参加
学ぶことは参加すること
参加することはメンバーになること
熟練を目指す
コミュニティの担い手である
学校を超えた地域・社会のもの

いかに授業・活動をデザインするのか → 個人のデザインではなく、場のデザイン。
個人を変えるのが目的というのは逆だと思っている。


まとめ
そもそも学校は学びに向いていない
好奇心=動機付けを高める文脈の工夫
 ←→単なる教材の工夫ではない
リアルな活動・役割付与・意義・実践のコミュニティに参加
動機のある子供は幸福

鰻とりを追求しているときは幸せ


形ある人工物は継承していくことが出来る。だがたとえば自転車という人口物を前の世代から引き継いだとして、それをどう使うという知識は物自体に埋め込まれてはいない。自分たちの世代のたくわえを次世代に伝えるには、世界の見え方を伝承するための特別の亜実践が必要になる。そのことを私たちは「教育」とよんでいる。
「デザインドリアリティ」有元・岡部、北樹出版、2008

拡張された種(イキモノ)
自分たちの世代の世界の見えを次世代に伝え、世界を「再生産」するために、私たちは教えと学びを必要とする。

動物とは異なる後天的な伝承のプロセスを種として必要とする。
種の存続の基本条件として学習のプロセスを埋め込んだ存在が人間。

2009-08-06

玉掛け技能講習引率

 今年も玉掛け技能講習の引率で、相鉄線かしわ台駅からバス10分の「IHI技術教習所」に行った。
 玉掛けは、重量物にワイヤを巻き掛けてクレーンのフックに取り付け、クレーンオペレータに手やホイッスルの合図で重量物を吊り上げたり移動したりする、とても危険な作業だ。
 クレーンのオペレーターはクレーンの免許取得者だが、それを指揮するのは「玉掛け技能講習修了者」というわけで、どっちが偉いのか?とふと思ってみたりする。

2009-07-27

情報部会研究会(H21第1回)

 湘南台高校で10時から。
① 情報デザインの手法を取り入れた情報の授業
  ~地図やチラシ作りを題材にした受け手の視点に立った情報発信
② 伝えたいことを校内ポスターに表現する方法
  ~授業で指導している項目
  ~生徒作品から学ぶセオリー
  ~文字組みとイラストの実習
③ 平成25年度に向けて高校情報教育の検討
  ~コンピュータ教育から情報デザインへ
  ~ワークショップ「635法」
④ 情報デザインの要素を取り入れた教材開発と実践
  ~ワークショップ「スパゲティカンチレバー」

2009-07-19

情報部会研究会の打ち合わせ

 7月27日に行う情報部会研究会の打ち合わせに湘南台高校へ。研究会の時程調整とともに,情報デザイン教育について,新しい学習指導要領との整合性や今後の方向性も含めて打ち合わせを行った。他校の先生の授業実践はとても参考になる。
 ところで,学習指導要領解説書がまだ数教科分しか文部科学省のWebサイトにアップされていない。そろそろ読み始めたいところだが。

2009-07-05

ラグビー春季最後のオープン戦

 東海大学湘南キャンパスへラグビーの応援に行った。春季最後のオープン戦,法政大 対 東海大。


スクラムで押す!


トライ!

昨秋のリーグ戦で惜敗していただけに負けられない試合だった。フォワードはモールのコントロールよく,バックスの展開も素晴らしく,雪辱を果たした。

2009-06-27

納得研究会

 2ヶ月ぶりの納得研究会,青山学院大学のガウチャーメモリアルホール9階で開催された。


 三本の発表。

 私からスパゲティカンチレバーの報告。

東京都市大学の上野先生とソーヤー先生から「Web 技術の学習環境のデザインの分析」

佐伯先生から、「発達の最近接領域」と「正統的周辺参加」に関し、ご自身が「目からウロコ」の落ちる思いをされた論文紹介。




報告1 「情報デザインの要素を取り入れた教材開発と実践」
スパゲティカンチレバー(Spaghetti Cantilever)の授業実践を報告した。アメリカの高校の物理オリンピックの企画を参考にした教材である。
グループで協力し、いろいろな視点を交換し合いながら、茹でていないスパゲティを水平方向に伸ばす方法を考える。簡単そうに思えるが、やってみると意外にうまくできない。そのギャップに直面して、生徒は工夫して何とかより良い方法を見つけようとして協力しながら改善してゆく。
 この過程では、「考え」をことばに表し、他人と共有することが必要である。正解といえるものはなく、どのように考えて、どのように改善したか。そこが問われる。cantileverは「片持ち梁」なのだが、工学的に定量的な検討を行うことまでは求めていない。しかし、「だんだん細くしてゆくと長く伸ばせる」とか、「ずっと太いままだと折れやすい」などのことに気付いてくれたらいいな・・・という期待はしていて、実際にそのような生徒もいた。
 スパゲティという身近な食材に対する親近性、しかしそれが教材となると「何だろう?」という新規性を持つ。そこをねらった実践だった。
 報告のあと、「本来は物理オリンピックの種目なのだから、物理的・工学的な意味を捨象してしまっては教材としての意味が半減するのではないか。グループワークだけに注目して班員の協力ということのみを目的とした実践ならば、疑問」との意見をいただいた。
  確かに、ホームルーム活動や新入生に対する「クラス開き」のようなアクティビティなら「班員の協力」のみを目的とすることも可である。この教材を教科・科目の1単元として育てる上で貴重な視点をいただいた。

報告2「Web 技術の学習環境のデザインの分析」
東京都市環境情報学部 上野直樹先生・ソーヤーりえこ先生
ソーヤー先生
(1)ワークプレイスの学習環境のデザイン
リベリヤの仕立て屋の徒弟制度、正統的周辺参加:最初はボタン付けなどの簡単な作業から参加し、初心者は全体の作業を俯瞰しながら徐々に難度の高い作業ができるようになる。
 一方、あまりに細かく分業が進んだ肉屋では、包装作業などを担当する初心者は、長期間にわたってその業務に従事していると、肉屋の業務全般を俯瞰的に学ぶことを妨げられているという事例。
 ユカタン半島の産婆の事例:職人の徒弟制度とはちょっと異なり、産婆に弟子入りしたわけではないが、産婆の孫がやがて人のお産を手伝うようになり産婆になってゆく。
 Wenger(1990)の保険会社におけるCOBシート:保険契約者からの保険請求について、処理係は計算はできるが「なぜそのような計算になるのか」は説明ができなかったりする。これは文化的に不透明、ブラックボックスである。確定申告でも同じようなことがあって、税金還付の数式の使い方の説明はできるが、なぜそのような計算式になるのかは説明できないことがある。
Webのコーディングのあり方もブラックボックス化するのではないか。

(2)webシステムを研究している学生のシステムの構築の仕方。
 ある学生はさまざまな表示ができるブログシステムを作るとき、はじめは従来的方法でゼロからすべて自分で構築しようとした。しかし、先輩たちから教えられたり、先輩たちのやり方を見たりするうちに、世界中のサーバーに分散しているいろいろなプログラムやデータベースを利用しながら作るようになった。これは、いろいろなところから提供されているコンテンツや技術を組み合わせて新しいサービスやシステムを作り上げる「マッシュアップ」と呼ばれる方法である。(このように情報の送り手と受け手が以前のように固定化されず、相互に流動的に発信・受信できる状況をWeb2.0と呼ぶ)。

上野先生
 最近のWeb2.0の状況、それを利用する学生の状況の紹介もあった。
 NOTA(Webにアップした画像をでいろいろな人と共同で編集し、付箋などもつけられるサービス)
 Twitter(140字ほどのマイクロブログ。イランでは当局の検閲もすり抜けて世界中に国内の状況を発信する道具として使われ、米国大統領オバマ氏は選挙戦略に活用した)
 Ustream(ビデオを手軽にストリーミング配信するサービス、ブログにも貼れる。ストリーミング配信は、ハードディスクに保存することなく再生する配信方法)。
 これらは時空を超えた擬似同時性が特徴で、こうしたWebシステムは社会的アーキテクチャになりつつある。参考ページ。
ネト充:リアルから離れてしまったわけではなく、リアルな経験の社会的構造をWebというメディアによって大きく作り変えた生活をしている人のこと。(実生活が充実している人はリア充)。
 ネットゲームから抜けられなくなった人はネトゲー廃人と呼ばれ、本日の研究会ではネトゲー廃人から生還した人もいるような?これは冗談だったのか?

報告3 「最近読んだ「目からウロコ」論文」
 佐伯先生のwebコラムから、ヴィゴツキーの最近接発達領域(ZPD)について、主観的ZPDと客観的ZPDに分けて考えるべきではないかというChaiklinの考え方の説明があった(。詳しくは佐伯先生のWebコラム参照)。
チンパンジーに餌をとるときの手続きをやって見せると始めはまねする。しかし、餌の箱を透明にして、手続きの始めの2~3ステップがまったく餌と関連がないことがわかると、はじめの2~3ステップを省略して目的の餌をすぐにとる。
 同じことを人間の子供にやらせると、菓子をしまっていた箱を透明にして、始めの2~3ステップの手続きが菓子を取ることと無関係なことが一目瞭然なのに、その手続きを省略せずに呪文のごとく、教えられたとおりに真似する。
 また、アメリカのある家庭の主婦の得意料理はハムのローストである。彼女はハムの両端を必ず切り落としてから料理する。ある日彼女の母親が久しぶりに訪れてその様子を見たときのやりとり。
 母親「あなた何故ハムの両端を切り落とすの?」
 主婦「だってお母さんいつもそうしていたじゃない」
 母親「あの頃はフライパンが小さかったから、ハムの両端を切らないと料理できなかったのよ」
 これは意味がまったくわからないことをそっくりそのまま模倣することで、このようなことは学校では往々にして生徒が求められている行動様式である。
 ところで、アメリカという国では議論に参加する糸口がとても大切である。待っていてはまったく発言できず、結果として「いない人」のように思われてしまう。そのようなときにどうやって発言するか?
 人がなにか発言したら間髪をいれずまず「I don't think so!」と発言する。そうすると皆が黙るから、それから考えて発言すればよい。

 このあと18時から「もつ吉 青山店」で佐伯先生の誕生日お祝い会兼懇親会。研究会のときよりも人数が増えて、25名くらいの参加で盛り上がった。隣の席になった浜松学院大学の文野先生とのお話の中で、かつて小笠原に通って現地の研究をされたことがあったそうだ。小笠原諸島は日本列島などからちぎれてできた島ではなく、海底火山が隆起してできた島で、なおかつ遠く離れているので、生物の生態系が独立して進化しているとのこと。小笠原にしかいない鳥とか貝もあるらしい。
 その行き帰りの船は片道25時間半くらいかかる。文野先生の話では、船室の枕元にある洗面器を見ただけで船酔いが始まった。日常生活では、洗面器は顔を洗うことをアフォードするが、船の客室の枕元においてある洗面器は「別のこと」をアフォードする。
 なるほど。かつて船乗りだった頃、私も2回ほど行ったことがありますが,私の居室の枕元に、洗面器は置いてありませんでした。

2009-06-21

ラグビーの応援

 大学ラグビーの練習試合を応援に行った。なかなか出場機会のない息子だが,今日はDチームの後半にフッカーとして出場できた。

 1枚目の写真は相手校のナンバー8にタックルを決めた直後。かろうじて背番号19が読み取れる。


 2枚目の写真はラインアウトでボールをスローインするところ。後半だけの出場だったが,チームとしては7点差の勝利だった。7点差といっても,ラグビーの場合は1トライで5点,トライ後のコンバージョンゴールを決めると2点なので,僅差ではある。

2009-06-19

水産教育研究会

 6月18日から19日にかけて一泊二日で『全国水産高等学校水産教育研究会 関東・東海地区研究協議会』という催しに出席した。

全国47校の水産高校(普通科併置などを含む)を,北から南まで7ブロックに分けたうちの関東・東海地区11校の研究協議会である。
 5つの分科会に分かれて発表が行われた。私からは,昨年11月に横浜国立大学で開催された「ヒレ推進コンテスト」に生徒が出場したことと,その概要を本年3月14日に東京海洋大学で開催された「海洋教育セミナー(日本海洋工学会主催)」で,生徒自身が大学院生や大学生と同じ演壇から発表したことを報告した。
 ヒレ推進コンテストに参加しただけで終わらせず,その体験を公の場で発表することで,生徒は「何を体験したのか」,「そこにどんな意味があったのか」,「その体験をこれからの自分たちにどう反映させたいのか」を振り返り,体験を学びに昇華させることができたというのが報告の趣旨であった。
 残念ながら,全国大会への選出は「次点」ということだった。しかし,今回の研究協議会での報告を通して,自分自身にとっても,ヒレ推進コンテストへの出場と海洋教育セミナーでの発表を指導したことを振り返る良い機会となった。
 

2009-05-31

結婚記念日

 新婚24周年を祝うために妻と食事へ。当初の予定は映画を見て,ホテルのハイティーを楽しもうということだったのだが,電車で「ビールデンバー」というビール5社の催しの広告を見て予定変更し,六本木ヒルズに行った。


 スカバンドの生演奏もあって楽しめた。


 年齢認証のリストバンドがないとビールを買えない仕組みだ。いくらなんでも未成年には見えないだろうけれど,そこは法令遵守。ともかく,昼間からビールを飲んでご機嫌であった。

2009-05-26

応援団における情報伝達?

 5月23日土曜日,外苑前の神宮球場へ東京六大学野球,明治大学対法政大学を観戦しに行った。この日までで法政勝点4,明治勝点3。法政が明治に勝ち点をあげれば法政が優勝。明治が法政に勝ち点をあげると,勝ち点,勝率ともに同率となり,優勝決定戦に持ち込まれる大切な試合だった。
 野球を見るのは好きだが,あまり詳しくない。応援団を見る楽しみ半分,野球を見る楽しみ半分で昨年から神宮へ足を運ぶようになった。この日の試合は,8回から救援登板した1年生ピッチャーが,同点で迎えた延長10回の表に2点タイムリー安打し,その裏を自分で三者凡退に抑えて勝った。翌24日は見に行かなかったが,法政が9回裏にサヨナラホームランで劇的に春季リーグ戦の優勝を決めた。


 1枚目の写真は応援団リーダーによる応援指揮だ。他の団員は観客席に向いているので,このリーダーには背を向けていることになる。そうすると,観客席を向いている団員たちはリーダーが何をやっているのか見えない。そこで,二枚目の写真。



 アルプススタンド最上段に,リーダーの振舞いをそのままコピーしたように演ずる団員がいる。彼は「鏡」と呼ばれるらしい。リーダーに背を向け,観客席を向いている団員たちは,この「鏡」君を見て応援の流れを把握している。なかなか面白いシステムである。他の大学応援団も同様らしい。

2009-05-08

スパゲティカンチレバー3回目

 2年生の課題研究(週1時間)でスパゲティカンチレバーを行ってきた。1回目はトライアル,2回目はコンテストで,今回は,前2回のリフレクションをおこなった。今回が最も重要だと考えている。
 コンテストを行った2回目のときに,①ここを改善したからうまくできた,②ここを改善すればよかった,と思うことを付箋紙1枚に1項目,いくつでも思うことを書き出させ,個人ごとの振返りシートに貼付して回収し,そのシートをコピーしておいた。
 今回は班ごとの振返りシートにその付箋紙を集め,似た意見の付箋紙を近くに貼ってグループにする。そうして班としての振返りを集約したあと,個人ごとのまとめを行って提出させた。こうした手順を踏んだのは,「班ごとに振り返ってみよう」と促すだけでは雑談に終わってしまうことがあるからだ。このような意見の集約の仕方は,この半年ほどの間に「高校における情報デザイン教育研究会」で教わってきたことだが,さっそく実践している。
 今回の取り組みは,生徒ひとりひとりで受け止め方や取り組み方にかなりの差があったが,スパゲティという身近な食品が教材となり,実験材料になることに驚きと面白さを感じ,期待以上の成果をあげる生徒もいた。

2009-05-06

野町和嘉写真展『聖地巡礼』

 恵比寿の東京都写真美術館に野町和嘉写真展『聖地巡礼』を観に行った。
 イスラム教,ヒンドゥー教の聖地をはじめ,アフリカ,アンデスなど,見知らぬ宗教世界の巡礼や儀式から人々の「祈り」を捉えた写真展である。少しだけ敬虔な気分になった。
 写真展のあとは恵比寿麦酒記念館でビールの試飲,一杯300円でおつまみのクラッカーつき。恵比寿へ来るときのいつもの道順だ。

2009-05-05

子供の情景

 神保町の岩波ホールへ、ハマ・マフマルバフ監督の映画『子供の情景』を観に行った。
 アフガニスタン、バーミヤンの、破壊された石佛周辺の洞窟に暮らす子供の半日を描いた作品だ。武器も兵士も登場しないが、子供たちにとっての「戦争」を淡々と語りかける。
 今、自分が置かれているこの状況、毎日の安寧な生活、この平和な空間から見える情景が世界の標準だと錯覚しながら,一方では,世界のいろいろな場所で起こっている出来事を、鍵穴のようなテレビ画面や新聞を通して覗いているだけなのに「知っている」と思いこむ無関心な私,といったようなことを考えた。

2009-05-03

草むしり

 庭が草ぼうぼうでうっとうしくなってきたので、草むしりをした。


 気候はカラッとしているし、蚊も毛虫もいないのでとてもはかどった。すっかりきれいになった庭を眺めると、バラが咲いているのに気付く。ふだん何も手入れしていないのだが、たった一輪でも咲いていると嬉しい。こまめに剪定したり、草を抜いたりしてやればもっと咲くのだろうか?

2009-05-01

イタリア映画祭2009

 銀座マリオンの朝日ホールへイタリア映画祭を観に行った。



 連休中に毎日4本日替わり入れ替えで全12本の上映だが、全部はとても無理なので『やればできるさ』ジュリオ・マンフレドニア監督(2008年作品)だけ観た。

1980年代に精神病院の廃止が進められていたミラノでの実話をもとにした作品で、上映後には客席から大きな拍手が沸き上がるほどの感動作だった。

 自閉症や統合失調症などの患者が自立するために,寄木細工で床を仕上げる内装業を立ち上げる話なのだが,行政からの支援事業としてではなく,患者が収益を分配し,社会の一員として自立しようとする。病気を抱えながらも社会を支える一員としての自立を目指すソーシャルスキルトレーニング (Social Skills Training)の難しさが描かれているものの,題名の通りにとてもポジティブな内容だった。

2009-04-27

スパゲティカンチレバーの2回目

 今回は「コンテスト」なので、1回目の「トライアル」の作業記録を見直して、作戦を立て直す。前回よりもどれだけ記録を伸ばすことができたか、そのためにグループで協力し、新しい発想で考えたり別の視点から工夫を加えたりすることができたかを問う。


 この図は、本人たちは知らないだろうが、橋梁などで用いる「トラス」といわれる構造である。両支持梁ならば強度を得られるが、片持ち梁の場合には自重が増加するので、水平距離は稼げないと思う。しかし、このような構造を思いついたところは素晴らしい。

2009-04-26

出航式

 実習先湘南丸の出航式(学校では「出港式」と呼称しているが,船乗り時代に使っていた「出航式」のほうに愛着がある)で,全校が三崎港花暮岸壁に集まった。


今回は専攻科1年生と水産工学科3年生が乗船し,ホノルルに向けて遠洋航海に出る。途中,鮪延縄(はえなわ)漁業の実習も行う。本科水産工学科としての遠洋航海は今回が最後である。
 あいにくの強風のために本日は出航式だけで,実際には1日出港を延期することになった。この日を迎えると,生徒がとても凛々しく見える。明日も海はうねりが残るだろうから,彼らの多くは船酔いの洗礼を受けることだろう。辛いことを克服して,たくましく成長して帰ってきて欲しい。

2009-04-25

納得研究会

 納得研究会に出席。会場は青山学院大学のイノベーションスタジオで、佐伯胖先生はじめ23~25名の参加でにぎわった。

1.駿河大学 青山征彦先生「ハイブリッド・コレクティヴから媒介を考える」

 青山先生の発表は理論的で難しかったが,数年前から気になっている「社会的構成主義」と関連が深そうだ。主体は社会的な関連(他の人や物や制度)の中で初めて主体となるというハイブリッド・コレクティブに対する批判と対案ということだが,内容はここを参照したほうがわかりやすい。
 難しく感じたが,勉強しないといけないなという刺激を受けた。
 勉強しないとわからないなぁと感じたキーワード。
・ハイブリッドコレクティブ
・科学技術社会学
・非-人間のエージェンシー
・アクターネットワーク、これは東大の中原先生のブログにわかりやすく説明している。


2.東京都市大学 岡部大介先生「デザインド・リアリティ -半径300メートルの文化心理学」

 岡部先生の発表は,著書の「デザインド・リアリティ」を興味深く読んでいたので,直接話を聴けて面白かった。しかし,小説ではないので「読んで面白かった」の次に来るもの,著者が主張したいことを本当に読み取るにはもっと読み込まなければならないと感じた。
 若者,とくに女子高校生のプリクラ写真による友達関係の構築,自分らしさの演出など,現代のテクノロジーに支えられた彼ら彼女らのコミュニティの形成についての話だった。

 キーワード
・テクノロジの大分水嶺
・マッシュアップカルチャー
・人工物とのストラグル
・アイデンティティゲーム

2009-04-22

情報デザイン研究会

 横浜で高校の先生数名と情報デザインに関する研究会を行った。私が初めて実践しているスパゲティカンチレバー,もうひとりの先生(日本学園)が授業の中で実践している6-3-5法などの「意見を出し合ってまとめる」手法などを,情報教育,情報デザイン教育の定義でくくるためにはどうすれば良いか,などを話し合った。
 研究会のあとは例によって「記憶の現像所」で議論を深め,明日への活力を養った。

2009-04-18

他校の新入生キャンプ見学

 横浜清陵総合高等学校の新入生キャンプを見学した。このキャンプは,昨日から「三浦ふれあいの村」で一泊二日の日程。
 初日はウォークラリー,カレーライス作りなどの活動,二日目は総合学科高校の必履修科目である「産業社会と人間」の卒業生による紹介と,クラスごとの活動「たまご救出作戦」。
 初日は自分の学校の授業があるので二日目だけを見学した。


 昨年までは「産業社会と人間」は先生が説明していたそうだが,今年は卒業生数名による説明で,年齢の近い学生による説明なので親近感があるのだろう,新入生はしっかり聴いていた。卒業生諸子の説明はとてもわかりやすく,また教員とは違う視点からの説明もあって,「なるほど」と合点することも多くあった。



 「たまご救出作戦」は2メートルの高さからたまごを落としても割れないようにする装置を考案する競技だ。五人一組のグループに分かれてルールの説明を受けたあと,各グループで作戦を立て,45分間の間に完成し,実演する。1クラス40名なので各クラスに8グループができる。クラスごとに8個のたまごを落下させるのだが,5個を救出させたクラスもあった。




 短時間の間にアイデアを出し合い,意見をまとめ,実行に移すという活動は,協力・協調・発想・実行・リーダーシップ・・・など,これからの3年間を実り多い高校生活とする上でとても意義があると感じた。


 昼過ぎに三浦ふれあいの村を辞去し,一緒に行った先生と長井海洋実習場のとなりで昼食。私は「2種シラス丼」。これは生シラスと釜揚げシラスがたっぷり乗った丼で,美味。「シラスかき揚げ丼」というのもあったが,どちらも同じ値段。それなら,相模湾から獲れたばかりの生のシラスのほうに軍配が上がるというもの。
 午前中の見学も昼食も,充実感に満ちていた。