昭和40年の7月、夏休みになってすぐに、小学生だった私は父の転勤にともなって広島へ転校した。転校先の小学校も夏休みなので、まわりに友達もなく、宿題もなく、どのような毎日を過ごしていたのかあまり記憶がない。
ただ、8月6日朝にNHKで放送された平和記念式典の冒頭、原爆投下の8時15分にあわせて打ち鳴らされる、被災者への鎮魂の鐘の音と「あれから20年」というナレーションを今でも覚えている。
父に連れられて見てまわった平和記念公園と資料館、住友銀行広島支店入口の石段に焼き付けられた「死の人影」が、そのナレーションとともに思い出される。
昭和20年8月、父は佐世保海軍施設部に勤務していたので、もし9日に長崎へ出張などしていれば、長崎原爆の犠牲になっていたにちがいない。
ヒロシマから65年、私の記憶に「8月6日」が刻まれてから45年が過ぎた。
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