2010-04-14

課題研究始動

 今年は海洋科学高校となって3年目,完成学年となる。専門高校では従来から「課題研究」が行われているが,本校はこれまで,学科ごとに実施してきた。そのため,他科でどんなことをやっているのか生徒どころか教員もあまり詳しくは知らずに,主として自分の学科の中だけで完結していた。
 今年からは海洋科学科として1学科になったので,課題研究を指導する教員も大所帯となる。今日は第1回目となるので,三年生全員を視聴覚室に集めて科目の説明を行った。
 研究テーマをすでに決めていてすでに相談に来ている生徒もいるが,何を研究しようか迷っている生徒もいる。そこで,担当する教員ひとりひとりに「研究テーマの例」を掲げてもらい,その説明を行った。もちろん生徒が自分で設定した研究テーマは大歓迎である。
 4月中は「お試し期間」として各先生と研究テーマの相談を行い,連休明けから正式配属とする。12月に成果発表,それまでの間に中間発表の機会を設ける。成果発表は,1-2年生や教職員が見学できるような場としたい。
 今日,生徒に説明したこと:
 課題研究は,先生が教壇から生徒に知識を伝達する授業とは違う。『めだかの学校』の一節「だれが生徒か先生か」というような時間となることが理想だと思っている。研究内容や深さ,得られた成果や知見に,教員が教えられるという可能性を秘めた科目で,指導者としての教員が成長する機会でもある。そうなるように生徒一人一人が主体となって課題を設定して何らかの成果を導き出して欲しい。

2010-04-08

成績処理支援システム稼動

 一昨年に単位制高校となったときに導入された成績処理支援システムを担当している。平成21年度末の成績処理が終わった直後から平成22年度の準備を進めてきた。
 春休み中はほとんどの時間をこのシステムの設定に費やした。授業科目の登録,時間割の登録,授業担当者の登録,新入生の登録,クラス振り分け,履修登録などをひとつひとつ確認しながらおこない,科目担当者と生徒全員の最終確認を得て,本日から新年度の運用を開始した。
 新しく着任してきた先生方への説明を週明けに行う予定。今年度からは担当をはずれて別の分掌へ移るが,軌道に乗るまではアフターケアを行うつもりでいる。

2010-04-01

新年度

 「1年が始まった」という感慨は1月と4月では異なるようだ。1月のときは暦のことや私的なことが基準だが,4月は仕事を基準として1年の「区切り」を実感する。
 ピアニストの穐好吉敏子さんは,数年前のNHKのインタビューで抱負を訊かれたときに「昨日よりはマシな演奏ができるようになりたい」というように答えていた。穐好吉敏子さんといえば世界的に不動の地位にあるピアニストだと思うのだが,インタビューに対してそのように答える人だからこそ,今の地位にあるのだろうと思う。
 今日は新年度が始った。昨日の続きが今日で,今日の続きが明日・・・という生活を何年も続けてきたが,今年度こそは,昨日よりはマシな人間として新しい1日を積み重ねて行きたい。

2010-03-26

第4回海洋教育セミナー

 日本船舶海洋工学会主催の『第4回海洋教育セミナー』に出席した。会場は昨年新装した横浜みなと博物館に併設されている研修センターで。同学会は,海洋教育フォーラムという催しも開催しているが,セミナーのほうは学会員に対して,フォーラムは学会から外部への情報発信,という位置付けだそうだ。私は学会に所属していないが,海洋教育に携わっている関係で参加させてもらっている。
 本日の講演は次の4本。
1.おもしろ船教室15年の総括(横浜国立大学教授)
 横浜国立大学工学部の海洋空間システムデザイン講座が15年間実施してきた中学生に対する「おもしろ船教室」の概要,これまでの歩み,今後の見通しなど。中高生の理工系進学意欲が減少しつつある現状などをふまえ,船や海洋に対する興味を涵養するための活動を継続してきたことについての総括。
 知識を勉強する企画では子供は来てくれない。楽しい体験をして,それが学びに繋がるような工夫が必要である。
2.横浜みなと博物館における海洋教室~港の観察会と船の工作教室~(横浜みなと博物館)
 横浜みなと博物館が実施している,小学生対象の港の観察会と船の工作教室の概要。港の観察会では,港に出入りする船舶の種類,国籍と隻数などを調べてデータとし,博物館内の図書館所蔵の資料を活用してまとめる活動を行っている。家畜の飼料が海外から運ばれてくることなどに子供たちが気付く様子などが紹介された。
3.帆船日本丸の海洋教室(帆船日本丸船長)
 みなと博物館前の旧三菱船渠1号ドックに係留されている日本丸の海洋教室の紹介。半日コース,1日コース,宿泊コースなどがある。実は,我が娘も小学校5年か6年生のときに1泊2日のコースに参加し,夏休み自由研究のレポートにまとめたことがある。私自身も1983年12月から1984年6月まで三等機関士として乗船し,出入港など主機関を使用する時には右舷機を操縦した懐かしい船である。
4.海や船に関する子供たちの豊かな学びに向けて(きてきて先生プロジェクト代表 香月よう子氏)
 NHK「ようこそ先輩」のプロジェクトに参加して番組を立ち上げた人。
 学校は今外部の人材を必要としている。その外部の人的資源をどのように学校で活用してゆくかという話。いろいろなところで「学力低下」問題が叫ばれているが,それは学校の先生がダメだからでも,親がダメだからでもない。外部の人的資源を活用した教育活動を提案しても,「どの教科のどの単元に当てはめるか,ちょうど当てはめることができても時数が足りなくてそのような教育活動に充てることができない」という,週時間,学期,年間の余裕のなさ,教員の多忙さに問題がある。一方で,子供たちはリアルな体験が非常に不足している。「地球温暖化」とか「エコ」とか「冷房は28度以下に」などの言葉はとてもよく知っているが,その背景にあることについて問うと答えられない。大工仕事を飽かず眺めるとか,近所のおじいさんに怒られたり褒められたり・・・など,学校外の体験から学ぶ機会が不足している。
 そこで,学校外の教育力を活用しようという提案で,学校と外部の人的資源を結びつける役割としての学校教育コーディネータ,キャリア教育コーディネータなどがある。
 たとえば,学校に新聞記者を招いたとする。新聞記者に新聞の講義をしてもらうのではなく,新聞記者が取材するときのメモの撮り方などを実地に子供に見てもらうことのほうがインパクトが大きい。そういう提案をしている。

 私自身は「学校の外」の人間だったのだが,今は「学校の中」の者である。学校の外からの視点を失いたくないと思い続けているが,生徒からは学校の中の者として見られている。この先も,外の人との関わりを持ち続けて,現場に還元したいと考えている。もちろん,自分自身の「外の人」としての経験や視点を活用しながら。

2010-03-06

海洋教育フォーラム

 日本船舶海洋工学会主催の「海洋教育フォーラム」に行った。会場は船の科学館。船員養成を行う練習船や,広く一般に海洋教育を行っている船の船長,長く船員教育に携わってこられた元船長の皆さんの講演9本で盛りだくさんだった。本校の実習船湘南丸の船長も,高校生が遠洋航海実習で育ってゆく様子を詳しく講演した。
 元の上司や先輩の講演もあって,懇親会では懐かしく話をすることができた。



 船の科学館に展示されている南極観測船宗谷。その向こう側は青函連絡船羊蹄丸(ようていまる)。

叔父を想う日

 今日は父に一番歳の近い叔父の命日である。墓碑には「昭和20年3月6日ビルマ国レイクテイラ縣ライデン—タヂ間ニ於テ戦死」と刻まれている。(調べたところでは,レイクテイラはメークテイラ,タジはサジの誤りではないかと思うが,よくわからない。)
 叔父の訃報は,戦後1年過ぎてから,叔父の所属していた部隊の中隊長から祖父宛に詳細な手紙で届いたのだそうだ。その手紙によると,叔父は後方から補給のために夜間行軍し,夜明け頃前線に到着した。前線の上官は叔父たちを案じて,すぐに後方へ退くよう命令したそうだがそれが仇になった。日が昇ってからの行軍になったため,後方に辿り着く前に敵に発見されて攻撃を受け,行方不明となった。その後,前線部隊は後方に帰還し,叔父たちが行方不明になったことがわかった。
 私は子供の頃,毎年のように父の郷里へ帰省し,盆の準備を手伝った。たくさんの墓石ひとつひとつの前に竹の水差しを差込み,榊を供える。そして,父に「これはお祖父さん,これは曾お祖父さん,これは曾お祖母さん」と教えてもらった。他のよりも新しくそして大きな墓石が24歳で戦争に殉じた叔父の墓だった。遺骨も遺髪もない,墓石だけの墓である。
 子供の私には10年という時間の感覚がわからなかったので,戦争がずっと昔の歴史上のことのように感じられたし,見たこともない叔父なので特別な感慨はなかったように思う。しかし、私が生まれる10数年前は戦争中で,生まれてから今日までのほうがずっと長い時間が過ぎていることに思い至ると、第二次世界大戦が昔々のことではなく、自分の出生にまで関わる出来事だったのだと気付く。
 昭和40年ごろ,父は日記に次のように書いている。「大きな宮の境内に全国から集まった入営兵を送る人たちに交じって元気で出掛けた○○の顔,笑って手を振って居た大きな体が今も目に見えるように思ひだされる。」
 戦死した叔父を直接に知る親戚はすでに少なくなってしまったが,祖父母や父の悲嘆が私の胸に刻まれているように思う。叔父に哀悼の意を伝えるすべはないものか。「戦後」はまだ終わっていない。

2010-02-20

納得研究会(2010年第1回)

 14時から日大文理学部で開催。本日の報告は次の2本。

報告1 「ミュージアムの「来館者研究」(Visitor Studies)について」平野智紀さん
報告2 「博物館で起こる学びとは何か?」重盛恭一さん(まち研究所)

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報告1 「ミュージアムの「来館者研究」
 ~ 見ることについて、視聴覚教育理論とメディアリテラシー ~

 20世紀のはじめ、ディーイのプラグマティズムに思想的基盤を持つアメリカ市民教育運動では、直感・事物・経験を重視した。

○ 視聴覚教育
  視聴覚教育とは、「理性的認識を与えるために、言語を伴う、豊かな、感性的体験を耐えるもの」(波多野1954)(このころはテレビはまだそれほど普及していない)。
  エドガーデール 視聴覚教育:視聴覚教具・教材が具体的経験から抽象的概念を獲得するためのメディアであるとし、「経験の円錐」として表現した。

言語的象徴        ↑概念
視聴覚的省庁
レコード・ラジオ・写真
映画
展示
見学
演示
演劇的参加
ひながた体験
直接的・目的的体験    ↓体験

○ メディアリテラシー
 1980年以降、イギリス、カナダで始まり日本では1990年代半ば以降急速に広まる。
 水越の定義(1955) 人間がメディアに媒介された情報を、送り手によって構成されたものとして批判的に受容し、解釈すると同時に、自らの思想や意見、感じていることなどをメディアによって構成的に表現し、コミュニケーションの回路を生み出していく、複合的な能力。
○ 視聴覚教育理論とメディアリテラシー
○ なぜミュージアムか
  送り手と受け手が存在するメディアである。
  パブリックでインフォーマルな場(実空間)が存在する。学校とは異なり、きても来なくても良い。自由に見ることができる。
○ 来館者研究の社会的要請
  来館者=ミュージアムを見る人の研究
  Hein(1998)によると、大きく二つの要請に基づいている。
   ミュージアムに対する教育的役割。
○ 第三世代の博物館
 『市民の中の博物館』伊藤、1993
  第1世代 保存志向、倉庫中心、威圧感、収集保存→陳列
  第2世代 公開志向、展示中心、概観を重視、収集保存→調査研究→展示
  第3世代 参加思考、事業中心、機能を重視

  収集保存→調査研究→展示→教育普及と変遷してきた。

○ ミュージアムマネジメント
  大堀(1997)『博物館学教程』
  それぞれの博物館が目的の使命を達成するために、長期的展望に立ったわかりやすいビジョンと戦略的志向を持って、博物館の組織、人材配置、財政、情報、施設設備の管理・責任体制を整備し、これらを合理的に運営すること。
○ 来館者研究の始まり
  Gilman(1916)「博物館疲労」
  教養があり視力の良い知識人男性に博物館の展示を見てもらい、その様子を写真に収めるというやり方で、博物館における疲労の実態を調査した。見ることは身体的負荷が高い。
○ 行動主義心理学に基づく来館者研究
  Melton(1935)
  来館者は左回りに展示を観覧する傾向にある。
  来館者がどのように行動するかという視点から、トラッキングや時間計測は今でも多くおこなわれる手法である。
○ 認知主義心理学にもとづく来館者研究
  Shettle(1973)
  展示に教育学的な客観的観察・評価実験を導入することを提唱

  Screven(1976)認知心理の人

○ 社会構成主義に基づく来館者研究
  Falk&Dierking(1992)
  来館者は複数のコンテキストの中でミュージアムを体験しているとし,Interactive Experience Model(ふれあい体験モデル)を提唱。

  Hein
  来館者が主体的に知識を構成するミュージアムを提唱。

○ マスコミ研究的な来館者研究
  Cameron(1968) ミュージアムに、シャノンウィバー的なコミュニケーションモデルを適用。
○ カルチュラルスタディーズ的な来館者研究
  Hooper Greenhill(1994)
○ 批判的メディア論としての来館者研究
  水越・村田(2003)
  ミュージアムの資料を基にメディアリテラシーを学ぶワークショップの実践研究。
○ 学習論の流れとメディア論の流れがある。
  20世紀半ばには、マスメディアの発達から、見ることを通した教育=視聴覚教育の理論が登場。

○ 展示の「みかた」を獲得している来館者の展示観覧方略を明らかにすること

  予備調査 美術館・博物館友の会
  本調査 発話記録とビデオカメラ撮影
  思考発話をカテゴライズ

  高度な来館者は展示理解を超えた、自らの見方を確立している。
  特に越境方には、批判・創造の意図に拠った発話が多く、ミュージアムを批判的に見ているといえる。
  見ることは単に受動的な行為ではなく、創造的な営みにもなりうる。

  対話式鑑賞
  美術館などで行われる作家や美術史から作品を解説するのではなく、作品を見て対話することを中心にした鑑賞スタイル。
  認知心理学者のアビゲイル・ハウゼンによって基礎が作られキュレーターのアメリア・アレナスによって普及した。

報告2 「博物館で起こる学びとは何か?」
    博物館で起こる学びとは何か。博物館の継続的利用としての星の語り部活動を中心に事例紹介と若干の考察。

○ 事例としての『星の語り部』山梨県立科学館プラネタリウムに集う市民グループの紹介。
山梨県立科学館が市民に呼びかけ、公式に組織されている。
山梨県立科学館の公式的市民組織 展示ボランティア、天文ボランティア、星の語り部,(戦場に輝くベガ上映実行委員会)。

○ 「星の語り部」の生みの親の二人の紹介

○ 語り部の誕生、ある日天啓のように思いついた。プラネタリウム・ワークショップ
  「観る」だけのプラネタリウムから「使われる」プラネタリウムへ。このことを「生みの親」の一人が思いつく。2003年10月に思いついた。そして,2004年1月に第1回プラネタリウムワークショップを開催。

○ 現在星の語り部のメインメンバーおよそ30人で,多様な活動をしている。たとえば・・・
  星に託して手紙を書く(ワークショップ)(ラブレターを星に託したり亡父への思いを星に託したり)
  夕涼み投影作品つくり(構成を考えたり、作ったり)
  山梨県にある川崎市の施設で合宿。
  メーリングリスト

○ 星の語り部を中心とする特別な活動
  JAXAとのかかわり:星つむぎの歌(参加者が一行ずつ作った詩をつなげた作品)。平原綾香が歌い、土井宇宙飛行士とコラボ。土井飛行士は中学のころ山梨にいた縁で。
  ライトダウン甲府バレー:年に一回1時間だけ,明かりを暗くして甲府から星を見よう、という運動。
  世界天文年のプロジェクト:2009年ガリレオが望遠鏡で木星だか土星だかを見てから400年。

○ 星の語り部とは?
  星の語り部は「家族」
  星の語り部は「近所のオジさん」のいるところ
  星の語り部と「受容」誰が来ても受け入れる
  自分たちをボランティアとは思っていない。
  ハンズオンユニバース活動

○ 視覚障害者の参加:語り部には2005-2006年頃から、視覚障害者が自らの意思で参加している。
○ 科学コミュニケーションと星の語り部
  科学リテラシー共有における課題
   「知識ある機関などが知識ない人々に伝えるというモデルからの脱却。
   提供者側と利用者側の視点、双方向性のサイエンスコミュニケーションの必要性。
   人々は過去の記憶や知識と現在の経験が一緒になって判断し、人生の岐路を決めている。
   個人の文脈と社会との動的な接点にリテラシーを見出す。
   知識(knowledge)から物語(narative)へ
   科学リテラシー共有は人々にとって「終わりのない旅」の始まりで、ともに創造していく過程が重要。

○ 考察もしくは問いかけ。
  星の語り部で起こっていることを、どのように考えていけばいいか。
  自分への問いでもあり、みなさんへの問いかけでもある。
  まず、「コミュニティとしての語り部」での「学び」は何か?
 それと関連して、「かりそめの家族・親子関係として」の「星の語り部」の機能することは何か?
  視覚障害者とのまったく分け隔てのない関係。
  プラネタリウム、そして、科学館の学びにおける位置づけ:一回性の強い学びでは生まれない、深い学びがあるのではないか?

  ある児童のことば:学校では、決まったものを必ず覚えなくてはならないけれど、科学館では、いくつかあるものから選んで覚えられるし、実験とか、他に展示とか、やってみることができるから,また次もやりたいってなって思う。