2013-12-31

欧州旅行3日目

Bratislavaへ日帰り
雨模様の日。
ウィーンから隣国スロバキアの首都ブラチスラバへは鉄道でもバスでも1時間ほどの距離だ。バスで行ってみようということになった。バス乗り場はホテルからウィーン23区を反時計回りに半周くらいしたところのSimmeringというところにある。ホテルの近くからトラムに乗った。

余談だが、1964年の東京オリンピックの時に活躍した女子体操の女王、チャスラフスカはチェコスロバキアの選手だったが、チェコ出身だったのか、スロバキア出身だったのか?チェコ、そしてスロバキアといえば小学校低学年の時のあのオリンピックのことを想い出す。

バスがこない
時刻表によれば、ウィーンからブラチスラバへは1時間ごとにバスの便がある。9時発のバスに乗ろうと思ったが、バスターミナルにバスが何台も待機していて案内所のようなものがあるけれど誰もいない。ブラチスラバへ行くためにバスを待つ人が他にも幾人かいる。

しかし、バスは来ない。

出発予定時刻を20分ほど過ぎた時にブラチスラバからのバスが到着した。運転手に問うと、午後1時までバスはないと言う。バスはあきらめて鉄道で行くことにした。

ブラチスラバ行きの列車に乗る
Simmeringの駅でブラチスラバ行き往復切符を買う。ÖBBという元オーストリア国鉄(日本のJRのような会社)の窓口は親切だ。往復切符は15ユーロ(約2200円)でブラチスラバ市内の公共交通機関に自由に乗降できる。

Simmeringの街並

バスは待っているけれど発車する様子が全くない

ÖBB列車スケジュール

ブラチスラバ
1時間ほどでブラチスラバに着いた。列車で検札はあったが国境を越えたというのに入国や税関の検査が何もない。駅に着いたらただ列車を降りてバスターミナルに向かうだけ。

調べておいたバスが10分ほどで来た。ここではÖBBの往復切符に市内のバスとトラムの料金が含まれているので切符を買ったり、切符に時刻を打刻したりする手間はない。どこを向いても石造りの街並でため息がでそうなほどに美しい。



スロバキアの料理
小さなレストランに入って昼食をとることにした。
メニューはスロバキア語と英語で書いてあるが、スロバキアの伝統的な料理を店の人に教えてもらう。

ショートパスタみたいなダンプリングと羊乳のチーズソースを絡めた上にカリカリのベーコンをのせた料理。
ブリンゾベー・ハルシュキ

マッシュポテトを詰めた餃子みたいなダンプリングに羊乳のチーズソースをからめた料理。
ブリンゾベー・ピロヒ

店の人はとても深切で感じ良く、隣のテーブルで食事していた地元のご夫婦が親しそうに話しかけてきてくれた。ガイドブックに書いてあったスロバキア語らしき挨拶をしたら、それはブタペストの挨拶だったらしく、スロバキア語の言い方を教えてくれた。

もう忘れてしまったけれど。外国へ行ったらその国の言葉を少しは話せた方が良いなぁ。










日本大使館が見える






大統領府

ブラチスラバ旧市街をぶらぶらと歩いて一日過ごし、4時前にはウイーン行きの列車に乗った。
ブラチスラバの写真を名残にもう2枚。


ウィーンの大晦日カウントダウン
ウィーンに戻って、先日行った居酒屋Esterházykellerで夕食をとり、大晦日の雑踏を散歩した。




ウィーン銘菓DEMELの出店に並ぶ





Westbahnhof駅の少年の象
ウィーンの大晦日カウントダウンは町中で大騒ぎだそうだ。私たちは外国人で現地の様子もよくわからず、言葉も不十分なのでカウントダウンはホテルで過ごすことにした。



ホテル近くの駅まで帰って来た時に、駅ビルの通路で、少年がトランクに腰掛けている姿の銅像がふと目に止まった。
これは第二次世界大戦の時にユダヤの少年がこの駅からポーランドに運ばれて行ったのか?と思った。

真鍮の銘板の説明はドイツ語でよくわからないが"NAZIS"はわかった。
帰国してから辞書を調べてわかったのだが、これは初めて見た時に思ったこととは違っていた。

FÜR DAS KIND-WIEN
1938年から1939年にかけて、ナチスドイツが迫ってくる前に、イギリスが1万人以上の子供たちをこの駅から疎開させたことに対する感謝を表すための銅像だということだった。

この旅行に来る前に2冊の本を読んでいた。それでこの銅像が目に止まったのだと思う。

1 件のコメント:

添え状 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!