2010-05-10

授業とアドリブ

 先日の Jazz live について、「音楽は演奏者と楽器だけで成り立つのではなく聴衆も含めた芸術だと思うと」書いた。
 授業も同じだと思う。教師と教材だけでは成り立たず、生徒との相互作用があって初めて授業といえる。生徒から何の反応もない授業は、冷たくてやってるほうもつまらないが、生徒はもっとつまらないだろう。
 世間では何の用意もなしにその場しのぎをする事を「アドリブ」と言うことがあるけれど、それはジャズのアドリブに対する誤解だ。ジャズのアドリブは、(素人の考えながら)、使う音階やコード進行、リズム、小節数などがだいたい決まっていて、その制約の中で即効演奏をする。歌なら、1番、2番、3番と順番に唄うところ、1番と2番、2番と3番の間にその曲の要素(音階、コード、リズム)を生かして、その曲の雰囲気が出るように即効演奏をする。アドリブのときに、奏者どうしが2小節ずつとか4小節ずつなどのように交互にアドリブをすることもある。
 授業でのアドリブは、それと同様でなければならないと思う。その場限しのぎの、授業との脈絡なしの脱線をするのはアドリブではなく、デタラメとしか言えない。すばらしいアドリブには生徒も反応し、それによって授業の本筋もよく理解して彼らの脳裏に焼きつくのだと思う。
 プロミュージシャンの演奏をライブで聴くたびに自分の授業もこうでなくては、と思う。

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