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2015-08-20

学習環境デザイン研修講座

横浜国立大学と神奈川県総合教育センターが連携して開催している「学習環境デザイン研修講座」を受講した。講師はもちろん同大学教育人間科学部教授の有元典文先生。顔見知りのリピーターも多く、70名くらいの受講者で満員だった。
2006年8月21日に神奈川県立総合教育センター(亀井野庁舎)で初めて受講してから毎年この講座に参加していて、今年は記念すべき10回目となった。

1. 理論編
学習とは、できなかったことが経験や練習によってできるようになること。
人間は学習するいきものであり、この能力によって温暖な地域から極限の地域にいたるまで、本来の生理的な限界を超えて、地球上に広く分布するようになった。これは他の動物にはないこと。
学習することは未来を切り開くこと。
教室の中で達成することが学習の目標ではなく、教室の外で生きて行けるようになるために学習する。(教習所の中で運転するために車の練習をするのではなく、一般公道を走れるようになるために車を運転する練習をするはず。)
人は教わるのが得意、やらされ仕事に慣れている。
変な算数の問題の例(『認知的道具のデザイン』加藤浩・有元典文、編著、金子書房、pp.239-257)

エクササイズ1:次の英文の和訳をみんなの前で発表しましょう
Development is the activity of creating who you are by performing who you are not. It is an ensemble - not a solo performance. (Lois Holzman,2008)
(発達とは、自分ではないものを演ずることによって自分が何者であるかを創出する活動である。それはみんなの中で協同で行うことであって、単独で行うことではない。)
→みんなの前で発表?「間違えたら恥ずかしい、どうしよう」という気持ちになる。→生徒にとってのリスク

学習するためには、まだやり方を知らないことに取り組まなくてはなりません。言い換えると、私たちはリスクに向き合わなければなりません。(キャリー ロブマン,2007)

学習=やり方を知らないことに取り組む・・・リスクに取り組むこと→背伸びをして自分の未来を目指す。

教師→児童生徒を学習させる。新しいことに取り組むにはリスクをともなうから「リスクを減らす支援」が必要。

(みんなの前で立って発言しなさい・・・大きなリスク)
子供達が安心して学習に取り組めるような共同作業の場→学習環境
そのような場を作ること→学習環境のデザイン

エクササイズ2:アイスブレーキング
「宝探し」、受講者が隠した「宝」を講師が探す。講師が歩く方向に宝があれば、受講者は大きな拍手を、講師が宝から遠ざかれば受講者は拍手を小さくしてゆく。

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最近ナナメ読みした本のタイトル“Invisible man” 、(“The invisible man(透明人間)”とは違う本、定冠詞一つで大違い、英語は奥深いね!)との関連。
この本は、「普段は(いない人)のように誰からも注目されることなく、悪いことをした時だけ見咎められる人」という意味の Invesible Man というタイトルで、1950年代のアメリカの人種問題を扱っている。本の内容は学習とは関係ないが、問題を起こした時だけ顔が見える生徒は普段の学校生活では確かにinvisibleだなと思った。まだはじめの数ページだけしか読んでいないけれど。

「言いたいことがあるけれどみんなの前で発言するのは怖い」という生徒は、黙っていると教師からは見えない生徒になっていないか?このようなことにならないように、みんなが共同で学習に参加できるような場を作ること。教室の中にinvisibleな生徒を作らないように授業を 工夫することが必要だ。

ZPD(Zone of Proximal Development)
「ひとりでできることと」と「手助けされてできること」の間には、みんなと一緒ならできることがある。この領域。
図1が用いられることが多いが、最近、私は図2で説明するようにしている。
「みんなと一緒ならできること」はやがて「ひとりでできること」になり、「できること」の範囲が同心円のように広がってゆくような、視覚的な捉え方をねらって。


図1




図2





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エクササイズ3:ランダムウォークをして3人グループを作る。制限時間15分。
グループ内で自己紹介、これまでの研修内容について各グループから一つずつ質問を考える。
「コンセンサス法:グループ内全員一致でなくて良いから、考えは違っていても納得できる結論をひとつ導く」


エクササイズ4:7人で3分間劇を創作する
シーン1 よくない学習環境の授業
シーン2 改善した学習環境の授業

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初対面の人たちとわずかな時間内に寸劇を作る。できるのかな?と思うが、これが結構できる。
思えば人生は筋書きのないことばかり。台本のない人生を歩んでいるのだから、私たちは日常的に即興劇の演者ともいえる。

毎年同じ研修講座を受講しているが、内容は進化(深化)し続けている。繰り返すことで理解が進み、日々の授業にも研修の成果を少しずつ取り入れられるようになってきた。
継続は力なり!

2015-02-22

納得研究会(2015年第1回)

2015年第1回納得研究会に参加した。
日時:2月22日午後2時~5時
会場:立教大学
26名参加

◯報告1:「Brunerと意味の行為の照準」横山草介さん(青山学院大学大学院)

ブルーナーがその著書『Acts of meaning』(Bruner, 1990)において論じたのは「行為の意味(meaning of acts)」への探求ではなく、「意味の行為(acts of meaning)」への探求である。
Narrative Psychologyの学的潮流において「行為の意味」への探求といえば、それは、ある「行為」に文脈を付与する(em-plotting)ことによって、つまりは、物語化(en-storying)することによって、当該の行為の「意味」を把捉可能にすることを含意している。
Bruner(1986, 1990)は、疑いなく、こうした潮流のパイオニアに位置づけられてきた。そして、彼の著書『Acts of meaning』もまた、上の含意において「行為の意味(meaning of acts)」への探求を推し進める心理学の宣言書として位置づけられてきた。
だがしかし、著書の標題に明らかなように、Brunerが同著をして論じたのは「行為の意味(meaning of acts)」への探求ではなく、「意味の行為(acts of meaning)」への探求であった。我々は、今日のNarrative Psychologyの発展を主唱する多くの論者が、専ら「行為の意味(meaning of acts)」への探求に傾倒し、「意味の行為(acts of meaning)」への探求に関心を向けていないと考えている。
従って我々は今一度Brunerの『Acts of meaning』を「行為の意味論」としてではなく、「意味の行為論」として読み直す必要がある。

◯報告2:「協働で授業づくりをする学校風土:小田原市立泉中学校の実践報告」
伊藤由紀(小田原市立泉中学校)・有元典文(横浜国大教育人間科学部)

(1) 概要
管理職やベテラン教員が中心となって指導技術などを一方的に伝授する形の教員の養成・育成から、メンター制に代表されるように職場における同僚性を
活かした同僚同士による学びの支え合いへと潮流が変化してきている。こうした協働性は、学校内だけではなく、大学と学校間でも広まりを見せている。
いわゆる「理論と実践の往還」というスローガンは、大学教員、院生、実習生が教育現場に出向くことと、学校教員が大学において自らの実践を研究的に見返すこと、といった風に、具体的な人の往還として根付き始め、「実践の理論化」と「理論の実践化」が進行している。
このように教員の養成・研修・研究・実践の一体化が具体的に進行している様子を紹介したい。泉中は有元が入った6年前には課題の多い学校だったが、
「良い授業こそが積極的な生徒指導」という考えのもと学習意欲を高める授業づくりを全校一丸となって続けてきた。
伊藤からは具体的な授業づくりの過程とその生徒・教員への影響を、有元からはこうした過程をどのように理論的に支援したかについて、それぞれ報告し、実践と理論の往還の可能性と意義について議論したい。

(2) 小田原市立泉中学校の実践報告(良い授業こそが積極的な生徒指導)
(発表要旨)
平成21年授業改善を目的として校内研究を開始し、現在まで継続している。
当初の研究主題は「基礎・基本の定着を図る指導のあり方」だった。教員自身が「学びのあり方」について漠然としていたが、「基礎・基本」の前提にある「学ぶ意欲を喚起する働きかけ」について研修を重ねた。
意義や技法を十分に吟味した「小集団活動」を授業に取り入れ、生徒同士が互いにサポートし合う授業展開を工夫し、生徒の学ぶ意欲喚起につながった。有元教授が提唱する「主体的な学習を喚起する4つのキーワードRISPを題材設定や授業形態に取り入れ、研究を深める中で、子どもたちの学習意欲が高まり、基礎基本の定着が測れるようになってきた。
4年目からは研究主題を「学ぶ意欲を高め、主体的な学習態度を育てる指導のあり方」に変更した。学ぶ意欲を喚起し、主体的に学習する態度を育てる授業を仕組むことこそ、生徒の生きる力の糧になると考えた。
当初は「授業研究」「公開授業」に対する教員の温度差や無関心もあったが、現在では公開授業を全員が行っている。そのことが授業研究を継続する大きな支えとなっており、さらに、授業研究は教員同士の学び合い、若い教員への支援にもなっている。
※ 「主体的な学習を喚起する4つのキーワードRISP」とは
R:Reality ほんとうのこと
I:Identity わたしのこと
S:Significance かちあること
P:Participation なかまとともにすること

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20数年前に高校教員になったばかりの頃、教育センターで行われた生徒指導に関する研修会で高校時代の恩師に出会った。「教員は授業を通して生徒指導をするんだ」というその先生の言葉を教師としての自分の信条のひとつにしてきた。
泉中学の「良い授業こそが積極的な生徒指導」というスローガンは私の恩師の言葉と全く同じ意味で、今日の発表は共感するところがとても多かった。
学習指導要領に「言語活動」という文言が入り、中央教育審議会が授業を「アクティブラーニング」型に転換すべきと指摘すれば、現場では授業にグループワークを取り入れることになる。
グループワーク、アクティブラーニングの背景に何があり、それによって生徒に達成してほしいこと、それをすることによる効果はなにか。その検討なしに形態だけを取り入れても、ただ行政文書に書かれていることをやっただけになってしまう。
平成21年からの泉中の取り組みは、授業研究を通して教師が研究と学びを続ける風土を学校に醸成したのだと思う。

2014-08-22

授業デザイン研修講座

授業デザイン研修講座(横浜国立大学と神奈川県総合教育センターおよび横浜市、川崎市、相模原市、横須賀市各教育委員会の共催)に今年も参加した。
(講師:同大学教育人間科学部教授の有元典文先生)

【この講座を継続して受講している理由】
2006年に亀井野庁舎で開催された初回から9回連続の出席となった。私の他にもリピーターの先生がかなりいらっしゃる様子。
この講座は、授業づくりのKnow How, How to を受講者に「教える」のではなく、人が学びたくなる場のデザインについて、
① 内発的動機づけ
② 発達の最近接領域(Zone of Proximal Development:ZPD, Lev Vygotsky (ヴィゴツキー, 1896–1934))
を背景として検討することを目的としている。
ヴィゴツキーは「直接人に教えることはできない」と言ったそうだ。このことは,これまでの自分の経験と一致する。
振り返ってみれば、学校で,あるいは社会に出てからも数えきれないほどのことを教わってきたが、自分の知識、技能、技術として獲得できたのは、人に助けられながら自分でできるようになったことと、自分でできるようになったことを土台として自分で解決したことだ。

教師になって30数年を経た今、「生徒を真っ白な画用紙に見立てて、そこに「知識」という絵の具を塗って絵を描きあげる」という授業観から抜け出して、ある主題について生徒が自分で考えて解決する授業づくりを模索している。
自分で「できる」「わかる」ことが一番嬉しいし、その嬉しさが「学ぶ」意欲を湧き出させ、後々まで覚えていて身につくことだということを、誰でも実感してきたのではないだろうか。
だから、空欄補充プリントを作って、順番に生徒を指名して空欄に正答を埋めてゆき、「試験に出るから覚えておこう」式の授業には違和感どころか、批判を向けている。この「違和感」と「批判」に理論的な裏付けをしたいと考えて、有元先生のこの講座のリピーターとなっている。

【講義の導入】
◎本日の目的
1 学習の必然性のある場
2 主体的な学習の4基準
本当の事
私の事
価値のある事
なかまがいる事
→「ほんわかな」授業をつくる
3 背伸び:未来の自分を体験させることの意義
4 生活の質を高める授業案を提案して実演する(本日の到達点)
5 学習観をとらえなおす

講義の最初に「本日の目的」と「到達目標」が示されるので,受講者は「どこへ連れて行かれるんだろう?」という不安を抱かずにすむ。
現場で日々行う授業も,このようにすると生徒は安心して授業を受けられる。

◎学習は人間だけが持っている能力
人間は自分達の生物的限界を超えた環境を学習によって生き抜いてきた。世界は変わり続けており、今の子供が大人になった時には、今はない仕事に就く可能性が大きい。変わり続ける世界を生きてゆくには学習が必要だ。

馬の出産シーン動画:母馬が何にも教えなくても生まれたばかりの子馬はすぐに立ち歩く、走る。そうしなければ捕食者の餌食となってしまう。
よちよち歩きを始める子供の動画:人が歩き始める時、親は練習みたいなことをさせる。人間は生理的早産と言われる。何もできないで生まれる弱い生き物だが、学習によって厳しい環境も生き抜いてきた。人間という種の先天的特徴は学習能力である。

【講義概要】
◎人間は学ぶことが得意すぎる
(1)puzzle box(ある手続きを踏むと飴を取り出せる黒い箱がある。実は箱の内部の上下は完全に仕切られていて,下の段の引き出しをあければ飴を取り出せる。しかし、わざと意味のない手続き(箱の上のボルトを外す,そのボルトで箱をたたく、上部の孔からボルトを差し込む、つぎに下の段の引き出しをあけて飴を取り出す))から飴を取り出す手続きをチンパンジーにやってみせると,チンパンジーはほぼそのとおりの手続きをして飴を取り出す。
次に同じ構造の透明な箱をチンパンジーの前に置くと、チンパンジーは「無意味な」手続きを省略していきなり下の段から飴を取り出す。

しかし、同じことを3-4歳児にしてみせると、透明な箱に対しても子どもたちは「無意味な」手続きをして箱から褒美を取り出す。
テキサス大学、Victoria Horner, puzzle box
http://www.nytimes.com/2005/12/13/science/13essa.html?_r=0
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15549502?dopt=Abstract

この実験は,人間がチンパンジーよりも劣っていると示したいのではなく、人間は学習する(学習してしまう)動物であることを示している。完全に真似ることが人間の発達には重要である。人間の学習は、指示追従性、模倣、slavish、他律的服従的という特徴を示す。
それは、教育可能性でもある。→人間らしさ
しかし、教育の場のデザインによっては、目的と手段が逆転して手段が目的化してしまい、生徒は「意味のないこと」、「おもしろくもないこと」、「興味もないのに「やれ」と言われること」を延々と忠実に、slavishにやることになる。

(2)変な文章題実験
「みかんが3個、リンゴが5個あります。かけると何個になるでしょう?」「身長5メートルの子供が8人います。全部で何メートルになるでしょう?」「家から学校まで2キロメートルあります。歩くと何分かかるでしょう?」などの算数問題を提示すると,ほとんどの子供が「解答」してしまう。
しかし、「この問題は小学生が作ったからおかしいことがあれば指摘してください」と前置きしてからこれらの問題を提示すると、これらの文章題の問題点を指摘する割合が高くなる。
問題の与え方によって、同じ人間でも対応が変わる。言われたことはやってしまう。という人間の特質をふまえた上で,学習の場をデザインする必要がある。
『認知的道具のデザイン(状況論的アプローチ)』,加藤 浩, 有元 典文,金子書房

◎内発的動機づけ
motivation(英語)、motif(仏語)に対して「動機づけ」。しかし、「づけ」られなくてもやりたくなることが内発的な動機。
知識理解が進めばやりたくなるのではなく、やりたいから、なりたいから練習し、勉強した結果、知識や技能が身につく。
バットの素振りを延々とやらせれば野球選手になりたくなるのか?
そうではなかったはず。プロ野球選手に憧れて、そのようになりたいから素振りでもランニングでも熱心に取り組むのではないか。

→背伸び:未来の自分を体験させることの重要性
やりたいから、なりたいから練習する。
「学校実践」という特有の環境の中ではいつの間にか「手段」が目的化してしまっていないか。

◎ヴィゴツキーの園芸家のたとえ
「園芸家は,間接的に,環境を適切に変化させることによって,花の発芽に影響を及ぼす。同じように,教育者も環境を変えることで子供の教育をするのです。」
授業力=環境づくり。間接的に、環境を通して、主体的な学習と活動に向かわせる力。

◎発達の最近接領域と「足場掛け」
「ひとりでできること」と「教えてもらわなくても皆と一緒ならできること」の間の差分を「発達の最近接領域」とヴィゴツキーは定義した。
何回に一回か、そんな授業を計画する。
できない自分を経験させるのでなく、足場かけ(ちょっとした手助け)によってできる自分を経験させる。→未来の自分を体験させる。

→私が子供の頃には子どもたちの間に「ミソっかす」という優れものの制度があった。今はもう廃れたかもしれない。
親に幼い弟妹の面倒を言いつけられた兄姉たちが「鬼ごっこ」などの遊びをするときに、弟妹も一緒に遊ぶけれどもその子たちは勝敗の得点に勘定しないという遊び方。弟妹たちは一緒に遊んでいるつもりになっているし、一緒に遊んでいるのだから兄姉たちは親たちに叱られない。そして兄姉たちは自分達のルールの中で遊ぶことができる。
弟妹たちもこれを繰り返すうちに少しずつ成長して、いつの間にか兄姉たちに混じって同じルールで鬼ごっこをできるようになる。
これは、ZPDでもあるしLPPでもあったのだなぁ。

→この夏参加した、ある研修会のグループワーク2題
1 研修にちなんだ替え歌を15分くらいで作って披露する
2 講師にインタビューし、その講師を紹介する寸劇を考えて演ずる
この二つとも、全く自分個人の能力を超えていた。替え歌も劇の台本も、わずかの時間では自分一人でひねり出す事など到底できないことだった。しかし、5人ほどのグループで取り組むことで二つとも無事にクリアできた。「みんなとならできる」、ZPDを体験する事ができた。

→本日のの研修2題
1 スパゲティ10本とマスキングテープ1メートルだけを材料にして、自立できるタワーをグループごとに作る
2 同じグループで、「ほんわかな」どれかに動機づけられる授業案を考案し、その導入部分を実演する
これらもやはり、「みんなとならできる」、ZPDを体験する課題だった。

【結び】
◎学習の再フレーム化
学習を個人で獲得すること、個人の垂直的な成長として捉える学習観から、「未来の集合的活動に備えて、いま・ここでできることを、皆で支える行き方もある。そのことでできなかったことができるようになったら、それも「学習」」とする。「いまを皆で支えることを学習ととらえる事について、検討したい。」
個人内の垂直的な学習→みんなの水平的つながりによる学習

→社会に出てからの人の活動は、ほとんどの場合集合的に達成される。会社でも、学校でも、官公署でも、個々人を周囲が支え、知恵を出し合って仕事を進める。
どれだけの知識を頭に詰め込んだかを問われるのは、学校や、入学試験、資格試験などの特殊な場合に限られる。

→学習指導要領に「言語活動の充実」「グループ別指導」と書かれているから、中央教育審議会の答申に「コミュニケーション能力の育成」と書かれているからグループワークをやってグループごとの成果を発表させる?
それは、ただグループワークをやって発表させただけのこと。
グループ活動によって「ひとりだったらできなかったかもしれないけれど、皆といっしょだからできた」,その達成過程を通じて、必要に迫られて言語活動もするし、コミュニケーション能力も鍛えられる。ということを授業者が意図してその授業をデザインしたのかどうか,そこが大切だ。
わたしたち教員は「学習とは」、「授業とは」「学校とは」何かを常に自問しながら、教員採用試験のために暗記した用語の意味を改めて捉えなおして現場に立つべきだと、意を新たにした。

本研修講座をより深く理解するための書籍
デザインドリアリティ[増補版]―集合的達成の心理学,(有元典文 , 岡部大介 ),北樹出版,2013/10
状況と活動の心理学―コンセプト・方法・実践,(茂呂 雄二,有元 典文,青山 征彦,伊藤 崇,香川 秀太),新曜社,2012/04
社会と文化の心理学―ヴィゴツキーに学ぶ,(茂呂雄二,伊藤崇,有元典文,他編著),世界思想社,2011/08
文化心理学(朝倉心理学講座11,海保博之監修),(田島信元,有元典文他編著),朝倉書店,2008/02
認知的道具のデザイン,(加藤浩,有元典文編著),金子書房,2001/10

2013-12-23

納得研究会(2013年第2回)

2013年2回目の納得研究会が立教大学で開催された。
18名出席で、小中高の教員、大学教員、大学院生、船員、音楽関係者と多彩な顔ぶれだった。
私のブログも3月31日以来の更新。9か月も更新を怠るともはやブログの意味をなさないか?
研究会のあとは「セントポールの隣」で忘年会が開催された。吉岡先生会場の手配をありがとうございました。

今回の研究会は音楽関係2本。

発表1 日常音楽と学校音楽の乖離について(音楽教員)
元音楽教員、中等教育、小学校、高校など初等中等教育の諸校種で音楽教育に携わってきた。
音楽研究ではなく教育から音楽をみる。もともと音楽の学習指導案の歴史をテーマとしてきた。最後3年は中学で。特別支援学校でも勤めた。
学校音楽は多くの人が体験してきている。

音楽の授業で生徒からぶつけられる言葉。それらの背景を探る。
音楽に関心なくても音楽が嫌いという人はあまりいないと思っている。
学習指導要領における「音楽」の目的は、10年前とほぼ変わっていない。
音楽の表現鑑賞、音楽を愛好する心情と感性、基礎的能力、豊かな情操を育てる。

愛好する心情ーーー学校で身につけられるか?
学校以前ですでに持っている?
学校には違う「音楽」があるのか?それを愛好する心情を育てるのか?

(学校):「唱歌校門を出ず」・・・世間では猥雑な音楽が多いから学校では格調高い「本物の」音楽を教えるのだ。という意味。

唱歌科から音楽科へ。昭和16年国民学校令
時期的に(戦争のため)十分には実施されなかった。
器楽、鑑賞、歌唱、創作、音楽理論が正式に取り入れられた。
想像力、表現力、楽譜読み書き、鑑賞力、技術、情操と人間性を育てる。

これは、現在の指導要領に連なる。基本路線は大きく変わっていない。
戦後、GHQの指示で、諸井三郎(作曲家、師範学校出身で無い人物)が昭和22年の音楽科学驟雨指導要領の策定をした。
その後、諸井さんの基本思想がほぼ踏襲されている
指導要領 22年、26年、33年。33年が現在の骨格となっている。

明治期の学習指導案を調べているが、基本的には音楽の授業は大きく変わっていないように思う。
授業で出会う生徒:
歌うことは好き
メロディでないところは途端にわからなくなる。
楽譜でなく歌詞を読んで歌っている。
周りより先に伸ばすのをやめる。早い者勝ちでやめて行く。歌声が途中で消える。
楽譜にドレミを書くがそれが間違っている。
リコーダーを間違って吹いても違う音を出していることは気にならない。

なんでそれができないの?という先生はたくさんいる。

有元先生:楽譜で音楽するのはクラシックくらいではないですか?。

楽譜を読むことは難しい。
音楽を耳で聞いているから歌うには好き。
耳で聞いているので聞き取れないハーモニーのところはわからない。
どこまで伸ばすかわからないので不安になってやめる。
運指とドレミと楽譜を付き合わせて吹いている。

「楽譜を読める」が大前提になっている。
耳コピ、学年が上がると曲も複雑になるので耳コピでは対応できなくなる。
できないとつまらない。つまらないから嫌いになる。
できるようになれば楽しい。楽しければ好き。

音楽の授業が音楽の授業に使われるよりも式歌練習や合奏が多い。
限られた時間の中で巧くみせるために練習が多くなる。
実技と知識の往還の時間が取れない。
儀式などで見栄えのする形を作ることに時間が費やされる。

先生のせいとばかりは言えない。
一生懸命にやった満足感は大きい。
それも出来て音楽の授業ができればと思う。

歌唱、器楽、鑑賞、創作。
積極的に読譜する動機が見えにくい。
かつては高校入試で楽譜が出題された。

(神奈川のアチーブメントテストは、年代にもよるけれど9教科だったので楽譜の問題も確かに出題された)

横国 有和先生、子供が社会に出た時に人生を豊かにする一手段としてそれを実現するための初等音楽教育。
音の響きの美しさを実感すると歌が大好きになる。
小学校の時にいかに劣等感を持たせないようにするか。
楽しい体験を大切にしている。
合奏の楽しさを体験させたい。
音符を読むことと演奏することは始めは一致しない。次はリズム、そしてタイミング。最後にハーモニー。

幼児教育では耳から。はじめは聴くことから。幼稚園の音楽教育では昭和30年代に教科色が強かった。
園児を集めるための方策でもあった。リトミックなど。平成元年ゆとりの頃から見直された。
子供達にとって楽しいことに回帰した。幼稚園教育要領にあるからではなく昔から楽しませるという要素も大切にはされてきた。
それまで唱歌(音楽)には道徳的色彩もあったが、戦後になって人生を豊かにすることが目標となった。その昭和22年の時にも音楽は演奏を通してという基本線があった。

佐伯先生:音楽教育の実践、こうでありたいという実践活動を行なっているわけだが、音楽教育論という意味では、明治期では西洋に追いつけという目標があった。西洋に追いつくために教えるということが中心に行われてきた。他の教科では総合学習のようなことが行われている。学び合い云々はかなり昔から行われている。しかし、音楽では教えるということ、引っ張り上げるということが行われてきた。
一方、美術では「かくあるべし」から始めるべきではないとされている。学習指導要領にも。「成果を求めない」結果を出すということを求めない時間ちゃんとある。それがアートの世界である。
音楽では「鼻歌」でいいじゃないというのはない。それを音楽教育論としている人はいない。
美術にはある。旧来を壊して全く新しく始めるという価値観は音楽教育論にはない。

:音楽は技能教科、技能なので指導しなければならない部分がある。楽器を演奏できなければならない。
:美術では美大に入る前に徹底的に技能を教育されるのでは?それから自由がある。
:音の出し方、音楽の音になる必要がある。
佐伯先生:絵が好きだからそれを達成するためにトレーニングを喜んでやる。好きにならなければ苦痛でしかない。好きになるようにさせる。
:科学教育教えるべきことがたくさんある。面白くなる前につまらなくなってしまう。
:幼児は鉄琴の音がとても好き。鉄琴の音、ちゃんと弾かずに枝で触る子供がいた。枝で触って音を確かめている。音楽の楽しさをそういう方法で受け入れることもあるのかと思った。
:「学習指導要領、思いを込めて」というが、思いはこもるものであって込めるものではないのでは。幼児に「思いを込めましょう」は伝わらないと思う。



発表2 ピアノで意図した音高を実現する技能ーキー位置-音高の記憶形成からー(大学院生)

キー位置記憶に関する実験
研究の背景:
人にとっての音楽行動、人が進化する上で社会的認知的、運動的に重要な役割。
「歌うネアンデルタール」(ー音楽と言語から見るヒトの進化ー、Steven Mithen著、熊谷淳子訳、早川書房、2006年6月)

演奏技能の最小構成とは?
「実現しようとする音」
「体の動き」
「実現された音」

楽譜から「ねこ踏んじゃった」を弾き始めた人は少ないだろう。
アミュージア(amusia:失音楽)、ある種の疾患とされている、音の高低はわかるが音楽として認識できない。

実験: 
条件1・・・机の上に鍵盤の絵が描いてある
条件2・・・机の上にドの位置だけ示してある
課題・・・・ターゲットのキーの位置を人差し指でタップする
指の感覚で位置を推定しないために人差し指とした。
鍵盤の空間的な位置がどのように記憶されているかを調べる実験。

手の大きさでキー位置を測れないように、広げた手の間隔でわからないように人差し指にした。

佐伯先生:
タイプライター、Qwertyキーボードのブラインドタッチに似ているなと思った。
人はキー位置でなく単語ごとに覚えている。
足の指で体の重心を図っている。一秒間に10キー。
一つだけの記憶だけでなく、綴り、その単語を打つ時の体の重心などたくさんの情報を並列で処理している。
並列分散処理研究。シリアルではない。
フルート練習の時、右手だけの音を練習した。休憩の後、あれはちょうちょちょうちょですよと言われたらすぐできるようになった。

タイプライターの練習は今は意味のある単語で練習する。昔はasdfだった。
意味ある単語ならタイプは速く上達するが無意味なアルファベットの練習では上達は遅い。

ピアノの鍵盤は世界共通か?
ほぼ共通だが、黒鍵のサイズが違うのがある。

ギターはストラップの長さでジャンルがわかる。
(若林:棋士は試合の棋譜を再現できるけれど、デタラメに置いた将棋の駒を再現しろと言わると素人とあまり変わらないそうですね。)
チャンクの話になると必ずチェス、将棋、碁の論文が出てくる。

有元先生:日常でも、ちょっとした怪我や身体の具合で生活(世界)が大きく変わる。

:クラシックの人は一箇所間違えると本番で頭が真っ白になる。あの音を出したいから鍵盤の位置はあそこ、というのではなさそう。
ステージ上で初見演奏はない。

:通信士はスピーカーを外して練習させられる。キーのカツカツという音だけで練習する。
モールスはリズム。文章になるとわかりやすい。
一分間125字英文の平文で。
無意味の打鍵はスピード落ちる。

:モニターを見ずにテレビゲームやる友達がいた。
音だけでゲームの展開がわかっている。

:チェリストは曲に合わせて、ピッチを微妙に変える。
ポジション、見えないところもある。
自分のチェロでないと演奏できない。
3/4楽器から4/4楽器になる時は大変。

☆ 中央のドからの距離にエラーが比例していた。

2013-08-23

学習環境デザイン研修講座

横浜国立大学と神奈川県立総合教育センターとの連携講座『学習環境デザイン研修講座』に参加した。
講師は横浜国立大学教育人間科学部教授の有元典文先生で、2006年の夏以来8回目の受講となった。

子供が学習課題を不安に思って取り組むか、楽しんで取り組むか。
それは学習環境のデザインに関わる。

言語活動をするかどうかはその場のデザインによる。
コミュニケーションは個人の能力によるのではない。

学校の授業3例、子供が頭を使っているかどうか。

文科省のコミュニケーション能力の定義
「正解のない課題や経験したことのない問題について対話、情報共有、考え、伝え、深め合って合意形成、課題解決する能力。」

教師は原学習者であるべきだ。宮崎清孝
教師の意図と生徒の学習が一致するとは限らない
学校の外の本当の生活で出会う本当の問題


動機づけ、英語ではmotivation、フランス語でモチーフ
賞と罰
毎回の授業ですべて動機をともなうわけがない。
しかし、内発的動機、ということを知っておく必要がある。

みんなの心に動機の灯がともる

「ほんわかな」授業。どこかにこの要素をいれる。
自分の生活の質の向上。
成績の正規分布の左の方の子供。その子供達にこそ伝えたい。
江戸時代には風を引かないために札を貼った。
いまは手洗いで風の発症を40パーセント抑えられる。


人間ーーーsocial being ビゴツキー

能力は個人の中でなく周りとのセットの中にある。
教育ーー成らなくてすむ誰かにさせない。なったら良い誰かにさせる支援。

手袋ワーク


足場かけ、いまできること、潜在的な発達水準
できるかできないかではなく、できるようにさせる。
鍛える
支える
あかちゃんの喃語、赤ん坊の能力を補う。

支えることの価値付け
できるようにすることは難しい。

九州の姫島、ロックバンドの支援
全体で演奏したいので個人で練習するようになる。
支援学校の輪を転がす場面の足場かけ

一方的に教えていない。
集合的達成collective achievement
環境と能力が同時にできる。

アブゥチェーニニェ

学校 子供が価値を知らないことを教えなければならない。
学校は動機マイナスから始めなければならない。

2013-03-31

納得研究会(2013年第1回)

東京港晴海埠頭停泊中の練習船日本丸で、今年度第1回の納得研究会が開催された。35名出席。
船での開催は、2008年12月20日大成丸(蒸気タービン船)、2010年6月19日青雲丸(ディーゼル船)に続く3回目となった。


日本丸といえば我が国では知らない人はいないであろう有名な練習帆船である。1930年に建造された日本丸(初代、横浜みなと博物館に係留されている)の代船として1984年に建造された。

東京海洋大学、神戸大学、商船高等専門学校、海上技術短期大学校、海上技術学校などの学生生徒を乗船させ、海技士としての知識・技術・技能を教育訓練するための船である。




今回の納得研究会は、教育現場からの研究報告4本だった。



◯報告1:坂さん:「練習船における船員養成のための学習環境デザイン」とガイドツアー

船員養成を行う練習船で活動においてリーダシップやチームワークといった人的資源の管理能力がどのようにして醸成されるかの可能性を社会文化的
アプローチにより明らかにするとともに,その学習環境デザインに関する提言を行う。


STCW条約改正によって、船員の教育訓練に、意思伝達能力、リーダーシップ、コミュニケーション能力要件が追加された。これらはどのようにして身につくのか。

条約で、BRM(Bridge Resource Management),ERM(Engine room Resource Management)の教育訓練が義務づけられたが、これは航空機のCRM(Cockpit Resource Management)を参考に導入された。

ここでリソースとは、人、機器、情報など、船の安全を保つためのすべてを含む。

(1) 練習船における実際の教育訓練場面から「主機ピストン抜き」作業を観察し、リーダーシップや意思伝達能力がどのように発揮されているか、どのように訓練されていいるかを分析した。

実習生を上段配置、中段配置、下段配置にわけ、総指揮、総指揮サブの3名の実習生に全体を指揮させた。

このリーダー役3名が作業全般を仕切ると思っていたが、各配置間の状況把握に齟齬を生ずる場面があり、必ずしもリーダー役が全体を把握しているとはいえない状況があった。

このようなプロジェクト型の実習場面ではリーダーシップは、短期的・局所的に発揮されてゆくという特徴が見えた。


(2) 実習生がいない機関士・機関部員だけの作業場面。

ドックを出るときの機関プラント立ち上げ作業。

先輩機関士が新人機関士に一連の作業の"一部を委譲"して(作業を「分けて」あげて)経験させる場面と、ある作業についてその一連を"すべて委譲"して行わせる場面があった。


陸上電源から船内電源への切り替え、「落としたらすぐ切り替えるから…」と言ってすべてを後輩にやらせる。


(3) これらの研究の端緒

寄港地先で最もよく受ける質問「一般の船の船員養成になぜ帆船の実習が必要なのか?」

これに明確に答えたいという思いから。


[参加者の意見・感想]
(1)技術の保存は大切なことだと思う。帆船自体を商用で使うことはないけれど、帆船は船の運航技術の基本であると同時に建造技術の基本でもある。一度途絶えてしまったら、復活は難しい。

日本のすべての船員が帆船教育を受けている訳ではないが、帆船で教育を受けた者がいるということに価値があるのではないか。教育が行われた直後に数値で測ることのできない価値もあるのではないか。

(2)大型帆船の操船を体で体験するのは歴史的社会的価値のあることだと思う。



◯報告2:横山さん:「ナラティヴの重奏化による文化的実践の生成」

学校(教室)というフィールドは「一方向的」で「モノロジカル」な、「教師」による「知識伝達」の現場として批判的に語られることが多い。

あらゆる関係を「学習」の基軸として捉える枠組み「状況的学習理論」の脈絡においても、学校は特殊な現場として検討の埒外に置かれた。

学校を日常的脈絡から逸脱した現場として描き出す方略は「日常のフィールド」と「学校のフィールド」とを二元論的に検討する議論を活性した。

しかし、学校という現場もまた、多様な社会的関わり合いに否応なく巻き込まれる「日常」の存する場である。

授業において、教師が如何に「モノロジカル」に「一方向的」に「知識伝達」を行っていたとしても、教室には複数の声が介在している(授業と関係なく/授業と関係して)。

さらに、学校は授業時間だけで構成されているわけではない。むしろ日常的な時間の流れを「単位化」したものが授業時間であると考えるならば、非-授業の時間が存する。本研究は「単声的な場」として特徴づけられることの多かった学校(教室)という現場を「多声的な場」として位置づけ直すことから研究を始める。


学校と日常の二元論

スーパーマーケットの算数、買い物客の計算と算数テストにおける実力を比較。
スーパーマーケットでは98パーセント正解。
算数テストでは59パーセント正解。
テストとスーパーマーケットでは問題解決の状況が異なる。

学校は日常とかけ離れた特殊な場所である。
Lave示したのは学校批判ではなく状況性の話である。


生徒が毎日書くノート(毎日書いて提出する生活ノートのような)から、子供の生活の様子をみる。
授業のことだけでなく休み時間のこと、学校への行き帰りのことなどが記されている。
学校は子供たちの「日常」の中にあるのではないか。


学校は脱文脈的である。しかし、学校もまた社会的日常の場である。と思う。
学校もまたそこに集う人々による日常の場である。家庭と学校で異なる実践様式を求められる。
学習とは多重参加と多重適応なのか。
個人的なパースペクティブと社会文化的なパースペクティブの接触領域におけるダイナミックな重層化。

ナラティブの一致とズレ
これをどのように研究としてまとめられるか、それをまたどのように現場に還元できるか。



[参加者の意見・感想]
(1)もちろん学校も社会的日常だが教育という機能上は、学校は社会的日常のための訓練の場である。
学校の中の実現のために学校があるのではなく、学校の外(日常での生活)を実現するための場であるはずだ。
(2)子供にとっての学校は日常の一つといえるのではないか。
(3)学校では「書く」ことが求められるのだなと実感した。しかし、言葉にならない豊かさが押さえ込まれている側面もある。書くことが苦手な子供もいる。1−2行しか書けない子供を大切にすべきだ。


◯報告3:佐々木さん:「アシスタント・ティーチャーを活用した授業デザインの分析」

本研究は,学校現場におけるアシスタント・ティーチャー(AT)の参与により,担任の「困り感」や授業デザインがどのように変化するかを記述した。授業は,教師・児童・ATそれぞれが授業という場に参加することで達成される。

本研究では,ATが授業の「集団的達成」に貢献し得ることを記述した。
一方ATの参与には,担任教師との連携による,学級経営の意向を酌んだ参加が求められることも示唆された。

ATとして小学校の授業に継続的に参与し、授業の分析と教師へのインタビューを行った。


困り感のある児童、授業中に大声立ち歩き
教師のスキルや熟達、授業デザインによるところが大きいのではないか。
個別の対応が必要、授業支援者が入った時の授業構造

エスノメソドロジー(人々の方法論)
授業にどのような変化が現れるか。
仮説、授業行動の変化、困り間の減少、ATとTTの違い
担任のみ、担任とTT、担任とAT
ビデオ、トランスクリプト、発話分析


ATが参与することのメリットとデメリット。
生徒にとってATは教師ではなく大学生のお姉さんなので話しかけやすく、授業内容と関わりなく話しかける場面もあった。

必要としている子供のところにATが入ることで個人の学びを促進することができる。
しかし、授業ビデオを見ると、ATが入っているときには教師は教壇から生徒の席に降りてこないことが多かった。

机間指導によって生徒のつまずきやわかりにくいところを教師が把握し、全体に還元することが授業作りではないか。



[参加者の意見・感想]
(1)AT、TTによって教師の熟達度は低くなると思う。困った生徒への対応をしながら全体を統制して行く力をつけてゆくべきだ。

困った生徒を可視化し、ますます「困った子」にしていくのではないか。子供の方がわかっていて、「この子がこう言うのはこういうことなんだよ」と教えてくれることもある。
(2)ATが入ることによって見えてくることと見えなくなっていることがあると思った。

(3)(発言しなかったけど)私の学校ではいくつかの科目で、クラスを単純に2分割して少人数授業を実施している。クラスを2分割せずにTTを配置して寿魚を行う方法と比較する必要があるのではないかと思った。


◯報告4:岡本さん:「高校での健康教育活動(健康教室)の学習環境デザイン」

発表者が養護教諭として勤務する高校で、1、2学年を対象に、それぞれ年一回健康教室を実施してきた。

生徒が自らの心身の健康について考える契機となる教育を目指し、

(1)保健委員の生徒達が授業を展開
(2)大学と共同での教材開発
(3)大学生・大学院生ボランティアを各クラスに配置、共同で実施する

という工夫を行ってきた。これまでの活動テーマは「デートDV」「性感染症」「人間関係」である。
これらの成果と課題について報告する。

各クラスの保険委員を集め、健康教室を企画、準備し、生徒主体で実施した。:鵜飼い方式
それぞれのテーマに沿って、保険委員を中心として生徒がロールプレイングの授業を考え、体育館で実施した。
優秀賞などの発表もあり、力の入ったグループは盛り上がった。


[参加者の意見・感想]
(1)非常にうまく行っているなと思う。健康教室だけでなく、生徒に授業させる、ロールプレイングというか、ドラマを生徒に作らせることで学びへの参加意欲が高まる。

国語でも社会でも人間理解に関わることは自分たちで演じて見る。

このような授業のあり様を広めてもらいたいと思った。

(2)30年前の高校でこのような授業形態だった

(3)効果の測定ということでは、プリテスト、ポストテストによる比較をした論文がおおいけれど、それは違いが出るに違いないけれどそういう単純なことでもないと思う。

(4)効果の測定、中絶率の変化などでみるしかないのかなぁ?

(5)ソーシャルスキルトレーニングは大切だと思っている。あとから評価するならば、二年生の授業を三年生が行うなど。

(6)事後の「効果測定」として、時間をおいてからテーマに関する体験について話し合ったりするのは、効果の測定と再学習をかねてより累進的な学びがありそうです。



懇親会
恒例、納得研究会のあとは懇親会。今回は船長や航空機のパイロットなどがよく集まるお店、銀座のAmberでワイン、ビールなど楽しみました。このお店はアップルパイもおいしいそうです。

キャプテン、ありがとうございました。

2012-11-25

教育心理学会

23日から25日まで琉球大学で開催された教育心理学会第54回総会に行ってきた。






私は会員ではないが、横浜国立大学の有元ゼミのメンバーがパネル発表を行った。

どのような学習環境デザインで「学習」が成立するのかとても興味深い。

独立行政法人航海訓練所の練習船青雲丸で行われた「主機ピストン抜き実習」でリーダーシップがどのように発揮されたか、ヨットスクールでほとんど座学を行わずにヨットの操船技術を習得してゆく学習過程など、私に関わり深いテーマもあった。






宿と琉球大の行き返りをどうしようか考えたが、沖縄料理で酒も楽しみたいのでレンタカーは借りなかった。事前にバスマップ沖縄から紙版のバスマップを送ってもらっておいたので、初日から最終日までほとんどの移動はバスを利用した。


食事したところ

ボトルネック(栄町)・・・豆腐よう、島豆腐のやっこ

東大(栄町)・・・おでんと焼きテビチ

なかや食堂(国際通り)・・・ラフテー、おでん、ミミガー

牧志第一公設市場(国際通り)・・・刺身、もずくてんぷら、もずく酢、海ぶどう

ネコハウス(北谷のゲストハウス)・・・バーベキュー







焼きテビチ

2012-09-30

納得研究会(2012年第4回)

立教大学で2012年第4回納得研究会が開催された。
夕方から関東地方に台風17号が接近するとの予報だったが18名の参加を得た。

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本日の発表は次の2題。
(1)「幼児教育における音楽の意味とは - 幼稚園での出張コンサートの実践事
例から」
新原さん(筑波大学大学院),大澤さん(横浜国大大学院)
(2)養護教諭の学校内機能について
菊地さん(横浜国大附属特別支援学校)

発表1
プロの演奏家による幼稚園での出張コンサートを紹介する。本事例を通して幼児教育における音楽の意味を問い直すと共に,演奏者・企画者・教職員が恊働し,コンサートを「ホンモノ」の音楽に触れる学習環境としてデザインする過程に着目する。

○ 研究の端緒:
幼児教育で音楽がどのようにつかわれているか。
音楽鑑賞のための時間は少なく、行動統制に音楽が使われることが多い。
食事の時間とか、片付けの時間など。
日常では音楽に関わる行動で鑑賞にかかわらないことはないだろう。と思った。
幼稚園からクラシックコンサートの依頼があったことが研究の端緒となった。


○ 目的1 音楽も学習・発達の場としてデザインできないかと考えた。
幼児と保護者に対し、単発でなく年間を通じて計画した。
出張コンサートは現在では珍しくない。アウトリーチ活動として、幼稚園・小中、特別支援学校まで。

○ 目的2 出張コンサートを教職員と演奏家の横断的目的活動として見よう。
保育園併設の子育て支援センターなどを対象に。

○ 事例1:
2歳児未満の部「手をたたきましょう」、テノール歌手による本格的な歌唱方法で。
母親と膝に抱かれた幼児、母親が子供の手を持って音楽に合わせて手を叩いたり足踏みさせたりしている。「怒りましょプンプンプン」「泣きましょエンエンエン」などの場面では子供の表情を覗き込むなど、母親の行動に注目。
鑑賞行動「赤ちゃんは家族の中で話し手てあるいは産出者として発達する。喃語であってもあかちゃんは会話に参加して話している。ホルツマン、Zpd。

出張コンサートは赤ちゃんが鑑賞者に「なる」場、最近接発達領域として機能していたのではないか。三回目では子供が手を自発的に叩いているように見える。
賞賛として手を叩く場面では赤ちゃんはそのように手を叩いていないが、歌に参加する場面では自発的にリズムに合わせて手を叩いているように見えた。

○ 質問:はじめ親が一緒に手を叩いて注入したその惰性が残っていたのではないか?ホルツマンの言うZPDではないのではないか?
→ いや、リズムがあっていたように思う。

○ 園の反応:
「せっかくクラシックなのだからクラシックらしい曲を増やして欲しかった。」
「ニワカ音楽でない専門家の音楽が聴けた。」などの感想。
→ 本物(プロ)に対する権威づけが行われている。

○ ※ 工場労働者と技術者との協働
鋳造所、システム構築の際に工場労働者の経験はシステム構築や配備のリソースとして用いられなかった。

ホンモノとニワカという強い境界をひくこと。協働が発展しない可能性を秘めていると思う。
プロなら本物?教職員なら本物でない?
演奏者と教職員双方の音楽観や教育観、「ホンモノ」概念の変化を追う。

○ 質問
・ 聴くというより参加するというのが多かったように思うが?
→童謡であっても活動を伴わない鑑賞主体のもあった。
・ 自分の場合は子供が聴きやすい、伴奏がゴチャゴチャしないとか、子供の様子を見ながらこれまでの経験を動員してその場に応じてアレンジする。
・ 千住真理子のコンサートは子供向けにやっているけど子供用にアレンジはしていない。騒ぐなら騒いでも良いというスタンスで。
・ 自分は保育者だったが、保育士でも「手をたたきましょう」のようにはできるので、せっかくならクラシックらしいのを聴きたいということはわかる。
・ 一瞬の出会いであっても「ホンモノ」に接したことは子供達にのこる。
・ 行動規制のためではなくその世界を楽しむために「おもちゃのチャチャチャ」
をやりたいとも思う。
・ クラシックの専門性に対して幼児教育の専門家がどのように関われるか。
佐伯先生:子供を見くびらないというのが大切。子供の理解力を信頼する。何らかの媒介は必要だけれど、子供の理解力は大きい。
子供と一緒に音楽を創る。作品創りに参加させる。鑑賞の場面もある。そうして音楽を創る。演奏するだけでなく一緒に創る。レッジョエミリアの例。



発表2 養護教諭の学校内機能について
養護教諭の学校内のコーディネーション機能に関する研究
学校管理職へのインタビューの分析から、学校保健活動を進める上での教護教諭に期待される機能について考察した。管理職は養護教諭を学校保健活動を進める上でのコーディネータ、中核として認識しており、その機能が十分に発揮されるようにバックアップを行っていた。
このバックアップは教職員・校外の学校関係者全体の関与によって成立しており、学校保健活動における養護教諭のコーディネーション機能は社会的な達成であることが示唆された。

○ 養護教諭とは:
養護教諭は何する人?
明治時代に学校医が置かれ,数年後に看護師がおかれた。ここまで明治。
そして名称が養護教諭となって,教育職に位置付けられた。
学校の中だけでなく関係機関との間でコーディネート機能が期待されている。

○ 特別支援学校に通う児童生徒の発育の特徴:
病気をしやすい、感染症対策に力を入れる。
精神年齢と生活年齢に差が大きい。
環境が整うと登校意欲が大きくなる。
小さな時から苦労の大きい育ち方をしている。
集団活動を生かした教科学習(バレーボールなど)、部活動、朝練もある。
親への支援が大切と思ってこの研究を始めた。

○ 学校保健活動、
児童生徒の保健と発育に関すること。
学校の保健安全への配慮。
生徒自らの健康維持をはかる能力を育成する。

○ 管理職へのインタビュー調査から次のことがわかった。
管理職は
→ 養護教諭の環境・ひととなり・仕事振りの把握。
→ 管理職が学校保健活動の意義とその活動の企画を教職員に周知。
→ 養護教諭を学校保健活動の中核として位置付け,コーディネータ機能をバックアップ。

○ 養護教諭が中心となって進めている学校保健活動の記録から副校長にインタビユーした。
副校長の動き、バックアップ行動に注目した。
記録を振り返って特別支援学校を通して養護教諭になってきたのだと思った。
養護教諭としての社会的達成。

○ 「養護教諭」は一つの免許だが、小中高特別支援学校で役回りが少しずつ異なる。
教員が自分の健康について相談を受ければ応じるが、こちらから問うことは控える。
健康に関する専門家である。
看護師からなれる。
教育実習もある。
保健師から養護教諭になる場合もある。
看護師の免許を取りながら養護教諭をとることもできる。
教育がバックグラウンドの人と、看護師バックグラウンドの人がいる。
臨床経験があれば養護教諭としては強いかもしれない。

発言:学校の中にホンモノがいるということ?
ここで,教員免許を得てすぐに教員になった人と,教える内容について専門職についてから教員になった事例について,出席者の体験からからいくつかの事例が紹介された。

********
研究協議の後は立教大学至近にある「セントポールのとなり」で懇親会開催。
台風が心配されたが,ここで議論の続きを行った。

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2012-09-26

航海訓練所研究発表会(第12回)

独立行政法人 航海訓練所の第12回研究発表会に参加し,9本の研究発表を聴いた。


開会挨拶 理事長 飯田敏夫氏
航海訓練所は実習生に対する教育訓練、練習船の運航と維持管理を行なうとともに、船員教育訓練・船舶運航技術ならびに国際条約に関する調査研究を行なっている。
所外諸機関との共同研究も進めており、本年は独立行政法人化後12回目の研究発表会開催となった。今回はSTCWマニラ改正に関わる研究を中心に9本の発表を行う。これらの研究に対して忌憚のないご意見をいただきたい。


発表1  救命艇降下揚収作業実習の訓練効果の向上を目指した新たな試みについて
-リスクアセスメント手法を応用した新たな試みについて-
SOLAS条約要件(5分以内に進水させるように積み付けること)
船舶救命設備規則(振出し及び降下を安全かつ迅速に行えること)

船舶職員には救命艇を迅速に降下させる能力が求められる。

リスクアセスメントを応用した手法により実習生に救命艇降下作業要領を改善させる訓練を実施した。
リスクアセスメント手法(risk assessment:リスクの大きさを評価し、そのリスクが許容できるか否かを決定する全体的なプロセス)

(1)本船で定めている「救命艇降下作業要領」を習得させた。
(2)リスクアセスメントについて講義を行った。
救命艇降下実習を行い、その内容に対してリスクアセスメント手法により作業要領を改善させた。
(3)教官によってさらに作業要領を改善し救命艇降下作業を実施した。

知っている知識からできる技術の習得に繋げる。

【感想】
救命艇降下作業の改善を実習生に考えさせ、改善した作業要領を実際に行って評価することは、救命艇降下実習を「やらされる実習」から実習生の主体的な学習に転換したものとして興味深かった。
学習環境デザイン研修講座(横浜国立大学有元典文教授が提唱するRISP(Reality, Identity, Significance, Participation))の考え方とも通底するものがある。


発表2  ECDIS訓練教材の作成及び訓練手法の研究
ー簡易航海情報記録システムの開発ー
ECDIS(Electric Chart Display and Information System)
STCW条約マニラ改正(2010年)によりECDIS訓練が義務化された。
当所練習船に適するECDIS教材を作成し、訓練・実習を行なって効果を評価検証した。
船橋に1台設置しているECDIS実機では多人数の実習を行えないので、教室でデータを再生できるように簡易公開情報記録システム及び簡易公開情報再生システムの開発を行った。
この教材による授業は条約が求めるECDIS訓練としては認められないが、
①多人数教育に対応できる
②航海士がコースラインの作成・改補を行なって再生できる
③航海当直のレビューを行なうことができるなどの効果がある。


発表3  効果的な航路見学手法に関する研究
航路の学習は実船の航行や操船シミュレータなどを用いて各船で相当の取り組みをしてきた。
タブレットPCやスマートフォンの普及によりこれらを用いた教材を開発すれば、場所・時間の制約にかかわらず自学自習できる。
タブレットPCに導入することを最終目標として来島海峡航路航行の事前学習ソフトを開発した。

【感想】
視聴覚教材の開発は、(スライド、OHP、TV、ビデオ、PC、プレゼンテーションソフト、動画編集ソフト)など視聴覚機器の発展と関わりが深い。特にタブレットPCは持ち運びに便利でほとんど瞬時の起動ができるなど、教具としての発展性が大きい。教室への普及も進むものと思うが、同時に教材の開発も大きな課題である。


発表4 船舶共同通信システムに関する研究
-Class D 国際VHFの現状と、実習訓練への応用可能性-
国際VHF:義務船舶局では必ず設置されているが、漁船やレジャーボートなど非義務船舶局では法的搭載義務がない。
商船と漁船・レジャーボートの間では国際VHFは危険回避の通信が困難だった。
大型船と小型船の共通の通信システムがないことが衝突事故の原因となっている。
電波法改正(H21)で船舶共通通信システムが導入され、比較的簡易に特定船舶局の免許が可能になった。
これらを踏まえ、国際VHFクラスDの現状を、漁船の現状、海岸局、マリーナなどの船舶局について調査を行った。
また、国際VHFシミュレータを利用した実習を行った。

DSC機能:Digital Selective Calling(デジタル選択呼出し装置)


発表5 ERM訓練の訓練評価方法に関する予備調査の実施について
STCW条約マニラ改正(2010年)によりERM訓練が強制要件となった。
ERM実習訓練の評価シートを試作し、予備調査を実施した。(各能力要件が達成できたかどうかの評価)
ERM能力要件及び評価基準を4項目に分類しているが5項目を追加した。
① チーム形成・維持(コミュニケーション)
② 意思決定
③ 情報の理解・共有
④ 状況認識力
⑤ 技術的技能(追加)

発表6 インストラクタの視点によるERM訓練評価方法の検証について
ERM訓練の訓練評価方法に関する検証(評価の難易度、労力、評価可能な頻度)を行った。
各実習において、適切に評価が行えるか、評価する場面が充分にあったかなど。
教えることと評価することの境界がわかりにくいなどの課題がある。


発表7 Engine-room Resource Management の基礎教育について
ERM義務付けに対応するため当所においてもカリキュラムの見直しや訓練方法の検討を行なっている。
実習生にERMの基本知識(①ERMとは何か,②構成要素は何か,③どのような訓練か)と訓練への動機づけを行なうための取り組みを行った。

【参考】
ERM(Engine Room Resource Management)およびBRM(Bridge Resource
Management)
航空業界のCRMから医療現場に、そして船舶(BRM,ERM)に拡張されてきた訓練方法である。航空業界は危機管理に対する研究が長年にわたって行われており、その内容も進んでいる。
最近では航空業界から始まった「CRM」という訓練方法が、医療におけるリスクマネジメントにも取り入れられてきている。
(注)CRMとは:Crew Resource Managementの略語で、『安全運航を達成するために、操縦室内で得られる利用可能な全てのリソース(人、機器、情報など)を有効かつ効果的に活用し、チームメンバーの力を結集して、チームの業務遂行能力を向上させる』というものである。
平成12年4月から、国内で運航を行う全ての航空会社のパイロットに対してCRMに関する訓練が義務付けられた。


発表8 データベースソフトを活用した業務効率化に関する研究
東洋エンジニアリング株式会社が開発したKBW(Knowledge Bank Web)を機関部整備作業の管理に供することが可能かどうかの検証を行った。
熟達者から初心者への技術の伝承が困難になってきている。
整備作業・保全作業において機械の様々な状況から故障原因や過去の整備記録を参照する技能は暗黙知に属することが多い。
このソフトウェアは「キーワード1画面法」と呼ばれる手法によって過去の記録を検索可能である。
1船独自でなく船隊全体での共有が望ましい。


発表9 機会部品に生じた亀裂部の補修材修理の事例について
-雑用・制御用空気圧縮機エアクーラに生じた亀裂部の修理-
制御空気圧縮機のエアクーラの亀裂を「ポリウレア樹脂塗装膜施工」によって修理した。
エアクーラには伝熱面積を大きくするためのフィンが多数取り付けられている。
そのため、亀裂部を溶接によって修理することは極めて困難である。
従来は遊園地などのアトラクションの防水加工に用いられていたポリウレア樹脂を機械に適用した。
腐食甲板、タンクトップ、ビルジハットなどの補修にも有効と考えられる。


閉会挨拶 理事 神田一郎氏
実習訓練と船舶の維持管理業務を並行して行いながら、練習船の教育訓練・船舶
の管理及び運航技術・海上労働・船員の健康、国際条約であるSOLAS、STCW条約
関連(BRM、ERM)などに関して当所独自の研究や所外諸機関との共同研究を行い、
年に一度の研究発表会を実施している。実習手法、評価手法も研究するようにな
ってきた。今年は発表がやや少なかったが、今後さらに充実させたい。
自然環境の中で船酔いを克服しながらの実習は、教官だけでなく自然環境が教え
てくれていると実感している。


2012-08-07

学習環境デザイン研修講座

横浜国立大学と神奈川県立総合教育センターとの連携講座『学習環境デザイン研修講座』に参加した。講師は横浜国立大学教育人間科学部教授の有元典文先生で、2006年の夏以来7回目の受講となった。

受講希望者は年々増えており、今年は県内の小・中・高および特別支援学校から50余名の教員が集まった。

 本日のテーマ:「学習環境のデザイン」とはどういうことか理解し実践に役立てる。
 今日の研修をより深く理解するための6冊(新しい順に):
  1. 有元典文他『ワードマップ 状況と活動の心理学』新曜社,2012年
  2. 茂呂雄二他『社会と文化の心理学 ー ヴィゴツキーに学ぶ』世界思想社,2011年
  3. 有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ』北樹出版,2008年
  4. 海保博之他『文化心理学』朝倉書店,2008年
  5. 加藤浩・有元典文他『認知的道具のデザイン』金子書房,2001年
  6. Jean Lave,Etienne Wenger(佐伯胖訳)『状況に埋め込まれた学習――正統的周辺参加』産業図書, 1993
学習とは:できなかったことが経験や練習によってできるようになること。 常に変わり続けるのが人間である。
本来はひ弱な動物(走力、跳躍、夜間視力、嗅覚・・・)である我々人間が、熱帯から極寒の地まで生存可能なのは、我々が学習する動物だから。
【生まれたての馬の動画】
馬は生まれて数時間したら自分で歩くようになる。だれかに立ち方歩き方を教わることもない。

人間が生きてゆくためには学習が必要だである。。
学習=可能性とも言える。

動機の高まる4項目
  • R(ほんもの)Reality:現実性がある。
  • I(たしのこと)Identity:自分のこととして取り組めるか。⇔(NIMBY)
  • S(ちのあること)Significance:意義をどれだけ伝えられるか。
  • P(かまになること)Participation:参加する。
学習は,「何かをできるようになりたい」という【内発的動機づけ】によっておこなわれる。
学校でおこなわれることだけが学習なのではない。
【動機のわかない授業】
単なる頭の中の智恵だめし
自分の生活とかかわりのない課題
社会的価値がわからない
共に取り組む仲間がいない

【観察のツール】
問題を出して答えを出してください(ひとりで黙々と取り組む)
共同で学習させる
これらは学習環境をデザインしていること。

「ある学び方」を子供にさせているということに自覚的にる。

【人の「学習」の特性】
チンパンジーと人の学習の比較。
人の学習は模倣的,slavishである。
人は先生に従う。教えられたとおりにやろうとする。
教えられたことに忠実である。
チンパンジーは互いに教えあわない。

どのような指示を与えるかで子供の学び方はかわる。

【社会的分散認知】
行動は社会的、文化的状況とのセットで成り立つ。
人間の本質はひとりひとりの個人に内在する抽象物ではない。現実には人間の本質は社会の諸関係の総体(アンサンブル)である。マルクス

【内発的動機付け】
その動機が引き起こす活動以外の賞に依存しない動機づけ。
学習環境のデザイナー、教育場面をデザインする
【発達の最近接領域】
ZPD(Zone of Proximal Development)
ヴィゴツキーの教育観
zpdをあざ笑うことは教育ではない。できるように手心を加える。発達をみんなで作る。→これすてきだ! 赤ちゃんが大人の会話に加わって喃語を話せば、大人はその赤ちゃんと「美味しいね」「そうだね!」などと会話している。
赤ちゃんがつかまり立ちして歩けば「歩いた、歩いた」と言って皆で喜ぶ。「歩いたことにしているだけだ」とは決して言わない。
これらはzpdである。そのzpdをまわりから支えることで子供は発達する。
【レイブとウェンガー】
「状況に埋め込まれた学習」
学習は頭の中の獲得ではない。
学習とは参加である。

2012-06-18

エデュネット勉強会

青山学院大学で開催された「第三回エデュネット勉強会」に参加した。今回の講師は青山学院大学教授の佐伯胖先生(東京大学名誉教授)で,認知心理学の立場から『博物館とは何か~原初的対話世界を取り戻す~』という題目でご講演をいただいた。

今回の講演内容は,博物館や美術館などの役割,「もの」との対話などについて佐伯先生のお話を伺うという趣旨で企画された。

以下,講演中に取ったメモから。
*********************************

博物館・美術館:保存する役割と人に出会わせる役割
人類の思考は絵を通じて行われてきた。考えることの媒体は絵だった。
アルタミラの洞窟の壁画:約18000年前に描かれ、その4000~5000年後に描き加えられた。
ラスコーの壁画:約15000年前に描かれた。遠近法が使われている。
日経新聞22年2月19日、素晴らしい絵を書く子供が、言葉を話すようになると稚拙な絵を描くようになる。という記事があった。
ショーヴェ洞窟の壁画:アルタミラ,ショーべよりさらに古く,約30000万年前の巨大な壁画。人類は文字以前にそれだけ長い時間絵と付き合っていた。
牛のような絵、足が8本あり,走っている姿をを表している。
本来獰猛な動物が優しい表情で表されている。
フクロウの絵が入り口に向かって挨拶するように。スピリチュアルな場所なのか?

人類の文字らしきものは紀元前3000年から。これに対し,数万年前から歌もあったようだ。
文字や数字で考えるようになるまで、人類は絵を媒介として思考してきた。

文字的思考と絵的思考。
絵:統合から分析へ
文字:分析から統合へ

絵は意味を一義的には固定しない。しかし,視点が定まると見え方が固定される。
rubinの壷
ネッカ-の立方体
嫁と姑
THE CAT
文脈効果

生後10週目、人類は自分の手を結んで開いてじっと見る。『メーヌ・ド・ビランの世界』

コビト論(佐伯胖) わたしはいくつもの「わたし」に分かれて、世の中のありとあらゆる世界に潜入し、その分身としての「わたし」(コビト)が対象世界の制約の中でかぎりなく「活動」し、「体験」し、そのようなコビトの多様な「体験」が統合されたとき、わたしは世界を「納得」する。

コペルニクス革命:人類を地動説から解放したのではなく,太陽から見た天体のパノラマの方がコペルニクスにより大きな満足を与えた。M.ポラニー「個人的知識」論
アインシュタインの相対性理論:私は光の中で光とともに走っている。
『Powers of ten』部分から全体へ,全体から部分へ,さらに細部へ分析的に。視点が変わるともののとらえ方も変わる。

EvaluationとAppreciation
作品の世界に入り込む
まず作品を味わうことが美術館の意義
鑑賞{Appreciation}を重視してほしい。
「包囲型」と「湧き出し型」
日本語は包囲型
→「きのう太郎が次郎を学校で殴ったことを花子は知っている」:統合的

英語は「湧き出し型」
→「Hanako knows that Taro puched Jiro at the school yesterday.」:分析的

多様な視点から観ることによって,そのモノの本質的な制約や境界が次第に内側から見えてくる。

見せる側と見る側の分離
見る側は見せてもらうという受け身にならざるを得ない。
感想を述べさせるーーー視点を固定することにつながる。
「もの」とはーーー何かをアフォードする外界。
私たちが世界と原初的に対話する時、世界がアフォードするものを受け止める。

あらゆるものになってみるということ
物事が真実としてわかるということは?
負の才能、negative capability 何者でもなくいられる力,何者にでもなりうる,半解の知
文科省は「言語活動の充実」→言葉で表現させることを推進しようとしているが,それは怖いことだ。
半解、こうだとも言えるしああとも言えるーーー何だろうなぁーーーという状態。
わからなさのすごさ、半解の知、博物館美術館を学校にしないでいただきたい。

美術館・博物館でやって欲しいこと
参加者に何らかの「変化」を与える。 ○ 視点を変える
○ 証明や周辺環境を変えてみる
○ 「包囲」と「湧き出し」の視点活動を誘導する

やって欲しくないこと
「学校」にしない。「参加者一般」というまなざしを向けない。
○ 知識を注入したり,クイズを解かせたりしないでほしい

「子供にピラミッドを上から見たらどうなる?」と質問すると答えられない。
しかし,「ピラミッドを粘土で作って上から見たところを想像してごらん」というと答えられる。

ものの見方を変えてかかわり方を変えることで,見方が深まる。

赤ちゃんの認識:見ることと触ること→子供たちにとっては同じこと。

真実に迫ることが大切なのであって,エンターテインメントになってはいけない。
歴史をたどってみる。などのとき,要所ごとに知識はあったほうが良いが,あらかじめ用意したのでは本人が自由に「湧き出す」ことはできなくなる。

イタリア,レッジョ・エミリア:子供が「やっている姿」を記録し,それを子供たちと一緒に見る。見せ方の演出。子供は自分がやっていることを鑑賞できる。子供に見る視点を誘発することができる。
子供の中に生まれつつある「良さ」を一緒に味わう。はじめから与えるのでなく,子供がとらえた端緒は始まり。モノとの対話を援助する。

「教えよう」というウラ心を捨てよう。「一緒に味わう」ことに徹しよう。博物館の人も味わい合い,新しく発見する。教えるのでなく自分も楽しむ。それがMuseun Educatorの役割であり,そこに professionality がある。

2012-03-19

写真撮影講座! "学び"の魅力を伝えよう!

NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES主催の「写真撮影講座! "学び"の魅力を伝えよう!」に参加した。

 ワークショップでの学びを,表題のとおり,魅力的に伝えるために,どのように撮影するのかを学ぶワークショップだ。2月7日に東大の中原淳先生のブログで紹介があり,プロ写真家の見木久夫さんの指導を受けられるということで楽しみにしていた。

 東京メトロ八丁堀から徒歩4分の株式会社内田洋行「東京ユビキタス協創広場 CANVAS」を会場として,午前10時から午後5時半過ぎまで行われた。

 同じ場所の別の階では,日本生産性本部と東大中原研究室が主催する「人材育成の未来をACTする」というワークショップが開催されていて,そこへお邪魔して撮影実習する,ワークショップを実地本番で写真撮影するワークショップで,メタワークショップとでも言うのか,とても面白い試みだった。

 (なお,400枚以上の写真を撮影したが,現に行われているワークショップにお邪魔して撮影した写真なのでこのブログへの掲載はしない。)

【中原先生講演】

 1990年代には「ワークショップ」という言葉はあまり使われなかった。最近は一般的になってきたが,内容や参加者同士の相互交渉については注目されても,そのワークショップの様子を外に伝えたり記録に残したりする「技術」についてはあまり議論されてこなかった。

 ワークショップに集って「わかる人だけわかる世界」ではなく,ワークショップで行われている学びの魅力を外へ伝えて「みんながわかって参加できる世界」に広がることが大切である。

 fan研究,fan community research,fandom

 この場で起こっていることを,外に伝える,自分のために残す。


【写真ワーク(見木先生)】

1. 写真の技術概要的な説明

 (1)写真に必要な知識:テクニカル(露出,ピント,ブレ回避)とセンス(構図,タイミング,演出効果)の相乗。

 (2)レンズ(ピント,画角,絞り)とカメラ(シャッター,センサー)
画質と描写力はイコールではない。
 (3)レンズは一生もの,ボディは消耗品。
 (4)ワークショップでは広角が重要。
 (5)絞り:光量だけでなく,被写界深度(ピントの合う範囲)を決める。
 (6)シャッター:動くものを止めて撮れる。
 (7)ワークショップでは1/80秒以下のシャッター速度ではブレることが多い。

2. 実践1

 (1)参加者9名を2グループに分け,1グループが自己紹介などをして写真撮影についてディスカッションしているところを,もうひとつのグループが撮影する。
 (2)撮影した写真を全員の前で投影してリフレクション

3. 実践2
 (1)「人材育成の未来をACTする」ワークショップ会場に移動
 (2)こちらでは,120名くらいの参加者がグループに分かれて名刺交換している。すでに撮影実習は始まっていて,その様子を撮影する。
 (3)基調講演に続いて行われたアイスブレーキングを撮影する。
 (4)さらに会場を移して,中原研究室大学院生による人材育成に関する研究のポスターセッションの様子を,開始前から佳境に入るまで撮影する。
 (5)撮影した写真のリフレクション
 人物だけでなく,会場全体の様子や会場で使われている道具類など,その場を演出している物にも眼を向ける。
 会場が暗ければISO感度を上げる。画質は犠牲になるが,記録のためならば充分。
 ブレた写真は修整できないが,暗さはある程度補正できる。
 「その時その場」しかないので,取り残しのないようにたくさん撮影する。
 動きの一瞬を逃さないために待つ。
 良いアングルを探して動く。
 人のアップは顔が優先。
 スマートホンやコンパクトデジカメなど,いろいろな手段で普段から撮影することは練習になる。
 低い位置からの写真は立体的になるが威圧感も出る
 上からの写真は可愛さ・フレンドリーさが出る
 1枚の中に何もかもを入れようとしない。引き算で撮影する。人と人との関係性を表現する

 ワークショップ記録写真で大切なこと・・・「どんな人たちが,誰と,何を,どんな雰囲気で」

 雰囲気を伝えるモチーフ
 来場する人たち,熱く語る講師,語り合う人と人,書きとめている手元・・・

 人がいるから撮れるショット
 人がいないから撮れるショット

4. 実践3

 (1)東京学芸大学の高尾隆先生による,インプロビゼイション(即興演劇)による組織内教育,チーム作り,コミュニケーション作りに関する講演のあと,実際に即興演劇を行ってインプロを紹介している現場を撮影する。
 (2)リフレクション
 最高の瞬間を撮影する・・・対象を絞る,射程エリアを確保する,瞬間の捕捉
 一人,人と人,人と物
 ハンターとしての嗅覚
 笑顔・集中・手振り

【ワークショップに参加して】
 撮影は,「カメラ」の技術ではなく,「写真」の技術でもなく,「記録」の技術なのだと思った。その点では,日本科学未来館で行われた「ウメサオタダオ展」と関連が深い。もちろん,カメラを使って撮影する以上,カメラと写真の技術をみがくことは前提だが,何を,どのように記録して人に伝えるかが大切なのだと,改めて気付いた。
 今日撮影を行ったワークショップは,次の書籍が参考になる。
高尾隆・中原淳『インプロする組織』三省堂
中原淳・編著『職場学習の探求』日本生産性本部

2012-02-04

ウメサオタダオ展

日本科学未来館にウメサオタダオ展を観に行った。彼の著書は『知的生産の技術』、『モゴール族探検記』、『文明の生態史観』を読んでいる。(ちなみに、息子さんの梅棹エリオ著『熱気球イカロス号』も読んだ)。知的刺激を受けることばかりで、国立民族学博物館へ行ってみたいと思いながら果たせずにいた。
知的生産の技術で紹介されていた京大カードやオープンファイルとその整理棚、縦書きかな文字タイプライター、こざね、スケッチや写真などのレプリカを見て、知の巨人と言われる所以がよくわかった。
『知的生産の技術』が書かれたのは1969年なので今から40年以上前だが、そのあとがきで教科「情報」の新設を次のように予言している。

 『知的生産の技術』岩波新書pp.217-218より引用
「情報の生産、処理、伝達について、基礎的な訓練を、小学校・中学校のころからみっちりとしこんでおくべきである。〜中略〜ここにあげたさまざまな知的生産の技術の教育は、おこなわれるとしたら、どういう科目で行われるのであろうか。国語科の範囲ではあるまい。社会科でもなく、もちろん家庭科でもない。わたしは、やがては「情報科」というような科目をつくって、総合的、集中的な教育をほどこすようになるのではないかとかんがえている。」

本で読んだだけではわからないことが、たくさんのレプリカを見て、感動をともなって理解できた。平成15年、高等学校に氏の予言どおり教科「情報」が新設された。それから10年目になろうとしているが、いまだに「指先スキル」のトレーニングに終始した授業も多い。私も含めて、教員自身が「情報の生産、処理、伝達について、基礎的な訓練を」受けていないことが原因なのだろう。
情報技術の進展にともなって、情報の整理に使う道具は40数年前とは比較できないほど高度になったが、その活用方法はあまり変わっていないのではないだろうか。コンピュータはひとり1台持ったとしても、コンピュータさえあれば情報を整理・活用できるとは限らない。高性能のカメラを持っていて、その複雑な機能を使いこなせても良い作品を写せるとは限らないのと同じだ。

2011-12-17

エデュネット10周年記念勉強会

エデュネット10周年記念勉強会に参加した。
会場 :横浜開港資料館講堂
懇親会:18時~21時 Amazon Club(日本郵船ビルと神奈川県警察本部の間のビルの地下)

 テーマ「学習環境のデザイン」
 講師 有元典文先生(横浜国立大学教育人間科学部 教授)

 コメンテーター 吉岡有文先生(立教大学文学部教育学科 特任准教授)

 エデュネット:本日の勉強会の主催者である、ミュージアム・エデュケーターズ ネットとは、『博物館・美術館などで利用者に直に接する職種にいる方や博物館の学びに関心のある方の情報交換の場』で(開催のお知らせより引用)、180人を超える人が登録しており、「エデュネット」と略称しているらしい。
 エデュネットに参加している人の一部に納得研究会のメンバーが数名いらっしゃるので、そのつながりから私も本日の勉強会に参加させていただいた。

 事前の宿題として、「自分なりの学習・学びの定義」を頭の中で整理してみてほしということだった。
 改めて「学ぶ」とはどういうことか、人はなんのために学ぶのかということを考えると、「教えるとはどういうことか」という問いもセットになって浮かび上がってくる。
 この問いに対しては、今のところ次のようなことを考えているが、なかなかうまくまとまらない。

 何のために学ぶのか:人間としての命を次の世代に継承するため。命の継承だけなら植物や動物もするけれど、人は命の継承だけでは生きていけない。人が人として生きて行くためには学ぶ必要があり、人が学ぶためには教えることが必要だ。

 有元先生の「学習環境のデザイン」研修講座を毎夏受講していて、状況論的学習論に強い興味を持っているので、今日の勉強会は楽しみだった。納得研究会のメンバーも幾人か参加していた。

 本日の勉強会を復習するための参考図書5冊(新しい順に):
  • 茂呂雄二他『社会と文化の心理学 ー ヴィゴツキーに学ぶ』世界思想社,2011年
  • 有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ』北樹出版,2008年
  • 海保博之他『文化心理学』朝倉書店,2008年
  • 加藤浩・有元典文他『認知的道具のデザイン』金子書房,2001年
  • Jean Lave,Etienne Wenger(佐伯胖訳)『状況に埋め込まれた学習――正統的周辺参加』産業図書, 1993


 また、神奈川県教員対象に行われた過去4回の有元先生による学習環境デザイン研修講座の受講記録は、本日のミュージアムエデュケーターを対象とした講義と目的は同じでもアプローチが若干違っていたように思う。
 教員対象の方は、はじめから「授業」を行うことが前提になっていて、「学ぶ動機」から学習環境デザインを考える筋立てになっていた。
 今回は、そもそも学ぶとはどういうことか、知識はどこにあるかということから学習環境デザインを考える筋立てになっていた。
 ほんの少し違う入口から同じ主題を考えるのは、立体的に見えて興味深い。

学習環境デザイン研修講座(2011年8月8日)

学習環境デザイン研修講座(2010年8月9日)

学習環境デザイン研修講座(2009年8月7日)

学習環境デザイン研修講座(2008年8月19日)


 有元先生の講義概要
 学習環境のデザインー状況論的学習論からのアプローチ
 教員養成課程で学校の先生になろうとする学生の教育を担当しているが、学校だけでなくいろいろな学習の場に出向いて、学習がどのように行われているかを調べて歩いている。

【Work1】
 「ミュージアムで学習する」とはどういうことか、「だれが」「いつ」「どこで」「だれに」「なにを」「どうした」の形式で、指定されたtwitterアドレスに投稿する。投稿された各人各様の考えはtwitterのつぶやき一覧に表示され、参加者全員で共有する。
 twitterも使いよう。このようにひとつのテーマについていろいろな人の考え方や「定義」を共有すると、自分が漠然と考えていることをまた別の視点から考えなおしてみることができる。便利なテクノロジーは活用したほうが良い。

状況論的学習論の主な3つの観点
     
  1. 社会的分散認知とアンサンブル
  2.  
  3. 正統的周辺参加と実践のコミュニティ
  4.  
  5. 学習環境のデザイン

【背景】ヴィゴツキーの考え方
 「他人を教育することはできない」・・・園芸家の例え(植物を成長させようとして引っ張っても大きくなるわけではない。育つための環境を整えるだけ。教育も同じ。)

【社会的分散認知】
歴史的、文化的に人は共同作業をしている。
知識は個人の頭の中だけにあるのではなく、いろいろなところに分散している。そして、それら分散している知識を個人が再構成して使っている。
日本では九九で掛け算を覚えるが、この九九という仕組みは社会的な知識だ。
(何回か前の学習環境デザイン研修講座で、「電球ひとつでは明かりは灯らず、発電所・変電所・送電線などのインフラとセットで初めて電球が役に立つ」という例えがあった。)

人間は生まれてきたときにはタブラ・ラサである。
人間は後天的に、人になってゆく。
白紙に色を塗るように。
教育と学習が彼らを人間にする。

【運命の社会文化性】
 学習で知識を身につける意義:種としての学習で人間は「運命」を乗り越えてきた。
 ウガイすると風邪発症が40パーセント低下する。
 →うがいは個人で考えついたことではなく、人間という種としての知恵。・・・知識は個人の頭の中だけにあるのではない。
 自分たちは変われる。これが人間らしさ。みんなで学習するというところが人間らしさ。
 人間の能力とは集合的なもの。
 →ヒト+モノ+コト:これが人間。

【Work2】
乱数を一瞬見せて記憶するワーク
5桁・・・ほとんど全員が記憶できる。
6桁・・・ほとんど全員が記憶できる。
7桁・・・記憶できる人数がやや少なくなる。
8桁・・・記憶できる人数がさらに少なくなる。
9桁・・・約40人の参加者のうち記憶できる人数は10人以下になる。
10桁・・・さらに減る。
11桁・・・ここまで来ると神がかり的?2名くらい記憶していた。
人間の能力の脆弱さ。人間は7±2桁しか覚えられない。
しかも、30秒程度しか覚えていられない。
→短期記憶

長期記憶に転送するためにはリハーサルが必要。
→マジカルナンバー7

人はひとりぼっちではなく、ヒト・モノ・コトのアンサンブルとして認知する
本をどこまで読んだか記憶するためのドッグイヤー(dog ear):本のページの隅を折る知恵は誰が始めたことか?読んだ位置の記憶→個人の外部に記憶させる工夫。
これらの知恵によって、人は頭の中に必要以上にたくさんの記憶をする必要がない。

【コーヒーショップの記憶】
 某コーヒーショップでは何十数種類に及ぶコーヒーのバリエーションがあるが、そのオーダーを店員はほぼ間違いなく伝えて客にコーヒーを提供することができる。
 それは、コーヒーの注文をカップにマークすることで実現している。
→外部記憶の工夫

 同じ事を実験室で記憶だけを用いて再現しようとすると、熟練した店員でも覚え切れない。
大勢で自己紹介すると、真ん中あたりのの人は覚えてもらえない。
ヒトの記憶はヒト・モノ・コトのアンサンブルである。

マルクス:人間の本質は一人一人の個人に内在する抽象物ではない。現実には人間の本質は人間関係の諸関係の総体(アンサンブル)である。

人間の存在は文化とセット:パーソンプラス
人間とは孤立したイキモノではない。
一人の人間は歴史と文化の集合体であって単なる個人ではない。
しかし、社会文化と切り離されると自律できない。
懐中電灯を持っていたって電池がなければ夜道を歩けない。

【道具にデザインされた現実】
携帯がなければ待ち合わせができない。連絡、記録、怪我、掛け算・・・・・
「筆記具」、「薬」「九九という道具」等々、何らかの道具によって我々の現実は成り立っている。
人間は個人を超えた存在、個人の能力や可能性を超えて存在している。
私たちは皆でデザインした世界を生きている。→デザインドリアリティ
私たちは道具に媒介され、世界に新たな意味を与えながら生きている。

【文化は遺伝しない】
個体が獲得したことは遺伝しない。知識・技術は遺伝しない。
カレンダーや自転車が目の前にあっても、使い方、なんに使えるかはわからない。
人工物は継承できるが、どのように使うかということは教育しないと伝わらない。

【正統的周辺参加】
教え込み的教授行為がなくとも、参加という学習がある。正統的周辺参加(LPP:Legitimate Peripheral Participation)
子供がジャグリングやバッティングの練習を無心に行う動画(kidspracticing:youtube)
シルクドソレイユの動画

誰かにあこがれて、誰かになろうとしている:正統的周辺参加
既存の実践コミュニティへの参加としての学習。
当たり前すぎる・なぜ正当かというと、憧れの対象になろうとしているから。
周辺:はじめからそのとおりはできないので、周辺のできることからやる。

知識・技能は参加の副産物である。
知識・技能は参加を保障しない・・・学校。知識や技能を教え込めばやがて使うことがあるだろう。しかし、知識・技術を教えたからといって、必ずしもそれらを使うとは限らない。いつ活用するかもわからない知識・技術を空欄補充的に覚えさせられている。

これに対して、実践への参加はおのずと知識・技能を獲得する。
実例:ヨットスクールの学習は、実践のアリーナでの学習である。海、ヨット、集まる大人たちはみな本物である。ここでは事前の空欄補充的な用語説明はなく、海へ出て、ヨットを操るために必要な知識・技能を、必要なときに必要なだけ指導する。トレイニーはひと通りのことができるようになって港に帰ってくる。

しかし、教室の黒板の向こうには本物はない。

実践のコミュニティへの参加:学校で学ぶのと比較できないくらいの熱心さで学ぶ。
学校の学習との違い:驚くほど多くの人がだいたい習得する、ほとんどそれらしい苦労を伴わないこと、苦労が合っても動機があると乗り越えられる。
暴走族、走り屋の動画・・・彼らはそれらしく見えるようなオートバイの乗り方を身につけてゆく。
誰かのようになりたいという憧れは学習への強い動機となる。
実践への参加によって知識・技能が身について行く。(Designed Reality)

【学習環境デザインの例】
 船の位置決定(自船の位置を天測や物標の方位測定で決めること):実船では熟練者と初学者が6人くらいのチームになって実践する。海図も熟達者のやり方も皆が見えるところにある。
→(分散→教育+エラー回避)オープンツール

 リベリアの仕立て屋:はじめはボタン付けなどの簡単なことから。いきなり裁断はやらせてもらえない。ここでも、熟達者の仕事のやり方は見えていて、初心者は自分がどの工程をやっているのか、自分の仕事の結果が全体のどの位置かがわかる。

 精肉店(孤立):あるスーパーマーケットの精肉パック詰め作業。個々の作業者はお互いの作業が見えないような場所で作業している。ここでは学習になっていない。それぞれの作業を見えなくしているので人が何をやっているか見えない。

 小学校のミシン学習の動画:空欄補充問題になっている。ミシンを実践の道具としてではなく、名称を記憶するための教材として使っている。

「漢字で書くんやで」
→ミシンは上手でも、名称を漢字でかけなければならない。ミシンの価値が分かって、ミシンで何か縫いたくなる前に空欄補充をさせている。

【主体性のあらわれ:どんな個人を開花させたいか】
意図:教えたことが意図どおりに学ばれるとは限らない。
意義:意義あることが意義あると受け止められるとは限らない。例:カリキュラム
知覚:同じものを見て同じものを感じるとは限らない。

動機づけ(motivation)
行動を一定の方向に向けて生起させ、持続させる過程や機能の全般(有斐閣心理学辞典)

内発的動機づけ
賞や罰でなく、学習の場をデザインすることで動機を内発するように仕向ける
主体性のありか
ヒト・モノ・コトのアンサンブルとして

【Work3】
理想の館、展示、展覧会、アクティビティを考える。5-6人のグループになって、理想の博物館・美術館を構想する
グループで相談、ヒトモノ・コト、人的資源、人工物、場のルールや仕組みを工夫することで、来館者の学習をデザインする。

[私のグループの議論]
美術館のガイドをしている。対話型鑑賞、誘導はしない。
リピーターを増やす、美術館・博物館に来る動機をどのように導くか。
知的欲求にどう答えるか。
美術を見て、言葉で伝えることも鑑賞の方法。クリエイティビティにつながる。
言語活動:二次創作ともいえる。
美術館へ行くことは好きだが、絵をどう見たらよいかわからない。ただの平面。しかし、ちょっとしたきっかけで視点が得られると楽しく鑑賞することができる。
語り合う、それは長じた人とは限らない。全くの素人同士でも観る視点は得られる。
人間がインプレッションを得る場ではある。
多角的な視点を得られる:対話型鑑賞。
対話型に工夫を加えるとしたら。
動機が生まれる場。美術館に行くこと自体が動機ではあるけれど、別の目的であっても行くことによって新たな動機が生まれることもある。

[発表1]
 家族連れが来て美術館に来て自由に語れる場を作る。
 お父さんがキーパーソン。エデュケーターが話しかける。
 裸婦について父は子供の前で黙り始めることが多いので。

[発表2]
 フィールドそのまま博物館
 自然公園
 親が子供に連れられてきた。
 自然公園には展示板があって、影に解説員がいる。
 子供が勝手にフィールドを歩く。
 子供が自由に歩いた結果いろいろを見つける。
 掲示板にポストイットなどを貼れる。
 見つけたものが次の人のリソースになる。
 結果、エデュケーターもまた子供の探索から学ぶ。

[発表3]
 ミュージアムは身の回りのものを切り取る場になっている。
 対象を本来ある場所で鑑賞できるようにする。
 街や森の支援付散歩。

[発表4]
 小学校の歴史、展示室なしで食の体験、脱脂粉乳も飲む。これらの体験を通して学ぶ。

[発表5]
 対話型鑑賞、作品をもとにした対話。
 それを二次創作、クリエイティブな活動のリソースとする。
 対話が作品となる。
 ただ鑑賞するのではなく、創造の場となるデザイン。

[発表6]
 野毛山動物園、明日は世界最高齢のらくだの誕生日。
 高齢の動物から生きていることの意味を知る。
 らくだも生きていく意志があるので草を食む。
 家族同士では話ができるが、他の家族とは共有していない。
 他の家族との語らいができる、見たことからの発想を語り合える。
 みなの発見を共有するデザイン。

[発表7]
 メガネ博物館を構想する。
 メガネのあることによる恩恵、メガネの種類などの展示。
 世界が新しく見える。
 既成概念を取り払う。
 そのようなコンセプトを展開したい。
 ワークショップ
  自分の顔にどんなメガネをかけると新たな自分に出会えるか。
  苦手な人にどんなメガネをかけさせれば相手を新たに感じられるか。
  ペアメガネ:ほほを寄せてかける。


表現としての学び:吉岡有文先生
 学びとはコミュニケーションである。
 クロード・シャノン 通信系モデルとしてのコミュニケーション。
 情報をAからBへ伝送することをコミュニケーションという。

 エドワード・リード
 エコロジカルな情報のピックアップとしてのコミュニケーション。

 コミュニケーションの語源、ラテン語コミュニカーレ、共有すること。
 コミュニケーションはコミュニティとコミュニティを結びつけること。
 文化の共有。

 AD氏のCOP(Community Of Practice:実践のコミュニティ)間の活動図。
  人はさまざまな実践のコミュニティに入っている。
 学ぶとは表現することで達成される。
 学びは自分の表現を見つけること、他者とともに生きること。

 佐伯胖「アートの力×子供の力」
  心の理論
  チンパンジーと幼児
   餌の入った箱から餌を取り出すときに棒で箱をたたく手続きをチンパンジーに教える。
   チンパンジーはそのとおり学ぶ。
   しかし、箱を透明にして、棒で箱を叩かなくても餌をとれることがわかるとチンパンジーはその手続きをしなくなる。
   これに対して、人間の幼児は教えられたとおりにしかしない。

   (この例は人間がチンパンジーよりも劣っていると言いたいのではなく、人間の教育可能性を示している。)

  変な算数
   みかんが6個、りんごが4個、かけるといくつになるでしょう?
   というような変な算数の問題にも答えてしまう。
  身体技法としての学び
  根源的能動性と根源的受動性
  エヴァリュエーションとアプリシェーション
  アートというのは、アーティストだけがすることではない。

  コミュニケーションは、表現する(デザインする)ことにより達成される。
  すなわち、学びとは表現することにより達成される。

 学校と博物館の関係
  博物館の展示は表現物
  博物館の職員は表現者→教員もそうあるべき。
  表現物に媒介されて学校と博物館は結びつく。

【質疑応答】
 LPP理論とは?
 →Legitimate Peripheral Participation:正統的周辺参加のこと。

 「分散」と「アンサンブル:集合体」、逆ではないか?
  →ディビジョンオブレイバー、分業、ばらけたものを自分でまとめるから。
  →自分の中にあるものを社会に分かつから。分かつのになぜ分散なのか。確かにそうだ。
  →知識というのは個人の頭の中だけにあるのではなく、いろいろなところに分散して存在している。それが社会的分散。
  →しかし、成り立っているのは個人。社会的に分散した知識をまとめ上げているのは個人。だからアンサンブル。
  →社会から見た私は、分散した知識を使っている。責任を取るのは個人だ。

 学びは個人に帰属しないのであればどう評価・記述したらよいか?
 →成績付けと異なる指標が必要になるように思う。状況論的学習論だと成績がつけにくいと思う。
  →試験は本来授業を行った教員に対する評価のはずだと思っているが、生徒の評価に使われている。
  →学習環境をどのように生かせたか。そういう指標ができたらおもしろい。
  →どれだけいろいろなリソースを活用できるかということを大学院の入試にするとおもしろい。
  →個人に新しい活動がどれだけ生み出せたか。そこが評価になるのではないか。

 個人の活動のデザイン、興味探索記憶応用対話とは?
  →探索しなさいといっても探索しない。
  →ほっておいても何もしないから何かしたくなるような場をデザインするということ。

 参加の度合いの高いハイエンドなエデュケーションプログラムを考えたいが。
  →大学院だと一緒に仕事する。

 暴走族やコスプレイヤーのコミュニティが正統的周辺参加なら、美術館のエデュケーターにとっての正統的周辺参加は?。

 トレーニング中の意欲を保つには?
  →学校で参加までの興味は引き出せる。その次の、定着させるための繰り返し、九九を覚えさせるには?
  →動機あるものは動機あるといっているだけ。LPPでは、動機のない人については語っていない。
  →野球少年は反復練習とは思っていない。上手になりたい一心で、外部からは反復に見えることを一生懸命やっている。
 学校の教員は動機を持たない相手に動機を持たせなければならない。
 (学校という制度があるから生徒は学校に通ってくる。良い点をとるという以上の動機があるか?)

 ミュージアム、学習環境が上手くできていれば動機が生まれる。
 行くこと自体動機がもたらすということもあるが、別の動機でいくこともある。しかし、行った結果繰り返し行きたくなるような動機の導出もできる。

2011-10-22

情報部会研究会(2011年度第3回)

 東京工業大学大岡山キャンパスで2011年度第3回情報部会研究会が開催された。ちょうど工大祭(大学祭)とオープンキャンパスが行われており,入学を目指す高校生の姿も目立った。

講義 「東工大の脳型人工知能が開く近未来-これからネット・スマホ・ロボットはどうなるー 長谷川修准教授
 これまでの「人工知能」はたとえばデジタルカメラの顔認識のように,何百何千ものパターンを記憶させて,それと入力データを照合させるような方法で検索と判断を行わせていた。この方法だと,ロボットは教わったことはできるが教わっていないことはできない。たとえば,コンピュータにとってイヌとネコを区別することは容易ではない。
 東工大で開発された人口脳SOINNは「見て,聞いて,覚えて,考えて,行動する」ことを目指している。基礎概念を教えておいて,見たもの(カメラで写したもの)が何であるか,その概念から類推させる。たとえば,人がたくさんいる学食内をロボットを連れて歩いて学食の中を把握させる。「ここは下膳場所」と教えておくと,ロボット一人で人ごみの中を自律的に下膳場所へ行くようになる。つまり,学習したことを実際の行動の場面に転移させることができる。
 ロボットは工学研究の結集だと思うが,「学習」,「転移」などの教育心理学の用語が出てきて新鮮だった。
 これらの音声認識や画像認識を組み合わせた技術は,たとえば車椅子を自律的に動かす制御にも応用が期待されているという。

スーパーコンピュータTSUBAME2.0の見学
 世界有数の計算速度と省電力を誇るスーパーコンピューターTSUBAMEの見学。
 コンピューターの開発,製造,維持管理には莫大なお金がかかるが,それによって様々なシミュレーションが可能となり,実機による実験にかかる費用を抑えることができるだけでなく,そもそも実機での実験が行えない分野でのシミュレーションも行える。
 そのスーパーコンピュータが,高校の教室1室半くらいの広さのところに納まっているのには驚いた。

研究室見学
 情報系の研究室を見学した。建物のちょっとしたスペースでポスターセッションが行われており,大学院生はもちろん学部生も熱心に研究内容を来場者に説明していた。さながら「辻説法」のような雰囲気だった。「研究発表」といった肩肘の張ったものではなく,それぞれの研究室で行われている研究の紹介で,興味深く説明を聴くことができた。
 学部生の9割くらいが修士課程に進学するとのこと。どの学生も「やらされ事」でなく,自分の研究として取り組んでいることがよくわかった。

 

2011-09-27

第11回航海訓練所研究発表会

 独立行政法人航海訓練所の研究発表会に参加した。今回は第11回だが,運輸省航海訓練所時代の昭和39年に第1回が開催され,それから通算すると今回は第49回となるそうだ。過密な実習訓練と船隊の運航管理を行いながら,大学をはじめとする他の組織との共同研究や独自の研究を精力的に進めていることに敬意を表したい。
 10時から17時まで,練習船における教育訓練に関する研究,船舶運航技術に関する研究,海洋環境保全に関する研究など,計14本の研究発表が行われた。どの研究も,実船での教育実践と練習船隊の運航および管理に基づいているため,ダイナミックで興味ある内容だった。
 本校でも船舶職員養成を行っているため,実習船での教育と船の運航管理を行う上で参考になるものばかりだった。特に,BRM(Bridge Resource Management)とERM(Engine Room Resource Management)に関しては水産高校の実習船でもしっかりと研究を進めなければならないと思った。
発表題目と概要:

発表1. 船陸間マルチメディア通信の効率化に関する調査研究 ~RFIDとテザリングを利用したデータ共有システムの構築~
概要:RFIDを利用して船内の点検記録簿や業務日誌など、従来は紙ベースで行ってきた記録について、IC-TAGを用いて電子化する研究。

発表2. 船陸間マルチメディア通信の効率化に関する調査研究 ~リアルタイム運航データ簡易伝送システムの構築~
概要:練習船の運航データの簡易伝送システムを構築し、船陸間通信による運航管理システムを活用するうえで陸上において練習船の動静を把握できるようにする研究。

海陸一体となって正統的周辺参加が可能ということ。船員の減少、徒弟制度的な技術の伝承機会の減少が問題となっているので、このようなシステムを媒介として船と陸上が一体となり、初任者の学習機会となることが期待できる。

「学習の越境」、このシステムを媒介として越境するということ。どのデータが必要なのかといったやり取りの中で、たとえば「アブログ」に必要なデータは?ということで、通信士、機関士、航海士の間で情報交換を行う中で学習が成立すると考えられる。

発表3. 練習船における効果的なグループワーク演習の取り組みについて
概要:実習生へのカウンセリング手法について、ストレスマネジメントの観点から実習生のグループワークを実施し、ストレスの低減を目指した取り組みの研究。

発表4.ERM(Engineroom Resource Management)に関する基礎研究 ーERM要件と訓練所実習訓練内容の対応ー
概要:IMOマニラ改正によってSTCW条約が機関士の能力要件にERMに関する知識とその実践に求めていることと航海訓練所で行われている実習訓練がどのように対応しているか分析した。

発表5 フィリピン国における乗船訓練への技術協力 ーMAAP練習船OCA号の乗船訓練その3ー
概要:フィリピンの船員養成に対して乗船実習を効果的に行うための協力を行った報告。

発表6. ナレッジバンクを活用した業務効率化に関する研究
概要:機関来歴簿や作業簿などを表計算ソフトウェアで記録しているが,それをナレッジバンクとして、キーワード1画面から検索できるようにする研究。

発表7 船内供食における栄養管理に関する研究
概要:船内供食が乗組員・実習生にとって栄養状態と身体活動量、生活習慣病予防のためにふさわしいかどうかを定量的に研究した。
練習船乗員の中から協力者を募って,提供された食事と摂食量を定量する一方,身体活動量計で消費カロリーを計測記録した。

発表8 船体の防汚方法と水性生物の船体付着状況に関する研究
概要:従来、船体汚損は船速や燃料消費量の面から論じられてきたが、船体に付着した水生生物が越境移動することによる移動先の環境への影響が近年注目されている。水生生物の越境移動について,バラスト水はいろいろな規制がかかってきているが、船体付着については?
北極圏航路ができると越境移動が多くなると危惧する研究者もいる。

発表9 練習船におけるBRM訓練に関する研究
概要:マニラ改正、2012年1月1日より発効(5年の経過措置)をうけて、揚錨・投錨実習においてBRMがどれだけ実施されているかを検証した。
実習したら実習したままでなく、事後のデブリーフィングが重要。

発表10 練習船実習前後における航法の理解度について
概要:青雲丸における実習内容、実習結果および試験の正答率に見られる傾向を調べ、習得傾向に応じた実習方法を検討した。
燃料費の高騰→航海規模の縮小→実習機会の減少
3ヶ月の実習から航法の習得傾向を解明,限られた航海当直時間の中で効果的な訓練方法を検討する。

発表11 ECDIS実習訓練に関する研究 ーCBT(computer Based Traning)の活用ー
概要:航海用電子海図の最新維持について、実機による説明グループ、実機を用いた海図改補見学グループ、CBTによる実習グループで海図改補の実技テストにどのような影響があるかを調べた。

発表12 AISシミュレータを活用した実習訓練に関する研究(その2)
概要:AIS(Automatic Identification System:自動船舶識別装置)に対する仕向港の手動入力について、実習生をグループ分けし、取扱説明グループ、実機操作実習グループ、シミュレータ実習グループの比較をし,効果を調べた。

発表13 リーダーシップ訓練の構築 -Development of Leadership Ability by Sail Training-
概要:STCW条約マニラ改正、船内における明瞭な意思伝達、効果的なリーダーシップの発揮など,ヒューマンエラー事故防止対策としてコミュニケーション能力が資格要件に追加された。操帆実習において、実習生がリーダーシップをどのように発揮できたかを評価した。

発表14 大型帆船の帆走性能に関する研究 -踟ちゅう法(第4法)の特性-
概要 踟ちゅう法第4法については風力4程度の時に自然にタッキングされてしまうと推定されていてあまり行われていない。しかし、状況によっては、第4法が手早くできる場合もあるので、実験によってその特性を確認し,他の1~3法と比較した。

2011-09-23

情報の教材研究

 3年越しで情報の教材を研究しているメンバーと実践の報告・まとめ・共有を行った。これまで,それぞれに情報部会の研究会,情報科教育学会,高等学校情報教育研究会などで発表してきた授業実践を,散逸してしまわないうちにまとめておこうということになった。
 工夫を重ね,研究を重ねて日々実践してきた授業も,そのままにしておけば過去に埋没してしまうが,参照できる形に残しておけば貴重な資料となる。
 夜は例によって懇親会。日本酒がすすみました。

2011-09-14

社会と文化の心理学

 8月に刊行されたばかりの『社会と文化の心理学ーヴィゴツキーに学ぶ』を読んだ。
 世界思想社からの発行で、次の15名の方々が執筆されている(敬称略)。
  • 茂呂雄二:筑波大学
  • 伊藤崇:北海道大学
  • 有元典文:横浜国立大学
  • 朴東燮:新羅大学
  • 田島充士:高知工科大学
  • 鹿嶋桃子:名寄市立大学
  • 香川秀太:大正大学
  • 加藤弘通:静岡大学
  • 青木美和子:札幌国際大学
  • 山崎史郎:熊本学園大学
  • 文野洋:文京学院大学
  • 西口光一:大阪大学
  • 城間祥子:愛媛大学
  • 鈴木栄幸:茨城大学
  • 臼井東:日立製作所

 全体は「社会と文化の心理学」「発達を支援する」「学びを創造する」の三部構成になっていて、15名の執筆者がそれぞれ1章づつを分担してヴィゴツキーのアイデアを活用した研究成果の一部を紹介しており,ヴィゴツキーの心理学がわかりやすく伝わってくる。
 ヴィゴツキーの『心理学の危機~歴史的意味と方法論の研究~』明治図書(復刻版)を持っているが、私には難しくて通しては読み進められず、読めそうなところを拾い読みしてきた。「発達の最近接領域」、「正統的周辺参加」、「媒介の三角形」などの重要な概念についてはなんとかわかってきたつもりだったが、今回「社会と文化の心理学」を読んで、理解を新たにした。
 一度通して読んだだけでは「わかったつもり」で終わってしまいそうなので、今は河野哲也『レポート・論文の書き方入門』(慶應義塾大学出版会)にならって、各パラグラフを1-2行の1文に要約するテキスト批評のような読み方で再読し、理解を深めようとしているところ。
 教育とは、教えるとは、生徒指導とは、学校とは、学習とはなにか。そして、これらを職業としている自分は、教材を考え、授業を組み立て、生徒と日々接するうえで、何を自分の支柱としてゆけば良いのか。そのような想いにひとつの道標を与えてくれる一冊だ。

2011-08-08

学習環境デザイン研修講座

2011年8月8日(月)
 横浜国立大学・神奈川県立総合教育センター連携による「学習環境デザイン研修講座」を今年も受講した。講師は例年通り同学教育人間科学部教授の有元典文先生で,納得研究会では毎回ご一緒させていただいている。
 今回の副題は「子供の学ぶ力を高める授業作り」で,2時間の講義および1時間のワークショップ形式で行われた。参加者はとても多く,小・中・高・養護から25名の現職教員が集まった。

 講座の骨格となるキーワードは「社会的分散認知」と「正統的周辺参加」そしてRISP(Reality,Identity,Significance,Participation)である。

 今日の内容をより深く理解するための5冊(新しい順に):
  1. 茂呂雄二他『社会と文化の心理学 ー ヴィゴツキーに学ぶ』世界思想社,2011年
  2. 有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ』北樹出版,2008年
  3. 海保博之他『文化心理学』朝倉書店,2008年
  4. 加藤浩・有元典文他『認知的道具のデザイン』金子書房,2001年
  5. Jean Lave,Etienne Wenger(佐伯胖訳)『状況に埋め込まれた学習――正統的周辺参加』産業図書, 1993

 学校は学校内の達成のために学習する場ではなく、学校外の生活の質を高めるために学習を行う場である。
(学校の生徒にするためではなく,こどもが社会の中で生活してゆけるようにするために学習を行う場)。
 QOL(Quality Of Life)

 人間は「言葉」という人工物によって新しい知を生み出し共有し、次代に伝える(教育する)ことによって、身体能力の限界を超えて生活できるようになった。暗ければ街灯をともし、場所を示すのに地図を使う。他の動物よりも走る・跳躍する・獲物を捕らえる・夜間に行動するなどの能力が劣るのにここまで生き延びてきたのは、教育と学習による。これらは個人の能力ではなく、集合的である。

 人間の学習の特徴:チンパンジーと人間の子供に対する実験のビデオ視聴
 実験1:からくりのある黒い箱、(1)棒で箱をトントンと叩き、(2)鍵のようなからくりを棒で操作し、(3)はこの真ん中の穴から棒で飴を出す。この教示をチンパンジーと人間の子供に見せる。どちらも教示のとおりに飴を取り出すことができる。
 実験2:実験1と同じだが透明な箱:実験1と同じように教示する。
 チンパンジーは(1)と(2)の手続きを省略して箱の真ん中の穴からやすやすと飴を取り出す。
 人間の子供は(1)と(2)の手続きを忠実に守って飴を取り出す。
 この例は、人間がチンパンジーよりも劣るという意味ではなく、ヒトの学習の特質を示すもの。
 ヒトの学習の特質:模倣的/他律的/服従的
 →人間は教わるのが得意すぎる(人間の子供は教えられることを期待しますが、類人猿は真似することはできても互いに教えあうことはないと多くの研究者は考えています。佐伯 胖:「学校を「学校的」でなくするには」

 ある小学校での「変な文章題実験」,小学校3年生が作った算数の問題
 
      
  • 意味のないかけ算:窓の数と窓の数を掛け算
  •   
  • 非現実的な数値の問題:人間の身長が6mもあるような掛け算
  •   
  • 条件が不足した問題:所要時間がなく速度だけしか与えずに歩いた距離を計算する問題
  •  

 
      
  • テスト群:解答できるはずのない問題を解答してしまったり,問題の不備を指摘できなかったりする割合が高い。
  •   
  • 先生視点を与えた群(この問題は小学生が作ったのでおかしなところがあれば教えて):問題のおかしさを指摘する率がとても高い。
  •  
  テスト群の子供たちの能力が劣るからこの結果になったのではなく、場面のデザインがおかしいからこのような結果になった。学校は「計算をしなさい、掛け算をしなさい」といわれれば、その算数の意味を捨象して「手続き的に」計算ができればよしとしてこなかったか?

 社会的分散認知(アンサンブル)
 犬:リードをつけて散歩するときは、犬はリードの範囲しか歩けない。リードをはずすと犬の走り方をする。水に入れれば初めてでも泳ぐ。車に乗せればずれないようにシートベルトに頭を差し込んだり背もたれと座席で上手にバランスを取る。
 →犬が生得的にもっている行動ではないことでも、社会的・文化的な状況とのセットから行動が生起する。
 人間が頭を使うということはすべからく社会的分散認知である。思考するのに使う言葉は個人が作ったのではなく社会的に成立してきた。「人間は社会的動物である」というのはこういうこと。

 人間の能力の限界:横浜駅の某コーヒー店、1時間に300ものオーダーをほぼ間違いなくさばく。
 研究室でこのコーヒー店のようすを実験:10種類のオーダーを覚えて再現
  頭の記憶だけ・・・最初の1-2個と最後の1-2個だけしか再現できない。
  実際の店と同じようにコーヒーカップにオーダーの種類を記号で記入する→100パーセント再現できる。
  コーヒーショップ・・・社会的分散認知、オーダーを外部装置(コーヒーカップ)に記憶させて人間の記憶力を補う。
  (この記憶テストの再現率を示すバスタブカーブは、機械の初期故障期、安定期,偶発故障期の故障率を示すグラフの曲線にそっくりだった。)

 人間の本質は社会の諸関係の総体(アンサンブル)である・・・マルクス1845/1888

正統的周辺参加(コミュニティへの参加)
 正統的周辺参加=学習 として。イコールとして。組織への参加として。
 学習というのは実践コミュニティへの参加である。知識とか技能は実践共同体に参加することでおのずと身につく。
 頭に知識を注入すると応用できるようになるという誤解。実は逆で、参加することによって知識・技能が見につく。
 基礎が応用に花開くのでなく、応用するから基礎的なことが身につく。
 その実例:横浜市のヨットスクール、子供たちにディンギーを教える市民ヨット教室。
 ほとんど座学しないで教える。用語の説明などしない。その教室の「場」は、手前にアクセスディンギー、奥には本物のヨットがある。
 実習だけのための場ではない。教室の向こうに大人社会の実物がある。実践のアリーナ、実践の中で学ぶ。ヨット用語や理論を教えない。
 4回くらいの実習で一応のことができるようになる。
 基礎→応用でなく、応用がまず先にあってできるようになってゆく。子供たちはお互いをよく見ている。
 「学校」のやり方とはぜんぜん違う。風向きは一定でないから今習ったことが今使える保証はない。

 学校外の学習、コスプレ、暴走族・・・学校よりも熱心に学ぶ。そこには、参加してあの人たちのようになりたいという内発的動機がある。:なりたい者に近づく,なりたい者になるためには自ら学習する。

 隷属的な奴隷のような学習でなく、QOLのある学習。知的好奇心、主体的な学び。
 テストのために学ぶ・・・矮小だ。
 暴走族の学び・・・出前のバイクのように見えるようにはバイクに乗らない。暴走族に見えるようにバイクに乗る、その乗り方を自ら学んでいる。
 内発的動機づけ:その動機が引き起こす活動以外の賞に依存しない動機づけ。賞というのは報酬のこと。

 一時期成人式で大暴れする若者をよく報道した。後輩はその先輩に憧れる。だから翌年に模倣する。テレビで大きく報道するのは後輩たちに動機を与えている。

 外発的動機:シールくれるとか、点数を稼げるということで学習が進むのはよろしいことではない。
 (我が息子が小学校のときの先生で、水道方式で算数を教えていて、問題ができるとパチンコの景品のチョコレートくれる先生がいたのを思い出した。)

 一見チャラチャラしたように見せているミュージシャンだって陰では必死に努力している。脚光を浴びるためには人目に触れないところで血のにじむような努力をしている。内発的動機があるから。
 やる気は教えることではない。やる気はかきたてること。子供を何かに向かわせる。彼らをして彼らが動き出すような場を作る。教育のロマン。教えるのではなく考えさせるのだ。

 授業デザイン:先生の目に見える状況に依存する。いろいろな子供がいて、いろいろな向き不向きがいる。→正規分布(Normal Bell-shaped Curve)の大きく広がった層に向かって授業している。このことを覚えてもらいたい。これが教室の特徴。

 RISPのある授業。
 R:Reality(リアリティ)
 I:Identity(アイデンティティ)
 S:Significance(意義)
 P:Participation(参加)

 Work1 
 3分間でA4の紙1枚でタワーを作るワーク。高さを競う。参加者はみな真剣に取り組んだ。
 リアリティがある。なぜタワーを作るかという意義はないけれど、リアリティがある。「やりなさい」と指示された外発的なものだけれど、高さを競いたいという内発的動機が誘発され、競うことに「参加」した。
 入試でよい点をとりたいというのはリアルではないのか?皆さんはどのように考えるか?点を取りたいことにはリアリティがあるのか?難しい。







 授業の実例1:音楽
 篠笛の授業:笛はあっても先生も吹けないし、吹き方を説明するだけ。生徒が吹いても音が出ない。
 笛はあっても楽器ですらない。竹の筒をフーフー言わせるだけの授業。
 映像も見せなければ、録音も聞かせない。吹ける生徒の見本演奏もない。
 →リアリティがない。「あんなふうに吹いてみたい」という動機を誘発させる工夫がない。

 Work2
 ごみ処理場のワーク。
 学校の裏側にごみ処理場を建設する計画。2-3人で議論し、賛成か反対か、そしてその根拠を発表する。
 これはIdentityに関するワークである。自分のこととして考える。抽象的な課題ではない。どこかの知らない土地のことではない。
 NIMBY(Not in my backyard. そのことの社会的必要性は認めるけれど、俺んちの裏庭には通さないでくれ。イギリスで鉄道を通すときの議論。課題の当事者化。わがままのことでなく、自分ごととしてどう考えるかということ。)、ごみ処分問題は誰でも知っているけれど、自分ごととして考えるための課題設定。


 授業の実例2:保健体育
 グループワークのように班を作らせているが、相談、討議などを行わせていない。→班活動には行動のデザインが必須。
 怪我の様子と種類を結びつけるクイズ、正解に対して1点与える→外発的動機づけ。
 子供が運動会で転んで出血して、そのときに授業で血のことを勉強したこと、赤血球とか白血球を思い出した。→その子供は転んで初めて血液のことを自分ごととして思い出した。

 Work3:理科の学習指導要領から
 「日陰の位置の変化や,日なたと日陰の地面の様子を調べ,太陽と地面の様子との関係についての考えをもつようにする」ことの意義を5つ挙げる。2ー3人で話し合って発表する。



 授業の実例3:現代社会
 鯨の授業、「これ覚えといて」「これ覚えといて」の連発。
 シーシェパードの話題にして議論させればよいのに。それをしない。
 これが大事だと大人は思うけれど、学習者はその意義がわかるのか?

 何を教えるか授業の冒頭で宣言する授業を、2-3回しか見たことがない。
 私語のやまない生徒たちに、「お前たちが困らないようにこの授業をやるんだ」と宣言した先生。

 Work4:音楽の学習指導要領から
 創造的に音楽にかかわり、音楽活動への意欲を高め、音楽経験を生かして生活を明るく潤いのあるものにしている集団を5つ挙げる。5-6人で話し合って発表する。


 授業の実例4:音楽
 先生がピアノに向かい、アベマリアを歌う。
 生徒と技術的な話のあと、本質に集中。
 音楽の授業の向こうがわに文化のにおいのする授業だった。

 授業の実例5:商業科目
 検定試験の準備のために、計算の手続きを徹底して教え込んでいる。

 授業の実例6:英語
 文化が何もない授業。前置詞の位置はどこ?
 教師の本能としてCall and Responceしたいのか?

 このほかいくつかの授業事例。漢字の授業なら、漢字を楽しむ、漢字を愛でるような方向に持っていっても良かったはず。
 RISPが全部そろっているのは、実践集団。学校では全部は無理だろう。どれかひとつは盛り込もう。年に何回かはそのように練り上げて授業しよう。

 動機、能力、主体性は子供の持ち物のように思うけれど、それは教員との関係性から決まってくる。個人の能力は周りとの関係で現れる。学校で問題児でも地域では・・・ということからもわかる。
 人格は個人の中にあるのではなく周囲とのセットがなせること。
 コミュニティへの参加が学習となる。
 個人の能力に頼るのではなく、個人の能力が輝くような場を設定することが教師の役割。そういう授業作りを目指す。

 授業の実例ビデオ:ミシンの例
 黒板には黒板に空欄補充問題が書いてある。
 先生は「布を」とか「はずみ車」などを強調して発話する。その用語を覚えさせたい。そのために板書があり、説明している。
 本当には縫わないで、点線に沿って空縫いする。
 本来RISPが備わったミシンの授業で、用語の説明となっている。

 子供向けのヨットスクールとの対比
 ヨットは用語の説明しない。知識を注入しない。まず実践に参加させてできるようにする。知識は後からついてくる。
 
 Work5:RISPが少なくともひとつ備わった授業を提案する。
  提案1:高校物理、力学的エネルギー保存の法則
  運動エネルギーと位置エネルギー、足したらいつも同じ。
  初速0、位置エネルギーがたくさん、運動エネルギ0
  ジェットコースターの話をする。最高位よりも高いところへは登れない。
  遠心力もわかる。どこが怖いかわかる。結果がわかっていて乗るとおもしろくない。2回目はなにも考えずに乗ると理屈もわかっておもしろい。
  有元先生:教室の中で椅子から飛び降りてもよい。紐を振り回してもおもしろい。レーサーは遠心力がわかってそれを体感する仕事。

  提案2:6年生の家庭科
  1食分の食事を作る。「もうすぐ中学生!安くて栄養たっぷりのお弁当をつくろう!」
  1食分の弁当を作る。買い物学習と合わせて、230円くらいの予算で近くのスーパーで買い物をさせてきて弁当を作らせる。
  栄養士の先生に栄養素の勉強をしたりしながらバランスのよい弁当を作る。
  有元先生:4項目のどこら辺?アイデンティティ、リアリティ、クックパッドへの参加、意義も大きい。

  提案3:中学1年生の分数の足し算。
  1/2 + 1/3 これをどのようにして教えるか。
  りんご半分とりんご3分の1個。これを5人で分けたい。という課題を出す。それぞれを6等分のうちのどれだけかというところに持っていく。
  図解で教える。
  有元先生:分数の通分の意義まで教えられるとおもしろい。ピアジェは日本の算数で通分させているのを見て驚いたという。

  提案4:小学校4年生、ごみの問題。
  理科と社会は実生活に近いので実生活に還元できるような授業を。
  G30、ごみ30パーセント削減。インタビュー、取材などもする。
  エコバッグを使うかどうか、もって行くかどうかという話にする。子供たちは使うべきだという意見が多い。
  以前はエコバッグがアピールされたが今はそれほどでもない。一人一人が実生活に置き換えたときに、これまで勉強してきたことをどのように生かすか。学習の本質にせまる。子供たちに話し合いをさせる。
  有元:オープンエンドなところがよい。(「だからエコバッグを使おうね」というところに誘導しないところ)

  提案5:小学校6年生の理科。
  コンビニ弁当ででんぷんが含まれているものと含まれていないものを考えさせる。弁当の中身ひとつひとつについて、生徒にでんぷんが「ある、ない」で答えさせる。
  でんぷんの実験をする。
  コンビニ弁当のどこにでんぷんがあるか。
   ポテトサラダ
   ウインナーソーセージ
   ちくわの竜田揚げ:コロモが怪しい。
   白身魚のタルタルソース和え
  それでは糊は?ボンドは?セロテープは?
  結論:植物原料はでんぷんが入っている、動物原料はでんぷんが入っていない。
  植物原料には太陽にもらったでんぷんが入っている。
  有元先生:みんながあおられて発言したくなりました。

《 感 想 》
  授業にRISPを。「これ大事だから覚えといて」という授業や、空欄補充のワークシートで進める授業に違和感を持っていた。そのスタイルには、教員が覚えるべきだと思っている用語を、なぜ覚えなければならないか、覚える価値があるかどうかを生徒が考える余地がないからだ。「それがなんの役に立つの?」と生徒に質問されて返事に困ったことがある。この問いに答えられる授業、生徒がそのことを知りたい・できるようになりたいという動機を持てるように授業をデザインすることが教員の仕事だと理解できた。


2010-12-21

教育デザインフォーラム

 横浜国立大学大学院教育学研究科で開催された「第4回教育デザインフォーラム」に参加した。同研究科改組の経緯と、具体的にどのような教育と研究を行おうとしているのか、核となっている『教育デザイン』および『教育インターン』に関する研究報告と質疑応答が行われた。
1. 全体像 小野康男先生
2. 教育デザイン 三宅晶子先生
3. 教育インターン 有元典文先生
4. 評価 小川昌文先生
 フォーラムから読みとったことは、「理論的な研究を実践の場に還元すること」、そして「現場での実践を研究に結びつけること」を両輪として教育・研究にとりくむという、強いメッセージだ。

 小・中・高の教育現場は毎日の雑多なことに追われているが、それは大学でも同じこと。教材開発や科目開発は教員にとって最も重要な仕事で、「授業をデザインする」、「教育をデザインする」という視点から、大学等の研究機関と連携することはお互いに有益なことだと思う。