2010-06-28

佐世保が空襲を受けた日

 昭和20年6月28日夕刻から29日未明にかけて、佐世保はアメリカ軍の空襲を受けた。父はそのころ海軍施設部勤務で佐世保在住、結婚したばかりだった。
 そのときのことを父は後年になって100年日記に次のように記している。
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約二ヶ月新所帯の後、6月29日焼夷弾攻撃(モロトフのパンカゴ及び油脂)で借家全焼。防空ゴーの行李・トランクのみを残し全てを失ふ。
S-15年後半から20年6月までのほとんどの手紙、写真、アルバム、衣類、私の第一種軍装、軍刀、父にもらったウォールサムの懐中時計など深い思い出の物を失ったのは残念なことである。
空襲当夜は蚊帳を吊り寝込みを襲われガケ下の横穴防空壕は満員で墓場に一時避難、その後山の頂上付近の一軒家の縁側で一夜を明かす。下界に広がる全市は火の海だった。
焼け跡の火の残って居る佐世保からリュック、モンペの○子を連れて帰国の途へ。空襲を避けながら汽車の乗り継ぎで山陰線に入り途中駅で停車の時ハンゴウで飯焚き中発車の合図で吹き出した飯も其のままに乗り込み、水害で鉄橋流出箇所は徒歩で渡って乗り継ぎ、浜田で一泊。松江で野津泊まりの上帰国する。
○子を疎開に連れ帰り佐世保へ出発する時、時計を失った私は時計を一個貰いたいといって、祖父の古い懐中時計夜光文字盤のを持って出かけた早朝、父は自転車で追いかけて来てチソットの腕時計を渡してくれた。此の時計は48/10/14日本堂へ修理に出したが直らなかった。
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 両親とも島根県出身だが、父は郷里へ帰ることをしばしば「帰国」と書いた。
 この空襲の時のことについて、数年前に母に聞いた話。
 佐世保の借家は坂の途中にあった。母は町内で一番若く、連絡係の役目だった。それで、役目を果たすために状況を報告しに行かなければならなかったが、父はそれを制して母の手をとり、山の上の方へ上の方へ逃げたそうだ。
 私が母に、逃げたのは玄関を出て右か左かと訊いたら、「左は坂の下の方。右に逃げた」と。
 母が役目通りに坂の下の方へ連絡しに行っていたら、両親とも助からなかっただろう。防空壕に空席があった場合にも。
 父が亡くなったときに、母からこの時計をもらい受け、時計修理専門の店に出したら修理できた。祖父と父の形見として今も毎朝ゼンマイを巻いている。

2010-06-27

情報料教育学会

日本情報料教育学会第3回全国大会が日本大学文理学部で開催された。
Wasonの4枚カード問題を「表現と内容の理解」や、論理的な思考の学習にアレンジして教材化し、実践したことを報告した。
教育実習の大学生も誘って見に来てもらった。教材開発・実践・まとめ・発表という一連の活動の一端を見て、何がしかの参考になればと思う。
研究発表のあと、平成25年度から新しい学習指導要領で実施される科目のひとつである「情報の科学」に関するパネルディスカッションがあった。情報料への期待は大きいが、必履修は2単位なので教員定数の面から期待に応える運営をするには厳しいものがありそうだ。

2010-06-26

羊蹄丸「飾り毛布実演」

 船の科学館に併設展示されている羊蹄丸で「飾り毛布の実演」を見に行った。


羊蹄丸のプロペラ



青函連絡船で事務部乗組員として乗船していたY氏が休日にボランティアとして説明と演示をしている。3月の海洋教室フォーラム、先日の氷川丸でご一緒して以来、すっかり打ち解けた。
30分ほどの短いイベントなのだが、その妙技に目を奪われる。
毎月第4土曜日の14時30分から行われている。また来て、折り方の手順を書き起こせるようにしたい。

スハフ44

船内を見学すると、元は鉄道の貨車を積んでいた車両甲板が展示スペースになっている。映画会社が作ったという、昭和30年12月15日の青森港の様子、市場、待合室、客車スハフ44など、昭和の香りを満喫できる。
帰り道、有明の航海訓練所専用岸壁に練習船大成丸が停泊していた。船齢29年。蒸気タービンを主機とする、今では希少な船である。

 1981年の就航時に三席三等機関士として1年間、1987年に次席二等機関士として1年間乗船していた。当時はメインボイラを担当し、意気に感じていたものだ。

2010-06-23

課題研究の3題

課題研究で生徒が取り組んでいるテーマ。


ヒレ推進船


テルミン


花毛布


4月に始まった3年次生の「課題研究」は,ようやく前に進み始めた。夏休み前までに見通しをつけて,秋には中間発表,年末には成果の発表ができるようにしたい。

2010-06-22

実習船安着

 6月21日に実習船湘南丸が三崎港に帰ってきた。



 入国手続と税関の検査を終え、実習生は久々に日本の地を踏んだ。彼らにとって初の長期航海は、厳しいことも多かったが楽しい思い出もたくさんできたことと思う。
 今日は漁獲物(マグロ)を市場に水揚げする作業を見学したそうだ。実習生がひとり学校に立ち寄り、皆でお小遣いを出しあって買った土産を代表して届けてくれた。生徒の心遣いがとても嬉しい。

2010-06-21

教育実習始まる

 本日から二週間の教育実習が始まり,3名の大学生が着任した。私もそのうちの1名の教科指導を担当する。日々の授業で生徒と接することから教師が学ぶことは多いと実感してきたが,ある人の助言から,教育実習を担当して実習生から学ぶことも多いはずだと気付いた。そういうことを意識することで,実習を指導する立場から私も学びたい。「何を学んだか」が私に与えられた宿題になっている。
 今日はまず自分の授業をビデオ撮影し,自分がどんな授業をしているのかチェックした。人を指導する前に自分を指導しなければ・・・と,反省することが多かった。

2010-06-19

第3回納得研究会(2010)

 青雲丸(独立行政法人航海訓練所練習船)を会場として,2010年第3回の納得研究会が開催された。本船は航海訓練所所有の練習船では最大出力(馬力でいうと10500PS)を誇る。練習船では初めて階段教室を採用し,スポーツドームも備える。日本の実習生(東京海洋大学海洋工学部,神戸大学海事科学部,商船高等専門学校,海技大学校,海上技術短期大学校,海上技術学校)のほか,フィリピンやインドネシアからの実習生の教育も行っている。


練習船青雲丸


青雲丸の予備アンカー,3685キログラム


船橋のウイングにあるコンパス,むこうにレインボーブリッジが見える


研究会と船内見学を終えて


 まず船長から、乗船中の安全上の注意についての説明があった。停泊しているとはいえ,水に浮いている船なので,万が一の事故に備えてのこと。
火災の場合には長音5声,沈没しそうなときには短音7声長音1声の非常ベルが吹鳴するので,その場合には乗組員の指示に従って行動する。

報告1 青山学院大学大学院 吉岡さん(元都立高校情報科・理科教員)
 実践のコミュニティ(Communities of Practice)の視点から教員の職階制について考察した論文(「認知科学との協働による学校教育のイノベーション」「学校教育のイノベーション再考」,ともに認知科学会論文集 VOL.16-NO.3,VOL17-NO.2)の解説
 教員組織に職階制が導入され,学校が「なべぶた組織(校長ー教頭ー教諭)」から「官僚的組織(校長ー副校長ー主幹教諭ー主任教諭ー教諭)」に変わったことについて考察した。
 教員を官僚的なトップダウン的な組織に置くことは「教育行政の実践のコミュニティと学校現場の実践のコミュニティを断絶」させることになるという考え方。
 職階制(社長ー重役ー部長ー課長ー係長ー主任)は企業では当たり前で,それが学校にそぐわないとなぜ言えるのか?という質問に対する回答をまとめた論文である。
 そういう疑問は当然で,軍隊や会社、一部の物理学者のコミュニティも、トップダウンだから、それを全否定するわけではないが、 Lave & Wenger の「正統的周辺参加論(LPP)」や Etienne Wenger の「実践のコミュニティ(COP)」に基づいて,)教員組織にはなじまないと主張した。
 学校の中にはいろいろな組織がある。教科ごと、学年ごとなど。それらのコミュニティを横断することが大切である。職階制のひとつの理由は教員の育成が問題から。昔は、経験豊かな教員の姿を見て、その人の手ほどきを受けて・・・というぐあいに教員としてのキャリアを積んできた。教科についても同じ。職階制はこれらの教員文化を壊すのではないかと思っている。

参加者からのコメントと応答など。
 :製造業との対比,製造業は仕事の成果がわかりやすい数値となって現れる。今日の仕事があしたの成果となる。しかし,教育は成果が見えにくい。教員に自己目標を立てさせ,年度末にその成果をまとめさせるような,会社組織の業務形態を教員組織に持ち込むと,「検定試験の合格率向上」「大学に何人合格させる」といった数値目標を掲げることになる。そういった一連のことと関連しているから教員組織への職階制はなじまないという論には賛成できる。
 :今のことは,心情的にはわかるが教員組織が会社組織とは異なっていなければならないことの証明にならないのではないか?
 :教授論では内容と方法,系統性と順序性,学習論は生徒の側から。保護者は先生ならみな教えられると思っている。教えてもテストの結果にすぐには現れない。二項対立でもって教育は語りきれない。生徒と一緒に歩むことによって理解が進むのだと思う。実践性が必要。理科の知識を教えるのではなくて理科の実践をする。デューイの生活中心カリキュラムとブルーナ学問中心カリキュラム。官僚的な教員組織では,学ぶ共同体がないのでそれらがつぶれてしまう。
 :認知的徒弟性には,質の差がある。いい親方につくと良い結果が、悪い親方につくとだめと言うあたりはずれがあるからではないか。
 :官僚制にすれば管理しやすいということか。だからトップダウン組織にしようかという発想が出てきたのか。
 :ヒーローがいればいいということになってしまう。
 :企業にいたときに経営規格部にいたことがある。社員に提案すると言う業務、研修業務を行っていた。博物館の展示を作る、教育プログラムを作ると言う組織。社員は全員プロデューサーとしての役割がある。社長、副社長、部長・・・という組織であったのは当たり前。 プロジェクトは社員が組織するが、トップダウンとの二重構造だった。一番下の人の提案がトップに行くこともある。プロデューサーとファシリテーターがいる。その二人のセット、会社なら営業もセットになる。その3人で物事を進めていく。ファシリテーターにかなりの能力がないとできない。
 :物理学者の大きなプロジェクタにはそれがある。そこのコーディネーターがまとめる。
 :修学旅行ならばその責任者がリーダーになる。教員にも階層はあるが、職階制ではなかった。
 :製造業に勤めているが、階層構造があって、管理する立場と管理される立場がある。その他にコミュニティがありうるのではないか。管理しやすさのために。たとえばデザインする人が300人いる。その人はデザインを描く。製造業とも違う。階層構造はある。新人には親分がいる、中堅層。年齢とは違うところで。先生の質が下がったからこの構造になったからならば、先生の質を上げる方策をとればよいのではないか。こういう体制になれば先生の質が上がるとも思われない。
 :「先生の質が悪くなった」というのは教育委員会が言ったことなので。先生と言うのは長いスパンで評価されるべきだ。東大に何人も入れた先生はえらくてそうでない先生は無能なのか。
 :問題の根本は、「先生の質を上げろ」という議論があるとき、そんな必要はないという開き直りが必要なのではないか。旧体制と新しい体制、その下には常に生徒がいる。生徒の立場からは、先生のことなんてたいして期待していない。巻き込まれて管理体制に組み込まれてゆく。
 :「先生の質なんか関係ないと」いうのはかなり良い諦観だ。我々はマクドナルドではない。
 以上のように議論百出であった。

報告2
「練習船実習における教授学習過程 -認知的道具の役割と分析-」
独立行政法人航海訓練所 青雲丸船長 熊田、二等通信士 坂
 練習船実習の概要、および実習の役割について報告する。
(1)熊田船長より船員の教育訓練の紹介
航海訓練所、練習船5隻 帆船2、ディーゼル2、タービン1
我々が主に教えている学生は商船に乗る。彼らの仕事をビデオで紹介。
NYK(日本郵船)の自動車専用船を舞台にした「海の上のプロフェッショナル」というビデオ上映。北海道から東京湾までの航海。霧の中の航海、船乗りが最も嫌う。霧の中を前方に横切り船。ステアリングを自動から手動に切り替える。機関部、機関のスタンバイ・・・霧の中ので前方の横切り線を避航するための緊迫感ある映像。このような経験をひとつひとつ積んで,新任の三等航海士は一人前に育ってゆく。
 日本人船員に求められるもの。
 外航船員 国際感覚を持ち,外国人船員とも意思疎通ができる。
 内航船員 即戦力としての基礎的な技術、技能を持ち、年齢層の広い乗組員に対応できる。
 航海訓練所では,日本の商船系統の学生の他に、フィリピン、インドネシアなどの実習生の訓練もおこなう。
 帆船実習:判断力、注意力、協調性などを共同作業を通じて育成してゆく。
 汽船実習:商戦で実際に行われている場面に近い実習を行う。
 海技教育:生活の場と仕事の場が常に一緒、長期間同じメンバーで過ごす。
 操船実習と操機実習、ピストン抜き実習・・・計画立案も実習生におこなわせる。
 海技とは・・・船舶職員として必要な技術。
 この技術は単に船を動かすための技術にとどまらず、海で生活をしていくすべについても身につけることが必要となる。教官や上司から教えられるものに加えて、自然環境から教えられることも多い。
 SeamanShip:本来は運用術なのだが、日本の「シーマンシップ」のような意味合いで外国でもこの言葉をつかうようになってきた。
 「スマートで、目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」
 三頭航海士時代、船乗りは口八丁手八丁でないとだめだと言われた。いろいろなことを同時にこなすということ。
 基本となるもの(責任感と積極性)
 運航技術上特に必要なもの(注意力と判断力)
 船内生活などで必要なもの(協調性と規律)
 3Kと言われるが次のように言い直している。
  きけん→  きれない
  きつい→  くじけない
  いたない→ こわれない

(2)坂二等通信士より「認知的道具の役割」として,船橋での実習をビデオ撮影し,その分析についての報告。
 「一般商船で帆船を使っていないのに、なぜ帆船実習が必要なのかという質問が一番多い」。負けじ魂だ、気合と根性だといってしまえばすむが、それだけではない。その質問に理論的に答えたくて研究を始めた。
 実際に乗る船は、一般商船。その職場で必要となる資質能力を育成しなければならない。
 帆船を道具に実習することがベターだという答えを出したかったのだが、活動場面を絞って研究し,実習生がどのような学びをしているのかということを考察した。
 練習船自体が道具である。教室、エンジン、航海をおこなうための設備すべてが教材であり、道具である。それらを使いこなせるようになることだけが練習船教育なのか。練習船にある道具は他にも学習機会を与えているのではないかと思った。
 ビゴツキーの「媒介の三角形」,八ッチンスの共同作業の研究・・・これは海軍。
 練習船独特の環境があるので独自性ある研究ができると思った。
 操船場所、海図室、見張りの場所。
 ビデオカメラを構えて実習生を撮影する。

例1 津軽海峡で(新潟から函館への航海)
 潮流に流されているから、それを回避する操船をしなさいという課題。船橋での航海士と実習生の会話分析。
 「どうだポジションは?」という発話だけで、本来いなければならないところからどれだけずれているかという質問だと理解している。
 実際にいなければならないポジションからずれているのでコースを修正しなければならないが,実習生は始めににコースの変更を「21度」と答える。すると一等航海士は「21度?だったら切りのいい」と発言する。それを受けて実習生は「20度」と答える。
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 ここには,コースを指示する航海士役の実習生(これを副直という),その指示に従って舵を操作する操舵手(これも実習生に行わせる)がコンパスを見るときの数字の刻みの見やすさ(20度,25度などは見やすくなっているがその間の細かい刻みは数字が書いていなくて見にくい)に対する配慮があり,この短いやり取りだけで副直は一等航海士がそのことを指摘しているのだと理解している。
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例2 入港の操船で,船長と実習生,次席一等航海士,次席三等航海士の会話分析。
 船長が命令を出すと必ず航海士は復唱し,復唱が正しければインターホンやテレグラフ(エンジンの出力を機関室に指示する装置)によって船長の命令が伝えられる。
 副直の実習生がその命令を間違えて,前進の指示を受けているのにテレグラフを後進に操作すると,すかさず次席三等航海士がテレグラフの操作をやり直す。
 次の場面では,船長が「スロー アスターン ツー」と命令したのに対して次席三等航海士が「スロー アスターン ツー」と復唱する。
船長は「デッドスローアスターン ツー」と命令を訂正する。
副直の実習生が「スローアスターン ツー」と訂正前の命令を復唱する。
次席三等航海士は「デッドスローアスターン ツー」と訂正後の命令を発声する。
副直は「デッドスローアスターン ツー」と訂正後の命令を復唱してテレグラフを操作する。
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 復唱・・・操作の調整機能もある。(正しいことの確認だけでなく)。
 完全なOJTでもなく完全な学校でもないのが練習船。
 教官も実習生とかかわりながら学習しているのではないかと思った。
 実際の出入港操船でオーダーを出せるのは船長だけ。ならば船長になるまでオーダーを出せないかと言うと、航海士は復唱することを通してオーダーを出す練習をしていく。
 船内では教官と呼ばせずに、職名で呼ばせる。それぞれの職に役割があるから。
 船会社は、実際の船は少人数で動かしているのだから、少人数教育がいいに違いないと言うが、教育効果としてはある程度のグループサイズのほうが効果があると考えている。
 例2では,船長のオーダーを間違えた実習生は次席三等航海士に操作を取られてしまうが,それは残りの19名が見ている中でおこなわれている。

商船乗りは海を道路と思う
漁船乗りは海を畑だと思う
プレジャーボートの人は海をグランド、ゲレンデだと思う。

参加者からのコメントと応答など。
 :アマチュアだとレベルにバラ付があるので、夜にはベテランがワッチを取るなどがあるが、プロの場合には階級で組めばよいのか?
船長: ある。船で難しいのは朝晩。日出時と夕暮時は船が見難いので、ベテランを。8-0は経験の浅い航海士を。ただし、霧が深いときなどには船長や一等航海士が臨時に(下位の航海士の当直に一緒に)入ったりする。
 :学生を教えるに当たって、以前と方法が違うことがあったりするのか?時代が変わって。
船長:国際的になってきた。我々が学生のときは日本人船員だけだった。15年位前から外国人が乗るようになって来た。今はひとつの船に二人くらいしか日本人が乗っていない場合もある。学生の本質は変わっていないと思う。
 :今の商船は、専属の通信士は乗っていない。誰がするかというと航海士がしている。自分が入所したころは、通信士が乗っている最後の頃であった。
 :使える英語になるのに,勉強の得て不得手が関係あるのか?
 :実習では使える英語にはならない。彼らが、実際の船に乗って、責任を担うようになってから使えるようになっている。
 :フィリピンの学生は英語がとても上手い。それなりに会話はできている。英語の能力が上がったからというより、フィリピンの学生が、日本の学生とコミュニケーションを取れるようにしてくれている。言い方が通じないと、何度でも言い方を変えたり、質問の視点を変えたりしてくれている。
 :晴海のマリナーズコートの2回に展示室があったが、それのプロデュースをした。近代化船が増えている時代だった。昔と近代化船になってからでは実習方法にも違いがあるのだなと思う。天測も、GPSがあるからいざと言うときに必要なのかもしれない。帆船を使う意味を教えてほしい。
 :天測実習にかける時間は、昔の三分の一くらい。国際会議では天測不要論も出た。それに対してアメリカ日本イギリスは必要と言った。北欧系は不要と言った。非常事態に必要だから。
 帆船実習は航海時間が短くなった。以前は3ヶ月の航海をしたが、最近は短くなっている。私は帆船は長く乗らないとわからないと思う。風に逆らってはいけないなと言うことを実感した。風を利用するという考え方。
 :機関室の実習風景とずいぶん違うと思った。機関科の実習では,機関の準備(ウォーミングアップ)と機関終了後の操作(クーリングダウン)のときに,先ほどの例のような場面がある。実習生に指揮を取らせる。それは,やり直しをする余地のある場面だから。たとえば,発電機が停止して停電してしまったような場合の実習では,安全な海域で,そのような場面を人為的に設定して,その上で行わないと危険だ。その点で,出入港や避航操船,コースの訂正などの場合の船橋の実習と機関室の実習ではずいぶん違うのだなと思った。
 :機関室でもビデオ取りしようと思ったが,機械の音が入ってしまって,会話分析ができなかった。

 その後船内見学。実習生居住区の通路から機関室が見えるようになっているところ,すばらしい。また,ギャレーと実習生食堂,士官食堂,乗組員食堂を至近に配置しているのは合理的だと思った。
 見学者から「船は距離の単位になぜマイルを使うのか」という質問があった。これは地球の経度を基準にしているからという答えだったのだが,「でも,入港の場面ではメートルで指示していたのはなぜ」という再質問。これに対して,海図の上ではマイル,岸壁が近かったり眼で見える範囲などではメートルを使うようですとの通信士の答えだった。この再質問は面白かった。
 また,六分儀の説明では,船長から星と星座の説明があったが,これはとてもロマンのある話。機関士だった私は10分の何ミリみたいな話ばかりで星の話ができないのは残念だ。改めて勉強しようか?と思ってしまう。
 久々に練習船と海の空気を吸って,自分が機関士だった頃のことに思いを馳せた。士官居住区の名札に懐かしい名前を見つけたが,みな「三本線」以上になっている。歳月の隔たりを感じた。


 研究会のあとは懇親会,懇親会二次会で仕上げ。
 充実した1日だった。

2010-06-15

三級海技士(機関)の模擬試験

 今週は午前中授業で午後は本科1〜2年次生の履修指導、3年次生の進路に関する面談をおこなっている。しかし、私が担任をしている専攻科の水産工学科生は7月に三級海技士(機関)の国家試験を受験するため、勉強する時間を確保したい。
 そこで、5月にもおこなったのだが、模擬試験を行っている。前回は過去問題集の狭い範囲を指定したが、今回は範囲を広げて実施した。
 5月15日(土)   模擬試験1回目
 5月31日〜6月4日 中間試験
 6月15日〜17日  模擬試験2回目
 こんな具合に緊張感を維持して、国家試験の勉強を進めている。8月から乗船配置となるので、それまでに自分で勉強するコツを身につけてほしいと願ってのこと。何とか三級海技士の筆記試験に合格してほしい。

2010-06-14

ハワイからの便り

 乗船実習中の生徒が寄港地のホノルルから手紙をくれた。封筒にはメモ用紙ひとり1枚ずつ、6枚の手紙が入っていた。出航前に撮影した写真をホノルルまで送ったことと、缶入りのドロップを差し入れしておいたことに対する礼状だった。



 みな元気で外地での上陸を楽しんでいる様子が伝わってきた。生徒からこのような手紙を受け取るのは、遠洋航海実習をおこなう学校ならではのこと。
 手紙と写真を封筒に入れて、切手を貼って送るという普通のことが、送ったほうと受け取ったほうの両方で、E−Mailでは味わえないよろこびを分かつことができる。
 7月には彼らの「みやげ話」をたくさん聞くことができることだろう。元気な帰国を待っている。

2010-06-12

飾り毛布折り方教室

 課題研究で花毛布を研究している生徒と、氷川丸で開催された「飾り毛布折り方教室」に参加した。9時50分に桜木町で待ち合わせ。
 まず私にとって懐かしの日本丸へ。土日は高校生無料。おとな600円。ここでは船長室はじめ各士官室に展示されている花毛布を撮影できた。私が使っていた部屋は見学順路外なので見られず、残念。


日本丸建造80周年を表す「傘寿」の文字がフォアマストに見える。


日本丸士官室の花毛布

 次いで日本郵船歴史博物館へ移動し、あらかじめお願いしてあったので学芸員から花毛布や戦前の豪華客船の説明をしていただくことができた。また図書室で見つけた資料も1枚20円でコピーしてもらえた。この博物館と氷川丸は共通の入場券になっていて、高校生200円、おとな300円。これは安い。ここでは日本海運の現状に関するパンフレットもいただけた。
 午後は氷川丸へ移動し、はじめに一般の見学順路をまわる。


山下公園から氷川丸を臨む


一等客室、一等特別室の花毛布を撮影した。


 機関室では,現在はもう見ることのない「4サイクル複動式ディーゼル機関」を見て感激した。特に下部燃焼室の弁機構を撮影できたのは大きな収穫だった。
 この時代のディーゼルエンジンは,ターボチャージャー(過給機)が装備されていないので,限られたシリンダ径とストロークの範囲で単動式の約2倍の出力を出せる複動式であること,また,燃料噴射を高圧で燃焼室に噴射するための空気圧縮機を備えていることが大きな特徴で,氷川丸の機関室ではその両者とも見ることができる。


ディーゼル機関のカム装置


複動ディーゼル機関の下部弁装置

 14時から2時間たっぷりの「飾り毛布折り方教室」では、かつて氷川丸に乗船していた元乗組員の方から直接指導を受けた。写真や図解だけだと細かいところがよくわからない場合があるが、今日はちょっとしたコツも学び取ることができた。毛布に織り込まれた「NYK LINE」の文字が見えるように花毛布を折ることに成功。これには講師の元乗組員の方からもお褒めの言葉を戴けた。


折り紙を折るように


NYK LINE の文字が見える


 この催しは,氷川丸の一般見学コースではなく,貨物を積むための「ホールド」をきれいに整備した場所で行われた。氷川丸は元貨客船で,乗客定員は289名,ホールドは客室区画の前後に6つあり,載貨重量は10,436トンだった。