2015年第1回納得研究会に参加した。
日時:2月22日午後2時~5時
会場:立教大学
26名参加
◯報告1:「Brunerと意味の行為の照準」横山草介さん(青山学院大学大学院)
ブルーナーがその著書『Acts of meaning』(Bruner, 1990)において論じたのは「行為の意味(meaning of acts)」への探求ではなく、「意味の行為(acts of meaning)」への探求である。
Narrative Psychologyの学的潮流において「行為の意味」への探求といえば、それは、ある「行為」に文脈を付与する(em-plotting)ことによって、つまりは、物語化(en-storying)することによって、当該の行為の「意味」を把捉可能にすることを含意している。
Bruner(1986, 1990)は、疑いなく、こうした潮流のパイオニアに位置づけられてきた。そして、彼の著書『Acts of meaning』もまた、上の含意において「行為の意味(meaning of acts)」への探求を推し進める心理学の宣言書として位置づけられてきた。
だがしかし、著書の標題に明らかなように、Brunerが同著をして論じたのは「行為の意味(meaning of acts)」への探求ではなく、「意味の行為(acts of meaning)」への探求であった。我々は、今日のNarrative Psychologyの発展を主唱する多くの論者が、専ら「行為の意味(meaning of acts)」への探求に傾倒し、「意味の行為(acts of meaning)」への探求に関心を向けていないと考えている。
従って我々は今一度Brunerの『Acts of meaning』を「行為の意味論」としてではなく、「意味の行為論」として読み直す必要がある。
◯報告2:「協働で授業づくりをする学校風土:小田原市立泉中学校の実践報告」
伊藤由紀(小田原市立泉中学校)・有元典文(横浜国大教育人間科学部)
(1) 概要
管理職やベテラン教員が中心となって指導技術などを一方的に伝授する形の教員の養成・育成から、メンター制に代表されるように職場における同僚性を
活かした同僚同士による学びの支え合いへと潮流が変化してきている。こうした協働性は、学校内だけではなく、大学と学校間でも広まりを見せている。
いわゆる「理論と実践の往還」というスローガンは、大学教員、院生、実習生が教育現場に出向くことと、学校教員が大学において自らの実践を研究的に見返すこと、といった風に、具体的な人の往還として根付き始め、「実践の理論化」と「理論の実践化」が進行している。
このように教員の養成・研修・研究・実践の一体化が具体的に進行している様子を紹介したい。泉中は有元が入った6年前には課題の多い学校だったが、
「良い授業こそが積極的な生徒指導」という考えのもと学習意欲を高める授業づくりを全校一丸となって続けてきた。
伊藤からは具体的な授業づくりの過程とその生徒・教員への影響を、有元からはこうした過程をどのように理論的に支援したかについて、それぞれ報告し、実践と理論の往還の可能性と意義について議論したい。
(2) 小田原市立泉中学校の実践報告(良い授業こそが積極的な生徒指導)
(発表要旨)
平成21年授業改善を目的として校内研究を開始し、現在まで継続している。
当初の研究主題は「基礎・基本の定着を図る指導のあり方」だった。教員自身が「学びのあり方」について漠然としていたが、「基礎・基本」の前提にある「学ぶ意欲を喚起する働きかけ」について研修を重ねた。
意義や技法を十分に吟味した「小集団活動」を授業に取り入れ、生徒同士が互いにサポートし合う授業展開を工夫し、生徒の学ぶ意欲喚起につながった。有元教授が提唱する「主体的な学習を喚起する4つのキーワードRISPを題材設定や授業形態に取り入れ、研究を深める中で、子どもたちの学習意欲が高まり、基礎基本の定着が測れるようになってきた。
4年目からは研究主題を「学ぶ意欲を高め、主体的な学習態度を育てる指導のあり方」に変更した。学ぶ意欲を喚起し、主体的に学習する態度を育てる授業を仕組むことこそ、生徒の生きる力の糧になると考えた。
当初は「授業研究」「公開授業」に対する教員の温度差や無関心もあったが、現在では公開授業を全員が行っている。そのことが授業研究を継続する大きな支えとなっており、さらに、授業研究は教員同士の学び合い、若い教員への支援にもなっている。
※ 「主体的な学習を喚起する4つのキーワードRISP」とは
R:Reality ほんとうのこと
I:Identity わたしのこと
S:Significance かちあること
P:Participation なかまとともにすること
_________________________
20数年前に高校教員になったばかりの頃、教育センターで行われた生徒指導に関する研修会で高校時代の恩師に出会った。「教員は授業を通して生徒指導をするんだ」というその先生の言葉を教師としての自分の信条のひとつにしてきた。
泉中学の「良い授業こそが積極的な生徒指導」というスローガンは私の恩師の言葉と全く同じ意味で、今日の発表は共感するところがとても多かった。
学習指導要領に「言語活動」という文言が入り、中央教育審議会が授業を「アクティブラーニング」型に転換すべきと指摘すれば、現場では授業にグループワークを取り入れることになる。
グループワーク、アクティブラーニングの背景に何があり、それによって生徒に達成してほしいこと、それをすることによる効果はなにか。その検討なしに形態だけを取り入れても、ただ行政文書に書かれていることをやっただけになってしまう。
平成21年からの泉中の取り組みは、授業研究を通して教師が研究と学びを続ける風土を学校に醸成したのだと思う。
2015-02-22
2013-12-23
納得研究会(2013年第2回)
2013年2回目の納得研究会が立教大学で開催された。
18名出席で、小中高の教員、大学教員、大学院生、船員、音楽関係者と多彩な顔ぶれだった。
私のブログも3月31日以来の更新。9か月も更新を怠るともはやブログの意味をなさないか?
研究会のあとは「セントポールの隣」で忘年会が開催された。吉岡先生会場の手配をありがとうございました。
今回の研究会は音楽関係2本。
発表1 日常音楽と学校音楽の乖離について(音楽教員)
元音楽教員、中等教育、小学校、高校など初等中等教育の諸校種で音楽教育に携わってきた。
音楽研究ではなく教育から音楽をみる。もともと音楽の学習指導案の歴史をテーマとしてきた。最後3年は中学で。特別支援学校でも勤めた。
学校音楽は多くの人が体験してきている。
音楽の授業で生徒からぶつけられる言葉。それらの背景を探る。
音楽に関心なくても音楽が嫌いという人はあまりいないと思っている。
学習指導要領における「音楽」の目的は、10年前とほぼ変わっていない。
音楽の表現鑑賞、音楽を愛好する心情と感性、基礎的能力、豊かな情操を育てる。
愛好する心情ーーー学校で身につけられるか?
学校以前ですでに持っている?
学校には違う「音楽」があるのか?それを愛好する心情を育てるのか?
(学校):「唱歌校門を出ず」・・・世間では猥雑な音楽が多いから学校では格調高い「本物の」音楽を教えるのだ。という意味。
唱歌科から音楽科へ。昭和16年国民学校令
時期的に(戦争のため)十分には実施されなかった。
器楽、鑑賞、歌唱、創作、音楽理論が正式に取り入れられた。
想像力、表現力、楽譜読み書き、鑑賞力、技術、情操と人間性を育てる。
これは、現在の指導要領に連なる。基本路線は大きく変わっていない。
戦後、GHQの指示で、諸井三郎(作曲家、師範学校出身で無い人物)が昭和22年の音楽科学驟雨指導要領の策定をした。
その後、諸井さんの基本思想がほぼ踏襲されている
指導要領 22年、26年、33年。33年が現在の骨格となっている。
明治期の学習指導案を調べているが、基本的には音楽の授業は大きく変わっていないように思う。
授業で出会う生徒:
歌うことは好き
メロディでないところは途端にわからなくなる。
楽譜でなく歌詞を読んで歌っている。
周りより先に伸ばすのをやめる。早い者勝ちでやめて行く。歌声が途中で消える。
楽譜にドレミを書くがそれが間違っている。
リコーダーを間違って吹いても違う音を出していることは気にならない。
なんでそれができないの?という先生はたくさんいる。
有元先生:楽譜で音楽するのはクラシックくらいではないですか?。
楽譜を読むことは難しい。
音楽を耳で聞いているから歌うには好き。
耳で聞いているので聞き取れないハーモニーのところはわからない。
どこまで伸ばすかわからないので不安になってやめる。
運指とドレミと楽譜を付き合わせて吹いている。
「楽譜を読める」が大前提になっている。
耳コピ、学年が上がると曲も複雑になるので耳コピでは対応できなくなる。
できないとつまらない。つまらないから嫌いになる。
できるようになれば楽しい。楽しければ好き。
音楽の授業が音楽の授業に使われるよりも式歌練習や合奏が多い。
限られた時間の中で巧くみせるために練習が多くなる。
実技と知識の往還の時間が取れない。
儀式などで見栄えのする形を作ることに時間が費やされる。
先生のせいとばかりは言えない。
一生懸命にやった満足感は大きい。
それも出来て音楽の授業ができればと思う。
歌唱、器楽、鑑賞、創作。
積極的に読譜する動機が見えにくい。
かつては高校入試で楽譜が出題された。
(神奈川のアチーブメントテストは、年代にもよるけれど9教科だったので楽譜の問題も確かに出題された)
横国 有和先生、子供が社会に出た時に人生を豊かにする一手段としてそれを実現するための初等音楽教育。
音の響きの美しさを実感すると歌が大好きになる。
小学校の時にいかに劣等感を持たせないようにするか。
楽しい体験を大切にしている。
合奏の楽しさを体験させたい。
音符を読むことと演奏することは始めは一致しない。次はリズム、そしてタイミング。最後にハーモニー。
幼児教育では耳から。はじめは聴くことから。幼稚園の音楽教育では昭和30年代に教科色が強かった。
園児を集めるための方策でもあった。リトミックなど。平成元年ゆとりの頃から見直された。
子供達にとって楽しいことに回帰した。幼稚園教育要領にあるからではなく昔から楽しませるという要素も大切にはされてきた。
それまで唱歌(音楽)には道徳的色彩もあったが、戦後になって人生を豊かにすることが目標となった。その昭和22年の時にも音楽は演奏を通してという基本線があった。
佐伯先生:音楽教育の実践、こうでありたいという実践活動を行なっているわけだが、音楽教育論という意味では、明治期では西洋に追いつけという目標があった。西洋に追いつくために教えるということが中心に行われてきた。他の教科では総合学習のようなことが行われている。学び合い云々はかなり昔から行われている。しかし、音楽では教えるということ、引っ張り上げるということが行われてきた。
一方、美術では「かくあるべし」から始めるべきではないとされている。学習指導要領にも。「成果を求めない」結果を出すということを求めない時間ちゃんとある。それがアートの世界である。
音楽では「鼻歌」でいいじゃないというのはない。それを音楽教育論としている人はいない。
美術にはある。旧来を壊して全く新しく始めるという価値観は音楽教育論にはない。
:音楽は技能教科、技能なので指導しなければならない部分がある。楽器を演奏できなければならない。
:美術では美大に入る前に徹底的に技能を教育されるのでは?それから自由がある。
:音の出し方、音楽の音になる必要がある。
佐伯先生:絵が好きだからそれを達成するためにトレーニングを喜んでやる。好きにならなければ苦痛でしかない。好きになるようにさせる。
:科学教育教えるべきことがたくさんある。面白くなる前につまらなくなってしまう。
:幼児は鉄琴の音がとても好き。鉄琴の音、ちゃんと弾かずに枝で触る子供がいた。枝で触って音を確かめている。音楽の楽しさをそういう方法で受け入れることもあるのかと思った。
:「学習指導要領、思いを込めて」というが、思いはこもるものであって込めるものではないのでは。幼児に「思いを込めましょう」は伝わらないと思う。
発表2 ピアノで意図した音高を実現する技能ーキー位置-音高の記憶形成からー(大学院生)
キー位置記憶に関する実験
研究の背景:
人にとっての音楽行動、人が進化する上で社会的認知的、運動的に重要な役割。
「歌うネアンデルタール」(ー音楽と言語から見るヒトの進化ー、Steven Mithen著、熊谷淳子訳、早川書房、2006年6月)
演奏技能の最小構成とは?
「実現しようとする音」
「体の動き」
「実現された音」
楽譜から「ねこ踏んじゃった」を弾き始めた人は少ないだろう。
アミュージア(amusia:失音楽)、ある種の疾患とされている、音の高低はわかるが音楽として認識できない。
実験:
条件1・・・机の上に鍵盤の絵が描いてある
条件2・・・机の上にドの位置だけ示してある
課題・・・・ターゲットのキーの位置を人差し指でタップする
指の感覚で位置を推定しないために人差し指とした。
鍵盤の空間的な位置がどのように記憶されているかを調べる実験。
手の大きさでキー位置を測れないように、広げた手の間隔でわからないように人差し指にした。
佐伯先生:
タイプライター、Qwertyキーボードのブラインドタッチに似ているなと思った。
人はキー位置でなく単語ごとに覚えている。
足の指で体の重心を図っている。一秒間に10キー。
一つだけの記憶だけでなく、綴り、その単語を打つ時の体の重心などたくさんの情報を並列で処理している。
並列分散処理研究。シリアルではない。
フルート練習の時、右手だけの音を練習した。休憩の後、あれはちょうちょちょうちょですよと言われたらすぐできるようになった。
タイプライターの練習は今は意味のある単語で練習する。昔はasdfだった。
意味ある単語ならタイプは速く上達するが無意味なアルファベットの練習では上達は遅い。
ピアノの鍵盤は世界共通か?
ほぼ共通だが、黒鍵のサイズが違うのがある。
ギターはストラップの長さでジャンルがわかる。
(若林:棋士は試合の棋譜を再現できるけれど、デタラメに置いた将棋の駒を再現しろと言わると素人とあまり変わらないそうですね。)
チャンクの話になると必ずチェス、将棋、碁の論文が出てくる。
有元先生:日常でも、ちょっとした怪我や身体の具合で生活(世界)が大きく変わる。
:クラシックの人は一箇所間違えると本番で頭が真っ白になる。あの音を出したいから鍵盤の位置はあそこ、というのではなさそう。
ステージ上で初見演奏はない。
:通信士はスピーカーを外して練習させられる。キーのカツカツという音だけで練習する。
モールスはリズム。文章になるとわかりやすい。
一分間125字英文の平文で。
無意味の打鍵はスピード落ちる。
:モニターを見ずにテレビゲームやる友達がいた。
音だけでゲームの展開がわかっている。
:チェリストは曲に合わせて、ピッチを微妙に変える。
ポジション、見えないところもある。
自分のチェロでないと演奏できない。
3/4楽器から4/4楽器になる時は大変。
☆ 中央のドからの距離にエラーが比例していた。
18名出席で、小中高の教員、大学教員、大学院生、船員、音楽関係者と多彩な顔ぶれだった。
私のブログも3月31日以来の更新。9か月も更新を怠るともはやブログの意味をなさないか?
研究会のあとは「セントポールの隣」で忘年会が開催された。吉岡先生会場の手配をありがとうございました。
今回の研究会は音楽関係2本。
発表1 日常音楽と学校音楽の乖離について(音楽教員)
元音楽教員、中等教育、小学校、高校など初等中等教育の諸校種で音楽教育に携わってきた。
音楽研究ではなく教育から音楽をみる。もともと音楽の学習指導案の歴史をテーマとしてきた。最後3年は中学で。特別支援学校でも勤めた。
学校音楽は多くの人が体験してきている。
音楽の授業で生徒からぶつけられる言葉。それらの背景を探る。
音楽に関心なくても音楽が嫌いという人はあまりいないと思っている。
学習指導要領における「音楽」の目的は、10年前とほぼ変わっていない。
音楽の表現鑑賞、音楽を愛好する心情と感性、基礎的能力、豊かな情操を育てる。
愛好する心情ーーー学校で身につけられるか?
学校以前ですでに持っている?
学校には違う「音楽」があるのか?それを愛好する心情を育てるのか?
(学校):「唱歌校門を出ず」・・・世間では猥雑な音楽が多いから学校では格調高い「本物の」音楽を教えるのだ。という意味。
唱歌科から音楽科へ。昭和16年国民学校令
時期的に(戦争のため)十分には実施されなかった。
器楽、鑑賞、歌唱、創作、音楽理論が正式に取り入れられた。
想像力、表現力、楽譜読み書き、鑑賞力、技術、情操と人間性を育てる。
これは、現在の指導要領に連なる。基本路線は大きく変わっていない。
戦後、GHQの指示で、諸井三郎(作曲家、師範学校出身で無い人物)が昭和22年の音楽科学驟雨指導要領の策定をした。
その後、諸井さんの基本思想がほぼ踏襲されている
指導要領 22年、26年、33年。33年が現在の骨格となっている。
明治期の学習指導案を調べているが、基本的には音楽の授業は大きく変わっていないように思う。
授業で出会う生徒:
歌うことは好き
メロディでないところは途端にわからなくなる。
楽譜でなく歌詞を読んで歌っている。
周りより先に伸ばすのをやめる。早い者勝ちでやめて行く。歌声が途中で消える。
楽譜にドレミを書くがそれが間違っている。
リコーダーを間違って吹いても違う音を出していることは気にならない。
なんでそれができないの?という先生はたくさんいる。
有元先生:楽譜で音楽するのはクラシックくらいではないですか?。
楽譜を読むことは難しい。
音楽を耳で聞いているから歌うには好き。
耳で聞いているので聞き取れないハーモニーのところはわからない。
どこまで伸ばすかわからないので不安になってやめる。
運指とドレミと楽譜を付き合わせて吹いている。
「楽譜を読める」が大前提になっている。
耳コピ、学年が上がると曲も複雑になるので耳コピでは対応できなくなる。
できないとつまらない。つまらないから嫌いになる。
できるようになれば楽しい。楽しければ好き。
音楽の授業が音楽の授業に使われるよりも式歌練習や合奏が多い。
限られた時間の中で巧くみせるために練習が多くなる。
実技と知識の往還の時間が取れない。
儀式などで見栄えのする形を作ることに時間が費やされる。
先生のせいとばかりは言えない。
一生懸命にやった満足感は大きい。
それも出来て音楽の授業ができればと思う。
歌唱、器楽、鑑賞、創作。
積極的に読譜する動機が見えにくい。
かつては高校入試で楽譜が出題された。
(神奈川のアチーブメントテストは、年代にもよるけれど9教科だったので楽譜の問題も確かに出題された)
横国 有和先生、子供が社会に出た時に人生を豊かにする一手段としてそれを実現するための初等音楽教育。
音の響きの美しさを実感すると歌が大好きになる。
小学校の時にいかに劣等感を持たせないようにするか。
楽しい体験を大切にしている。
合奏の楽しさを体験させたい。
音符を読むことと演奏することは始めは一致しない。次はリズム、そしてタイミング。最後にハーモニー。
幼児教育では耳から。はじめは聴くことから。幼稚園の音楽教育では昭和30年代に教科色が強かった。
園児を集めるための方策でもあった。リトミックなど。平成元年ゆとりの頃から見直された。
子供達にとって楽しいことに回帰した。幼稚園教育要領にあるからではなく昔から楽しませるという要素も大切にはされてきた。
それまで唱歌(音楽)には道徳的色彩もあったが、戦後になって人生を豊かにすることが目標となった。その昭和22年の時にも音楽は演奏を通してという基本線があった。
佐伯先生:音楽教育の実践、こうでありたいという実践活動を行なっているわけだが、音楽教育論という意味では、明治期では西洋に追いつけという目標があった。西洋に追いつくために教えるということが中心に行われてきた。他の教科では総合学習のようなことが行われている。学び合い云々はかなり昔から行われている。しかし、音楽では教えるということ、引っ張り上げるということが行われてきた。
一方、美術では「かくあるべし」から始めるべきではないとされている。学習指導要領にも。「成果を求めない」結果を出すということを求めない時間ちゃんとある。それがアートの世界である。
音楽では「鼻歌」でいいじゃないというのはない。それを音楽教育論としている人はいない。
美術にはある。旧来を壊して全く新しく始めるという価値観は音楽教育論にはない。
:音楽は技能教科、技能なので指導しなければならない部分がある。楽器を演奏できなければならない。
:美術では美大に入る前に徹底的に技能を教育されるのでは?それから自由がある。
:音の出し方、音楽の音になる必要がある。
佐伯先生:絵が好きだからそれを達成するためにトレーニングを喜んでやる。好きにならなければ苦痛でしかない。好きになるようにさせる。
:科学教育教えるべきことがたくさんある。面白くなる前につまらなくなってしまう。
:幼児は鉄琴の音がとても好き。鉄琴の音、ちゃんと弾かずに枝で触る子供がいた。枝で触って音を確かめている。音楽の楽しさをそういう方法で受け入れることもあるのかと思った。
:「学習指導要領、思いを込めて」というが、思いはこもるものであって込めるものではないのでは。幼児に「思いを込めましょう」は伝わらないと思う。
発表2 ピアノで意図した音高を実現する技能ーキー位置-音高の記憶形成からー(大学院生)
キー位置記憶に関する実験
研究の背景:
人にとっての音楽行動、人が進化する上で社会的認知的、運動的に重要な役割。
「歌うネアンデルタール」(ー音楽と言語から見るヒトの進化ー、Steven Mithen著、熊谷淳子訳、早川書房、2006年6月)
演奏技能の最小構成とは?
「実現しようとする音」
「体の動き」
「実現された音」
楽譜から「ねこ踏んじゃった」を弾き始めた人は少ないだろう。
アミュージア(amusia:失音楽)、ある種の疾患とされている、音の高低はわかるが音楽として認識できない。
実験:
条件1・・・机の上に鍵盤の絵が描いてある
条件2・・・机の上にドの位置だけ示してある
課題・・・・ターゲットのキーの位置を人差し指でタップする
指の感覚で位置を推定しないために人差し指とした。
鍵盤の空間的な位置がどのように記憶されているかを調べる実験。
手の大きさでキー位置を測れないように、広げた手の間隔でわからないように人差し指にした。
佐伯先生:
タイプライター、Qwertyキーボードのブラインドタッチに似ているなと思った。
人はキー位置でなく単語ごとに覚えている。
足の指で体の重心を図っている。一秒間に10キー。
一つだけの記憶だけでなく、綴り、その単語を打つ時の体の重心などたくさんの情報を並列で処理している。
並列分散処理研究。シリアルではない。
フルート練習の時、右手だけの音を練習した。休憩の後、あれはちょうちょちょうちょですよと言われたらすぐできるようになった。
タイプライターの練習は今は意味のある単語で練習する。昔はasdfだった。
意味ある単語ならタイプは速く上達するが無意味なアルファベットの練習では上達は遅い。
ピアノの鍵盤は世界共通か?
ほぼ共通だが、黒鍵のサイズが違うのがある。
ギターはストラップの長さでジャンルがわかる。
(若林:棋士は試合の棋譜を再現できるけれど、デタラメに置いた将棋の駒を再現しろと言わると素人とあまり変わらないそうですね。)
チャンクの話になると必ずチェス、将棋、碁の論文が出てくる。
有元先生:日常でも、ちょっとした怪我や身体の具合で生活(世界)が大きく変わる。
:クラシックの人は一箇所間違えると本番で頭が真っ白になる。あの音を出したいから鍵盤の位置はあそこ、というのではなさそう。
ステージ上で初見演奏はない。
:通信士はスピーカーを外して練習させられる。キーのカツカツという音だけで練習する。
モールスはリズム。文章になるとわかりやすい。
一分間125字英文の平文で。
無意味の打鍵はスピード落ちる。
:モニターを見ずにテレビゲームやる友達がいた。
音だけでゲームの展開がわかっている。
:チェリストは曲に合わせて、ピッチを微妙に変える。
ポジション、見えないところもある。
自分のチェロでないと演奏できない。
3/4楽器から4/4楽器になる時は大変。
☆ 中央のドからの距離にエラーが比例していた。
2013-03-31
納得研究会(2013年第1回)
東京港晴海埠頭停泊中の練習船日本丸で、今年度第1回の納得研究会が開催された。35名出席。
船での開催は、2008年12月20日大成丸(蒸気タービン船)、2010年6月19日青雲丸(ディーゼル船)に続く3回目となった。
日本丸といえば我が国では知らない人はいないであろう有名な練習帆船である。1930年に建造された日本丸(初代、横浜みなと博物館に係留されている)の代船として1984年に建造された。
東京海洋大学、神戸大学、商船高等専門学校、海上技術短期大学校、海上技術学校などの学生生徒を乗船させ、海技士としての知識・技術・技能を教育訓練するための船である。







今回の納得研究会は、教育現場からの研究報告4本だった。
◯報告1:坂さん:「練習船における船員養成のための学習環境デザイン」とガイドツアー
船員養成を行う練習船で活動においてリーダシップやチームワークといった人的資源の管理能力がどのようにして醸成されるかの可能性を社会文化的
アプローチにより明らかにするとともに,その学習環境デザインに関する提言を行う。
STCW条約改正によって、船員の教育訓練に、意思伝達能力、リーダーシップ、コミュニケーション能力要件が追加された。これらはどのようにして身につくのか。
条約で、BRM(Bridge Resource Management),ERM(Engine room Resource Management)の教育訓練が義務づけられたが、これは航空機のCRM(Cockpit Resource Management)を参考に導入された。
ここでリソースとは、人、機器、情報など、船の安全を保つためのすべてを含む。
(1) 練習船における実際の教育訓練場面から「主機ピストン抜き」作業を観察し、リーダーシップや意思伝達能力がどのように発揮されているか、どのように訓練されていいるかを分析した。
実習生を上段配置、中段配置、下段配置にわけ、総指揮、総指揮サブの3名の実習生に全体を指揮させた。
このリーダー役3名が作業全般を仕切ると思っていたが、各配置間の状況把握に齟齬を生ずる場面があり、必ずしもリーダー役が全体を把握しているとはいえない状況があった。
このようなプロジェクト型の実習場面ではリーダーシップは、短期的・局所的に発揮されてゆくという特徴が見えた。
(2) 実習生がいない機関士・機関部員だけの作業場面。
ドックを出るときの機関プラント立ち上げ作業。
先輩機関士が新人機関士に一連の作業の"一部を委譲"して(作業を「分けて」あげて)経験させる場面と、ある作業についてその一連を"すべて委譲"して行わせる場面があった。
陸上電源から船内電源への切り替え、「落としたらすぐ切り替えるから…」と言ってすべてを後輩にやらせる。
(3) これらの研究の端緒
寄港地先で最もよく受ける質問「一般の船の船員養成になぜ帆船の実習が必要なのか?」
これに明確に答えたいという思いから。
[参加者の意見・感想]
(1)技術の保存は大切なことだと思う。帆船自体を商用で使うことはないけれど、帆船は船の運航技術の基本であると同時に建造技術の基本でもある。一度途絶えてしまったら、復活は難しい。
日本のすべての船員が帆船教育を受けている訳ではないが、帆船で教育を受けた者がいるということに価値があるのではないか。教育が行われた直後に数値で測ることのできない価値もあるのではないか。
(2)大型帆船の操船を体で体験するのは歴史的社会的価値のあることだと思う。
◯報告2:横山さん:「ナラティヴの重奏化による文化的実践の生成」
学校(教室)というフィールドは「一方向的」で「モノロジカル」な、「教師」による「知識伝達」の現場として批判的に語られることが多い。
あらゆる関係を「学習」の基軸として捉える枠組み「状況的学習理論」の脈絡においても、学校は特殊な現場として検討の埒外に置かれた。
学校を日常的脈絡から逸脱した現場として描き出す方略は「日常のフィールド」と「学校のフィールド」とを二元論的に検討する議論を活性した。
しかし、学校という現場もまた、多様な社会的関わり合いに否応なく巻き込まれる「日常」の存する場である。
授業において、教師が如何に「モノロジカル」に「一方向的」に「知識伝達」を行っていたとしても、教室には複数の声が介在している(授業と関係なく/授業と関係して)。
さらに、学校は授業時間だけで構成されているわけではない。むしろ日常的な時間の流れを「単位化」したものが授業時間であると考えるならば、非-授業の時間が存する。本研究は「単声的な場」として特徴づけられることの多かった学校(教室)という現場を「多声的な場」として位置づけ直すことから研究を始める。
学校と日常の二元論
スーパーマーケットの算数、買い物客の計算と算数テストにおける実力を比較。
スーパーマーケットでは98パーセント正解。
算数テストでは59パーセント正解。
テストとスーパーマーケットでは問題解決の状況が異なる。
学校は日常とかけ離れた特殊な場所である。
Lave示したのは学校批判ではなく状況性の話である。
生徒が毎日書くノート(毎日書いて提出する生活ノートのような)から、子供の生活の様子をみる。
授業のことだけでなく休み時間のこと、学校への行き帰りのことなどが記されている。
学校は子供たちの「日常」の中にあるのではないか。
学校は脱文脈的である。しかし、学校もまた社会的日常の場である。と思う。
学校もまたそこに集う人々による日常の場である。家庭と学校で異なる実践様式を求められる。
学習とは多重参加と多重適応なのか。
個人的なパースペクティブと社会文化的なパースペクティブの接触領域におけるダイナミックな重層化。
ナラティブの一致とズレ
これをどのように研究としてまとめられるか、それをまたどのように現場に還元できるか。
[参加者の意見・感想]
(1)もちろん学校も社会的日常だが教育という機能上は、学校は社会的日常のための訓練の場である。
学校の中の実現のために学校があるのではなく、学校の外(日常での生活)を実現するための場であるはずだ。
(2)子供にとっての学校は日常の一つといえるのではないか。
(3)学校では「書く」ことが求められるのだなと実感した。しかし、言葉にならない豊かさが押さえ込まれている側面もある。書くことが苦手な子供もいる。1−2行しか書けない子供を大切にすべきだ。
◯報告3:佐々木さん:「アシスタント・ティーチャーを活用した授業デザインの分析」
本研究は,学校現場におけるアシスタント・ティーチャー(AT)の参与により,担任の「困り感」や授業デザインがどのように変化するかを記述した。授業は,教師・児童・ATそれぞれが授業という場に参加することで達成される。
本研究では,ATが授業の「集団的達成」に貢献し得ることを記述した。
一方ATの参与には,担任教師との連携による,学級経営の意向を酌んだ参加が求められることも示唆された。
ATとして小学校の授業に継続的に参与し、授業の分析と教師へのインタビューを行った。
困り感のある児童、授業中に大声立ち歩き
教師のスキルや熟達、授業デザインによるところが大きいのではないか。
個別の対応が必要、授業支援者が入った時の授業構造
エスノメソドロジー(人々の方法論)
授業にどのような変化が現れるか。
仮説、授業行動の変化、困り間の減少、ATとTTの違い
担任のみ、担任とTT、担任とAT
ビデオ、トランスクリプト、発話分析
ATが参与することのメリットとデメリット。
生徒にとってATは教師ではなく大学生のお姉さんなので話しかけやすく、授業内容と関わりなく話しかける場面もあった。
必要としている子供のところにATが入ることで個人の学びを促進することができる。
しかし、授業ビデオを見ると、ATが入っているときには教師は教壇から生徒の席に降りてこないことが多かった。
机間指導によって生徒のつまずきやわかりにくいところを教師が把握し、全体に還元することが授業作りではないか。
[参加者の意見・感想]
(1)AT、TTによって教師の熟達度は低くなると思う。困った生徒への対応をしながら全体を統制して行く力をつけてゆくべきだ。
困った生徒を可視化し、ますます「困った子」にしていくのではないか。子供の方がわかっていて、「この子がこう言うのはこういうことなんだよ」と教えてくれることもある。
(2)ATが入ることによって見えてくることと見えなくなっていることがあると思った。
(3)(発言しなかったけど)私の学校ではいくつかの科目で、クラスを単純に2分割して少人数授業を実施している。クラスを2分割せずにTTを配置して寿魚を行う方法と比較する必要があるのではないかと思った。
◯報告4:岡本さん:「高校での健康教育活動(健康教室)の学習環境デザイン」
発表者が養護教諭として勤務する高校で、1、2学年を対象に、それぞれ年一回健康教室を実施してきた。
生徒が自らの心身の健康について考える契機となる教育を目指し、
(1)保健委員の生徒達が授業を展開
(2)大学と共同での教材開発
(3)大学生・大学院生ボランティアを各クラスに配置、共同で実施する
という工夫を行ってきた。これまでの活動テーマは「デートDV」「性感染症」「人間関係」である。
これらの成果と課題について報告する。
各クラスの保険委員を集め、健康教室を企画、準備し、生徒主体で実施した。:鵜飼い方式
それぞれのテーマに沿って、保険委員を中心として生徒がロールプレイングの授業を考え、体育館で実施した。
優秀賞などの発表もあり、力の入ったグループは盛り上がった。
[参加者の意見・感想]
(1)非常にうまく行っているなと思う。健康教室だけでなく、生徒に授業させる、ロールプレイングというか、ドラマを生徒に作らせることで学びへの参加意欲が高まる。
国語でも社会でも人間理解に関わることは自分たちで演じて見る。
このような授業のあり様を広めてもらいたいと思った。
(2)30年前の高校でこのような授業形態だった
(3)効果の測定ということでは、プリテスト、ポストテストによる比較をした論文がおおいけれど、それは違いが出るに違いないけれどそういう単純なことでもないと思う。
(4)効果の測定、中絶率の変化などでみるしかないのかなぁ?
(5)ソーシャルスキルトレーニングは大切だと思っている。あとから評価するならば、二年生の授業を三年生が行うなど。
(6)事後の「効果測定」として、時間をおいてからテーマに関する体験について話し合ったりするのは、効果の測定と再学習をかねてより累進的な学びがありそうです。
懇親会
恒例、納得研究会のあとは懇親会。今回は船長や航空機のパイロットなどがよく集まるお店、銀座のAmberでワイン、ビールなど楽しみました。このお店はアップルパイもおいしいそうです。
キャプテン、ありがとうございました。
船での開催は、2008年12月20日大成丸(蒸気タービン船)、2010年6月19日青雲丸(ディーゼル船)に続く3回目となった。
日本丸といえば我が国では知らない人はいないであろう有名な練習帆船である。1930年に建造された日本丸(初代、横浜みなと博物館に係留されている)の代船として1984年に建造された。
東京海洋大学、神戸大学、商船高等専門学校、海上技術短期大学校、海上技術学校などの学生生徒を乗船させ、海技士としての知識・技術・技能を教育訓練するための船である。







今回の納得研究会は、教育現場からの研究報告4本だった。
◯報告1:坂さん:「練習船における船員養成のための学習環境デザイン」とガイドツアー
船員養成を行う練習船で活動においてリーダシップやチームワークといった人的資源の管理能力がどのようにして醸成されるかの可能性を社会文化的
アプローチにより明らかにするとともに,その学習環境デザインに関する提言を行う。
STCW条約改正によって、船員の教育訓練に、意思伝達能力、リーダーシップ、コミュニケーション能力要件が追加された。これらはどのようにして身につくのか。
条約で、BRM(Bridge Resource Management),ERM(Engine room Resource Management)の教育訓練が義務づけられたが、これは航空機のCRM(Cockpit Resource Management)を参考に導入された。
ここでリソースとは、人、機器、情報など、船の安全を保つためのすべてを含む。
(1) 練習船における実際の教育訓練場面から「主機ピストン抜き」作業を観察し、リーダーシップや意思伝達能力がどのように発揮されているか、どのように訓練されていいるかを分析した。
実習生を上段配置、中段配置、下段配置にわけ、総指揮、総指揮サブの3名の実習生に全体を指揮させた。
このリーダー役3名が作業全般を仕切ると思っていたが、各配置間の状況把握に齟齬を生ずる場面があり、必ずしもリーダー役が全体を把握しているとはいえない状況があった。
このようなプロジェクト型の実習場面ではリーダーシップは、短期的・局所的に発揮されてゆくという特徴が見えた。
(2) 実習生がいない機関士・機関部員だけの作業場面。
ドックを出るときの機関プラント立ち上げ作業。
先輩機関士が新人機関士に一連の作業の"一部を委譲"して(作業を「分けて」あげて)経験させる場面と、ある作業についてその一連を"すべて委譲"して行わせる場面があった。
陸上電源から船内電源への切り替え、「落としたらすぐ切り替えるから…」と言ってすべてを後輩にやらせる。
(3) これらの研究の端緒
寄港地先で最もよく受ける質問「一般の船の船員養成になぜ帆船の実習が必要なのか?」
これに明確に答えたいという思いから。
[参加者の意見・感想]
(1)技術の保存は大切なことだと思う。帆船自体を商用で使うことはないけれど、帆船は船の運航技術の基本であると同時に建造技術の基本でもある。一度途絶えてしまったら、復活は難しい。
日本のすべての船員が帆船教育を受けている訳ではないが、帆船で教育を受けた者がいるということに価値があるのではないか。教育が行われた直後に数値で測ることのできない価値もあるのではないか。
(2)大型帆船の操船を体で体験するのは歴史的社会的価値のあることだと思う。
◯報告2:横山さん:「ナラティヴの重奏化による文化的実践の生成」
学校(教室)というフィールドは「一方向的」で「モノロジカル」な、「教師」による「知識伝達」の現場として批判的に語られることが多い。
あらゆる関係を「学習」の基軸として捉える枠組み「状況的学習理論」の脈絡においても、学校は特殊な現場として検討の埒外に置かれた。
学校を日常的脈絡から逸脱した現場として描き出す方略は「日常のフィールド」と「学校のフィールド」とを二元論的に検討する議論を活性した。
しかし、学校という現場もまた、多様な社会的関わり合いに否応なく巻き込まれる「日常」の存する場である。
授業において、教師が如何に「モノロジカル」に「一方向的」に「知識伝達」を行っていたとしても、教室には複数の声が介在している(授業と関係なく/授業と関係して)。
さらに、学校は授業時間だけで構成されているわけではない。むしろ日常的な時間の流れを「単位化」したものが授業時間であると考えるならば、非-授業の時間が存する。本研究は「単声的な場」として特徴づけられることの多かった学校(教室)という現場を「多声的な場」として位置づけ直すことから研究を始める。
学校と日常の二元論
スーパーマーケットの算数、買い物客の計算と算数テストにおける実力を比較。
スーパーマーケットでは98パーセント正解。
算数テストでは59パーセント正解。
テストとスーパーマーケットでは問題解決の状況が異なる。
学校は日常とかけ離れた特殊な場所である。
Lave示したのは学校批判ではなく状況性の話である。
生徒が毎日書くノート(毎日書いて提出する生活ノートのような)から、子供の生活の様子をみる。
授業のことだけでなく休み時間のこと、学校への行き帰りのことなどが記されている。
学校は子供たちの「日常」の中にあるのではないか。
学校は脱文脈的である。しかし、学校もまた社会的日常の場である。と思う。
学校もまたそこに集う人々による日常の場である。家庭と学校で異なる実践様式を求められる。
学習とは多重参加と多重適応なのか。
個人的なパースペクティブと社会文化的なパースペクティブの接触領域におけるダイナミックな重層化。
ナラティブの一致とズレ
これをどのように研究としてまとめられるか、それをまたどのように現場に還元できるか。
[参加者の意見・感想]
(1)もちろん学校も社会的日常だが教育という機能上は、学校は社会的日常のための訓練の場である。
学校の中の実現のために学校があるのではなく、学校の外(日常での生活)を実現するための場であるはずだ。
(2)子供にとっての学校は日常の一つといえるのではないか。
(3)学校では「書く」ことが求められるのだなと実感した。しかし、言葉にならない豊かさが押さえ込まれている側面もある。書くことが苦手な子供もいる。1−2行しか書けない子供を大切にすべきだ。
◯報告3:佐々木さん:「アシスタント・ティーチャーを活用した授業デザインの分析」
本研究は,学校現場におけるアシスタント・ティーチャー(AT)の参与により,担任の「困り感」や授業デザインがどのように変化するかを記述した。授業は,教師・児童・ATそれぞれが授業という場に参加することで達成される。
本研究では,ATが授業の「集団的達成」に貢献し得ることを記述した。
一方ATの参与には,担任教師との連携による,学級経営の意向を酌んだ参加が求められることも示唆された。
ATとして小学校の授業に継続的に参与し、授業の分析と教師へのインタビューを行った。
困り感のある児童、授業中に大声立ち歩き
教師のスキルや熟達、授業デザインによるところが大きいのではないか。
個別の対応が必要、授業支援者が入った時の授業構造
エスノメソドロジー(人々の方法論)
授業にどのような変化が現れるか。
仮説、授業行動の変化、困り間の減少、ATとTTの違い
担任のみ、担任とTT、担任とAT
ビデオ、トランスクリプト、発話分析
ATが参与することのメリットとデメリット。
生徒にとってATは教師ではなく大学生のお姉さんなので話しかけやすく、授業内容と関わりなく話しかける場面もあった。
必要としている子供のところにATが入ることで個人の学びを促進することができる。
しかし、授業ビデオを見ると、ATが入っているときには教師は教壇から生徒の席に降りてこないことが多かった。
机間指導によって生徒のつまずきやわかりにくいところを教師が把握し、全体に還元することが授業作りではないか。
[参加者の意見・感想]
(1)AT、TTによって教師の熟達度は低くなると思う。困った生徒への対応をしながら全体を統制して行く力をつけてゆくべきだ。
困った生徒を可視化し、ますます「困った子」にしていくのではないか。子供の方がわかっていて、「この子がこう言うのはこういうことなんだよ」と教えてくれることもある。
(2)ATが入ることによって見えてくることと見えなくなっていることがあると思った。
(3)(発言しなかったけど)私の学校ではいくつかの科目で、クラスを単純に2分割して少人数授業を実施している。クラスを2分割せずにTTを配置して寿魚を行う方法と比較する必要があるのではないかと思った。
◯報告4:岡本さん:「高校での健康教育活動(健康教室)の学習環境デザイン」
発表者が養護教諭として勤務する高校で、1、2学年を対象に、それぞれ年一回健康教室を実施してきた。
生徒が自らの心身の健康について考える契機となる教育を目指し、
(1)保健委員の生徒達が授業を展開
(2)大学と共同での教材開発
(3)大学生・大学院生ボランティアを各クラスに配置、共同で実施する
という工夫を行ってきた。これまでの活動テーマは「デートDV」「性感染症」「人間関係」である。
これらの成果と課題について報告する。
各クラスの保険委員を集め、健康教室を企画、準備し、生徒主体で実施した。:鵜飼い方式
それぞれのテーマに沿って、保険委員を中心として生徒がロールプレイングの授業を考え、体育館で実施した。
優秀賞などの発表もあり、力の入ったグループは盛り上がった。
[参加者の意見・感想]
(1)非常にうまく行っているなと思う。健康教室だけでなく、生徒に授業させる、ロールプレイングというか、ドラマを生徒に作らせることで学びへの参加意欲が高まる。
国語でも社会でも人間理解に関わることは自分たちで演じて見る。
このような授業のあり様を広めてもらいたいと思った。
(2)30年前の高校でこのような授業形態だった
(3)効果の測定ということでは、プリテスト、ポストテストによる比較をした論文がおおいけれど、それは違いが出るに違いないけれどそういう単純なことでもないと思う。
(4)効果の測定、中絶率の変化などでみるしかないのかなぁ?
(5)ソーシャルスキルトレーニングは大切だと思っている。あとから評価するならば、二年生の授業を三年生が行うなど。
(6)事後の「効果測定」として、時間をおいてからテーマに関する体験について話し合ったりするのは、効果の測定と再学習をかねてより累進的な学びがありそうです。
懇親会
恒例、納得研究会のあとは懇親会。今回は船長や航空機のパイロットなどがよく集まるお店、銀座のAmberでワイン、ビールなど楽しみました。このお店はアップルパイもおいしいそうです。
キャプテン、ありがとうございました。
2012-09-30
納得研究会(2012年第4回)
立教大学で2012年第4回納得研究会が開催された。
夕方から関東地方に台風17号が接近するとの予報だったが18名の参加を得た。

本日の発表は次の2題。
(1)「幼児教育における音楽の意味とは - 幼稚園での出張コンサートの実践事
例から」
新原さん(筑波大学大学院),大澤さん(横浜国大大学院)
(2)養護教諭の学校内機能について
菊地さん(横浜国大附属特別支援学校)
発表1
プロの演奏家による幼稚園での出張コンサートを紹介する。本事例を通して幼児教育における音楽の意味を問い直すと共に,演奏者・企画者・教職員が恊働し,コンサートを「ホンモノ」の音楽に触れる学習環境としてデザインする過程に着目する。
○ 研究の端緒:
幼児教育で音楽がどのようにつかわれているか。
音楽鑑賞のための時間は少なく、行動統制に音楽が使われることが多い。
食事の時間とか、片付けの時間など。
日常では音楽に関わる行動で鑑賞にかかわらないことはないだろう。と思った。
幼稚園からクラシックコンサートの依頼があったことが研究の端緒となった。
○ 目的1 音楽も学習・発達の場としてデザインできないかと考えた。
幼児と保護者に対し、単発でなく年間を通じて計画した。
出張コンサートは現在では珍しくない。アウトリーチ活動として、幼稚園・小中、特別支援学校まで。
○ 目的2 出張コンサートを教職員と演奏家の横断的目的活動として見よう。
保育園併設の子育て支援センターなどを対象に。
○ 事例1:
2歳児未満の部「手をたたきましょう」、テノール歌手による本格的な歌唱方法で。
母親と膝に抱かれた幼児、母親が子供の手を持って音楽に合わせて手を叩いたり足踏みさせたりしている。「怒りましょプンプンプン」「泣きましょエンエンエン」などの場面では子供の表情を覗き込むなど、母親の行動に注目。
鑑賞行動「赤ちゃんは家族の中で話し手てあるいは産出者として発達する。喃語であってもあかちゃんは会話に参加して話している。ホルツマン、Zpd。
出張コンサートは赤ちゃんが鑑賞者に「なる」場、最近接発達領域として機能していたのではないか。三回目では子供が手を自発的に叩いているように見える。
賞賛として手を叩く場面では赤ちゃんはそのように手を叩いていないが、歌に参加する場面では自発的にリズムに合わせて手を叩いているように見えた。
○ 質問:はじめ親が一緒に手を叩いて注入したその惰性が残っていたのではないか?ホルツマンの言うZPDではないのではないか?
→ いや、リズムがあっていたように思う。
○ 園の反応:
「せっかくクラシックなのだからクラシックらしい曲を増やして欲しかった。」
「ニワカ音楽でない専門家の音楽が聴けた。」などの感想。
→ 本物(プロ)に対する権威づけが行われている。
○ ※ 工場労働者と技術者との協働
鋳造所、システム構築の際に工場労働者の経験はシステム構築や配備のリソースとして用いられなかった。
ホンモノとニワカという強い境界をひくこと。協働が発展しない可能性を秘めていると思う。
プロなら本物?教職員なら本物でない?
演奏者と教職員双方の音楽観や教育観、「ホンモノ」概念の変化を追う。
○ 質問
・ 聴くというより参加するというのが多かったように思うが?
→童謡であっても活動を伴わない鑑賞主体のもあった。
・ 自分の場合は子供が聴きやすい、伴奏がゴチャゴチャしないとか、子供の様子を見ながらこれまでの経験を動員してその場に応じてアレンジする。
・ 千住真理子のコンサートは子供向けにやっているけど子供用にアレンジはしていない。騒ぐなら騒いでも良いというスタンスで。
・ 自分は保育者だったが、保育士でも「手をたたきましょう」のようにはできるので、せっかくならクラシックらしいのを聴きたいということはわかる。
・ 一瞬の出会いであっても「ホンモノ」に接したことは子供達にのこる。
・ 行動規制のためではなくその世界を楽しむために「おもちゃのチャチャチャ」
をやりたいとも思う。
・ クラシックの専門性に対して幼児教育の専門家がどのように関われるか。
佐伯先生:子供を見くびらないというのが大切。子供の理解力を信頼する。何らかの媒介は必要だけれど、子供の理解力は大きい。
子供と一緒に音楽を創る。作品創りに参加させる。鑑賞の場面もある。そうして音楽を創る。演奏するだけでなく一緒に創る。レッジョエミリアの例。
発表2 養護教諭の学校内機能について
養護教諭の学校内のコーディネーション機能に関する研究
学校管理職へのインタビューの分析から、学校保健活動を進める上での教護教諭に期待される機能について考察した。管理職は養護教諭を学校保健活動を進める上でのコーディネータ、中核として認識しており、その機能が十分に発揮されるようにバックアップを行っていた。
このバックアップは教職員・校外の学校関係者全体の関与によって成立しており、学校保健活動における養護教諭のコーディネーション機能は社会的な達成であることが示唆された。
○ 養護教諭とは:
養護教諭は何する人?
明治時代に学校医が置かれ,数年後に看護師がおかれた。ここまで明治。
そして名称が養護教諭となって,教育職に位置付けられた。
学校の中だけでなく関係機関との間でコーディネート機能が期待されている。
○ 特別支援学校に通う児童生徒の発育の特徴:
病気をしやすい、感染症対策に力を入れる。
精神年齢と生活年齢に差が大きい。
環境が整うと登校意欲が大きくなる。
小さな時から苦労の大きい育ち方をしている。
集団活動を生かした教科学習(バレーボールなど)、部活動、朝練もある。
親への支援が大切と思ってこの研究を始めた。
○ 学校保健活動、
児童生徒の保健と発育に関すること。
学校の保健安全への配慮。
生徒自らの健康維持をはかる能力を育成する。
○ 管理職へのインタビュー調査から次のことがわかった。
管理職は
→ 養護教諭の環境・ひととなり・仕事振りの把握。
→ 管理職が学校保健活動の意義とその活動の企画を教職員に周知。
→ 養護教諭を学校保健活動の中核として位置付け,コーディネータ機能をバックアップ。
○ 養護教諭が中心となって進めている学校保健活動の記録から副校長にインタビユーした。
副校長の動き、バックアップ行動に注目した。
記録を振り返って特別支援学校を通して養護教諭になってきたのだと思った。
養護教諭としての社会的達成。
○ 「養護教諭」は一つの免許だが、小中高特別支援学校で役回りが少しずつ異なる。
教員が自分の健康について相談を受ければ応じるが、こちらから問うことは控える。
健康に関する専門家である。
看護師からなれる。
教育実習もある。
保健師から養護教諭になる場合もある。
看護師の免許を取りながら養護教諭をとることもできる。
教育がバックグラウンドの人と、看護師バックグラウンドの人がいる。
臨床経験があれば養護教諭としては強いかもしれない。
発言:学校の中にホンモノがいるということ?
ここで,教員免許を得てすぐに教員になった人と,教える内容について専門職についてから教員になった事例について,出席者の体験からからいくつかの事例が紹介された。
********
研究協議の後は立教大学至近にある「セントポールのとなり」で懇親会開催。
台風が心配されたが,ここで議論の続きを行った。


夕方から関東地方に台風17号が接近するとの予報だったが18名の参加を得た。
本日の発表は次の2題。
(1)「幼児教育における音楽の意味とは - 幼稚園での出張コンサートの実践事
例から」
新原さん(筑波大学大学院),大澤さん(横浜国大大学院)
(2)養護教諭の学校内機能について
菊地さん(横浜国大附属特別支援学校)
発表1
プロの演奏家による幼稚園での出張コンサートを紹介する。本事例を通して幼児教育における音楽の意味を問い直すと共に,演奏者・企画者・教職員が恊働し,コンサートを「ホンモノ」の音楽に触れる学習環境としてデザインする過程に着目する。
○ 研究の端緒:
幼児教育で音楽がどのようにつかわれているか。
音楽鑑賞のための時間は少なく、行動統制に音楽が使われることが多い。
食事の時間とか、片付けの時間など。
日常では音楽に関わる行動で鑑賞にかかわらないことはないだろう。と思った。
幼稚園からクラシックコンサートの依頼があったことが研究の端緒となった。
○ 目的1 音楽も学習・発達の場としてデザインできないかと考えた。
幼児と保護者に対し、単発でなく年間を通じて計画した。
出張コンサートは現在では珍しくない。アウトリーチ活動として、幼稚園・小中、特別支援学校まで。
○ 目的2 出張コンサートを教職員と演奏家の横断的目的活動として見よう。
保育園併設の子育て支援センターなどを対象に。
○ 事例1:
2歳児未満の部「手をたたきましょう」、テノール歌手による本格的な歌唱方法で。
母親と膝に抱かれた幼児、母親が子供の手を持って音楽に合わせて手を叩いたり足踏みさせたりしている。「怒りましょプンプンプン」「泣きましょエンエンエン」などの場面では子供の表情を覗き込むなど、母親の行動に注目。
鑑賞行動「赤ちゃんは家族の中で話し手てあるいは産出者として発達する。喃語であってもあかちゃんは会話に参加して話している。ホルツマン、Zpd。
出張コンサートは赤ちゃんが鑑賞者に「なる」場、最近接発達領域として機能していたのではないか。三回目では子供が手を自発的に叩いているように見える。
賞賛として手を叩く場面では赤ちゃんはそのように手を叩いていないが、歌に参加する場面では自発的にリズムに合わせて手を叩いているように見えた。
○ 質問:はじめ親が一緒に手を叩いて注入したその惰性が残っていたのではないか?ホルツマンの言うZPDではないのではないか?
→ いや、リズムがあっていたように思う。
○ 園の反応:
「せっかくクラシックなのだからクラシックらしい曲を増やして欲しかった。」
「ニワカ音楽でない専門家の音楽が聴けた。」などの感想。
→ 本物(プロ)に対する権威づけが行われている。
○ ※ 工場労働者と技術者との協働
鋳造所、システム構築の際に工場労働者の経験はシステム構築や配備のリソースとして用いられなかった。
ホンモノとニワカという強い境界をひくこと。協働が発展しない可能性を秘めていると思う。
プロなら本物?教職員なら本物でない?
演奏者と教職員双方の音楽観や教育観、「ホンモノ」概念の変化を追う。
○ 質問
・ 聴くというより参加するというのが多かったように思うが?
→童謡であっても活動を伴わない鑑賞主体のもあった。
・ 自分の場合は子供が聴きやすい、伴奏がゴチャゴチャしないとか、子供の様子を見ながらこれまでの経験を動員してその場に応じてアレンジする。
・ 千住真理子のコンサートは子供向けにやっているけど子供用にアレンジはしていない。騒ぐなら騒いでも良いというスタンスで。
・ 自分は保育者だったが、保育士でも「手をたたきましょう」のようにはできるので、せっかくならクラシックらしいのを聴きたいということはわかる。
・ 一瞬の出会いであっても「ホンモノ」に接したことは子供達にのこる。
・ 行動規制のためではなくその世界を楽しむために「おもちゃのチャチャチャ」
をやりたいとも思う。
・ クラシックの専門性に対して幼児教育の専門家がどのように関われるか。
佐伯先生:子供を見くびらないというのが大切。子供の理解力を信頼する。何らかの媒介は必要だけれど、子供の理解力は大きい。
子供と一緒に音楽を創る。作品創りに参加させる。鑑賞の場面もある。そうして音楽を創る。演奏するだけでなく一緒に創る。レッジョエミリアの例。
発表2 養護教諭の学校内機能について
養護教諭の学校内のコーディネーション機能に関する研究
学校管理職へのインタビューの分析から、学校保健活動を進める上での教護教諭に期待される機能について考察した。管理職は養護教諭を学校保健活動を進める上でのコーディネータ、中核として認識しており、その機能が十分に発揮されるようにバックアップを行っていた。
このバックアップは教職員・校外の学校関係者全体の関与によって成立しており、学校保健活動における養護教諭のコーディネーション機能は社会的な達成であることが示唆された。
○ 養護教諭とは:
養護教諭は何する人?
明治時代に学校医が置かれ,数年後に看護師がおかれた。ここまで明治。
そして名称が養護教諭となって,教育職に位置付けられた。
学校の中だけでなく関係機関との間でコーディネート機能が期待されている。
○ 特別支援学校に通う児童生徒の発育の特徴:
病気をしやすい、感染症対策に力を入れる。
精神年齢と生活年齢に差が大きい。
環境が整うと登校意欲が大きくなる。
小さな時から苦労の大きい育ち方をしている。
集団活動を生かした教科学習(バレーボールなど)、部活動、朝練もある。
親への支援が大切と思ってこの研究を始めた。
○ 学校保健活動、
児童生徒の保健と発育に関すること。
学校の保健安全への配慮。
生徒自らの健康維持をはかる能力を育成する。
○ 管理職へのインタビュー調査から次のことがわかった。
管理職は
→ 養護教諭の環境・ひととなり・仕事振りの把握。
→ 管理職が学校保健活動の意義とその活動の企画を教職員に周知。
→ 養護教諭を学校保健活動の中核として位置付け,コーディネータ機能をバックアップ。
○ 養護教諭が中心となって進めている学校保健活動の記録から副校長にインタビユーした。
副校長の動き、バックアップ行動に注目した。
記録を振り返って特別支援学校を通して養護教諭になってきたのだと思った。
養護教諭としての社会的達成。
○ 「養護教諭」は一つの免許だが、小中高特別支援学校で役回りが少しずつ異なる。
教員が自分の健康について相談を受ければ応じるが、こちらから問うことは控える。
健康に関する専門家である。
看護師からなれる。
教育実習もある。
保健師から養護教諭になる場合もある。
看護師の免許を取りながら養護教諭をとることもできる。
教育がバックグラウンドの人と、看護師バックグラウンドの人がいる。
臨床経験があれば養護教諭としては強いかもしれない。
発言:学校の中にホンモノがいるということ?
ここで,教員免許を得てすぐに教員になった人と,教える内容について専門職についてから教員になった事例について,出席者の体験からからいくつかの事例が紹介された。
********
研究協議の後は立教大学至近にある「セントポールのとなり」で懇親会開催。
台風が心配されたが,ここで議論の続きを行った。
2012-05-12
納得研究会(2012年第2回)
立教大学にて本年2回目の納得研究会が開催された。18名出席
本日の発表は2本で、ともに病院の入院患者が自分の病気に対する認識を深め、QOLを高めるための手立てについて、薬剤師と看護師それぞれの立場から行われた研究報告だった。
発表1 Wさん(薬剤師):精神科入院患者のグループミーティングについて
発表2 Kさん(看護師):急性心筋梗塞を発症した病者が心臓リハビリテーションを通して新たな自己を探求するプロセスの明確化
横浜国立大学・神奈川県立総合教育センター連携講座「学習環境研修講座」に毎年8月参加していて、その講座を担当されている教育人間科学部教授の有元典文先生の次のようなお話が教員としての私の心に刻まれている。
~~「学校は学校内の達成のために学習する場ではなく、学校外の生活の質を高めるために学習を行う場である。(学校は、こどもを学校の生徒にするための場ではなく,こどもが社会の中で生活してゆけるようにするための場だ)。」~~
今日の発表は、この「学校」「学習」「生徒」に対する考え方に通ずる概念だと思った。つまり、患者が自分の病状を認識し、服薬やリハビリテーションなどの自己管理行動を患者が自覚的に行うことが医療の目的で、「薬を飲むことになっているから飲む」「リハビリを行うことになっているからする」というように医療者に対すして患者が服従することが医療の目的ではない。
服薬指導やリハビリテーションは患者にとっては学習で、ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー著、佐伯胖訳『状況に埋め込まれた学習』第3章の「断酒中のアルコール依存症患者の徒弟制』に見られるような学習過程とよく似ている。
発表1の概要:「精神科入院患者のグループミーティングについて」
精神科入院患者が自分の状況を自覚し、服薬を自分自身の目標達成(退院する、就職する、結婚するなど)の手段と捉えることができるようになるために、「IMR疾病管理とリカバリーツールキット」を用いて患者同士のグループミーティングを実施した。
服薬そのものが目的ではなく、服薬を通じて患者が自分の病識をもつこと、自分のリカバリー(目標を立てそこに近づいてゆく)実現をすることが目的。
リカバリーとは、患者が自分で決定した目指したい姿への成長。
薬剤師は調剤だけでななく、臨床で患者に服薬指導を行うことも業務のひとつである。
40代から70代、入院経歴2年から10年余りの患者を男女別に5人ずつ、3ヶ月の間にそれぞれ計7回行った。
ミーティングの1回目に、基礎調査として発症前までの生活歴や趣味、宗教、信条などを質問形式に沿って聞いたが、これが有効だった。
2回目以降、各自の目標を設定する。
精神疾患について知識を得る。
ストレス脆弱性について知る。
服薬の必要性や副作用について知る。
規則正しく服薬する方法を考える。
重ねてきたミーティングを振り返る。
結果
話し合いができるようになった。
押し込めていた考えや感情を発信するようになった。
自己評価を高めた。
患者同士がお互いの能力を引き出した
服薬を自分のための治療と考える契機になった。
薬剤師が進行をつとめることで、疾患やストレスを薬に結び付けて解説でき、服薬意義を明確にできた。
課題
DAI-10(Drug Attitude Inventory-10)のポイントを下げた患者が複数いた。
これは、医療者に取り繕わず本当の気持ち(自分は病気ではないので薬は不要)を語るようになった結果と推測している。
グループミーティングの取り組みが終わったあと、数ヶ月で服薬自己管理ができなくなった患者がいた。
質疑
○ DAI-10そのものが間違っているのではないか?
→自分への認識が深まるほどポイントが下がることああると思う。
○ 2択では考えられないことがある。
臨床心理士は文系で生物や化学の知識が不足している面があり、薬のことはよくはわからない。だからチーム医療が必要だと思った。
○結果に対して数値化して結論付けることができず実践報告までにとどまった。
→GTAで数値化できるかもしれない
→自分が良かったと思った点を評価する指標を探すとよい。
○認知機能がない人が対象とならざるを得なかった。
→(医療者にとって)優等生のように振舞う人が出てしまう。言語ゲームのように点数が上がうだけの人がある。
○目的が高度すぎるかもしれない。服薬を自己管理できるようになる目的なのか、自己実現を目指すのか。服薬自己管理だけの目的ならスキナーボックスで可能かもしれないように。
○7回だけでなく継続的に重ねることが可能だったのではないか。
○中学生に対して、「勉強するのは点数取るためではないのだから・・・」と言っても相手はすぐには納得できない。むずかしい。これは内発的動機づけの話だ。
○グループミーティングにする意義はあったのか?その必要性は?
→グループミーティングがはじめに行われていて、そこに薬剤師が呼ばれたことがこの研究のきっかけだった。
○グループミーティングに対して何らかの相互作用を期待したのか?「効果があるはず」という思いがあったのか?
→個別での服薬指導よりも、人の話を聞いて「なるほど」ということがあるようだった.個別指導よりも効果がありそうだった。
○病気に対する自覚を持つことと、服薬自己管理の二つの目的が混在している。
○「カッコーの巣の上で」を思い浮かべた。
○グループミーティングがよかったと思うのは、患者ー医療者の権力関係がないところ。必ずしも薬をきちんと飲むことにつながらなくてもよいのではないか。
○人と違った意見を言うときに、教師よりも自分と同じ境遇である者同士のほうが良いと思う。
○会話記録がないと分析ができない。
→精神科という特性からそれは難しかった。
○服薬意義とDAI-10はちょっとずれているところがある。
→グループミーティング・・・人生の目標と服薬意義にはずるつ傾向がある。
ツールキットが向いている人とそうでない人がある。それを初期に抽出することができたのではないか。
発表2の概要:「急性心筋梗塞を発症した病者が心臓リハビリテーションを通して新たな自己尾を探求するプロセスの明確化」
急性心筋梗塞(AMI)を発症し、カテーテル(PCI)によって日常生活に戻れるようになった患者4名に対し、2回から4回の面接を行い、患者が心臓リハビリテーションを通して病者としての自己を探求し、自己管理が必要な退院後の生活と結び付けようとする過程を分析した。
予備知識:AMI(心筋梗塞)・・・心臓の心室と心房を結ぶ三つの血管が完全に詰まって壊死した状態。
狭心症はその血管が狭くなる症状で、壊死することはない。
PCI:PCI カテーテルを入れて血管の詰まったところを膨らませ、血液が流れるようにする。術式が10年前に比べてとても簡単になっている。今は鼠蹊部からではなく、手首の血管からカテーテルを入れられる。
心リハ:心臓リハビリテーションのこと。
かなり復帰できるようになってきている。AMIの90パーセントはPCIで治療できる。あとの10パーセントは開胸手術が必要。
心肺停止の状態でも蘇生が行われればカテーテルを入れて治療する。
サッカー選手、AEDで救命措置をした後この方法をしてその後で亡くなったらしい。
PCIを行った患者が、痛かったり苦しかったり死を想像する経験をしながら、そのあとAMIを発症した自覚が薄れていく。
再発予防が必要である。
入院期間が短縮。日本7日、アメリカ3日。アメリカは外来フォローがしっかりしている。
日本は予後のリハビリをしてから退院。診療報酬が決まっているので、できるだけ早く退院させる。
心臓リハビリテーションに関する知識,自己管理に必要な自覚がないまま退院させられる。退院後の自己管理行動に対する意識付けがひくい。
研究目的:AMIを発症し緊急PCIを受けた病者の心臓リハビリテーションにおける体験を明らかにし、入院期間における看護支援の検討をすること。
病を持つ自己の受け入れ→心リハを行う上で大切。
研究者の臨床経験
自己の病をどのように捉えているのか。
発症から集中治療室、この超急性期の体験の研究。
再発:高脂血症があったり、肥満であったり、糖尿病を持っている人はリスクが高い。自己管理が困難で、再発を繰り返す例が多い。
これらの人のAMI発症率は、このような既往症のない人の3倍以上。
糖尿病を持った心疾患患者は注目を集めつつある。
10~20代でも血管が振動して詰まるための心筋梗塞があり、死に至ることがある。亜急性心筋梗塞というのがある。
心リハを開始する上では医師の指示がある。
データ収集方法
参加観察法
心リハの観察、面接時に質問、思いや語りを引き出す。
半構成的面接法
心リハ中のベッドサイドでの非公式面接
病党内歩行試験終了後の公式の面接
その他補足データ
AMI発症から退院までの、新たな自己を探求する過程の全容(サンプル4名)
入院から退院までの患者の時期
① AMIのダメージを最小限にする時期:発症の実感が伴わない。1-2日。
(積極的にまな板の鯉、死を意識する時期)
② 病者としての自己を探り冒険する時期(心リハ開始の時期)
③ 病者としての自己と未来の生活を結ぼうと試みる時期(退院の見通しが立った時期) 禁煙決意、運動療法を試みるなど。
単に退院するだけでなく、社会復帰を目指す。
全期間を通じて案内役(同伴者としての医療者の存在) 黒田・船山(2002)、PCIを受けた患者は冠動脈バイパス術を受けた患者よりも在宅移行期に生活を管理して行こうとする意識が低かった。
状況の中から患者が学習をしているのではないかということから、レイブの「状況に埋め込まれた学習」から新たな視点を得られた。
状況:本人の身体の状況、医療者や他の患者とのかかわりなどから。
自覚のない病者に病者として自覚させていく。
結果:本研究参加者は、退院後に何らかの自己管理行動が必要であることを感じていた。
質疑応答
○もちを喉に詰まらせたときは死を意識するが取れればもう忘れる。
○病者としての自分を認めたくないというのではなく、喉もと過ぎれば熱さを忘れるという状況。
○追跡インタビューを行ったか? →追っかけインタビューは1回だけやった。
退院したあとは誰からもアドバイスを受けられないところで、病識を忘れてしまいかねない。
○研究の目的、心リハの体験を明らかにする?こういう教育を行っていくことがよいというとわかりやすいが・・・
→論文査読のときも同じことが言われた。
○生死が心配な時期から安心できる時期への移行、現象としてあるのではないかと思っている。
○医療者から病気のことについていろいろといわれた患者とそうでない患者のちがいは?
○医療的なかかわりを持った患者としてのアイデンティティと生活者としてのアイデンティティ、患者はダブルバインドの状態にある。それを対象者の語りの中から、どちらを読み取るか、聞き取るか。
○患者は自己の生活が破綻しているというふうには思っていない。
行動を変容させていく、アイデンティティを一致させていく。一致させないと退院後の生活が成り立っていかないのでそこは医療者としては一致させるべきと思う。
本日の発表は2本で、ともに病院の入院患者が自分の病気に対する認識を深め、QOLを高めるための手立てについて、薬剤師と看護師それぞれの立場から行われた研究報告だった。
発表1 Wさん(薬剤師):精神科入院患者のグループミーティングについて
発表2 Kさん(看護師):急性心筋梗塞を発症した病者が心臓リハビリテーションを通して新たな自己を探求するプロセスの明確化
横浜国立大学・神奈川県立総合教育センター連携講座「学習環境研修講座」に毎年8月参加していて、その講座を担当されている教育人間科学部教授の有元典文先生の次のようなお話が教員としての私の心に刻まれている。
~~「学校は学校内の達成のために学習する場ではなく、学校外の生活の質を高めるために学習を行う場である。(学校は、こどもを学校の生徒にするための場ではなく,こどもが社会の中で生活してゆけるようにするための場だ)。」~~
今日の発表は、この「学校」「学習」「生徒」に対する考え方に通ずる概念だと思った。つまり、患者が自分の病状を認識し、服薬やリハビリテーションなどの自己管理行動を患者が自覚的に行うことが医療の目的で、「薬を飲むことになっているから飲む」「リハビリを行うことになっているからする」というように医療者に対すして患者が服従することが医療の目的ではない。
服薬指導やリハビリテーションは患者にとっては学習で、ジーン・レイヴ&エティエンヌ・ウェンガー著、佐伯胖訳『状況に埋め込まれた学習』第3章の「断酒中のアルコール依存症患者の徒弟制』に見られるような学習過程とよく似ている。
発表1の概要:「精神科入院患者のグループミーティングについて」
精神科入院患者が自分の状況を自覚し、服薬を自分自身の目標達成(退院する、就職する、結婚するなど)の手段と捉えることができるようになるために、「IMR疾病管理とリカバリーツールキット」を用いて患者同士のグループミーティングを実施した。
服薬そのものが目的ではなく、服薬を通じて患者が自分の病識をもつこと、自分のリカバリー(目標を立てそこに近づいてゆく)実現をすることが目的。
リカバリーとは、患者が自分で決定した目指したい姿への成長。
薬剤師は調剤だけでななく、臨床で患者に服薬指導を行うことも業務のひとつである。
40代から70代、入院経歴2年から10年余りの患者を男女別に5人ずつ、3ヶ月の間にそれぞれ計7回行った。
ミーティングの1回目に、基礎調査として発症前までの生活歴や趣味、宗教、信条などを質問形式に沿って聞いたが、これが有効だった。
2回目以降、各自の目標を設定する。
精神疾患について知識を得る。
ストレス脆弱性について知る。
服薬の必要性や副作用について知る。
規則正しく服薬する方法を考える。
重ねてきたミーティングを振り返る。
結果
話し合いができるようになった。
押し込めていた考えや感情を発信するようになった。
自己評価を高めた。
患者同士がお互いの能力を引き出した
服薬を自分のための治療と考える契機になった。
薬剤師が進行をつとめることで、疾患やストレスを薬に結び付けて解説でき、服薬意義を明確にできた。
課題
DAI-10(Drug Attitude Inventory-10)のポイントを下げた患者が複数いた。
これは、医療者に取り繕わず本当の気持ち(自分は病気ではないので薬は不要)を語るようになった結果と推測している。
グループミーティングの取り組みが終わったあと、数ヶ月で服薬自己管理ができなくなった患者がいた。
質疑
○ DAI-10そのものが間違っているのではないか?
→自分への認識が深まるほどポイントが下がることああると思う。
○ 2択では考えられないことがある。
臨床心理士は文系で生物や化学の知識が不足している面があり、薬のことはよくはわからない。だからチーム医療が必要だと思った。
○結果に対して数値化して結論付けることができず実践報告までにとどまった。
→GTAで数値化できるかもしれない
→自分が良かったと思った点を評価する指標を探すとよい。
○認知機能がない人が対象とならざるを得なかった。
→(医療者にとって)優等生のように振舞う人が出てしまう。言語ゲームのように点数が上がうだけの人がある。
○目的が高度すぎるかもしれない。服薬を自己管理できるようになる目的なのか、自己実現を目指すのか。服薬自己管理だけの目的ならスキナーボックスで可能かもしれないように。
○7回だけでなく継続的に重ねることが可能だったのではないか。
○中学生に対して、「勉強するのは点数取るためではないのだから・・・」と言っても相手はすぐには納得できない。むずかしい。これは内発的動機づけの話だ。
○グループミーティングにする意義はあったのか?その必要性は?
→グループミーティングがはじめに行われていて、そこに薬剤師が呼ばれたことがこの研究のきっかけだった。
○グループミーティングに対して何らかの相互作用を期待したのか?「効果があるはず」という思いがあったのか?
→個別での服薬指導よりも、人の話を聞いて「なるほど」ということがあるようだった.個別指導よりも効果がありそうだった。
○病気に対する自覚を持つことと、服薬自己管理の二つの目的が混在している。
○「カッコーの巣の上で」を思い浮かべた。
○グループミーティングがよかったと思うのは、患者ー医療者の権力関係がないところ。必ずしも薬をきちんと飲むことにつながらなくてもよいのではないか。
○人と違った意見を言うときに、教師よりも自分と同じ境遇である者同士のほうが良いと思う。
○会話記録がないと分析ができない。
→精神科という特性からそれは難しかった。
○服薬意義とDAI-10はちょっとずれているところがある。
→グループミーティング・・・人生の目標と服薬意義にはずるつ傾向がある。
ツールキットが向いている人とそうでない人がある。それを初期に抽出することができたのではないか。
発表2の概要:「急性心筋梗塞を発症した病者が心臓リハビリテーションを通して新たな自己尾を探求するプロセスの明確化」
急性心筋梗塞(AMI)を発症し、カテーテル(PCI)によって日常生活に戻れるようになった患者4名に対し、2回から4回の面接を行い、患者が心臓リハビリテーションを通して病者としての自己を探求し、自己管理が必要な退院後の生活と結び付けようとする過程を分析した。
予備知識:AMI(心筋梗塞)・・・心臓の心室と心房を結ぶ三つの血管が完全に詰まって壊死した状態。
狭心症はその血管が狭くなる症状で、壊死することはない。
PCI:PCI カテーテルを入れて血管の詰まったところを膨らませ、血液が流れるようにする。術式が10年前に比べてとても簡単になっている。今は鼠蹊部からではなく、手首の血管からカテーテルを入れられる。
心リハ:心臓リハビリテーションのこと。
かなり復帰できるようになってきている。AMIの90パーセントはPCIで治療できる。あとの10パーセントは開胸手術が必要。
心肺停止の状態でも蘇生が行われればカテーテルを入れて治療する。
サッカー選手、AEDで救命措置をした後この方法をしてその後で亡くなったらしい。
PCIを行った患者が、痛かったり苦しかったり死を想像する経験をしながら、そのあとAMIを発症した自覚が薄れていく。
再発予防が必要である。
入院期間が短縮。日本7日、アメリカ3日。アメリカは外来フォローがしっかりしている。
日本は予後のリハビリをしてから退院。診療報酬が決まっているので、できるだけ早く退院させる。
心臓リハビリテーションに関する知識,自己管理に必要な自覚がないまま退院させられる。退院後の自己管理行動に対する意識付けがひくい。
研究目的:AMIを発症し緊急PCIを受けた病者の心臓リハビリテーションにおける体験を明らかにし、入院期間における看護支援の検討をすること。
病を持つ自己の受け入れ→心リハを行う上で大切。
研究者の臨床経験
自己の病をどのように捉えているのか。
発症から集中治療室、この超急性期の体験の研究。
再発:高脂血症があったり、肥満であったり、糖尿病を持っている人はリスクが高い。自己管理が困難で、再発を繰り返す例が多い。
これらの人のAMI発症率は、このような既往症のない人の3倍以上。
糖尿病を持った心疾患患者は注目を集めつつある。
10~20代でも血管が振動して詰まるための心筋梗塞があり、死に至ることがある。亜急性心筋梗塞というのがある。
心リハを開始する上では医師の指示がある。
データ収集方法
参加観察法
心リハの観察、面接時に質問、思いや語りを引き出す。
半構成的面接法
心リハ中のベッドサイドでの非公式面接
病党内歩行試験終了後の公式の面接
その他補足データ
AMI発症から退院までの、新たな自己を探求する過程の全容(サンプル4名)
入院から退院までの患者の時期
① AMIのダメージを最小限にする時期:発症の実感が伴わない。1-2日。
(積極的にまな板の鯉、死を意識する時期)
② 病者としての自己を探り冒険する時期(心リハ開始の時期)
③ 病者としての自己と未来の生活を結ぼうと試みる時期(退院の見通しが立った時期) 禁煙決意、運動療法を試みるなど。
単に退院するだけでなく、社会復帰を目指す。
全期間を通じて案内役(同伴者としての医療者の存在) 黒田・船山(2002)、PCIを受けた患者は冠動脈バイパス術を受けた患者よりも在宅移行期に生活を管理して行こうとする意識が低かった。
状況の中から患者が学習をしているのではないかということから、レイブの「状況に埋め込まれた学習」から新たな視点を得られた。
状況:本人の身体の状況、医療者や他の患者とのかかわりなどから。
自覚のない病者に病者として自覚させていく。
結果:本研究参加者は、退院後に何らかの自己管理行動が必要であることを感じていた。
質疑応答
○もちを喉に詰まらせたときは死を意識するが取れればもう忘れる。
○病者としての自分を認めたくないというのではなく、喉もと過ぎれば熱さを忘れるという状況。
○追跡インタビューを行ったか? →追っかけインタビューは1回だけやった。
退院したあとは誰からもアドバイスを受けられないところで、病識を忘れてしまいかねない。
○研究の目的、心リハの体験を明らかにする?こういう教育を行っていくことがよいというとわかりやすいが・・・
→論文査読のときも同じことが言われた。
○生死が心配な時期から安心できる時期への移行、現象としてあるのではないかと思っている。
○医療者から病気のことについていろいろといわれた患者とそうでない患者のちがいは?
○医療的なかかわりを持った患者としてのアイデンティティと生活者としてのアイデンティティ、患者はダブルバインドの状態にある。それを対象者の語りの中から、どちらを読み取るか、聞き取るか。
○患者は自己の生活が破綻しているというふうには思っていない。
行動を変容させていく、アイデンティティを一致させていく。一致させないと退院後の生活が成り立っていかないのでそこは医療者としては一致させるべきと思う。
2012-03-31
納得研究会(2012年第1回)
今年度第1回の納得研究会が青山学院大学で開催された。
研究会は14時からなので、昼食はメンバーに教えてもらっていたもうやんカレー246という店に決めていた。渋谷駅から青山学院に向かって宮益坂を登り切ったあたりにある。日曜日は定休で、月曜から土曜のお昼は1000円でランチバイキング、カレーとおかずが食べ放題で、コーヒーとルイボスティーも飲み放題。カレーは豚と牛の他に激辛ソースがある。バターライスと五穀ご飯、炒めたうどんそれぞれ好きなものにカレーをかけて、鶏肉やサラダ等いろいろをてんこ盛りにできるしおかわりも自由で、つい食べ過ぎてしまった。
午前中から雨混じりの強風で、電車のダイヤは乱れるし、傘は次々に壊れるし、大変な天候だった。雨は午後には止んだが、風が北寄りに変わって夜は冷え込んだ。しかし、発表後の議論は熱かった。
本日の発表は吉岡さん(立教大学特任准教授)と福田さん(横浜国立大学非常勤講師)。25人余りの出席で、とても盛況だった
【吉岡さんの発表】
ソクラテスメソッドの紹介と『対話による科学教育』の可能性について
応用哲学会のワークショップから。
先生も答えを知らないような授業、課題研究、総合的な学習の時間、STS(Science,Technology and Society)教育などに適用できるのではないか。
ソクラテスメソッドとは対話型教育の方法。レオナルドネルソンによって創始された。ソクラテスは自分の知識を教え込むのではなく、真理に至る道筋を求めることを重視し、質問、返答の吟味、再質問を繰り返した。
ソクラテスメソッドは、哲学者や哲学を教えるのではない。答えを求めるのではなく、学ぶ者を哲学者にする技術である。
カント(1724-1804)から始まっているらしい。
ソクラテス(469-399B.C.E.)、《問いの技術》と《「無知」の態度》、「無知」を明らかにする。事例から仮説を推論する。この方法を用いて、
トピックを選ぶ、
具体例を出しあう、
議論する、
吟味する、
(△△とは▼▼である)というような結論(定義付け)を導き出す。
ソクラテスメソッドにはドイツ方式とオランダ方式がある。
ドイツ方式はよりソクラテスが行った方法に近く、そもそもトピックの設定から参加者が案を出しあう(何について話し合うか等)。時間がかかる。
オランダ方式は、予め設定した問いやテーマについて話しあう。ある程度話し合ったら投票などの方法で決着をつける。など、ドイツ方式よりも短い時間で行える。
「友情」についてオランダ方式で対話を進める事例の紹介。
久しぶりに友人と会って楽しかった具体的なエピソードから、どこで会ったか、なぜ楽しかったのか、どんな話題だったのか・・・・・など、対話を進めて「友情」の概念を位置づけ、「友情とは・・・・・ことである」と定義付ける。
《感想》
授業の進行上、教師が生徒と対話しながら「ある価値を」誘導して定義付けることはあるが、私の場合は今のところ「教える」ことのほうが多い。しかし、教わったことは忘れやすく、自分が議論に参加してある結論(価値)を導いたことは、より理解が深まって転移可能な知識になる。
教師の役割は、「何でも知っている立場」から生徒に知識を授けるのではなく、生徒が授業に参加したくなるような場をデザインし、授業の進行を整えて結論をまとめ、生徒が知識を獲得することを援助することなのだと思う。
時間と学級規模の制約から、すべての単元についてこのような授業を行うことは無理かもしれない。また、受験や資格試験などの対応のために、従来から行われている「知識伝達型」の授業も全くは否定できない。しかし、学ぶことの楽しさや、知らなかったことを知る喜びを感じられるような、対話による授業を計画的に行うことができれば、従来型の授業に対しても生徒は「教えてもらう」受動的な参加ではなく、自分から学ぶ主体的な参加をするようになるのではないだろうか。
【福田さんの発表】
初等中等教育における対話による科学教育の可能性
~生物教育を例に~
1. 科学教育において対話はどのような意味を持つか?
科学教育についての言説:
教師は知っていて生徒に教える、事件や観察はそれを確かめさせるもの。
「中等理科教育法」で、空欄補充のプリントを用意する学生。
生物は生物に学ぶもの(「せいぶつ」は「いきものに」まなぶ)
「このカエル間違っている。」
2. 対話としてのレポート
都立小石川高校の生物の授業、小石川方式として都立高校の生物教育に広まっている。
自作テキスト「生物実習」担当班が事前に呼び実験を行う。その班がすべて準備する。
なんの為の実験かがわかっている。
レポートの提出と採点、再提出。
他人のを写す→不合格。初めて他人と問題が異なることに気づく。
同じ問題の人を探す。→議論が始まり相談が活発になる。
3. 教室を飛び出す
国立科学博物館の見学:教師自作のワークシートを持って
上野動物園の見学
自分で見てもらう。この動物のこの部分を見なさいという指示はする。
相手が何を見ているかを知ること。
どのように見ているかを教師が知ることも必要。
子供に正しい見方のチャンスはない。伝達メタファは?
科学者がやっていること、顕微鏡を作って見た人と、すでに顕微鏡が研究室にある人とは、見えが違う。
小石川方式では、どれくらいの生徒が乗ってくるのか。
→二種類の対話、自由な対話と意図された対話があるのではないか?
自由な対話は導入くらいでしかあり得ない。
一年間使って、ノートに自分なりの問いが蓄積される。
空欄補充問題との違いは、見ること。
生徒はどこをどう見るのかわからない。教師は意図した部分がある。
絵をかける人は見なくなってしまう。よく見なくてもそこそこかけてしまう。
授業でオープンエンド、芸術や文学解釈などでは対話が成立するのか?
そういう時には自由な対話ができるだろう。
患者のみたてはオープンではダメだと思うが。
自分が患者に対峙して得られる答えと、学生が対峙して得られる答えはちがう。
私なりの注射ということはあり得ないのではないか?
少しあるかな?
国語の場合と重なる。生徒との対話、生き物との対話。
《感想》
練習船で機関士を養成する教育を担当していた時のことを思い出した。
実習生ははじめのうち、機関室にある機器が視界に入ってはいても、それぞれの機械の名称も役割も全体の装置との関わりもわからない。
何をどう見れば良いのかわからない
出航し、機関室の当直に入って機関士(教官)の質問を受ける・・・教官と実習生の対話
○○ポンプの吐出圧力は?
電動機の電流値は?
燃料タンクの量は?
排気の温度は?
蒸気の圧力は?
それは何のための機械か?
・・・・・
・・・・・
教官とこうした対話を重ねるうちに,それまで機械であることはわかるけれどなんだかわからない,曖昧とした物体が,少しずつ姿を現して,本船の機関装置として役割を担うポンプであり,発電機であり,軸受けであり,熱交換器であり・・・と,ひとつひとつが意味を持った装置として見えてくる。
見えているということと、観る、視る、看る、診ることとは違う。
実習生は教官との対話を通して、機関室諸機器・装置の構成と役割、運転方法について視点を獲得し、自分で当直業務を行えるように育ってゆく。
「空欄補充」では技術も技能も獲得できず、それで覚えた「知識」は忘れてしまう。
懇親会は青山通りのGAYA aoyamaで。
研究会は14時からなので、昼食はメンバーに教えてもらっていたもうやんカレー246という店に決めていた。渋谷駅から青山学院に向かって宮益坂を登り切ったあたりにある。日曜日は定休で、月曜から土曜のお昼は1000円でランチバイキング、カレーとおかずが食べ放題で、コーヒーとルイボスティーも飲み放題。カレーは豚と牛の他に激辛ソースがある。バターライスと五穀ご飯、炒めたうどんそれぞれ好きなものにカレーをかけて、鶏肉やサラダ等いろいろをてんこ盛りにできるしおかわりも自由で、つい食べ過ぎてしまった。
午前中から雨混じりの強風で、電車のダイヤは乱れるし、傘は次々に壊れるし、大変な天候だった。雨は午後には止んだが、風が北寄りに変わって夜は冷え込んだ。しかし、発表後の議論は熱かった。
本日の発表は吉岡さん(立教大学特任准教授)と福田さん(横浜国立大学非常勤講師)。25人余りの出席で、とても盛況だった
【吉岡さんの発表】
ソクラテスメソッドの紹介と『対話による科学教育』の可能性について
応用哲学会のワークショップから。
先生も答えを知らないような授業、課題研究、総合的な学習の時間、STS(Science,Technology and Society)教育などに適用できるのではないか。
ソクラテスメソッドとは対話型教育の方法。レオナルドネルソンによって創始された。ソクラテスは自分の知識を教え込むのではなく、真理に至る道筋を求めることを重視し、質問、返答の吟味、再質問を繰り返した。
ソクラテスメソッドは、哲学者や哲学を教えるのではない。答えを求めるのではなく、学ぶ者を哲学者にする技術である。
カント(1724-1804)から始まっているらしい。
ソクラテス(469-399B.C.E.)、《問いの技術》と《「無知」の態度》、「無知」を明らかにする。事例から仮説を推論する。この方法を用いて、
トピックを選ぶ、
具体例を出しあう、
議論する、
吟味する、
(△△とは▼▼である)というような結論(定義付け)を導き出す。
ソクラテスメソッドにはドイツ方式とオランダ方式がある。
ドイツ方式はよりソクラテスが行った方法に近く、そもそもトピックの設定から参加者が案を出しあう(何について話し合うか等)。時間がかかる。
オランダ方式は、予め設定した問いやテーマについて話しあう。ある程度話し合ったら投票などの方法で決着をつける。など、ドイツ方式よりも短い時間で行える。
「友情」についてオランダ方式で対話を進める事例の紹介。
久しぶりに友人と会って楽しかった具体的なエピソードから、どこで会ったか、なぜ楽しかったのか、どんな話題だったのか・・・・・など、対話を進めて「友情」の概念を位置づけ、「友情とは・・・・・ことである」と定義付ける。
《感想》
授業の進行上、教師が生徒と対話しながら「ある価値を」誘導して定義付けることはあるが、私の場合は今のところ「教える」ことのほうが多い。しかし、教わったことは忘れやすく、自分が議論に参加してある結論(価値)を導いたことは、より理解が深まって転移可能な知識になる。
教師の役割は、「何でも知っている立場」から生徒に知識を授けるのではなく、生徒が授業に参加したくなるような場をデザインし、授業の進行を整えて結論をまとめ、生徒が知識を獲得することを援助することなのだと思う。
時間と学級規模の制約から、すべての単元についてこのような授業を行うことは無理かもしれない。また、受験や資格試験などの対応のために、従来から行われている「知識伝達型」の授業も全くは否定できない。しかし、学ぶことの楽しさや、知らなかったことを知る喜びを感じられるような、対話による授業を計画的に行うことができれば、従来型の授業に対しても生徒は「教えてもらう」受動的な参加ではなく、自分から学ぶ主体的な参加をするようになるのではないだろうか。
【福田さんの発表】
初等中等教育における対話による科学教育の可能性
~生物教育を例に~
1. 科学教育において対話はどのような意味を持つか?
科学教育についての言説:
教師は知っていて生徒に教える、事件や観察はそれを確かめさせるもの。
「中等理科教育法」で、空欄補充のプリントを用意する学生。
生物は生物に学ぶもの(「せいぶつ」は「いきものに」まなぶ)
「このカエル間違っている。」
2. 対話としてのレポート
都立小石川高校の生物の授業、小石川方式として都立高校の生物教育に広まっている。
自作テキスト「生物実習」担当班が事前に呼び実験を行う。その班がすべて準備する。
なんの為の実験かがわかっている。
レポートの提出と採点、再提出。
他人のを写す→不合格。初めて他人と問題が異なることに気づく。
同じ問題の人を探す。→議論が始まり相談が活発になる。
3. 教室を飛び出す
国立科学博物館の見学:教師自作のワークシートを持って
上野動物園の見学
自分で見てもらう。この動物のこの部分を見なさいという指示はする。
相手が何を見ているかを知ること。
どのように見ているかを教師が知ることも必要。
子供に正しい見方のチャンスはない。伝達メタファは?
科学者がやっていること、顕微鏡を作って見た人と、すでに顕微鏡が研究室にある人とは、見えが違う。
小石川方式では、どれくらいの生徒が乗ってくるのか。
→二種類の対話、自由な対話と意図された対話があるのではないか?
自由な対話は導入くらいでしかあり得ない。
一年間使って、ノートに自分なりの問いが蓄積される。
空欄補充問題との違いは、見ること。
生徒はどこをどう見るのかわからない。教師は意図した部分がある。
絵をかける人は見なくなってしまう。よく見なくてもそこそこかけてしまう。
授業でオープンエンド、芸術や文学解釈などでは対話が成立するのか?
そういう時には自由な対話ができるだろう。
患者のみたてはオープンではダメだと思うが。
自分が患者に対峙して得られる答えと、学生が対峙して得られる答えはちがう。
私なりの注射ということはあり得ないのではないか?
少しあるかな?
国語の場合と重なる。生徒との対話、生き物との対話。
《感想》
練習船で機関士を養成する教育を担当していた時のことを思い出した。
実習生ははじめのうち、機関室にある機器が視界に入ってはいても、それぞれの機械の名称も役割も全体の装置との関わりもわからない。
何をどう見れば良いのかわからない
出航し、機関室の当直に入って機関士(教官)の質問を受ける・・・教官と実習生の対話
○○ポンプの吐出圧力は?
電動機の電流値は?
燃料タンクの量は?
排気の温度は?
蒸気の圧力は?
それは何のための機械か?
・・・・・
・・・・・
教官とこうした対話を重ねるうちに,それまで機械であることはわかるけれどなんだかわからない,曖昧とした物体が,少しずつ姿を現して,本船の機関装置として役割を担うポンプであり,発電機であり,軸受けであり,熱交換器であり・・・と,ひとつひとつが意味を持った装置として見えてくる。
見えているということと、観る、視る、看る、診ることとは違う。
実習生は教官との対話を通して、機関室諸機器・装置の構成と役割、運転方法について視点を獲得し、自分で当直業務を行えるように育ってゆく。
「空欄補充」では技術も技能も獲得できず、それで覚えた「知識」は忘れてしまう。
懇親会は青山通りのGAYA aoyamaで。
2012-03-19
写真撮影講座! "学び"の魅力を伝えよう!
NPO法人 EDUCE TECHNOLOGIES主催の「写真撮影講座! "学び"の魅力を伝えよう!」に参加した。
ワークショップでの学びを,表題のとおり,魅力的に伝えるために,どのように撮影するのかを学ぶワークショップだ。2月7日に東大の中原淳先生のブログで紹介があり,プロ写真家の見木久夫さんの指導を受けられるということで楽しみにしていた。
東京メトロ八丁堀から徒歩4分の株式会社内田洋行「東京ユビキタス協創広場 CANVAS」を会場として,午前10時から午後5時半過ぎまで行われた。
同じ場所の別の階では,日本生産性本部と東大中原研究室が主催する「人材育成の未来をACTする」というワークショップが開催されていて,そこへお邪魔して撮影実習する,ワークショップを実地本番で写真撮影するワークショップで,メタワークショップとでも言うのか,とても面白い試みだった。
(なお,400枚以上の写真を撮影したが,現に行われているワークショップにお邪魔して撮影した写真なのでこのブログへの掲載はしない。)
【中原先生講演】
1990年代には「ワークショップ」という言葉はあまり使われなかった。最近は一般的になってきたが,内容や参加者同士の相互交渉については注目されても,そのワークショップの様子を外に伝えたり記録に残したりする「技術」についてはあまり議論されてこなかった。
ワークショップに集って「わかる人だけわかる世界」ではなく,ワークショップで行われている学びの魅力を外へ伝えて「みんながわかって参加できる世界」に広がることが大切である。
fan研究,fan community research,fandom
この場で起こっていることを,外に伝える,自分のために残す。
【写真ワーク(見木先生)】
1. 写真の技術概要的な説明
(1)写真に必要な知識:テクニカル(露出,ピント,ブレ回避)とセンス(構図,タイミング,演出効果)の相乗。
(2)レンズ(ピント,画角,絞り)とカメラ(シャッター,センサー)
画質と描写力はイコールではない。
(3)レンズは一生もの,ボディは消耗品。
(4)ワークショップでは広角が重要。
(5)絞り:光量だけでなく,被写界深度(ピントの合う範囲)を決める。
(6)シャッター:動くものを止めて撮れる。
(7)ワークショップでは1/80秒以下のシャッター速度ではブレることが多い。
2. 実践1
(1)参加者9名を2グループに分け,1グループが自己紹介などをして写真撮影についてディスカッションしているところを,もうひとつのグループが撮影する。
(2)撮影した写真を全員の前で投影してリフレクション
3. 実践2
(1)「人材育成の未来をACTする」ワークショップ会場に移動
(2)こちらでは,120名くらいの参加者がグループに分かれて名刺交換している。すでに撮影実習は始まっていて,その様子を撮影する。
(3)基調講演に続いて行われたアイスブレーキングを撮影する。
(4)さらに会場を移して,中原研究室大学院生による人材育成に関する研究のポスターセッションの様子を,開始前から佳境に入るまで撮影する。
(5)撮影した写真のリフレクション
人物だけでなく,会場全体の様子や会場で使われている道具類など,その場を演出している物にも眼を向ける。
会場が暗ければISO感度を上げる。画質は犠牲になるが,記録のためならば充分。
ブレた写真は修整できないが,暗さはある程度補正できる。
「その時その場」しかないので,取り残しのないようにたくさん撮影する。
動きの一瞬を逃さないために待つ。
良いアングルを探して動く。
人のアップは顔が優先。
スマートホンやコンパクトデジカメなど,いろいろな手段で普段から撮影することは練習になる。
低い位置からの写真は立体的になるが威圧感も出る
上からの写真は可愛さ・フレンドリーさが出る
1枚の中に何もかもを入れようとしない。引き算で撮影する。人と人との関係性を表現する
ワークショップ記録写真で大切なこと・・・「どんな人たちが,誰と,何を,どんな雰囲気で」
雰囲気を伝えるモチーフ
来場する人たち,熱く語る講師,語り合う人と人,書きとめている手元・・・
人がいるから撮れるショット
人がいないから撮れるショット
4. 実践3
(1)東京学芸大学の高尾隆先生による,インプロビゼイション(即興演劇)による組織内教育,チーム作り,コミュニケーション作りに関する講演のあと,実際に即興演劇を行ってインプロを紹介している現場を撮影する。
(2)リフレクション
最高の瞬間を撮影する・・・対象を絞る,射程エリアを確保する,瞬間の捕捉
一人,人と人,人と物
ハンターとしての嗅覚
笑顔・集中・手振り
【ワークショップに参加して】
撮影は,「カメラ」の技術ではなく,「写真」の技術でもなく,「記録」の技術なのだと思った。その点では,日本科学未来館で行われた「ウメサオタダオ展」と関連が深い。もちろん,カメラを使って撮影する以上,カメラと写真の技術をみがくことは前提だが,何を,どのように記録して人に伝えるかが大切なのだと,改めて気付いた。
今日撮影を行ったワークショップは,次の書籍が参考になる。
高尾隆・中原淳『インプロする組織』三省堂
中原淳・編著『職場学習の探求』日本生産性本部
ワークショップでの学びを,表題のとおり,魅力的に伝えるために,どのように撮影するのかを学ぶワークショップだ。2月7日に東大の中原淳先生のブログで紹介があり,プロ写真家の見木久夫さんの指導を受けられるということで楽しみにしていた。
東京メトロ八丁堀から徒歩4分の株式会社内田洋行「東京ユビキタス協創広場 CANVAS」を会場として,午前10時から午後5時半過ぎまで行われた。
同じ場所の別の階では,日本生産性本部と東大中原研究室が主催する「人材育成の未来をACTする」というワークショップが開催されていて,そこへお邪魔して撮影実習する,ワークショップを実地本番で写真撮影するワークショップで,メタワークショップとでも言うのか,とても面白い試みだった。
(なお,400枚以上の写真を撮影したが,現に行われているワークショップにお邪魔して撮影した写真なのでこのブログへの掲載はしない。)
【中原先生講演】
1990年代には「ワークショップ」という言葉はあまり使われなかった。最近は一般的になってきたが,内容や参加者同士の相互交渉については注目されても,そのワークショップの様子を外に伝えたり記録に残したりする「技術」についてはあまり議論されてこなかった。
ワークショップに集って「わかる人だけわかる世界」ではなく,ワークショップで行われている学びの魅力を外へ伝えて「みんながわかって参加できる世界」に広がることが大切である。
fan研究,fan community research,fandom
この場で起こっていることを,外に伝える,自分のために残す。
【写真ワーク(見木先生)】
1. 写真の技術概要的な説明
(1)写真に必要な知識:テクニカル(露出,ピント,ブレ回避)とセンス(構図,タイミング,演出効果)の相乗。
(2)レンズ(ピント,画角,絞り)とカメラ(シャッター,センサー)
画質と描写力はイコールではない。
(3)レンズは一生もの,ボディは消耗品。
(4)ワークショップでは広角が重要。
(5)絞り:光量だけでなく,被写界深度(ピントの合う範囲)を決める。
(6)シャッター:動くものを止めて撮れる。
(7)ワークショップでは1/80秒以下のシャッター速度ではブレることが多い。
2. 実践1
(1)参加者9名を2グループに分け,1グループが自己紹介などをして写真撮影についてディスカッションしているところを,もうひとつのグループが撮影する。
(2)撮影した写真を全員の前で投影してリフレクション
3. 実践2
(1)「人材育成の未来をACTする」ワークショップ会場に移動
(2)こちらでは,120名くらいの参加者がグループに分かれて名刺交換している。すでに撮影実習は始まっていて,その様子を撮影する。
(3)基調講演に続いて行われたアイスブレーキングを撮影する。
(4)さらに会場を移して,中原研究室大学院生による人材育成に関する研究のポスターセッションの様子を,開始前から佳境に入るまで撮影する。
(5)撮影した写真のリフレクション
人物だけでなく,会場全体の様子や会場で使われている道具類など,その場を演出している物にも眼を向ける。
会場が暗ければISO感度を上げる。画質は犠牲になるが,記録のためならば充分。
ブレた写真は修整できないが,暗さはある程度補正できる。
「その時その場」しかないので,取り残しのないようにたくさん撮影する。
動きの一瞬を逃さないために待つ。
良いアングルを探して動く。
人のアップは顔が優先。
スマートホンやコンパクトデジカメなど,いろいろな手段で普段から撮影することは練習になる。
低い位置からの写真は立体的になるが威圧感も出る
上からの写真は可愛さ・フレンドリーさが出る
1枚の中に何もかもを入れようとしない。引き算で撮影する。人と人との関係性を表現する
ワークショップ記録写真で大切なこと・・・「どんな人たちが,誰と,何を,どんな雰囲気で」
雰囲気を伝えるモチーフ
来場する人たち,熱く語る講師,語り合う人と人,書きとめている手元・・・
人がいるから撮れるショット
人がいないから撮れるショット
4. 実践3
(1)東京学芸大学の高尾隆先生による,インプロビゼイション(即興演劇)による組織内教育,チーム作り,コミュニケーション作りに関する講演のあと,実際に即興演劇を行ってインプロを紹介している現場を撮影する。
(2)リフレクション
最高の瞬間を撮影する・・・対象を絞る,射程エリアを確保する,瞬間の捕捉
一人,人と人,人と物
ハンターとしての嗅覚
笑顔・集中・手振り
【ワークショップに参加して】
撮影は,「カメラ」の技術ではなく,「写真」の技術でもなく,「記録」の技術なのだと思った。その点では,日本科学未来館で行われた「ウメサオタダオ展」と関連が深い。もちろん,カメラを使って撮影する以上,カメラと写真の技術をみがくことは前提だが,何を,どのように記録して人に伝えるかが大切なのだと,改めて気付いた。
今日撮影を行ったワークショップは,次の書籍が参考になる。
高尾隆・中原淳『インプロする組織』三省堂
中原淳・編著『職場学習の探求』日本生産性本部
2011-11-26
納得研究会(2011年度第5回)
前回(9月17日第4回)を欠席したので,久しぶりの納得研究会だった。24~25名の出席でとてもにぎわった。会場の青山学院大学の正門から見る銀杏並木がみごとな金色で美しかった。
本日の発表テーマ,ひとつ目は博物館が公募するボランティアに参加した新人の学び,ふたつ目は実践の場における学びと日常の道具が学校に持ち込まれたときの学びの変容。キーワードは「正統的周辺参加」,「文化的透明性」,「学習環境デザイン」,そして「面白くないことはつまらない」である。
青山学院大学の銀杏並木
懇親会で出されたサラダ
【発表1】ASさん(社会人大学院生)
博物館ボランティアコミュニティにおける新人の学習プロセスに関する研究
-体験の権力性と体験の記憶の継承について-
キーワード:正統的周辺参加、文化的透明性
○博物館のボランティア団体を巡る現状
→館側からはボランティアが「圧力」団体のように見えたり、館職員とボランティアの軋轢があるなどの課題がある。
→ボランティアコミュニティができ上がる。
→館の考え方と軋轢を生ずることがある。
→博物館ボランティアの学びがどのように生起しているか。
○このような課題を抱えている博物館に参与観察した。
→館OBのボランティアと一般公募のボランティア(新人)の立ち位置の違い。
→明治期から2000年ころまで続いた国の事業。
→その事業の歴史を伝える展示。
→事業を実施する側として関わった職員OBボランティア。
→OBの体験・・・特権性。
→OBの知識や体験を継承するためとされる新人。
○新人の学習プロセス・・・新参者の学習。
→ここに正統的周辺参加概念、文化的透明性概念。
○一般公募ボランティアが可能にしたこと。
→OBの記憶を想起するきっかけとなった。
→OBや現職員との人間関係とは関わりなしにOBの情報にアクセスできる。
→新人だからできたことも多数。
→解説、ボランティアの学習に組み換えが起こる。
○浮かび上がってきた課題。
→新人は「OBの体験にはかなわない」という意識を持つ。
→新人は自らの学習自体をデザインするようになった。
→館の思惑とは異なった方向か。
→体験の記憶の継承を避けるように学習が形成。
→OBの体験にはかなわない。
→体験そのものを継承することはできない。
→そのため新たな側面から新人の学習が行われる。
○体験の記憶の継承には障害がある。
→文化的透明性のない環境が浮かび上がる。
→職員OBでも前職の地位によるシガラミがある。
→新人はOBの体験の継承とは異なる学びを始める。
→文化的透明性のない環境が浮かび上がる。
《質疑応答》
○ 正統的周辺参加、館の方針としてはOBのカウンターパートになることを期待しているのか?体験したことは体験した人しか語れない。
→そうではない。そういうふうに思ってはいるが基準を持っているわけではない。
○ それとしての設定があればよいが、そうではないのか。
→展示の解説をすることが目的。記憶の継承の形態としてはテキスト、映像などのアーカイブが可能だが、解説は解説として行いたい。人が人に伝えることの意味があるのでボランティアを募集している。
○ そもそも、移民の体験なのか、移民事業の体験なのか?
→ 館は「移民事業」の体験と思っている。OBは移民者ではない。移民と接触していたし、移民船にも乗って現地へも行ったし、そういう意味で移民の生活を知っているということであって、事業の体験者である。
○ 継承したいと思った体験なのか?私はそのような体験はしたくないし継承したくない。何のために継承する必要があるのか?
→館としては継承したいと思っている。これからは海外から日本への移民の可能性もあるから、この体験が生かされることもあると思う。
○ 私はその体験が生かされることはないと思うし、生かすべきでもないと思う。新人がOBを避けるのは、そのほうが正しいと思う。
→避けているわけではない。普段の生活では避けていない。
○ 新人は継承したいのではなくて、自分の存在意義、生きる意義をその活動に見出したいのではないか?応募する側はどういう意味で応募したのか?
→社会貢献が目的。要項では「語り部」を求めているわけではない。展示の解説をしてくださいということ。
○ 体験者の直接の語りは一次資料といえる。語り部は一次資料に近い。語り部の「語り」の継承は二次資料となる。
○ 本当はこうだったんですよと俯瞰するような、より本当らしさを狙うのか。そうではなくていろいろな見方があるよと来館者に触発する、拡散型のことを考えるならば、ボランティアが自分なりにおもしろさを探すという触発もある。ボランティアとしてやる人の役割をどのように位置づけるかを考える必要がある。
○ 臨場感をもって語ることが大切なのか、エピソードなのか、解説なのか?どこが大切とされているか、館もボランティアも明白でないところ、OBは権威者であることを捨てていないところが問題かと思う。
○ そもそも館のボランティア運営が間違っていると思う。体験者に語らせることは大切なのだが、それを新人に取って代わらせることはできない。そこが解消されないと軋轢はなくならないだろう。
例えば、OBの体験を語ることは館の展示の一部でしかない。新たなボランティアには、資料館の展示を解説させる。「体験の記憶の継承」についてはいろいろな形があり得る。「OBのありようをそのまま新人に」これはそもそも無理なこと。このような新人のトレーニングは、ふつうはしない。 ○ ウェンガーの「隙間のコミュニティ」にはなる。移住した人の体験と移住事業を行った人の体験は別である。
【発表2】ARさん(社会人大学院生)
日常的実践の越境による変質
ー学習環境デザインから見た学校化の具体ー
○ 学校における学び すべての児童に平等に教えるという理念
○ 学校外ではどうか?
○ 日常での問いに対する答えと学校での問いに対する答えは異なるのではないか?という問題意識。
○ ヨットの練習では、初心者は数時間の教習でとりあえずの操縦ができるようになり、そのために必要な用語は必要な場面で必要なときに随時教える。
○ ミシンという日常の道具が学校に持ち込まれて「教材」になると、「ミシンの各部名称を覚える」などの課題が設定され、ミシンの意義や価値とは異なる価値が持ち込まれる。そのため、ミシンを操作する上で使うか使わないか不明の用語もとりあえず教えるが、実習場面ではせっかく覚えた14の用語のうち4個しか使われなかった。
○ また、教員養成課程家庭科専攻の大学生の実習では、浴衣作製課題でミシンを使用しても、殆どの学生がミシン各部の名称を覚えていなかった。課題達成のために名称記憶は必要なかった。
○ 日常実践が学校に持ち込まれると(越境すると)、価値が変質する。
《質疑応答》
○ 小学校教育で、暗記がこのごろ軽んじられているという人がいる。議論になった。しかし、このミシンの例一つを持って語れるかどうか。ちょっとまずいのではないかと思う。
→それだけを取り上げてということは確かにそうなんだけれども、目的と手段が入れ替わってしまうことがある。学ぶ意欲を導き出せない。記憶することが目的になっている。ということを言いたい。
○ 発表として、どうかということ。突然ミシンの名前を覚えようということで始まったのか?先送りするというのはわかるけれど。現場の先生に言ったら、「うちではちゃんとやっている」といわれるだろう。
○ やっぱり、名称を覚えないと話が進まないことがある。
○ マニュアルを読めるようにするために学校があるのか?
○ 現代社会の実態にあっているのではないか?
○ 今はマニュアル的なものはなくなりつつあるよ。
ここでひとしきりApple製品の話題。
○ いまの子供たちは家庭にミシンがなかったりミシンを使っているところを見たことがなかったりではないのか?だから名前から入ったのではないか?それに対して大学生は、ミシンの使われ方を知っていたから、名前を知らなくても可能だったのではないか。
子供たちにミシンの使い方を知っているかとか使っているところを見たことがあるかなどの、既知情報を質問することが必要かな?と思った。
○ 越境ということがわかりません。
→ 日常実践から学校への越境。普段使っている道具が学校に持ち込まれて教材になると、別の意味を与えられるということ。
○ 初心者を実践の場にいきなり放り込んでも、学ばないこともある。
→ 体験と実践は違うと思っている。
○ 生徒が意欲を持って学習するようにしたい。その前にいきなり名前を覚えさせられてテストされてということに問題意識を持っているのではないか。その前に意欲をそがれるような授業デザインではないかということ。
○ たしかに、約束事は覚えてもらわなければならない。マニュアルを読んでもらうことが商品開発の目的ではなく、商品を楽しんでもらうことが商品開発の目的であるが。
○ 学校の授業もほんとうは、ミシンを買わせるマニュアルパンフレットのようなもので授業やればおもしろかったかもしれない。さぁ、○○を縫ってみよう。という具合に。だんだんやりたいことを増やすように。ミシンを売る作戦としての説明書のような授業デザインが必要だったのではないか。
○ 料理教室などでは実際にそのような形で行われている。A4用紙1枚程度の簡単なマニュアルで説明し、帰りにはこの材料を買って帰りたくなるような。
○ 小学校では、その道のプロを育てるわけではないから、ミシンで何ができるかが大切。ミシンの価値を離れて空欄補充になっている。
○ それはその先生が空欄補充にしたのか?
→ 教科書が空欄補充になっている。
○ そのあと小学校の先生が評価しやすいようになっている。だから空欄補充になっている。評価先にありきで授業が組み立てられている。ミシンでそこそこ縫えるようにすることが到達目標であるはずなのに、試験・評価が目的になっている。
○ 改正教授術が最初だということだけれど、「改正」はつかないのではないか?亀の絵か何かを見せて示しているはずだ。
《私の感想》 ミシンが学校に持ち込まれると、ミシンの面白さや有用性を楽しんだりそこからミシンの価値に気づいたりするよりも、まず「お勉強」が優先されて、生徒は「空欄補充」をさせられる。これに対してヨットは、数時間の練習でとりあえず操れるようになって帰港するので、次にはもっと上手になりたいと思う。そこから学習の糸口も出てくる。
教師が「教える」よりも生徒が「学ぶ」ように、学校を学校的でなくするような授業デザインが求められているのではないか。この授業1コマをもって学校で行われているすべての授業を語ろうということではなく、日常の実践が学校に持ち込まれると「価値」が変容し、その実践が持つ楽しさや有用性を離れて学校的な価値観が優先されるということ。
本日の発表テーマ,ひとつ目は博物館が公募するボランティアに参加した新人の学び,ふたつ目は実践の場における学びと日常の道具が学校に持ち込まれたときの学びの変容。キーワードは「正統的周辺参加」,「文化的透明性」,「学習環境デザイン」,そして「面白くないことはつまらない」である。
【発表1】ASさん(社会人大学院生)
博物館ボランティアコミュニティにおける新人の学習プロセスに関する研究
-体験の権力性と体験の記憶の継承について-
キーワード:正統的周辺参加、文化的透明性
○博物館のボランティア団体を巡る現状
→館側からはボランティアが「圧力」団体のように見えたり、館職員とボランティアの軋轢があるなどの課題がある。
→ボランティアコミュニティができ上がる。
→館の考え方と軋轢を生ずることがある。
→博物館ボランティアの学びがどのように生起しているか。
○このような課題を抱えている博物館に参与観察した。
→館OBのボランティアと一般公募のボランティア(新人)の立ち位置の違い。
→明治期から2000年ころまで続いた国の事業。
→その事業の歴史を伝える展示。
→事業を実施する側として関わった職員OBボランティア。
→OBの体験・・・特権性。
→OBの知識や体験を継承するためとされる新人。
○新人の学習プロセス・・・新参者の学習。
→ここに正統的周辺参加概念、文化的透明性概念。
○一般公募ボランティアが可能にしたこと。
→OBの記憶を想起するきっかけとなった。
→OBや現職員との人間関係とは関わりなしにOBの情報にアクセスできる。
→新人だからできたことも多数。
→解説、ボランティアの学習に組み換えが起こる。
○浮かび上がってきた課題。
→新人は「OBの体験にはかなわない」という意識を持つ。
→新人は自らの学習自体をデザインするようになった。
→館の思惑とは異なった方向か。
→体験の記憶の継承を避けるように学習が形成。
→OBの体験にはかなわない。
→体験そのものを継承することはできない。
→そのため新たな側面から新人の学習が行われる。
○体験の記憶の継承には障害がある。
→文化的透明性のない環境が浮かび上がる。
→職員OBでも前職の地位によるシガラミがある。
→新人はOBの体験の継承とは異なる学びを始める。
→文化的透明性のない環境が浮かび上がる。
《質疑応答》
○ 正統的周辺参加、館の方針としてはOBのカウンターパートになることを期待しているのか?体験したことは体験した人しか語れない。
→そうではない。そういうふうに思ってはいるが基準を持っているわけではない。
○ それとしての設定があればよいが、そうではないのか。
→展示の解説をすることが目的。記憶の継承の形態としてはテキスト、映像などのアーカイブが可能だが、解説は解説として行いたい。人が人に伝えることの意味があるのでボランティアを募集している。
○ そもそも、移民の体験なのか、移民事業の体験なのか?
→ 館は「移民事業」の体験と思っている。OBは移民者ではない。移民と接触していたし、移民船にも乗って現地へも行ったし、そういう意味で移民の生活を知っているということであって、事業の体験者である。
○ 継承したいと思った体験なのか?私はそのような体験はしたくないし継承したくない。何のために継承する必要があるのか?
→館としては継承したいと思っている。これからは海外から日本への移民の可能性もあるから、この体験が生かされることもあると思う。
○ 私はその体験が生かされることはないと思うし、生かすべきでもないと思う。新人がOBを避けるのは、そのほうが正しいと思う。
→避けているわけではない。普段の生活では避けていない。
○ 新人は継承したいのではなくて、自分の存在意義、生きる意義をその活動に見出したいのではないか?応募する側はどういう意味で応募したのか?
→社会貢献が目的。要項では「語り部」を求めているわけではない。展示の解説をしてくださいということ。
○ 体験者の直接の語りは一次資料といえる。語り部は一次資料に近い。語り部の「語り」の継承は二次資料となる。
○ 本当はこうだったんですよと俯瞰するような、より本当らしさを狙うのか。そうではなくていろいろな見方があるよと来館者に触発する、拡散型のことを考えるならば、ボランティアが自分なりにおもしろさを探すという触発もある。ボランティアとしてやる人の役割をどのように位置づけるかを考える必要がある。
○ 臨場感をもって語ることが大切なのか、エピソードなのか、解説なのか?どこが大切とされているか、館もボランティアも明白でないところ、OBは権威者であることを捨てていないところが問題かと思う。
○ そもそも館のボランティア運営が間違っていると思う。体験者に語らせることは大切なのだが、それを新人に取って代わらせることはできない。そこが解消されないと軋轢はなくならないだろう。
例えば、OBの体験を語ることは館の展示の一部でしかない。新たなボランティアには、資料館の展示を解説させる。「体験の記憶の継承」についてはいろいろな形があり得る。「OBのありようをそのまま新人に」これはそもそも無理なこと。このような新人のトレーニングは、ふつうはしない。 ○ ウェンガーの「隙間のコミュニティ」にはなる。移住した人の体験と移住事業を行った人の体験は別である。
【発表2】ARさん(社会人大学院生)
日常的実践の越境による変質
ー学習環境デザインから見た学校化の具体ー
○ 学校における学び すべての児童に平等に教えるという理念
○ 学校外ではどうか?
○ 日常での問いに対する答えと学校での問いに対する答えは異なるのではないか?という問題意識。
○ ヨットの練習では、初心者は数時間の教習でとりあえずの操縦ができるようになり、そのために必要な用語は必要な場面で必要なときに随時教える。
○ ミシンという日常の道具が学校に持ち込まれて「教材」になると、「ミシンの各部名称を覚える」などの課題が設定され、ミシンの意義や価値とは異なる価値が持ち込まれる。そのため、ミシンを操作する上で使うか使わないか不明の用語もとりあえず教えるが、実習場面ではせっかく覚えた14の用語のうち4個しか使われなかった。
○ また、教員養成課程家庭科専攻の大学生の実習では、浴衣作製課題でミシンを使用しても、殆どの学生がミシン各部の名称を覚えていなかった。課題達成のために名称記憶は必要なかった。
○ 日常実践が学校に持ち込まれると(越境すると)、価値が変質する。
《質疑応答》
○ 小学校教育で、暗記がこのごろ軽んじられているという人がいる。議論になった。しかし、このミシンの例一つを持って語れるかどうか。ちょっとまずいのではないかと思う。
→それだけを取り上げてということは確かにそうなんだけれども、目的と手段が入れ替わってしまうことがある。学ぶ意欲を導き出せない。記憶することが目的になっている。ということを言いたい。
○ 発表として、どうかということ。突然ミシンの名前を覚えようということで始まったのか?先送りするというのはわかるけれど。現場の先生に言ったら、「うちではちゃんとやっている」といわれるだろう。
○ やっぱり、名称を覚えないと話が進まないことがある。
○ マニュアルを読めるようにするために学校があるのか?
○ 現代社会の実態にあっているのではないか?
○ 今はマニュアル的なものはなくなりつつあるよ。
ここでひとしきりApple製品の話題。
○ いまの子供たちは家庭にミシンがなかったりミシンを使っているところを見たことがなかったりではないのか?だから名前から入ったのではないか?それに対して大学生は、ミシンの使われ方を知っていたから、名前を知らなくても可能だったのではないか。
子供たちにミシンの使い方を知っているかとか使っているところを見たことがあるかなどの、既知情報を質問することが必要かな?と思った。
○ 越境ということがわかりません。
→ 日常実践から学校への越境。普段使っている道具が学校に持ち込まれて教材になると、別の意味を与えられるということ。
○ 初心者を実践の場にいきなり放り込んでも、学ばないこともある。
→ 体験と実践は違うと思っている。
○ 生徒が意欲を持って学習するようにしたい。その前にいきなり名前を覚えさせられてテストされてということに問題意識を持っているのではないか。その前に意欲をそがれるような授業デザインではないかということ。
○ たしかに、約束事は覚えてもらわなければならない。マニュアルを読んでもらうことが商品開発の目的ではなく、商品を楽しんでもらうことが商品開発の目的であるが。
○ 学校の授業もほんとうは、ミシンを買わせるマニュアルパンフレットのようなもので授業やればおもしろかったかもしれない。さぁ、○○を縫ってみよう。という具合に。だんだんやりたいことを増やすように。ミシンを売る作戦としての説明書のような授業デザインが必要だったのではないか。
○ 料理教室などでは実際にそのような形で行われている。A4用紙1枚程度の簡単なマニュアルで説明し、帰りにはこの材料を買って帰りたくなるような。
○ 小学校では、その道のプロを育てるわけではないから、ミシンで何ができるかが大切。ミシンの価値を離れて空欄補充になっている。
○ それはその先生が空欄補充にしたのか?
→ 教科書が空欄補充になっている。
○ そのあと小学校の先生が評価しやすいようになっている。だから空欄補充になっている。評価先にありきで授業が組み立てられている。ミシンでそこそこ縫えるようにすることが到達目標であるはずなのに、試験・評価が目的になっている。
○ 改正教授術が最初だということだけれど、「改正」はつかないのではないか?亀の絵か何かを見せて示しているはずだ。
《私の感想》 ミシンが学校に持ち込まれると、ミシンの面白さや有用性を楽しんだりそこからミシンの価値に気づいたりするよりも、まず「お勉強」が優先されて、生徒は「空欄補充」をさせられる。これに対してヨットは、数時間の練習でとりあえず操れるようになって帰港するので、次にはもっと上手になりたいと思う。そこから学習の糸口も出てくる。
教師が「教える」よりも生徒が「学ぶ」ように、学校を学校的でなくするような授業デザインが求められているのではないか。この授業1コマをもって学校で行われているすべての授業を語ろうということではなく、日常の実践が学校に持ち込まれると「価値」が変容し、その実践が持つ楽しさや有用性を離れて学校的な価値観が優先されるということ。
2011-09-14
社会と文化の心理学
8月に刊行されたばかりの『社会と文化の心理学ーヴィゴツキーに学ぶ』を読んだ。
世界思想社からの発行で、次の15名の方々が執筆されている(敬称略)。
全体は「社会と文化の心理学」「発達を支援する」「学びを創造する」の三部構成になっていて、15名の執筆者がそれぞれ1章づつを分担してヴィゴツキーのアイデアを活用した研究成果の一部を紹介しており,ヴィゴツキーの心理学がわかりやすく伝わってくる。
ヴィゴツキーの『心理学の危機~歴史的意味と方法論の研究~』明治図書(復刻版)を持っているが、私には難しくて通しては読み進められず、読めそうなところを拾い読みしてきた。「発達の最近接領域」、「正統的周辺参加」、「媒介の三角形」などの重要な概念についてはなんとかわかってきたつもりだったが、今回「社会と文化の心理学」を読んで、理解を新たにした。
一度通して読んだだけでは「わかったつもり」で終わってしまいそうなので、今は河野哲也『レポート・論文の書き方入門』(慶應義塾大学出版会)にならって、各パラグラフを1-2行の1文に要約するテキスト批評のような読み方で再読し、理解を深めようとしているところ。
教育とは、教えるとは、生徒指導とは、学校とは、学習とはなにか。そして、これらを職業としている自分は、教材を考え、授業を組み立て、生徒と日々接するうえで、何を自分の支柱としてゆけば良いのか。そのような想いにひとつの道標を与えてくれる一冊だ。
世界思想社からの発行で、次の15名の方々が執筆されている(敬称略)。
- 茂呂雄二:筑波大学
- 伊藤崇:北海道大学
- 有元典文:横浜国立大学
- 朴東燮:新羅大学
- 田島充士:高知工科大学
- 鹿嶋桃子:名寄市立大学
- 香川秀太:大正大学
- 加藤弘通:静岡大学
- 青木美和子:札幌国際大学
- 山崎史郎:熊本学園大学
- 文野洋:文京学院大学
- 西口光一:大阪大学
- 城間祥子:愛媛大学
- 鈴木栄幸:茨城大学
- 臼井東:日立製作所
全体は「社会と文化の心理学」「発達を支援する」「学びを創造する」の三部構成になっていて、15名の執筆者がそれぞれ1章づつを分担してヴィゴツキーのアイデアを活用した研究成果の一部を紹介しており,ヴィゴツキーの心理学がわかりやすく伝わってくる。
ヴィゴツキーの『心理学の危機~歴史的意味と方法論の研究~』明治図書(復刻版)を持っているが、私には難しくて通しては読み進められず、読めそうなところを拾い読みしてきた。「発達の最近接領域」、「正統的周辺参加」、「媒介の三角形」などの重要な概念についてはなんとかわかってきたつもりだったが、今回「社会と文化の心理学」を読んで、理解を新たにした。
一度通して読んだだけでは「わかったつもり」で終わってしまいそうなので、今は河野哲也『レポート・論文の書き方入門』(慶應義塾大学出版会)にならって、各パラグラフを1-2行の1文に要約するテキスト批評のような読み方で再読し、理解を深めようとしているところ。
教育とは、教えるとは、生徒指導とは、学校とは、学習とはなにか。そして、これらを職業としている自分は、教材を考え、授業を組み立て、生徒と日々接するうえで、何を自分の支柱としてゆけば良いのか。そのような想いにひとつの道標を与えてくれる一冊だ。
2011-07-16
納得研究会(2011年第3回)
【2011年第2回納得研究会】 実は4月9日(土)に第2回納得研究会が開催されて出席していたのだが,大震災の後で気持ちが落ち着かずにブログを更新していなかった。2本の発表題目だけ紹介しておくことにする。
発表1 「国語科デジタル教材の開発を巡って ~ PC活用の意義とそのデザイン再考 ~」
発表2 「科学実践としての理科教育」(1月22日博士論文公聴会の記事とほぼ同内容)
【2011年第3回納得研究会】
東京国立近代美術館で2011年第3回納得研究会が開催された。本日のテーマは「対話型鑑賞」。動物園でレッサーパンダを担当されているNさんと,美術館の来館者研究をされているHさんが昨秋から暖めてきた企画で、対話型鑑賞の概要については本年第1回納得研究会で発表が行われているので詳細はそちらを参照。
同業の五十嵐さんのブログにも今回の報告がある。
この美術館では,許可を取って写真のようなシールを腕に貼ると館内で写真を撮影することができる。ただし,三脚や一脚を使ったり,ストロボを使ったり,あるいは作品だけを大写しに撮影して流用するなどの行為と,「撮影禁止」と明示した作品の撮影はもちろん禁止である。
対話型鑑賞:VTS(Visual Thinking Strategy)、解説や説明ではなくみなで考え、話しながら作品を鑑賞する。当館で行うワークショップではいろいろなスタイルの鑑賞をしているが、今日は対話型鑑賞を実践していただいた。
時あたかもクレー展でにぎわっていたが、家のこまごました用事を片付けていたら集合の14時ギリギリになってしまってクレー展を見ることはできなかった。こちらは次の機会にしよう。
本日の出席者は24名。奇数月生まれと偶数月生まれの2グループに分かれて、美術館のIさん、Kさんのファシリテイトによる対話型鑑賞を体験した。私は偶数月生まれのグループで二つの作品をそれぞれたっぷり1時間近くかけて鑑賞した。
【ひとつ目の作品】
美術館の外廊下と内側を仕切るガラスを隔てて、ほぼ同一の鋳鉄製人体像2体が向かい合わせに展示されている。この場所に集まって、Iさんが「対話型鑑賞では、鑑賞の口火を切るときに What's going on this picture? などと問いかけます。何が起こっていますか?」
ギャラリー1 この人は外の景色(皇居の方角)を見たいけれど、ガラスに映った自分の姿が邪魔をして見ることができない。
ギャラリー2 双子が偶然この場所でガラスを隔てて出会って互いに見つめあい驚愕している。
ギャラリー3 自分は何とか今の自分を超えたいのだが、超えることのできない自分の姿を見ている。
ギャラリー4 普段は自分のことを実年齢よりも10~15歳くらい若く感じているのだが、電車などのガラスに映る自分の姿と隣に立つ風采の上がらないオジサンの姿が同年代であることに気付いて驚愕している。
ギャラリー5 この人の立ち方は足の親指の付け根に力が入っておらず、足の外側に重心がある。自信にみなぎっているという様子ではない。
ここで外に出て外側の鋳鉄像を「観」る。
ギャラリー6 外の作品は肌が荒れてますね。筋のようなものがついている。
ギャラリー7 長年の風雨にさらされている。
ギャラリー8 これまでの人生で幾度も選択をしてきたが、一度の人生でひとつの道しか選ぶことはできないので、「別の人生もあったのかもしれない」と感慨にふけっている。
ギャラリー9 双子がお互いに見詰め合ってそれぞれの人生の来し方を想っている。
Antony Gormley(1950- ),Reflection(反映/思索),2000年,鋳鉄
【ふたつ目の作品】
ビル街を空から見る構図の大きな油絵。ビル街の中空にたくさんの花びらが描かれている。
ギャラリー1 風が吹いてきて花びらが街に飛んできた様子。
ギャラリー2 街が荒れている感じがする。窓ガラスが割れているような。
ギャラリー3 花の茎がビルに取って代わられた。昔は花畑だったところがビル街になった。
ギャラリー4 今は都会で人波にもまれて生活しているが、花や緑に囲まれた故郷の夢を見ている。
ギャラリー5 花の動きが感じられない。
ギャラリー6 花の層が同じ高さのようだ。
ギャラリー7 レイヤーのようになっていて一番下に街があり、上の層に花がある。
ギャラリー8 ビルは時代を感じさせる。花は美しい時季が限られていてその美しい瞬間の花だけ描かれている。
ギャラリー9 この絵の真ん中あたりのビルだけ壊れたようにぐしゃぐしゃに描かれている。
ここで美術館のIさん「この絵のキャプションを読んでいただけますか?」
ギャラリー10 大岩オスカール(1965- ),ガーデニング(マンハッタン),2002年
ギャラリー11 最近(今)描かれた絵ならば、これは2011年3月11日以降今我々が見ている世界だ。
ギャラリー12 花はあの9.11で亡くなったひとつひとつの命をあらわしている。
・・・・
という具合に、Iさんはファシリテータとして我々に発言を促したり、我々の発言に言葉を足して繰り返したりしながら、我々鑑賞者が作品に対して感じたり作品から読み取ったりしたことを振り返り、鑑賞を深めた。
【研究会】
会議室に集まって、二グループの鑑賞を振り返り、質疑応答を行った。
Iさんから(偶数月生まれのグループ)
対話型鑑賞(VTS)ではなく仕掛けを持って解説する方法もある。今日は徹底してVTSで鑑賞した。美術を見ることを通してクリティカルシンキング、(メディアリテラシー的な)、観たものからどういう風に解釈してもよい。あなたが見たことがすべて。ただし、複数の人の発言と照らしあいながら、ある視点に到達しよう。このような鑑賞を繰り返すことによって、鑑賞力が高くなる。今日は二つ目の作品について途中でキャプションを読んでもらったが、徹底したVTSではキャプションを全く隠して行うこともある。(作品固有の情報が知りたい人もいるが。)
Kさんから(奇数月生まれのグループ)
作品情報をある程度与えて対話したり問いかけたり謎解きをしたりするスタイルで行った。本来はVTSでやってきたが、ガイドスタッフで相手する人たちは一般来館者であり、子供もいる、時間も50分と限られているので折衷してきた。対話を用いながら作品を見る。基本的には作品実物をみながら鑑賞する。観ているだけでは気付かないところに気付いてもらうための取り掛かりとして問いかけ、謎解きなどを発問し、作品に食い入ってみてもらう。お互いの交換までにはいたらなかった。自分の思いを語ってそれを交換し合う時間は取れなかった。
Iさん:人間同士の対話、鑑賞者同士の対話、ファシリテータと鑑賞者との対話を重視する。
S先生:今回はいろいろな人の発言を通して、自分の発言を振り返る、自分自身との対話であっただろう。自己内対話ではないか。
Iさん:VTSではファシリテータ,ナビゲータと呼んでいる。ファシリテータ、中立の立場を維持しながら発言を促してゆく、進行する。発言をすべて受け止める、パラフレーズ、少し別の言葉に置き換えて繰り返したり、それを取り入れて進行する。
SGさん:鑑賞者に情報提供することについて。
Iさん:VTSだと徹底して情報を出さない。キャプションを出さない。芸術作品でない場合もある。化学実験であったりもする。
Kさん:岡山で徹底したVTSをやったことがある。キャプションも見せない。不評な面もあった。作品を見るときに情報を与えない、しかし美術館としては作者作品に対する尊敬があるから最後には作者と作品名は伝えてくださいといわれた。
来館者が作品情報を望むこともあるので、それに対応するため純粋なVTSにはなっていない。子供だと発言が自由に始まる、議論が行われる。しかし、大人はそれができない。そのために、自分に問いかける内省的な方法になった。
Iさん:アビゲールハンセン、美的発達論、人が鑑賞する能力、5段階ある。
第1段階、物語を語り始める。
第2段階、自分の規範と照らし合わせて判断する(性格でないから変な絵だなど。)
第3段階、美術知識に作品を当てはめる段階。
第4段階、・・・
第5段階、・・・
第1段階の人を第2段階に引き上げるための見せ方がある。
鑑賞者の発言を絵にポイント付けさせる。「どこを見てそうう思いました?」というように。みんなが見ている同じ作品に、ある人の発言を根拠付ける。そうしないと、絵を見たことによる想像が別の想像を生んで、絵から発想が離れてしまう。
知識伝達型の解説が、実は役に立っていなかったという追跡調査がある。作品を見たことすら覚えていないこともある。なので、作品を鑑賞して自由に発言、自己内対話してもらうことから始める方法が行われ始めた。いろいろな人の発言が、自分の発想を豊かにする。複数で観ることの大事さ。先入観なしに作品と対峙する。
参加者1:美術鑑賞、自分の感じ方は自由。作品のキャプションに引きづられて知識的理解をするよりもおもしろかった。
参加者2:VTSを行ったときに、いろいろな発言から、その場所においてその場所にいる人の合意に達することが大事だと思ったのだがそれはどうだろう?
Iさん:進行役は意見をまとめてはいけない。ということになっている。
S先生:合意を得る必要はないだろう。触発されてコミュニケーションをとる。人の発言によって触発される、お互いに触発しあう力をつける、そういうコミュニケーションが必要なのではないか。看護教育に多少関わっているが、看護というのは微妙な技なので、ハウツーではない。ベテラン看護士に接して、その振る舞いから触発されることが大切なのであって、ハウツー的伝達をしていては触発しあうことにならない。対話によって触発される、触発することを育てる。言葉の意味をunderstand ではなく、 feeling with であるべきだ。
参加者2:合意ではなく、協働感覚を得るということでしょうか?今日、このメンバーで見たからこのような感覚を得ることができたというような。
参加者3:鑑賞者の水面下では別のことを感じてたりしますよ。他の人の発言に対して「この人はわかってないな」と思ったり。
Iさん:What's going on this picture? 企画展で人は集まるけれど、美術館にとって本当に勝負したいのはコレクションである。実は、鋳造の人体は、一晩であのようになった。それまで雨風はしのげていたのに、ある年の台風のときに雨が吹き込んで。作者に状況を知らせたところ、作者は是非そのままにして置いてくださいといった。その時間の経過による変化こそがコンセプトだからと。
【懇親会】
毎日新聞ビルのPRONTOでほぼ全員参加。今回初参加の人が二人、久しぶりの人が数名いらしたので全員で自己紹介をし、生ハムサラダ、ウインナーソーセージ、トマトとモツァレラチーズ、鶏唐揚、ピザ、スパゲティなど豪勢な料理とビールで大いに盛り上がった。幹事を務めていただいたNさん、ありがとうございました。
【二次会】
新宿2丁目のLENNON HOUSEというライブハウスに4人で入り、JAZZライブを観ながらビール、ウィスキーロックなどで仕上げ。店内はジョンレノンの写真がたくさん貼ってあるので、店主殿はたぶんジョンレノンとビートルズの熱烈なファンなのだろう。しかし、この日に演奏していたのはジャズ。ドラムとギターとキーボードが二人ずつ入れ替わり、女性のベーシストがひとり(彼女はフレットレスベースを演奏)、アルトサックスひとりでジャムセッションしていた。
ライブハウスでジャズを聴くのは5ヶ月ぶりくらいなのでとても楽しかった。同行の3方はフォークロック風のバンドを組んでいて、昨秋そのグループのライブに行ったこともある。
ところで、音楽の鑑賞にジャンルとか音楽形式や曲の由来のような「教科書的」な知識は要るのだろうか?今日の対話型鑑賞の流儀に従えば、「この音楽で何を感じたか?」「どんな情景が思い浮かんだか」のようなことになるのだろうか。音楽も自由なはずだから、たぶんいろいろな薀蓄的知識は無用なのだろうとは思う。
しかし、俳句のような定型詩的形式のブルースのときは、「Fのブルースをやろう」の一言で合意して演奏が始まり、聴くほうもブルースだと思って安心して聴くことができるし、どこかで聞きかじってきたマイルスデイビスのエピソードをしたり顔で語ればジャズ通のような顔して少しだけ鼻を天狗にすることもできる。
美術鑑賞をして、ジャズのジャムセッションを聴いて、酒と会話を楽しんで、気付けば終電ギリギリで帰路についた。飲んでいるときについ居眠りしてしまったのだが、そのときの様子を持参していたカメラでこっそり写されていた。同行の皆様、撮影ありがとうございました(大笑)。
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発表1 「国語科デジタル教材の開発を巡って ~ PC活用の意義とそのデザイン再考 ~」
発表2 「科学実践としての理科教育」(1月22日博士論文公聴会の記事とほぼ同内容)
【2011年第3回納得研究会】
東京国立近代美術館で2011年第3回納得研究会が開催された。本日のテーマは「対話型鑑賞」。動物園でレッサーパンダを担当されているNさんと,美術館の来館者研究をされているHさんが昨秋から暖めてきた企画で、対話型鑑賞の概要については本年第1回納得研究会で発表が行われているので詳細はそちらを参照。
同業の五十嵐さんのブログにも今回の報告がある。
この美術館では,許可を取って写真のようなシールを腕に貼ると館内で写真を撮影することができる。ただし,三脚や一脚を使ったり,ストロボを使ったり,あるいは作品だけを大写しに撮影して流用するなどの行為と,「撮影禁止」と明示した作品の撮影はもちろん禁止である。
対話型鑑賞:VTS(Visual Thinking Strategy)、解説や説明ではなくみなで考え、話しながら作品を鑑賞する。当館で行うワークショップではいろいろなスタイルの鑑賞をしているが、今日は対話型鑑賞を実践していただいた。
時あたかもクレー展でにぎわっていたが、家のこまごました用事を片付けていたら集合の14時ギリギリになってしまってクレー展を見ることはできなかった。こちらは次の機会にしよう。
本日の出席者は24名。奇数月生まれと偶数月生まれの2グループに分かれて、美術館のIさん、Kさんのファシリテイトによる対話型鑑賞を体験した。私は偶数月生まれのグループで二つの作品をそれぞれたっぷり1時間近くかけて鑑賞した。
【ひとつ目の作品】
美術館の外廊下と内側を仕切るガラスを隔てて、ほぼ同一の鋳鉄製人体像2体が向かい合わせに展示されている。この場所に集まって、Iさんが「対話型鑑賞では、鑑賞の口火を切るときに What's going on this picture? などと問いかけます。何が起こっていますか?」
ギャラリー1 この人は外の景色(皇居の方角)を見たいけれど、ガラスに映った自分の姿が邪魔をして見ることができない。
ギャラリー2 双子が偶然この場所でガラスを隔てて出会って互いに見つめあい驚愕している。
ギャラリー3 自分は何とか今の自分を超えたいのだが、超えることのできない自分の姿を見ている。
ギャラリー4 普段は自分のことを実年齢よりも10~15歳くらい若く感じているのだが、電車などのガラスに映る自分の姿と隣に立つ風采の上がらないオジサンの姿が同年代であることに気付いて驚愕している。
ギャラリー5 この人の立ち方は足の親指の付け根に力が入っておらず、足の外側に重心がある。自信にみなぎっているという様子ではない。
ここで外に出て外側の鋳鉄像を「観」る。
ギャラリー6 外の作品は肌が荒れてますね。筋のようなものがついている。
ギャラリー7 長年の風雨にさらされている。
ギャラリー8 これまでの人生で幾度も選択をしてきたが、一度の人生でひとつの道しか選ぶことはできないので、「別の人生もあったのかもしれない」と感慨にふけっている。
ギャラリー9 双子がお互いに見詰め合ってそれぞれの人生の来し方を想っている。
Antony Gormley(1950- ),Reflection(反映/思索),2000年,鋳鉄
【ふたつ目の作品】
ビル街を空から見る構図の大きな油絵。ビル街の中空にたくさんの花びらが描かれている。
ギャラリー1 風が吹いてきて花びらが街に飛んできた様子。
ギャラリー2 街が荒れている感じがする。窓ガラスが割れているような。
ギャラリー3 花の茎がビルに取って代わられた。昔は花畑だったところがビル街になった。
ギャラリー4 今は都会で人波にもまれて生活しているが、花や緑に囲まれた故郷の夢を見ている。
ギャラリー5 花の動きが感じられない。
ギャラリー6 花の層が同じ高さのようだ。
ギャラリー7 レイヤーのようになっていて一番下に街があり、上の層に花がある。
ギャラリー8 ビルは時代を感じさせる。花は美しい時季が限られていてその美しい瞬間の花だけ描かれている。
ギャラリー9 この絵の真ん中あたりのビルだけ壊れたようにぐしゃぐしゃに描かれている。
ここで美術館のIさん「この絵のキャプションを読んでいただけますか?」
ギャラリー10 大岩オスカール(1965- ),ガーデニング(マンハッタン),2002年
ギャラリー11 最近(今)描かれた絵ならば、これは2011年3月11日以降今我々が見ている世界だ。
ギャラリー12 花はあの9.11で亡くなったひとつひとつの命をあらわしている。
・・・・
という具合に、Iさんはファシリテータとして我々に発言を促したり、我々の発言に言葉を足して繰り返したりしながら、我々鑑賞者が作品に対して感じたり作品から読み取ったりしたことを振り返り、鑑賞を深めた。
【研究会】
会議室に集まって、二グループの鑑賞を振り返り、質疑応答を行った。
Iさんから(偶数月生まれのグループ)
対話型鑑賞(VTS)ではなく仕掛けを持って解説する方法もある。今日は徹底してVTSで鑑賞した。美術を見ることを通してクリティカルシンキング、(メディアリテラシー的な)、観たものからどういう風に解釈してもよい。あなたが見たことがすべて。ただし、複数の人の発言と照らしあいながら、ある視点に到達しよう。このような鑑賞を繰り返すことによって、鑑賞力が高くなる。今日は二つ目の作品について途中でキャプションを読んでもらったが、徹底したVTSではキャプションを全く隠して行うこともある。(作品固有の情報が知りたい人もいるが。)
Kさんから(奇数月生まれのグループ)
作品情報をある程度与えて対話したり問いかけたり謎解きをしたりするスタイルで行った。本来はVTSでやってきたが、ガイドスタッフで相手する人たちは一般来館者であり、子供もいる、時間も50分と限られているので折衷してきた。対話を用いながら作品を見る。基本的には作品実物をみながら鑑賞する。観ているだけでは気付かないところに気付いてもらうための取り掛かりとして問いかけ、謎解きなどを発問し、作品に食い入ってみてもらう。お互いの交換までにはいたらなかった。自分の思いを語ってそれを交換し合う時間は取れなかった。
Iさん:人間同士の対話、鑑賞者同士の対話、ファシリテータと鑑賞者との対話を重視する。
S先生:今回はいろいろな人の発言を通して、自分の発言を振り返る、自分自身との対話であっただろう。自己内対話ではないか。
Iさん:VTSではファシリテータ,ナビゲータと呼んでいる。ファシリテータ、中立の立場を維持しながら発言を促してゆく、進行する。発言をすべて受け止める、パラフレーズ、少し別の言葉に置き換えて繰り返したり、それを取り入れて進行する。
SGさん:鑑賞者に情報提供することについて。
Iさん:VTSだと徹底して情報を出さない。キャプションを出さない。芸術作品でない場合もある。化学実験であったりもする。
Kさん:岡山で徹底したVTSをやったことがある。キャプションも見せない。不評な面もあった。作品を見るときに情報を与えない、しかし美術館としては作者作品に対する尊敬があるから最後には作者と作品名は伝えてくださいといわれた。
来館者が作品情報を望むこともあるので、それに対応するため純粋なVTSにはなっていない。子供だと発言が自由に始まる、議論が行われる。しかし、大人はそれができない。そのために、自分に問いかける内省的な方法になった。
Iさん:アビゲールハンセン、美的発達論、人が鑑賞する能力、5段階ある。
第1段階、物語を語り始める。
第2段階、自分の規範と照らし合わせて判断する(性格でないから変な絵だなど。)
第3段階、美術知識に作品を当てはめる段階。
第4段階、・・・
第5段階、・・・
第1段階の人を第2段階に引き上げるための見せ方がある。
鑑賞者の発言を絵にポイント付けさせる。「どこを見てそうう思いました?」というように。みんなが見ている同じ作品に、ある人の発言を根拠付ける。そうしないと、絵を見たことによる想像が別の想像を生んで、絵から発想が離れてしまう。
知識伝達型の解説が、実は役に立っていなかったという追跡調査がある。作品を見たことすら覚えていないこともある。なので、作品を鑑賞して自由に発言、自己内対話してもらうことから始める方法が行われ始めた。いろいろな人の発言が、自分の発想を豊かにする。複数で観ることの大事さ。先入観なしに作品と対峙する。
参加者1:美術鑑賞、自分の感じ方は自由。作品のキャプションに引きづられて知識的理解をするよりもおもしろかった。
参加者2:VTSを行ったときに、いろいろな発言から、その場所においてその場所にいる人の合意に達することが大事だと思ったのだがそれはどうだろう?
Iさん:進行役は意見をまとめてはいけない。ということになっている。
S先生:合意を得る必要はないだろう。触発されてコミュニケーションをとる。人の発言によって触発される、お互いに触発しあう力をつける、そういうコミュニケーションが必要なのではないか。看護教育に多少関わっているが、看護というのは微妙な技なので、ハウツーではない。ベテラン看護士に接して、その振る舞いから触発されることが大切なのであって、ハウツー的伝達をしていては触発しあうことにならない。対話によって触発される、触発することを育てる。言葉の意味をunderstand ではなく、 feeling with であるべきだ。
参加者2:合意ではなく、協働感覚を得るということでしょうか?今日、このメンバーで見たからこのような感覚を得ることができたというような。
参加者3:鑑賞者の水面下では別のことを感じてたりしますよ。他の人の発言に対して「この人はわかってないな」と思ったり。
Iさん:What's going on this picture? 企画展で人は集まるけれど、美術館にとって本当に勝負したいのはコレクションである。実は、鋳造の人体は、一晩であのようになった。それまで雨風はしのげていたのに、ある年の台風のときに雨が吹き込んで。作者に状況を知らせたところ、作者は是非そのままにして置いてくださいといった。その時間の経過による変化こそがコンセプトだからと。
【懇親会】
毎日新聞ビルのPRONTOでほぼ全員参加。今回初参加の人が二人、久しぶりの人が数名いらしたので全員で自己紹介をし、生ハムサラダ、ウインナーソーセージ、トマトとモツァレラチーズ、鶏唐揚、ピザ、スパゲティなど豪勢な料理とビールで大いに盛り上がった。幹事を務めていただいたNさん、ありがとうございました。
【二次会】
新宿2丁目のLENNON HOUSEというライブハウスに4人で入り、JAZZライブを観ながらビール、ウィスキーロックなどで仕上げ。店内はジョンレノンの写真がたくさん貼ってあるので、店主殿はたぶんジョンレノンとビートルズの熱烈なファンなのだろう。しかし、この日に演奏していたのはジャズ。ドラムとギターとキーボードが二人ずつ入れ替わり、女性のベーシストがひとり(彼女はフレットレスベースを演奏)、アルトサックスひとりでジャムセッションしていた。
ライブハウスでジャズを聴くのは5ヶ月ぶりくらいなのでとても楽しかった。同行の3方はフォークロック風のバンドを組んでいて、昨秋そのグループのライブに行ったこともある。
ところで、音楽の鑑賞にジャンルとか音楽形式や曲の由来のような「教科書的」な知識は要るのだろうか?今日の対話型鑑賞の流儀に従えば、「この音楽で何を感じたか?」「どんな情景が思い浮かんだか」のようなことになるのだろうか。音楽も自由なはずだから、たぶんいろいろな薀蓄的知識は無用なのだろうとは思う。
しかし、俳句のような定型詩的形式のブルースのときは、「Fのブルースをやろう」の一言で合意して演奏が始まり、聴くほうもブルースだと思って安心して聴くことができるし、どこかで聞きかじってきたマイルスデイビスのエピソードをしたり顔で語ればジャズ通のような顔して少しだけ鼻を天狗にすることもできる。
美術鑑賞をして、ジャズのジャムセッションを聴いて、酒と会話を楽しんで、気付けば終電ギリギリで帰路についた。飲んでいるときについ居眠りしてしまったのだが、そのときの様子を持参していたカメラでこっそり写されていた。同行の皆様、撮影ありがとうございました(大笑)。
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2011-02-02
納得研究会の記事修正
先日の納得研究会の記事のなかで,福田さんの発表の終わりごろの次の部分を修正しました。
「ばらばらの学習をつなげる」の()の中です。
【正】
○ 何がほしいのか、使いたい場面からかなえる
実験観察の動機付け
実験観察の視点
生徒の先行学習先行経験をそろえる
ばらばらの学習をつなげる(単元ごとに分断されてしまっている学習,例えば、電子のことは電流として物理分野で学んだり,イオンとして化学分野で学んだりしていることをつなげるということ。自然はシームレス、というかひとつながり。)
《誤》
○ 何がほしいのか、使いたい場面からかなえる
実験観察の動機付け
実験観察の視点
生徒の先行学習先行経験をそろえる
ばらばらの学習をつなげる(出身中学の違い)
「ばらばらの学習をつなげる」の()の中です。
【正】
○ 何がほしいのか、使いたい場面からかなえる
実験観察の動機付け
実験観察の視点
生徒の先行学習先行経験をそろえる
ばらばらの学習をつなげる(単元ごとに分断されてしまっている学習,例えば、電子のことは電流として物理分野で学んだり,イオンとして化学分野で学んだりしていることをつなげるということ。自然はシームレス、というかひとつながり。)
《誤》
○ 何がほしいのか、使いたい場面からかなえる
実験観察の動機付け
実験観察の視点
生徒の先行学習先行経験をそろえる
ばらばらの学習をつなげる(出身中学の違い)
2011-01-29
納得研究会(2011年第1回)
2011年1月29日(土)青山学院14501教室にて14時から17時半
本年第1回の納得研究会が開催された。本日の発表は次の2本。ベタ打ちながら忘れないうちに修正したので掲載します。第1回にふさわしい、充実した発表と白熱した議論だった。
研究会のあとは青山通りの店で懇親会,その後5人ほど二次会にながれて22時頃最終解散となった。
発表1 「10minボックス理科」制作を終えて:福田さん
発表2 「対話型鑑賞について」:平野さん
発表1 「10minボックス理科」制作を終えて(福田さん)
1. 福田さんは元中学・高校の理科教員で、その後NHKの教育番組制作に携わってこられた。今日の発表は『10minボックス理科』にどのようにかかわり、どのように制作が行われたかをお話いただいた。本日の参加者にはNHKの当該番組関係者や制作会社の人もいて、番組制作について興味深い内容だった。まず実例として、「校庭の中の細菌」という番組を丸ごと1本視聴した。校庭の土から放線菌を取り出し、培養し、精製し、抗生物質を作ることのできる菌を探す過程を説明した番組だ。校庭の土の中に住んでいた菌から、がん細胞を攻撃する抗生物質を作ってゆく地道な過程の繰り返しがテンポよく展開され、説明も分かりやすい。
DNAレベルの話。アントラサイクリン類。校庭の土から見つけた放線菌から新しい薬を作る第一歩となる。株、コロニーなど中学生には難しそうな言葉も出てくるが、映像を見ながらなのでなるほどと思いながら見ることができる。この番組を作るのに半年近くを要したそうだ。中学・高校の理科対応。DNAなど分子模型を扱う単元。
このシリーズは、1997年の4月から実際の授業で使えるように制作してきた。
一部はパッケージソフト、博物館展示など、一部は国際展開(英語フランス語スペイン語)し、多くの国で使われている。
2. 以前中学と高校の理科教員(生物分野)をしていた。
1)実験観察を中心とした授業を展開していた。年間20回程度の実験=ほぼ毎週。年間35週の授業のうち、祝祭日や学校行事などで授業ができない週があるので、実際には20回くらいの授業になる。生物を中心に15年間の教員生活をしてきた。
○ CAIなどではなく、音とつながっている映像教材は魅力的。
○ 以前はフィルムライブラリーから借りていた。
○ 市販の教材(コンセプトフィルム,ビデオ)。
○ テレビ番組を再編集して(著作隣接権上気になるけど使っていた)。
○ 自作の映像教材使って。
昔は掛図を使っていたが、映画(映像)は「動く掛図」としての価値がある。
「映画で教えるのか」、「映画を教えるのかと」いう論争もあった。
→映画の文法ということはいらないという意見。
→カメラワーク、カットのつながりなどの映像の文法を含めて考えるべきだ、すべて意味がある。撮った側のメッセージも読み取るべきだという意見。
○「コンセプトフィルム」音はなく映像だけ。概念を短時間で映像にしてみせる。1-2分の映像。アメリカ製。今はコンセプトフィルムでググぐると全く関係のないのが出てくるので要注意。
このように、世の中の動きに従っていろいろ使ってきた。
☆「デールの経験の円錐」・・・要調査メモメモ
言語・・・抽象的
テレビ、映画・・・魅力がある
直接的な体験。
子供の学習はこの円錐の上から下を行ったりきたりしながら深まってゆく。
○ 映像教材の魅力
時間や空間を越える
鳥の目、ありの目・・・顕微鏡、航空写真
同じフレームで比べる
☆なにより、視点を与える。・・・一番の魅力だと思っている。
→どっちに見えますか?「少女に見えるか老婆に見えるか」、「アヒルかウサギか」。これは錯視の画像で、少女に見えたり老婆に見えたり、あるいはアヒルに見えたりうさぎに見えたり。絵を見るときの視点を与えられると、その視点から少女やうさぎが見えてくる。
→ 世の中の者は多義的に見える。授業の中では特定の見方をしてほしい。
→ 見せたいものを見せたいように見せる手法・・・TV番組は活用できる。
2)「ステップ&ジャンプ理科」番組委員から声がかかった。・・・(福田さんの転機)
・15分がステップで中学向け
・15分がジャンプで高校向け
というスタイルで3年経過後、番組委員になった。その後形式が変わって、
・20分で先生役のお兄さんが映像を解説し、10分は科学者が語る。これはあまり面白くなかった(このスタイルで3年やった)。
3)放送教育研究会
○ 全国放送教育研究会連盟の研究部にはいる
○ NHKの放送を利用した授業を研究
番組制作側の悩みは中高、特に高校の教員が離れていくことだった。
指導講師(大学教員)がつき、当時のスローガン「生・丸ごと・継続」の実現を求める・・・そういう体制では高校教員はついてこないと批判した。これでは現場の教員は離れて当然、立て直しが必要。授業実践をしてくださいといっても、スローガン押し付けても教員はやりたくない。指導講師が邪魔である。それで、指導講師を論破して番組利用を増やすように仕向けていった。
「番組60分では授業の1コマ50分におさまらない」など、学校現場の現状と乖離した番組では教員はその番組を使えないなど。
この研究会はもともとは小学校が中心だった。生放送だった。時間割を放送にあわせて使っていた。
NHK制作局の人の発言:「生・丸ごと・継続」はむしろ民放のスローガンに近い。コマーシャルを見てもらわないと成立しない」
このごろは10minボックスの利用率は上がってきている。
3. 「10minボックス」前夜
1)番組委員としてどのような番組がほしいのか?
ステップ&ジャンプもつまらない間違いが多かった。
教育番組に必要な条件:
○ 間違いがない(化学式など)
○ 生徒が寝ない(速い展開)
○ 先生を邪魔しない(テレビの中の先生と張り合いたくない)
○ 先生が知らないこと、教室でできないことを
○ 教室でできないこと(1)
→大規模な実験・・・という誤解。先生が望んでいるのだろうか?
→教室に持ち込めないから大規模ならわかる。
→水でトリチェリの実験をするならわかる。10メートル少々のガラス管が必要だから。
○ 教室でできないこと(2)
→先生にとっても目新しい話題や映像
→NHKスペシャルのようなもの
○ 何がほしいのか、使いたい場面からかなえる
実験観察の動機付け
実験観察の視点
生徒の先行学習先行経験をそろえる
ばらばらの学習をつなげる(単元ごとに分断されてしまっている学習,例えば、電子のことは電流として物理分野で学んだり,イオンとして化学分野で学んだりしていることをつなげるということ。自然はシームレス、というかひとつながり。)
日常生活とつなげる・・・(横浜国大で受けた「学習環境デザイン研修講座」でも同様な講義を聞いたので納得できる)
クラスごとの時間調整
緊急事態時の対応(急に授業ができない事態が発生した時など)
2)試作番組
○ 水の不思議シリーズより
→ 表面張力をさまざまな現象からさぐる・・・おもしろい。しかし、学習指導要領のどこに対応するのか。学校現場は学習指導要領に従って動いている。
○ 観察のための視点を与える撮りかたは?
その実験どうやるの?
どこに行けば撮影できるか
誰に聞けばいいか
どういう意味か
これで合っているか
などなどの関係からスタッフ側に入ることになった。
○ 自分で使ってみたい
○ 学習指導要領によりそう
○ ネイチャー、サイエンスンなどを購読
○ 展示会めぐり
○ 大学や研究機関、企業に協力を求める
○ 研究者の専門分野での文脈とは必ずしも一致しない
3) 科学コミュニケータか?
○ 研究者との議論ができるように先方の文献を読み込む。研究者ベースの議論にも乗れるよう。
○ 学校で番組を見たら生徒、教師はどう受け止めるか
○ 自分が授業者なら、どうだと使いやすいか
4. おわりに
どうして勉強するの?という真剣な問いに番組作りを通して答えられたか、これから答え続ける。
(質疑応答)
質問:視点を与える大切さ。しかし人は見たいものを見たいように見る・・・「授業で見せたいものを見せたいように」という部分に違和感
答え)見せたいように見せておいて、それではこちらは?という見せ方。まずある視点から見せておかないと、さっと見て終わってしまうのではないか。
発言1:見方の制限を与えるのではなく、見たあとの可能性のために見せる。
発言2:自分が作らせてもらったときにはナレーションなしで現象だけを見せるコンセプトフィルムだった。授業のリソースとして作った。
発言3:seeとwatchの違いか。視界に入るということと、看る観る診るはちがうということ。船で機関士になるための実習指導をしたが、「潤滑油の圧力に変化はなかったか?」「冷却水の温度差は?」のように、具体的な視点を与えなければ、実習生は機関室を眺めてくるだけ。
発言4:科学館は一神教の立場。コンセプトなしに展示はできない。作った後は視点フリーだけれど。お客さんがどう見るか、解説員がどう見せるかはフリーだが、作るときには一神教である。作るときには「多様な見方」というのはありえない。
発言5:何を見せたいかということはあるけれど、見せたい方向に行くかどうかは保証はない。15分間の実演:見せたいものがあるから実演するのでメッセージがある。展示には、視点を与えない手法もあるのではないかと思った。
答え)トラの前で、「ライオンさん見てよかったねぇ」と帰っていく親子もいる。
発言6:手法と政治性が違うだけで、学校にも博物館にも教育的な面では通底するのではないか。
発言7:アクセシビリティが問題になっている。どこでチケットを買うか、どのように見る。また、動線をひとつにしようとする動きがある。「この展示はどういう意図?」「どのように見せる」ということから指標のようなものを求める方向になりつつある。
(効率性、収益、集客などの要因から、展示に自由度がなくなってきているということか?)
発表2 対話型鑑賞(平野さん)
1 対話型鑑賞とは
仕事は 統計学・社会調査、学力調査の研究を業務として行っているが、自分の研究テーマは「博物館学習論」、来館者研究である。そのなかで、対話型鑑賞を研究している。
1)対話型鑑賞:作家や美術史から作品を解説するのではなく、作品を見て対話することから出発する鑑賞のスタイル
ニューヨーク近代美術館教育部講師のアメリア・アレナスによって1990年代後半から日本に普及。
○ みる : 直感を大切にしながらまず作品をじっくり見る
○ かんがえる: なぜ自分がそう思ったのかについて内省する
○ はなす : 自らの中に湧き上がった思いや疑問を言葉にして他の鑑賞者に伝える
○ きく :他の鑑賞者の声にきちんと耳を傾ける
この4つが基本
人数は決まっていない。しかしプログラムとして行う場合にはナビゲーターを中心にしておこなう。ひとりでも成立しうるかもしれない。
アビゲールハウゼン(認知心理学者)の美的感受性発達論から。
ステージⅠ: 物語の語り手となり、具体的観察や作品と個人的な結びつきや自分の感覚を使って物語を創作する。
ステージⅡ: 構成の段階:自身の知覚、自然界についての知識一般的世界観から作品を鑑賞する
ステージⅢ: 分類
ステージⅣ: 解釈
ステージⅤ: 再創造の段階
○多くの鑑賞者はStage I/II のレベルにとどまっている
2)VTC/VTS(Visual Thinking Curriculum)
協調的に観る事によって観るステージをあげて行く。鑑賞能力を上げてゆく。
基本的な問いかけ・・・オープンエンドなクエスチョン
作品の中では何が起こっていますか?
それはどうしてそう思ったの?
他には何が描かれていますか?
・・・新たな視点が増えてゆく
3)Amelia Arenasの鑑賞教育
『なぜ、これがアートなの?』1998
厳密な方法論よりも対話の楽しさを重視
社会的構成主義に立脚(奥本2006)
4)ACOP:アート・コミュニケーション・プロジェクト
京都造形芸術大学ASP学科対象に実施する教育プログラム
対話型鑑賞で会話の交通整理を行うナビゲイターの育成に着目
対話型鑑賞から鑑賞型対話へ
5)学習環境としてのミュージアム
学習環境デザイン
学習を共同体への参加として捉える
学習者の視点にたち学習を成立させる空間・ツール、活動・共同体といった構成要素について、それぞれの学習者にふさわしいカタチにデザインしていくこと。
6)ミュージアムの学習環境デザイン
○ 鶴田総一郎(1956)「博物館学総論)
○ ミュージアムは学習環境:第三世代の博物館
→ 第1世代 保存志向、倉庫,威圧,収集保存、陳列
→ 第2世代 公開志向、展示,収集保存、調査研究、展示
→ 第3世代 参加志向、事業,活動重視,収集、調査研究、展示、教育普及
○ フォーラムとしてのミュージアム(キャメロン)
→神殿としてのミュージアムに対するフォーラムとしてのミュージアム
○ ミュージアムは学習環境である。活動の重要性は増している。モノを中心に人が集い、さまざまな視点から新たにそれを価値づけていくプロセスである。
○ 活動を担うのがナビゲーター
7)ナビゲイター
○ アート≠ 作品
○ ナビゲーター:作品と鑑賞者をつなぐ役割。
8)対話型鑑賞への批判1:知識を与えないと勉強にならないのではないか?
→鑑賞者が知識を与えられる準備ができているかを見極めることが重要
→ナビゲイターが適切なときに適切な情報を与える
対話型鑑賞への批判2:ナビゲイターが答えを持っていてそれに誘導しているのではないか?
→ナビゲイターも鑑賞者の一人
→あくまで一歩進んだ鑑賞者
→オープンマインドな姿勢、オープンエンドな問いかけ
→自分は伝えたいものを持っている。しかし自分も鑑賞者なので、他の鑑賞者の話も聴く。
9)ナビゲイターがしていること
○ 受け答え/コメント 評価はここに入る(ああいいね!など)
○ 言い換え/パラフレイズ オウム返しだと会話が止まってしまう。問いかけは?
○ 結びつけ/コネクト
○ 情報提供/インフォメーション
○ まとめ/サマライズ
佐伯先生:パラフレイズには「問いかけ」という意味はないよね。パラフレイズ「さっきあなたが言ったのはこういうことですか?」というならパラフレイズになるが、問い掛けはどうだろう。次回に対話例を見せてもらいましょう。
10)学びほぐしとワークショップ
○ 学びほぐし:これまで学んできた、経験してきたことを“自分にとって”しっくりくるように理解しなおすこと・・・(これが納得的理解だな?)
○ 対話型鑑賞は学びほぐしのワークショップ
11)ナビゲーターは「学習環境デザイナー」
○ 学習環境をデザインする、活動をデザインする。
ミュージアムは学習環境であり中でも活動が重視されてきている
対話型鑑賞は物を中心に人が集いその価値を組み替えていくための活動である。
○ ミュージアムの学習環境デザインを持続的なものにしていくには学習環境デザイナーが必要。
12)現在の研究
○ 4人のナビゲーターのプロトコル分析
○ 同じ日、同じ作品、午前/午後で異なる鑑賞者
○ よいナビとはどんなものか。
(質疑応答)
発言1 対話型鑑賞の目的・充実感・・・この作品に対して私の見方ができたという満足感が得られることが大切。新たな視点の獲得、価値の獲得がひつよう。よい対話型鑑賞ができていれば、次からはナビなしでも鑑賞することができる。自分の鑑賞を認められた。自分と違う見方をする人がいるという気付き。誰かによって価値付けられていない新しい作品に対しても自分で価値付けることができる。
どういう聴き方をしたらそれを聴きだすことができるか。どういうナビゲーターならそれができるか、どうすればそのようなナビゲーターを育てることができるか。
鑑賞の授業はどのようにすれば評価できるか、教員の悩ましいところだということはわかる。(以前は表面的に鑑賞していたが、深く見ることができるようになったなど。)
発言2 短歌をきっかけに、何を読み取ったか、どういう鑑賞ができたか。評価について、授業の振り返りシートを導入している、新たに思ったこと、知らなかったことなど気付いたことをまとめることを行い始めた。
発言3 ツイッターなどは赤裸々。電子媒体でなくても、私服で声を拾うことがある。未来館で、ツイッターを即時公開したことがある。アンケートよりも生の声を聴くことができる。
発言4 ナビゲーターの重要な仕事に、発散しすぎた発想を再び作品に向けさせる。複数の人が同じものを観ているというところに意味がある。同じベースで鑑賞しているという点。下手をすると空中戦になってしまって、全員が参加しているというおもしろさがなくなってしまう。
発言5 鑑賞が始まる前どう始まるか、どのようにはじめるか。修学旅行などで来館する場合には鑑賞する動機がないからきっかけが必要。
発言6 フロアを歩いていて観ている人に声かけをするというよりも、ワークショップ風にすることが多いと思う。
発言8 来月性感染症の授業をするが、そのナビゲーターということになる。学生相手の場合、興味ある子と興味ない子がいるので。そのときに覚えていなくても、聴いたことある、あのときのあの話・というようなことが残ればよいかなと思う。
→トピックで照れなければよいですね。美術は?
→美術も照れることがあります。小学生や中学生。裸体美人とか腋毛とか。話のきっかけにはなる。美術が好きな人には、ヨーロッパ美術の伝統の裸婦像ということを知っているが、子供たちにはそれはわからないから。
発言9 学習者のニーズが押さえられていないと、これを学習したいというニーズをわかっていないと成り立たないと思う。知らない自分を知るなど。
発言10 美術鑑賞のニーズとは。年配の方が多くて知識を求められることも多い。
そんなことより教えてよという人もいる。
発言11 ギャラリートーク:毎日同じ時刻。それを求めてくる人たち。参加者が始めはギクシャクしていても、終わったあとは一緒にお茶で続きをしたりしている。作品を鑑賞して自分をさらけ出すようにならないと良いツアーにならない。それがナビゲータの役。「それいいね」は禁句に近い。なぜならナビゲータ受けするコメントを鑑賞者が言うようになるから。
ボランティアに対する教育をする。養成研修をする。コレクションの背景を学芸員がレクチャーする。ともに、ナビゲーションの技術よりまえに、作品の調べ方が最初。作品を知っていないと作品の前に立てないから。観客からどんな質問が飛び出すかわからないから。
(←ライブだ。授業と一緒だ。その時に対応できないといけない。授業も、対話型鑑賞も、ジャズもライブだ。当意即妙が求められる。そこが命)
佐伯先生:どこを見てそう思ったの?という問いはとても大切。どうしてそう思ったの?よりも大切。思った根拠をしめす。気付きに焦点化する。気付くこと、あったものに気付く。勝手に思ったのではない。同時に、黙って味わうことが欲しいと思っていたが、何が描かれているかではなく、この作品を見てあなたは自分の中に何を描きますか。頭の中に何が思い浮かびますか、自分の中に絵を思い浮かべてほしい。なんでも言語化するのではなく思い浮かべる思い描くことをファシリテイートしてほしいと思う。注意、アテンション気付くことと思い描くこと。そこを意識して問いかけたらよいと思った。
毎日何時間もフェルメールを見に通った人がある。それは思い描く世界に浸っているわけだ。そういう鑑賞の方法の視野も必要ではないか。
本年第1回の納得研究会が開催された。本日の発表は次の2本。ベタ打ちながら忘れないうちに修正したので掲載します。第1回にふさわしい、充実した発表と白熱した議論だった。
研究会のあとは青山通りの店で懇親会,その後5人ほど二次会にながれて22時頃最終解散となった。
発表1 「10minボックス理科」制作を終えて:福田さん
発表2 「対話型鑑賞について」:平野さん
発表1 「10minボックス理科」制作を終えて(福田さん)
1. 福田さんは元中学・高校の理科教員で、その後NHKの教育番組制作に携わってこられた。今日の発表は『10minボックス理科』にどのようにかかわり、どのように制作が行われたかをお話いただいた。本日の参加者にはNHKの当該番組関係者や制作会社の人もいて、番組制作について興味深い内容だった。まず実例として、「校庭の中の細菌」という番組を丸ごと1本視聴した。校庭の土から放線菌を取り出し、培養し、精製し、抗生物質を作ることのできる菌を探す過程を説明した番組だ。校庭の土の中に住んでいた菌から、がん細胞を攻撃する抗生物質を作ってゆく地道な過程の繰り返しがテンポよく展開され、説明も分かりやすい。
DNAレベルの話。アントラサイクリン類。校庭の土から見つけた放線菌から新しい薬を作る第一歩となる。株、コロニーなど中学生には難しそうな言葉も出てくるが、映像を見ながらなのでなるほどと思いながら見ることができる。この番組を作るのに半年近くを要したそうだ。中学・高校の理科対応。DNAなど分子模型を扱う単元。
このシリーズは、1997年の4月から実際の授業で使えるように制作してきた。
一部はパッケージソフト、博物館展示など、一部は国際展開(英語フランス語スペイン語)し、多くの国で使われている。
2. 以前中学と高校の理科教員(生物分野)をしていた。
1)実験観察を中心とした授業を展開していた。年間20回程度の実験=ほぼ毎週。年間35週の授業のうち、祝祭日や学校行事などで授業ができない週があるので、実際には20回くらいの授業になる。生物を中心に15年間の教員生活をしてきた。
○ CAIなどではなく、音とつながっている映像教材は魅力的。
○ 以前はフィルムライブラリーから借りていた。
○ 市販の教材(コンセプトフィルム,ビデオ)。
○ テレビ番組を再編集して(著作隣接権上気になるけど使っていた)。
○ 自作の映像教材使って。
昔は掛図を使っていたが、映画(映像)は「動く掛図」としての価値がある。
「映画で教えるのか」、「映画を教えるのかと」いう論争もあった。
→映画の文法ということはいらないという意見。
→カメラワーク、カットのつながりなどの映像の文法を含めて考えるべきだ、すべて意味がある。撮った側のメッセージも読み取るべきだという意見。
○「コンセプトフィルム」音はなく映像だけ。概念を短時間で映像にしてみせる。1-2分の映像。アメリカ製。今はコンセプトフィルムでググぐると全く関係のないのが出てくるので要注意。
このように、世の中の動きに従っていろいろ使ってきた。
☆「デールの経験の円錐」・・・要調査メモメモ
言語・・・抽象的
テレビ、映画・・・魅力がある
直接的な体験。
子供の学習はこの円錐の上から下を行ったりきたりしながら深まってゆく。
○ 映像教材の魅力
時間や空間を越える
鳥の目、ありの目・・・顕微鏡、航空写真
同じフレームで比べる
☆なにより、視点を与える。・・・一番の魅力だと思っている。
→どっちに見えますか?「少女に見えるか老婆に見えるか」、「アヒルかウサギか」。これは錯視の画像で、少女に見えたり老婆に見えたり、あるいはアヒルに見えたりうさぎに見えたり。絵を見るときの視点を与えられると、その視点から少女やうさぎが見えてくる。
→ 世の中の者は多義的に見える。授業の中では特定の見方をしてほしい。
→ 見せたいものを見せたいように見せる手法・・・TV番組は活用できる。
2)「ステップ&ジャンプ理科」番組委員から声がかかった。・・・(福田さんの転機)
・15分がステップで中学向け
・15分がジャンプで高校向け
というスタイルで3年経過後、番組委員になった。その後形式が変わって、
・20分で先生役のお兄さんが映像を解説し、10分は科学者が語る。これはあまり面白くなかった(このスタイルで3年やった)。
3)放送教育研究会
○ 全国放送教育研究会連盟の研究部にはいる
○ NHKの放送を利用した授業を研究
番組制作側の悩みは中高、特に高校の教員が離れていくことだった。
指導講師(大学教員)がつき、当時のスローガン「生・丸ごと・継続」の実現を求める・・・そういう体制では高校教員はついてこないと批判した。これでは現場の教員は離れて当然、立て直しが必要。授業実践をしてくださいといっても、スローガン押し付けても教員はやりたくない。指導講師が邪魔である。それで、指導講師を論破して番組利用を増やすように仕向けていった。
「番組60分では授業の1コマ50分におさまらない」など、学校現場の現状と乖離した番組では教員はその番組を使えないなど。
この研究会はもともとは小学校が中心だった。生放送だった。時間割を放送にあわせて使っていた。
NHK制作局の人の発言:「生・丸ごと・継続」はむしろ民放のスローガンに近い。コマーシャルを見てもらわないと成立しない」
このごろは10minボックスの利用率は上がってきている。
3. 「10minボックス」前夜
1)番組委員としてどのような番組がほしいのか?
ステップ&ジャンプもつまらない間違いが多かった。
教育番組に必要な条件:
○ 間違いがない(化学式など)
○ 生徒が寝ない(速い展開)
○ 先生を邪魔しない(テレビの中の先生と張り合いたくない)
○ 先生が知らないこと、教室でできないことを
○ 教室でできないこと(1)
→大規模な実験・・・という誤解。先生が望んでいるのだろうか?
→教室に持ち込めないから大規模ならわかる。
→水でトリチェリの実験をするならわかる。10メートル少々のガラス管が必要だから。
○ 教室でできないこと(2)
→先生にとっても目新しい話題や映像
→NHKスペシャルのようなもの
○ 何がほしいのか、使いたい場面からかなえる
実験観察の動機付け
実験観察の視点
生徒の先行学習先行経験をそろえる
ばらばらの学習をつなげる(単元ごとに分断されてしまっている学習,例えば、電子のことは電流として物理分野で学んだり,イオンとして化学分野で学んだりしていることをつなげるということ。自然はシームレス、というかひとつながり。)
日常生活とつなげる・・・(横浜国大で受けた「学習環境デザイン研修講座」でも同様な講義を聞いたので納得できる)
クラスごとの時間調整
緊急事態時の対応(急に授業ができない事態が発生した時など)
2)試作番組
○ 水の不思議シリーズより
→ 表面張力をさまざまな現象からさぐる・・・おもしろい。しかし、学習指導要領のどこに対応するのか。学校現場は学習指導要領に従って動いている。
○ 観察のための視点を与える撮りかたは?
その実験どうやるの?
どこに行けば撮影できるか
誰に聞けばいいか
どういう意味か
これで合っているか
などなどの関係からスタッフ側に入ることになった。
○ 自分で使ってみたい
○ 学習指導要領によりそう
○ ネイチャー、サイエンスンなどを購読
○ 展示会めぐり
○ 大学や研究機関、企業に協力を求める
○ 研究者の専門分野での文脈とは必ずしも一致しない
3) 科学コミュニケータか?
○ 研究者との議論ができるように先方の文献を読み込む。研究者ベースの議論にも乗れるよう。
○ 学校で番組を見たら生徒、教師はどう受け止めるか
○ 自分が授業者なら、どうだと使いやすいか
4. おわりに
どうして勉強するの?という真剣な問いに番組作りを通して答えられたか、これから答え続ける。
(質疑応答)
質問:視点を与える大切さ。しかし人は見たいものを見たいように見る・・・「授業で見せたいものを見せたいように」という部分に違和感
答え)見せたいように見せておいて、それではこちらは?という見せ方。まずある視点から見せておかないと、さっと見て終わってしまうのではないか。
発言1:見方の制限を与えるのではなく、見たあとの可能性のために見せる。
発言2:自分が作らせてもらったときにはナレーションなしで現象だけを見せるコンセプトフィルムだった。授業のリソースとして作った。
発言3:seeとwatchの違いか。視界に入るということと、看る観る診るはちがうということ。船で機関士になるための実習指導をしたが、「潤滑油の圧力に変化はなかったか?」「冷却水の温度差は?」のように、具体的な視点を与えなければ、実習生は機関室を眺めてくるだけ。
発言4:科学館は一神教の立場。コンセプトなしに展示はできない。作った後は視点フリーだけれど。お客さんがどう見るか、解説員がどう見せるかはフリーだが、作るときには一神教である。作るときには「多様な見方」というのはありえない。
発言5:何を見せたいかということはあるけれど、見せたい方向に行くかどうかは保証はない。15分間の実演:見せたいものがあるから実演するのでメッセージがある。展示には、視点を与えない手法もあるのではないかと思った。
答え)トラの前で、「ライオンさん見てよかったねぇ」と帰っていく親子もいる。
発言6:手法と政治性が違うだけで、学校にも博物館にも教育的な面では通底するのではないか。
発言7:アクセシビリティが問題になっている。どこでチケットを買うか、どのように見る。また、動線をひとつにしようとする動きがある。「この展示はどういう意図?」「どのように見せる」ということから指標のようなものを求める方向になりつつある。
(効率性、収益、集客などの要因から、展示に自由度がなくなってきているということか?)
発表2 対話型鑑賞(平野さん)
1 対話型鑑賞とは
仕事は 統計学・社会調査、学力調査の研究を業務として行っているが、自分の研究テーマは「博物館学習論」、来館者研究である。そのなかで、対話型鑑賞を研究している。
1)対話型鑑賞:作家や美術史から作品を解説するのではなく、作品を見て対話することから出発する鑑賞のスタイル
ニューヨーク近代美術館教育部講師のアメリア・アレナスによって1990年代後半から日本に普及。
○ みる : 直感を大切にしながらまず作品をじっくり見る
○ かんがえる: なぜ自分がそう思ったのかについて内省する
○ はなす : 自らの中に湧き上がった思いや疑問を言葉にして他の鑑賞者に伝える
○ きく :他の鑑賞者の声にきちんと耳を傾ける
この4つが基本
人数は決まっていない。しかしプログラムとして行う場合にはナビゲーターを中心にしておこなう。ひとりでも成立しうるかもしれない。
アビゲールハウゼン(認知心理学者)の美的感受性発達論から。
ステージⅠ: 物語の語り手となり、具体的観察や作品と個人的な結びつきや自分の感覚を使って物語を創作する。
ステージⅡ: 構成の段階:自身の知覚、自然界についての知識一般的世界観から作品を鑑賞する
ステージⅢ: 分類
ステージⅣ: 解釈
ステージⅤ: 再創造の段階
○多くの鑑賞者はStage I/II のレベルにとどまっている
2)VTC/VTS(Visual Thinking Curriculum)
協調的に観る事によって観るステージをあげて行く。鑑賞能力を上げてゆく。
基本的な問いかけ・・・オープンエンドなクエスチョン
作品の中では何が起こっていますか?
それはどうしてそう思ったの?
他には何が描かれていますか?
・・・新たな視点が増えてゆく
3)Amelia Arenasの鑑賞教育
『なぜ、これがアートなの?』1998
厳密な方法論よりも対話の楽しさを重視
社会的構成主義に立脚(奥本2006)
4)ACOP:アート・コミュニケーション・プロジェクト
京都造形芸術大学ASP学科対象に実施する教育プログラム
対話型鑑賞で会話の交通整理を行うナビゲイターの育成に着目
対話型鑑賞から鑑賞型対話へ
5)学習環境としてのミュージアム
学習環境デザイン
学習を共同体への参加として捉える
学習者の視点にたち学習を成立させる空間・ツール、活動・共同体といった構成要素について、それぞれの学習者にふさわしいカタチにデザインしていくこと。
6)ミュージアムの学習環境デザイン
○ 鶴田総一郎(1956)「博物館学総論)
○ ミュージアムは学習環境:第三世代の博物館
→ 第1世代 保存志向、倉庫,威圧,収集保存、陳列
→ 第2世代 公開志向、展示,収集保存、調査研究、展示
→ 第3世代 参加志向、事業,活動重視,収集、調査研究、展示、教育普及
○ フォーラムとしてのミュージアム(キャメロン)
→神殿としてのミュージアムに対するフォーラムとしてのミュージアム
○ ミュージアムは学習環境である。活動の重要性は増している。モノを中心に人が集い、さまざまな視点から新たにそれを価値づけていくプロセスである。
○ 活動を担うのがナビゲーター
7)ナビゲイター
○ アート≠ 作品
○ ナビゲーター:作品と鑑賞者をつなぐ役割。
8)対話型鑑賞への批判1:知識を与えないと勉強にならないのではないか?
→鑑賞者が知識を与えられる準備ができているかを見極めることが重要
→ナビゲイターが適切なときに適切な情報を与える
対話型鑑賞への批判2:ナビゲイターが答えを持っていてそれに誘導しているのではないか?
→ナビゲイターも鑑賞者の一人
→あくまで一歩進んだ鑑賞者
→オープンマインドな姿勢、オープンエンドな問いかけ
→自分は伝えたいものを持っている。しかし自分も鑑賞者なので、他の鑑賞者の話も聴く。
9)ナビゲイターがしていること
○ 受け答え/コメント 評価はここに入る(ああいいね!など)
○ 言い換え/パラフレイズ オウム返しだと会話が止まってしまう。問いかけは?
○ 結びつけ/コネクト
○ 情報提供/インフォメーション
○ まとめ/サマライズ
佐伯先生:パラフレイズには「問いかけ」という意味はないよね。パラフレイズ「さっきあなたが言ったのはこういうことですか?」というならパラフレイズになるが、問い掛けはどうだろう。次回に対話例を見せてもらいましょう。
10)学びほぐしとワークショップ
○ 学びほぐし:これまで学んできた、経験してきたことを“自分にとって”しっくりくるように理解しなおすこと・・・(これが納得的理解だな?)
○ 対話型鑑賞は学びほぐしのワークショップ
11)ナビゲーターは「学習環境デザイナー」
○ 学習環境をデザインする、活動をデザインする。
ミュージアムは学習環境であり中でも活動が重視されてきている
対話型鑑賞は物を中心に人が集いその価値を組み替えていくための活動である。
○ ミュージアムの学習環境デザインを持続的なものにしていくには学習環境デザイナーが必要。
12)現在の研究
○ 4人のナビゲーターのプロトコル分析
○ 同じ日、同じ作品、午前/午後で異なる鑑賞者
○ よいナビとはどんなものか。
(質疑応答)
発言1 対話型鑑賞の目的・充実感・・・この作品に対して私の見方ができたという満足感が得られることが大切。新たな視点の獲得、価値の獲得がひつよう。よい対話型鑑賞ができていれば、次からはナビなしでも鑑賞することができる。自分の鑑賞を認められた。自分と違う見方をする人がいるという気付き。誰かによって価値付けられていない新しい作品に対しても自分で価値付けることができる。
どういう聴き方をしたらそれを聴きだすことができるか。どういうナビゲーターならそれができるか、どうすればそのようなナビゲーターを育てることができるか。
鑑賞の授業はどのようにすれば評価できるか、教員の悩ましいところだということはわかる。(以前は表面的に鑑賞していたが、深く見ることができるようになったなど。)
発言2 短歌をきっかけに、何を読み取ったか、どういう鑑賞ができたか。評価について、授業の振り返りシートを導入している、新たに思ったこと、知らなかったことなど気付いたことをまとめることを行い始めた。
発言3 ツイッターなどは赤裸々。電子媒体でなくても、私服で声を拾うことがある。未来館で、ツイッターを即時公開したことがある。アンケートよりも生の声を聴くことができる。
発言4 ナビゲーターの重要な仕事に、発散しすぎた発想を再び作品に向けさせる。複数の人が同じものを観ているというところに意味がある。同じベースで鑑賞しているという点。下手をすると空中戦になってしまって、全員が参加しているというおもしろさがなくなってしまう。
発言5 鑑賞が始まる前どう始まるか、どのようにはじめるか。修学旅行などで来館する場合には鑑賞する動機がないからきっかけが必要。
発言6 フロアを歩いていて観ている人に声かけをするというよりも、ワークショップ風にすることが多いと思う。
発言8 来月性感染症の授業をするが、そのナビゲーターということになる。学生相手の場合、興味ある子と興味ない子がいるので。そのときに覚えていなくても、聴いたことある、あのときのあの話・というようなことが残ればよいかなと思う。
→トピックで照れなければよいですね。美術は?
→美術も照れることがあります。小学生や中学生。裸体美人とか腋毛とか。話のきっかけにはなる。美術が好きな人には、ヨーロッパ美術の伝統の裸婦像ということを知っているが、子供たちにはそれはわからないから。
発言9 学習者のニーズが押さえられていないと、これを学習したいというニーズをわかっていないと成り立たないと思う。知らない自分を知るなど。
発言10 美術鑑賞のニーズとは。年配の方が多くて知識を求められることも多い。
そんなことより教えてよという人もいる。
発言11 ギャラリートーク:毎日同じ時刻。それを求めてくる人たち。参加者が始めはギクシャクしていても、終わったあとは一緒にお茶で続きをしたりしている。作品を鑑賞して自分をさらけ出すようにならないと良いツアーにならない。それがナビゲータの役。「それいいね」は禁句に近い。なぜならナビゲータ受けするコメントを鑑賞者が言うようになるから。
ボランティアに対する教育をする。養成研修をする。コレクションの背景を学芸員がレクチャーする。ともに、ナビゲーションの技術よりまえに、作品の調べ方が最初。作品を知っていないと作品の前に立てないから。観客からどんな質問が飛び出すかわからないから。
(←ライブだ。授業と一緒だ。その時に対応できないといけない。授業も、対話型鑑賞も、ジャズもライブだ。当意即妙が求められる。そこが命)
佐伯先生:どこを見てそう思ったの?という問いはとても大切。どうしてそう思ったの?よりも大切。思った根拠をしめす。気付きに焦点化する。気付くこと、あったものに気付く。勝手に思ったのではない。同時に、黙って味わうことが欲しいと思っていたが、何が描かれているかではなく、この作品を見てあなたは自分の中に何を描きますか。頭の中に何が思い浮かびますか、自分の中に絵を思い浮かべてほしい。なんでも言語化するのではなく思い浮かべる思い描くことをファシリテイートしてほしいと思う。注意、アテンション気付くことと思い描くこと。そこを意識して問いかけたらよいと思った。
毎日何時間もフェルメールを見に通った人がある。それは思い描く世界に浸っているわけだ。そういう鑑賞の方法の視野も必要ではないか。
2011-01-22
博士論文公聴会
納得研究会の先輩が青山学院大学の博士課程に在籍しており,大学に提出した博士論文の公聴会があった。だれでも出席できるということだったので,研究会のメンバーと一緒に出席して来た。
論文題目は『科学実践としての理科教育』,永く高校で理科教育に携わってこられたその集大成をもとに,さらに学術的に研究を重ねられた成果を論文にまとめられたものだった。

論文を審査する大学の先生数名と,大学院生,私のような立場の人20名あまりの前で,45分間の発表を行い,さらに45分間の質疑が行われた。一般参加者も質問をして良いことになっており,さすがに博士論文というのは社会的にも価値を問われるのだと思った。
審査用に提出された論文は厚さ3センチ以上もあるようで,審査する先生方はその論文を幾度も読んでいるらしく,発表のあと非常に厳しい質問をしていた。
公聴会のあと一般参加者は退席し,会場には論文提出者と大学の先生方が残って,口頭試問が行われていたようだ。
来週は納得研究会があるので,詳細をうかがうことができるだろう。
論文題目は『科学実践としての理科教育』,永く高校で理科教育に携わってこられたその集大成をもとに,さらに学術的に研究を重ねられた成果を論文にまとめられたものだった。

論文を審査する大学の先生数名と,大学院生,私のような立場の人20名あまりの前で,45分間の発表を行い,さらに45分間の質疑が行われた。一般参加者も質問をして良いことになっており,さすがに博士論文というのは社会的にも価値を問われるのだと思った。
審査用に提出された論文は厚さ3センチ以上もあるようで,審査する先生方はその論文を幾度も読んでいるらしく,発表のあと非常に厳しい質問をしていた。
公聴会のあと一般参加者は退席し,会場には論文提出者と大学の先生方が残って,口頭試問が行われていたようだ。
来週は納得研究会があるので,詳細をうかがうことができるだろう。
2010-10-10
納得研究会(2010年度第4回)
今回の納得研究会は多摩動物公園で行われた。午前中「チンパンジーの生活」、午後「絶滅に瀕した動物たち」のガイデッドツアーに参加したあと、レクチャールームで、動物園で解説することについて解説員の方から直接に講演をしていただいた。





【並木さん】
(1) 動物園での教育
50年位前 International Zoo Educator's Association
40年位前 zoo教研(日本)
水族館とは独立して始まったが、いまは一緒に活動している。
(2) 手法
実物と二次資料
人を介在(ガイド)
パネル(指示、案内などのサインを含む)
どうしたら創造的な教育ができるか、その理論的なことに興味を持っている。
【草野さん(多摩動物園解説員)】
(1) 日ごろ、ガイドをして工夫している点などについて
キリンの色は?
茶色、白、黒。剃ると色はなくなる。
子供にキリンの絵を描かせるとほとんど黄色で描く。
今見てきたばかりの子供に描かせても黄色で描く。そのこととの戦いである。網膜では見ていても脳に届いていない。そこで問いかけるのが一番わかりやすい。
死んだあとの毛皮も教材になる。生きていたときの名前もついている。この動物園にこういう名前のキリンがいて、死んでもなお教材を提供してくれているということ。
木のあるところにキリンはいる。
木のあるところにキリンがいるところを白黒で見ると背景と渾然となって見分けつかない。←キリンに模様がある理由。
キリンや象はみな知っていると思っているので先行するイメージで見てしまうから、目には入っていても観ていない。
(2) 動物園ガイド
---「動物」と「人」の間ーーー
① スポットガイド:一箇所でガイドする。
これからガイドすることを動物にさせる。
飼育係
↑↓
動物・・・・・・・→客
キリンは黄色と思い込んでいる客、そこに、ガイドが動物に働きかけて客に向かって動物を意識させる。
飼育係 飼育係が動物に仕掛けて動物がいろいろする。 ↓↑
解説員 → 客 ←・・・・・動物
解説員は飼育係の意図を察知して解説する。
動物・・・→ 客
↑↓ 双方向の会話
ガイド役
動物を操作することもなく、これから説明をしますなどのことはせず、場に応じて解説する。ガイド役と客が近い距離にいて、相手に合わせた話ができる。最も客思いのガイドではないかと思っている。
客が
やさしい温かいきもちになってもらえただろうか
動物や自然に親しみを感じてくれたか
動物や自然のことを理解してくれたか
多摩動物公園を好きになってくれたかどうか
② 来園者に気付いてもらうガイド
動物を操作しない
トークを仕掛ける
(これらは本日のスタイル)
動物 ・・・・→ 客 ← 解説員
一緒に観ながら歩く
動物を操作しない
☆トークを仕掛ける
スタイルは自由
双方向の会話
見入る、立ち止まるなどの活動ができる。
そのときそのときで動物の状態は違う。客も違う。
テーマを持ってやるが、そのとおりにはならない。
③ 動物の前に客を放り出す
動物を操作しない
トークをしない
動物 ・・・・→ 客 解説員
客が動物を見てなるほどと思う。解説員を意識しないで話を聞いてくれるのが理想。拍手された場合は、自分としては失敗と思っている。
④ 動物の前でガイドをしてもらう。(半年くらい通った人に)
いろいろな教材
観察ツール、貸し出し教材(動機付け用:不思議発見ポケット、紙芝居セット、ビデオなど)、ガイドブック・その他のテキスト、貸し出し教材(理科:骨格標本など)
(3)いろいろな企画
小規模な人数で行うプログラムが多い。(サマースクール、大人のための動物園)
中には動物園の存在に疑問を持つ客もいる。
人々は、動物園に何を求めてくるのだろう?
動物園ガイドとは、動物を一緒に見ながら出会いを作る。
*****************************
貸し出し教材、子供に見せる、理屈を言ったとたんに子供は「僕知ってる」と始まって、ブツを見てくれない。何か?と思わせる。想像するところを奪わないように。見てくれればよい。さんざん子供に想像せた挙句に説明すればよい。
① キリンの舌
木の葉を巻きつけて食べる。
② 動物の面:馬の面をかぶると人には横が見えない。しかし、馬の視界は180度。
前方が両目の視界若干重なっている分、後ろにわずかな死角がある。それで、真後ろに立つと蹴られる。
チーターは前方に視界がある。前方の獲物を探す。
この貸し出し教材:子供に渡すときに言わないこと、見せたあとで言うことなどの注意書きがある。しかし、NHKの「試してガッテン」で取り上げられたときに順番を無視して解説したので全く面白くなかった。ハテナと思うところを大切にしなければ面白い解説にはならない。
☆目からウロコの瞬間を作らなければならない。それでストンと納得できるようになる。
はじめに理屈を言うと何も面白くない。見る興味がわかない。
③ キリンの糞(チョコボールと呼んでいる)
シマウマの糞(おはぎと呼んでいる)
同じ食べ物を食べていても匂いが違う。動物園には自分のとどこか同じ匂いのがあるかもしれない。
④ アフリカ象のめすのウェストを現したロープ。(奈良の大仏の手のひらの授業と同じと思った。)
⑤ キリンの新生児の等身大写真。
キリンは頭から、象は足から生まれる。キリンは生まれるときに肩が引っかかるので,頭から出ないと窒息する。
生まれてすぐ立ち歩く。2-3日で元気よく歩き回り、1週間で走る。
質疑応答 ****************************************
① 今日のレクチャーの方法に行き着くまでにどのようなことがあったのでしょうか。
→ここにあるのはすべて動物なので。自分もかつては教室で教えるタイプだったかもしれない。しかし、動物園には必ず動物がいる。動物と人が両方いるので。教室で話してもつまらない。つまらない話だと人はどこかへ立ち去ってしまう。教室ではつまらなくても生徒は教室にいなければならないが。動物園では動物が舞台に立っている。解説員が目立ってはいけない。動物第一、飼育係第二、自分は黒子。動物をよく見ていないと、たとえばヤギならば,この時間なら反芻しているかもしれないなどを考えながら仕掛ける。ねたを集めること。
スタイルとか何を話そうと決めておいてもそのとおりになったことはない。そのような日々をすごしているうちに今のスタイルになった。
② 動物を触りたいという欲求が沸いた。そういうのは多いですか?動物とのコミュニケーションについて考えることはありますか?
→多いです。その代償として皮の標本を出すなど、妥協点を探って提示できるようにしている。基本は野生動物に触れることはできない。
→動物とは双方向ではない。動物たちは何か感じているかもしれないがそれはわからない。
③ 留学生に日本の伝統文化を教えたりしているが、たくさんの人を連れて案内をしているので、ガイドするということことに興味を感じた。疑問を持たせて腑に落ちるその部分に。大人数のときに、惹きつけて,対象物に興味を持ってもらい,学んでもらうための工夫は?
→大人と子供では違う。大人は理屈を知りたがる。話自体に興味を持つ。子供はそうではなくて、ワァッと合点させること。難しいのは家族連れ。大人の興味と子供の興味が違うので難しい。大人数の時には、動物で対応する。小さい動物に対して大人数は難しいので象に連れて行くなど、大人数向きの動物のところに連れてゆく。あるいはクイズを持っていって、ポイントのところで集まってもらって後は自由にしてもらうなど。
⑤ 学校教育と社会の違い。先に理論とか結論を言わないということだったので、とても参考になった。義務教育も、話してつまらなかったら出て行ってよいことにすればよい(笑い)。
→それはそのとおりだと思った。
⑥ こんなすばらしい体験ができるということに感動したが、何人くらいいらっしゃるのか?
→今多摩動物公園は二人、解説員がいるのは東京都だけです。
⑦ 草野さん以外の人はポスドクの人のアルバイトのようでしたが。
→毎年更新です。
→本来の専門は微生物。小中高で教えた経験もない。動物園の教育の歴史は浅い。誰がなっても、永くいて積み重ねができれば可能。
⑧ 博物館の教育に興味があり、展示を中心にプロデュースする仕事をしている。草野さんの体の動かし方に注目した。見に来た人がすぐに帰ってしまってもかまわないという教育のあり方。自然に身についたことと思うが。自分に気付いているかどうか?学校の先生にそのような動作はあったか?教える内容などによって変わるのだと思うが。
博物館教育に従事する人は人員的に余裕のない中で、ツールを作ったりいろいろ工夫をしてやっているが。教育ツール、自分たちの技を見せ合う企画をしているので是非ネタを持ってきてほしい。これは追加ながら。
→体の動かし方については無自覚です。
→→オープンエアであるし、動作を大きくしなければ、見てほしいところを見てくれない。
←←←引っ込むときには引っ込んでいる、指をさすときの動作。
→それについては自覚している。子供たちが原稿を見て話さないように。
⑨ ひとつひとつの経験が蓄積されて経験になってゆく。本来の専門と違うこと、システムもなかったこと、それを今続けられているということについて。
→予算だけがあって、こうしろああしろということは何もなかった。それが面白みであり醍醐味でもあった。面白ければ客は見る、つまらなければ立ち去る。そこがやめられないところ。
→→今の質問者さんは現職看護士なので、患者が目の前にあってその患者をガイドする仕事だから。
→どうしても人のよい点は真似したくなるが私は真似はしたくなかった。新しいスタイルを作ってゆくというのは面白い仕事と思った。
⑩ 学校に渡す教材のアイデアを思いつくきっかけは?
→元ネタはサンディエゴズー。その教材キットの話を聞いて学校への貸し出しなら可能だと思って始めた。子供たちにとっては日ごろ身近にいる先生が話したほうが親しみやすいと思う。
はじめはこのようなキットではなかった。耳をつけてよく聞こえるようなのもあった。徹底的にアンケートをつけて反応を見て改善してきた。それを繰り返していまのかたちになった。現場からのフィードバックが役に立った。
⑪ その教材がどれくらいウケタかは、直接に見えないので大変ではなかったか。
→ひとりでは30人くらいにしか伝えられないが3人の先生に伝えれば100人に伝えられる。先生とのコミュニケーションを積み重ねて今のように成り立ってきた。最初から成り立ったわけではない。
⑫ 一番新しいのは?
→尻たタコパンツかな?サルの尻のタコをつけたパンツ。これを穿けばお尻にパッドが当たるので痛くない。
⑬ (ここで私の感想)幾度か話が出たけれど、「面白くなければ客は立ち去る」というところ、私は高校の教員なので,毎日授業していると、どれだけ面白いと思って生徒が聞いてくれているか、寝る生徒もいればノート取らない生徒もいて、生徒が聴きたくなるような授業、人が立ち止まって聴きたくなるような授業ををしなければと思いました。
→ガイドは聴きたくて来る人が対象だから。しかし学校はそうではない。
←←(A先生):「俺の授業,面白くなかったらみんな出て行ってもいいぞ!」といってから授業を始めては?(笑)
→→(私):「そういう大見得を切って授業をやってみたいですけれど,なかなか恐くてできないですね」(笑)
⑭ 貸し出し用教材:「言ってはいけないことの注意書き」これはすごいと思った。どうして思いついたか。
→自分にもそういう経験はあって、時間に追われたり親子連れとの関係でつい言ってしまったことからつまらない結果になってしまったりの経験から。
→これ以上広まって貸し出し対象が多くなると対応できなくなってしまう。残念ながら、いまで上限かと思う。先生が作れそうなものならば可能だが。そういうものもある。
⑮ 子供にとって先生は成績をつける人なので、ある意味点数をつける怖い存在なので。そういう貸し出しキットのリストがあると他のところでも使えるリソースかと思う。
→大人でも子供でも言いたがるようになる。終わってからそうなれば成功だと思う。
⑯ 言いたがる子供たち、言いたいことを交通整理しながら、全員にも言ってもらいたいし、どうやったらよい結果になるか。
→ 最近では、言いたがりを受け止めるのは先生、このような教材を使って先生がそれを受け止める。自分では限界がある。「見た」ということがどれだけすばらしいかということを体験してほしい。
⑰ 教材の使い方が絶妙。知らないことがわかるのはとてもわくわくする。子供にもそういう楽しい気持ちを味わってほしい。つい教えたくなるが、そこをあえて教えずに、子供たちに気付かせる。ひとは、「教えられる」とわかった瞬間に「考えないスイッチ」がはいってしまう。そのあたりが絶妙だと思った。教えすぎない、引いた立場、どこまで自分を出さずにできるかそのバランスが大事だなと思った。
→ほめられすぎで居心地悪いなぁ。
⑱ 説明する人は前にいるという印象を持っていたが、今日は後ろで説明されていたということ、それから、何も聞こえない瞬間もある。そういうときに動物を見て自分で考えるということができた。
どこに解説員がいるのかわからなくて不思議だった。後ろから人の興味をあおる、シナリオがない、物知りの親が子供に教えているような。
⑲ 動物の前に立つとクイズが出るようなシステムにお金がつきそうだが。
←是非やめたほうがよいですね。
←僕もやめたほうがよいですね。
←それは葛西で作ったことがある。行く前とか行った後ならよいかなと思った。帰ってきてからの復習として使うものならば非常に細かい解説ができるツールではある。
⑳ 解説について人に代わるものはないなと思う。美術作品をネタにしながらトークをするということ。目の前にある動物からスタートする。美術作品と違って動物は動くのでそれに対応して説明できるというのは人でなければできないことだと思う。
21 スタンプラリー、上野動物園、解説を全部聞くと答えがわかって次に進める。子供にとって楽しいこと。看板だけではいえないことがある。何か面白いアプローチがあるのではないかと考えた。
22 水族館だと、ガラスに映っている彼女ばかり見ているなどのことがある。そういう客もあれば、マニアックな客もある。あるいは解説の名前と実物が照合できれば満足な客もある。図鑑的に見る客もある。親はあるいはそれかもしれない。動物園はそういうものだということで終わってほしくないなという思いがある。
23 (高校生)
学校の授業の中で象について調べている。人と動物のかかわりが不思議。動物園が絶滅しそうな動物について重要な役割だと伝えるのですか。
→そういうこともあります。その客がそういう話に乗る人かどうかの判断。動物園に楽しみに来ている人に対して、ちょっと暗い話になるので。動物園も、その歴史の中で動物の絶滅に加担したこともある。客の反応によって、その話題を出すこともある。
24 (高校生)
絶滅しそうな野生動物のことを調べている。この動物園で保護しているのがありますか?
→小笠原しじみ(蝶)など、いくつかは保護と増殖につとめている。蝶と、朱鷺など。ニッポニアニッポン(鳥インフルエンザなどで、一箇所だと危ないので)、黒面平さぎという鳥。繁殖が上手くいっている。
25 (高校生)
海のアマモのことを環境の面から調べている。今日見学してみて、自然界ならば熱帯雨林などいろいろなところがある。ここは、ひとつの環境にいろいろな地域の動物がいることが不思議に思った。
→ここは丘陵地帯で斜面がある。崖を作ったり、両側から水の集まるところがあるのでそこに水辺の動物を配置したりなど、なるべくこの地域の特性を活用しようとはしている。しかし、柵の中ではある。この動物園の人は、そういう配慮はしているが、動物園であるということを前提としている。生態っぽい雰囲気にはしているけれど、動物園である。
26 動物に合った環境があるが、そういうことについては。環境に合った動物の活動を引き出すなどは?
27 (高校生)
動物園の展示方法について調べている。チンパンジーのユーホーキャッチャーなどの工夫がある。ガイドさんがいることで客が楽しみを引き出せるということがあってよかった。
→ここにいる動物は野生動物だが、状態としては家畜状態である。家畜は、人間の目的に合うように人間が品種改良してきた動物。この動物園にいるのはヤギ以外は野生動物だが(品種改良をしていない)、状態としては家畜である。展示である以上、家畜である。
28 教えない教育とはどういうことかに関心がある。解説員は知識を教えることではない。疑問、あるいは興味を誘引する仕事。しかし美術品とは違って答えはある。ところがその答えを言ってしまってはおしまい。知識というものが持つ面白さを伝え、わかりそうな疑問を持たせる。そういうところが難しい。知りたくなる、知りたくなってそれがわかる。自分から問いを持つそういうものを引き出すためのテクニック、それがどういうことで可能になるのかを考えさせられた。教えない教育ということのヒントを随分もらった。そういったことをまとめて、「面白がらせる」「知ることの価値に気付かせる」などのことを考えさせられた。今日のガイドや質問の出し方の中に答えがありそうだ。





【並木さん】
(1) 動物園での教育
50年位前 International Zoo Educator's Association
40年位前 zoo教研(日本)
水族館とは独立して始まったが、いまは一緒に活動している。
(2) 手法
実物と二次資料
人を介在(ガイド)
パネル(指示、案内などのサインを含む)
どうしたら創造的な教育ができるか、その理論的なことに興味を持っている。
【草野さん(多摩動物園解説員)】
(1) 日ごろ、ガイドをして工夫している点などについて
キリンの色は?
茶色、白、黒。剃ると色はなくなる。
子供にキリンの絵を描かせるとほとんど黄色で描く。
今見てきたばかりの子供に描かせても黄色で描く。そのこととの戦いである。網膜では見ていても脳に届いていない。そこで問いかけるのが一番わかりやすい。
死んだあとの毛皮も教材になる。生きていたときの名前もついている。この動物園にこういう名前のキリンがいて、死んでもなお教材を提供してくれているということ。
木のあるところにキリンはいる。
木のあるところにキリンがいるところを白黒で見ると背景と渾然となって見分けつかない。←キリンに模様がある理由。
キリンや象はみな知っていると思っているので先行するイメージで見てしまうから、目には入っていても観ていない。
(2) 動物園ガイド
---「動物」と「人」の間ーーー
① スポットガイド:一箇所でガイドする。
これからガイドすることを動物にさせる。
飼育係
↑↓
動物・・・・・・・→客
キリンは黄色と思い込んでいる客、そこに、ガイドが動物に働きかけて客に向かって動物を意識させる。
飼育係 飼育係が動物に仕掛けて動物がいろいろする。 ↓↑
解説員 → 客 ←・・・・・動物
解説員は飼育係の意図を察知して解説する。
動物・・・→ 客
↑↓ 双方向の会話
ガイド役
動物を操作することもなく、これから説明をしますなどのことはせず、場に応じて解説する。ガイド役と客が近い距離にいて、相手に合わせた話ができる。最も客思いのガイドではないかと思っている。
客が
やさしい温かいきもちになってもらえただろうか
動物や自然に親しみを感じてくれたか
動物や自然のことを理解してくれたか
多摩動物公園を好きになってくれたかどうか
② 来園者に気付いてもらうガイド
動物を操作しない
トークを仕掛ける
(これらは本日のスタイル)
動物 ・・・・→ 客 ← 解説員
一緒に観ながら歩く
動物を操作しない
☆トークを仕掛ける
スタイルは自由
双方向の会話
見入る、立ち止まるなどの活動ができる。
そのときそのときで動物の状態は違う。客も違う。
テーマを持ってやるが、そのとおりにはならない。
③ 動物の前に客を放り出す
動物を操作しない
トークをしない
動物 ・・・・→ 客 解説員
客が動物を見てなるほどと思う。解説員を意識しないで話を聞いてくれるのが理想。拍手された場合は、自分としては失敗と思っている。
④ 動物の前でガイドをしてもらう。(半年くらい通った人に)
いろいろな教材
観察ツール、貸し出し教材(動機付け用:不思議発見ポケット、紙芝居セット、ビデオなど)、ガイドブック・その他のテキスト、貸し出し教材(理科:骨格標本など)
(3)いろいろな企画
小規模な人数で行うプログラムが多い。(サマースクール、大人のための動物園)
中には動物園の存在に疑問を持つ客もいる。
人々は、動物園に何を求めてくるのだろう?
動物園ガイドとは、動物を一緒に見ながら出会いを作る。
*****************************
貸し出し教材、子供に見せる、理屈を言ったとたんに子供は「僕知ってる」と始まって、ブツを見てくれない。何か?と思わせる。想像するところを奪わないように。見てくれればよい。さんざん子供に想像せた挙句に説明すればよい。
① キリンの舌
木の葉を巻きつけて食べる。
② 動物の面:馬の面をかぶると人には横が見えない。しかし、馬の視界は180度。
前方が両目の視界若干重なっている分、後ろにわずかな死角がある。それで、真後ろに立つと蹴られる。
チーターは前方に視界がある。前方の獲物を探す。
この貸し出し教材:子供に渡すときに言わないこと、見せたあとで言うことなどの注意書きがある。しかし、NHKの「試してガッテン」で取り上げられたときに順番を無視して解説したので全く面白くなかった。ハテナと思うところを大切にしなければ面白い解説にはならない。
☆目からウロコの瞬間を作らなければならない。それでストンと納得できるようになる。
はじめに理屈を言うと何も面白くない。見る興味がわかない。
③ キリンの糞(チョコボールと呼んでいる)
シマウマの糞(おはぎと呼んでいる)
同じ食べ物を食べていても匂いが違う。動物園には自分のとどこか同じ匂いのがあるかもしれない。
④ アフリカ象のめすのウェストを現したロープ。(奈良の大仏の手のひらの授業と同じと思った。)
⑤ キリンの新生児の等身大写真。
キリンは頭から、象は足から生まれる。キリンは生まれるときに肩が引っかかるので,頭から出ないと窒息する。
生まれてすぐ立ち歩く。2-3日で元気よく歩き回り、1週間で走る。
質疑応答 ****************************************
① 今日のレクチャーの方法に行き着くまでにどのようなことがあったのでしょうか。
→ここにあるのはすべて動物なので。自分もかつては教室で教えるタイプだったかもしれない。しかし、動物園には必ず動物がいる。動物と人が両方いるので。教室で話してもつまらない。つまらない話だと人はどこかへ立ち去ってしまう。教室ではつまらなくても生徒は教室にいなければならないが。動物園では動物が舞台に立っている。解説員が目立ってはいけない。動物第一、飼育係第二、自分は黒子。動物をよく見ていないと、たとえばヤギならば,この時間なら反芻しているかもしれないなどを考えながら仕掛ける。ねたを集めること。
スタイルとか何を話そうと決めておいてもそのとおりになったことはない。そのような日々をすごしているうちに今のスタイルになった。
② 動物を触りたいという欲求が沸いた。そういうのは多いですか?動物とのコミュニケーションについて考えることはありますか?
→多いです。その代償として皮の標本を出すなど、妥協点を探って提示できるようにしている。基本は野生動物に触れることはできない。
→動物とは双方向ではない。動物たちは何か感じているかもしれないがそれはわからない。
③ 留学生に日本の伝統文化を教えたりしているが、たくさんの人を連れて案内をしているので、ガイドするということことに興味を感じた。疑問を持たせて腑に落ちるその部分に。大人数のときに、惹きつけて,対象物に興味を持ってもらい,学んでもらうための工夫は?
→大人と子供では違う。大人は理屈を知りたがる。話自体に興味を持つ。子供はそうではなくて、ワァッと合点させること。難しいのは家族連れ。大人の興味と子供の興味が違うので難しい。大人数の時には、動物で対応する。小さい動物に対して大人数は難しいので象に連れて行くなど、大人数向きの動物のところに連れてゆく。あるいはクイズを持っていって、ポイントのところで集まってもらって後は自由にしてもらうなど。
⑤ 学校教育と社会の違い。先に理論とか結論を言わないということだったので、とても参考になった。義務教育も、話してつまらなかったら出て行ってよいことにすればよい(笑い)。
→それはそのとおりだと思った。
⑥ こんなすばらしい体験ができるということに感動したが、何人くらいいらっしゃるのか?
→今多摩動物公園は二人、解説員がいるのは東京都だけです。
⑦ 草野さん以外の人はポスドクの人のアルバイトのようでしたが。
→毎年更新です。
→本来の専門は微生物。小中高で教えた経験もない。動物園の教育の歴史は浅い。誰がなっても、永くいて積み重ねができれば可能。
⑧ 博物館の教育に興味があり、展示を中心にプロデュースする仕事をしている。草野さんの体の動かし方に注目した。見に来た人がすぐに帰ってしまってもかまわないという教育のあり方。自然に身についたことと思うが。自分に気付いているかどうか?学校の先生にそのような動作はあったか?教える内容などによって変わるのだと思うが。
博物館教育に従事する人は人員的に余裕のない中で、ツールを作ったりいろいろ工夫をしてやっているが。教育ツール、自分たちの技を見せ合う企画をしているので是非ネタを持ってきてほしい。これは追加ながら。
→体の動かし方については無自覚です。
→→オープンエアであるし、動作を大きくしなければ、見てほしいところを見てくれない。
←←←引っ込むときには引っ込んでいる、指をさすときの動作。
→それについては自覚している。子供たちが原稿を見て話さないように。
⑨ ひとつひとつの経験が蓄積されて経験になってゆく。本来の専門と違うこと、システムもなかったこと、それを今続けられているということについて。
→予算だけがあって、こうしろああしろということは何もなかった。それが面白みであり醍醐味でもあった。面白ければ客は見る、つまらなければ立ち去る。そこがやめられないところ。
→→今の質問者さんは現職看護士なので、患者が目の前にあってその患者をガイドする仕事だから。
→どうしても人のよい点は真似したくなるが私は真似はしたくなかった。新しいスタイルを作ってゆくというのは面白い仕事と思った。
⑩ 学校に渡す教材のアイデアを思いつくきっかけは?
→元ネタはサンディエゴズー。その教材キットの話を聞いて学校への貸し出しなら可能だと思って始めた。子供たちにとっては日ごろ身近にいる先生が話したほうが親しみやすいと思う。
はじめはこのようなキットではなかった。耳をつけてよく聞こえるようなのもあった。徹底的にアンケートをつけて反応を見て改善してきた。それを繰り返していまのかたちになった。現場からのフィードバックが役に立った。
⑪ その教材がどれくらいウケタかは、直接に見えないので大変ではなかったか。
→ひとりでは30人くらいにしか伝えられないが3人の先生に伝えれば100人に伝えられる。先生とのコミュニケーションを積み重ねて今のように成り立ってきた。最初から成り立ったわけではない。
⑫ 一番新しいのは?
→尻たタコパンツかな?サルの尻のタコをつけたパンツ。これを穿けばお尻にパッドが当たるので痛くない。
⑬ (ここで私の感想)幾度か話が出たけれど、「面白くなければ客は立ち去る」というところ、私は高校の教員なので,毎日授業していると、どれだけ面白いと思って生徒が聞いてくれているか、寝る生徒もいればノート取らない生徒もいて、生徒が聴きたくなるような授業、人が立ち止まって聴きたくなるような授業ををしなければと思いました。
→ガイドは聴きたくて来る人が対象だから。しかし学校はそうではない。
←←(A先生):「俺の授業,面白くなかったらみんな出て行ってもいいぞ!」といってから授業を始めては?(笑)
→→(私):「そういう大見得を切って授業をやってみたいですけれど,なかなか恐くてできないですね」(笑)
⑭ 貸し出し用教材:「言ってはいけないことの注意書き」これはすごいと思った。どうして思いついたか。
→自分にもそういう経験はあって、時間に追われたり親子連れとの関係でつい言ってしまったことからつまらない結果になってしまったりの経験から。
→これ以上広まって貸し出し対象が多くなると対応できなくなってしまう。残念ながら、いまで上限かと思う。先生が作れそうなものならば可能だが。そういうものもある。
⑮ 子供にとって先生は成績をつける人なので、ある意味点数をつける怖い存在なので。そういう貸し出しキットのリストがあると他のところでも使えるリソースかと思う。
→大人でも子供でも言いたがるようになる。終わってからそうなれば成功だと思う。
⑯ 言いたがる子供たち、言いたいことを交通整理しながら、全員にも言ってもらいたいし、どうやったらよい結果になるか。
→ 最近では、言いたがりを受け止めるのは先生、このような教材を使って先生がそれを受け止める。自分では限界がある。「見た」ということがどれだけすばらしいかということを体験してほしい。
⑰ 教材の使い方が絶妙。知らないことがわかるのはとてもわくわくする。子供にもそういう楽しい気持ちを味わってほしい。つい教えたくなるが、そこをあえて教えずに、子供たちに気付かせる。ひとは、「教えられる」とわかった瞬間に「考えないスイッチ」がはいってしまう。そのあたりが絶妙だと思った。教えすぎない、引いた立場、どこまで自分を出さずにできるかそのバランスが大事だなと思った。
→ほめられすぎで居心地悪いなぁ。
⑱ 説明する人は前にいるという印象を持っていたが、今日は後ろで説明されていたということ、それから、何も聞こえない瞬間もある。そういうときに動物を見て自分で考えるということができた。
どこに解説員がいるのかわからなくて不思議だった。後ろから人の興味をあおる、シナリオがない、物知りの親が子供に教えているような。
⑲ 動物の前に立つとクイズが出るようなシステムにお金がつきそうだが。
←是非やめたほうがよいですね。
←僕もやめたほうがよいですね。
←それは葛西で作ったことがある。行く前とか行った後ならよいかなと思った。帰ってきてからの復習として使うものならば非常に細かい解説ができるツールではある。
⑳ 解説について人に代わるものはないなと思う。美術作品をネタにしながらトークをするということ。目の前にある動物からスタートする。美術作品と違って動物は動くのでそれに対応して説明できるというのは人でなければできないことだと思う。
21 スタンプラリー、上野動物園、解説を全部聞くと答えがわかって次に進める。子供にとって楽しいこと。看板だけではいえないことがある。何か面白いアプローチがあるのではないかと考えた。
22 水族館だと、ガラスに映っている彼女ばかり見ているなどのことがある。そういう客もあれば、マニアックな客もある。あるいは解説の名前と実物が照合できれば満足な客もある。図鑑的に見る客もある。親はあるいはそれかもしれない。動物園はそういうものだということで終わってほしくないなという思いがある。
23 (高校生)
学校の授業の中で象について調べている。人と動物のかかわりが不思議。動物園が絶滅しそうな動物について重要な役割だと伝えるのですか。
→そういうこともあります。その客がそういう話に乗る人かどうかの判断。動物園に楽しみに来ている人に対して、ちょっと暗い話になるので。動物園も、その歴史の中で動物の絶滅に加担したこともある。客の反応によって、その話題を出すこともある。
24 (高校生)
絶滅しそうな野生動物のことを調べている。この動物園で保護しているのがありますか?
→小笠原しじみ(蝶)など、いくつかは保護と増殖につとめている。蝶と、朱鷺など。ニッポニアニッポン(鳥インフルエンザなどで、一箇所だと危ないので)、黒面平さぎという鳥。繁殖が上手くいっている。
25 (高校生)
海のアマモのことを環境の面から調べている。今日見学してみて、自然界ならば熱帯雨林などいろいろなところがある。ここは、ひとつの環境にいろいろな地域の動物がいることが不思議に思った。
→ここは丘陵地帯で斜面がある。崖を作ったり、両側から水の集まるところがあるのでそこに水辺の動物を配置したりなど、なるべくこの地域の特性を活用しようとはしている。しかし、柵の中ではある。この動物園の人は、そういう配慮はしているが、動物園であるということを前提としている。生態っぽい雰囲気にはしているけれど、動物園である。
26 動物に合った環境があるが、そういうことについては。環境に合った動物の活動を引き出すなどは?
27 (高校生)
動物園の展示方法について調べている。チンパンジーのユーホーキャッチャーなどの工夫がある。ガイドさんがいることで客が楽しみを引き出せるということがあってよかった。
→ここにいる動物は野生動物だが、状態としては家畜状態である。家畜は、人間の目的に合うように人間が品種改良してきた動物。この動物園にいるのはヤギ以外は野生動物だが(品種改良をしていない)、状態としては家畜である。展示である以上、家畜である。
28 教えない教育とはどういうことかに関心がある。解説員は知識を教えることではない。疑問、あるいは興味を誘引する仕事。しかし美術品とは違って答えはある。ところがその答えを言ってしまってはおしまい。知識というものが持つ面白さを伝え、わかりそうな疑問を持たせる。そういうところが難しい。知りたくなる、知りたくなってそれがわかる。自分から問いを持つそういうものを引き出すためのテクニック、それがどういうことで可能になるのかを考えさせられた。教えない教育ということのヒントを随分もらった。そういったことをまとめて、「面白がらせる」「知ることの価値に気付かせる」などのことを考えさせられた。今日のガイドや質問の出し方の中に答えがありそうだ。
2010-06-19
第3回納得研究会(2010)
青雲丸(独立行政法人航海訓練所練習船)を会場として,2010年第3回の納得研究会が開催された。本船は航海訓練所所有の練習船では最大出力(馬力でいうと10500PS)を誇る。練習船では初めて階段教室を採用し,スポーツドームも備える。日本の実習生(東京海洋大学海洋工学部,神戸大学海事科学部,商船高等専門学校,海技大学校,海上技術短期大学校,海上技術学校)のほか,フィリピンやインドネシアからの実習生の教育も行っている。

練習船青雲丸

青雲丸の予備アンカー,3685キログラム

船橋のウイングにあるコンパス,むこうにレインボーブリッジが見える

研究会と船内見学を終えて
まず船長から、乗船中の安全上の注意についての説明があった。停泊しているとはいえ,水に浮いている船なので,万が一の事故に備えてのこと。
火災の場合には長音5声,沈没しそうなときには短音7声長音1声の非常ベルが吹鳴するので,その場合には乗組員の指示に従って行動する。
報告1 青山学院大学大学院 吉岡さん(元都立高校情報科・理科教員)
実践のコミュニティ(Communities of Practice)の視点から教員の職階制について考察した論文(「認知科学との協働による学校教育のイノベーション」「学校教育のイノベーション再考」,ともに認知科学会論文集 VOL.16-NO.3,VOL17-NO.2)の解説
教員組織に職階制が導入され,学校が「なべぶた組織(校長ー教頭ー教諭)」から「官僚的組織(校長ー副校長ー主幹教諭ー主任教諭ー教諭)」に変わったことについて考察した。
教員を官僚的なトップダウン的な組織に置くことは「教育行政の実践のコミュニティと学校現場の実践のコミュニティを断絶」させることになるという考え方。
職階制(社長ー重役ー部長ー課長ー係長ー主任)は企業では当たり前で,それが学校にそぐわないとなぜ言えるのか?という質問に対する回答をまとめた論文である。
そういう疑問は当然で,軍隊や会社、一部の物理学者のコミュニティも、トップダウンだから、それを全否定するわけではないが、 Lave & Wenger の「正統的周辺参加論(LPP)」や Etienne Wenger の「実践のコミュニティ(COP)」に基づいて,)教員組織にはなじまないと主張した。
学校の中にはいろいろな組織がある。教科ごと、学年ごとなど。それらのコミュニティを横断することが大切である。職階制のひとつの理由は教員の育成が問題から。昔は、経験豊かな教員の姿を見て、その人の手ほどきを受けて・・・というぐあいに教員としてのキャリアを積んできた。教科についても同じ。職階制はこれらの教員文化を壊すのではないかと思っている。
参加者からのコメントと応答など。
:製造業との対比,製造業は仕事の成果がわかりやすい数値となって現れる。今日の仕事があしたの成果となる。しかし,教育は成果が見えにくい。教員に自己目標を立てさせ,年度末にその成果をまとめさせるような,会社組織の業務形態を教員組織に持ち込むと,「検定試験の合格率向上」「大学に何人合格させる」といった数値目標を掲げることになる。そういった一連のことと関連しているから教員組織への職階制はなじまないという論には賛成できる。
:今のことは,心情的にはわかるが教員組織が会社組織とは異なっていなければならないことの証明にならないのではないか?
:教授論では内容と方法,系統性と順序性,学習論は生徒の側から。保護者は先生ならみな教えられると思っている。教えてもテストの結果にすぐには現れない。二項対立でもって教育は語りきれない。生徒と一緒に歩むことによって理解が進むのだと思う。実践性が必要。理科の知識を教えるのではなくて理科の実践をする。デューイの生活中心カリキュラムとブルーナ学問中心カリキュラム。官僚的な教員組織では,学ぶ共同体がないのでそれらがつぶれてしまう。
:認知的徒弟性には,質の差がある。いい親方につくと良い結果が、悪い親方につくとだめと言うあたりはずれがあるからではないか。
:官僚制にすれば管理しやすいということか。だからトップダウン組織にしようかという発想が出てきたのか。
:ヒーローがいればいいということになってしまう。
:企業にいたときに経営規格部にいたことがある。社員に提案すると言う業務、研修業務を行っていた。博物館の展示を作る、教育プログラムを作ると言う組織。社員は全員プロデューサーとしての役割がある。社長、副社長、部長・・・という組織であったのは当たり前。 プロジェクトは社員が組織するが、トップダウンとの二重構造だった。一番下の人の提案がトップに行くこともある。プロデューサーとファシリテーターがいる。その二人のセット、会社なら営業もセットになる。その3人で物事を進めていく。ファシリテーターにかなりの能力がないとできない。
:物理学者の大きなプロジェクタにはそれがある。そこのコーディネーターがまとめる。
:修学旅行ならばその責任者がリーダーになる。教員にも階層はあるが、職階制ではなかった。
:製造業に勤めているが、階層構造があって、管理する立場と管理される立場がある。その他にコミュニティがありうるのではないか。管理しやすさのために。たとえばデザインする人が300人いる。その人はデザインを描く。製造業とも違う。階層構造はある。新人には親分がいる、中堅層。年齢とは違うところで。先生の質が下がったからこの構造になったからならば、先生の質を上げる方策をとればよいのではないか。こういう体制になれば先生の質が上がるとも思われない。
:「先生の質が悪くなった」というのは教育委員会が言ったことなので。先生と言うのは長いスパンで評価されるべきだ。東大に何人も入れた先生はえらくてそうでない先生は無能なのか。
:問題の根本は、「先生の質を上げろ」という議論があるとき、そんな必要はないという開き直りが必要なのではないか。旧体制と新しい体制、その下には常に生徒がいる。生徒の立場からは、先生のことなんてたいして期待していない。巻き込まれて管理体制に組み込まれてゆく。
:「先生の質なんか関係ないと」いうのはかなり良い諦観だ。我々はマクドナルドではない。
以上のように議論百出であった。
報告2
「練習船実習における教授学習過程 -認知的道具の役割と分析-」
独立行政法人航海訓練所 青雲丸船長 熊田、二等通信士 坂
練習船実習の概要、および実習の役割について報告する。
(1)熊田船長より船員の教育訓練の紹介
航海訓練所、練習船5隻 帆船2、ディーゼル2、タービン1
我々が主に教えている学生は商船に乗る。彼らの仕事をビデオで紹介。
NYK(日本郵船)の自動車専用船を舞台にした「海の上のプロフェッショナル」というビデオ上映。北海道から東京湾までの航海。霧の中の航海、船乗りが最も嫌う。霧の中を前方に横切り船。ステアリングを自動から手動に切り替える。機関部、機関のスタンバイ・・・霧の中ので前方の横切り線を避航するための緊迫感ある映像。このような経験をひとつひとつ積んで,新任の三等航海士は一人前に育ってゆく。
日本人船員に求められるもの。
外航船員 国際感覚を持ち,外国人船員とも意思疎通ができる。
内航船員 即戦力としての基礎的な技術、技能を持ち、年齢層の広い乗組員に対応できる。
航海訓練所では,日本の商船系統の学生の他に、フィリピン、インドネシアなどの実習生の訓練もおこなう。
帆船実習:判断力、注意力、協調性などを共同作業を通じて育成してゆく。
汽船実習:商戦で実際に行われている場面に近い実習を行う。
海技教育:生活の場と仕事の場が常に一緒、長期間同じメンバーで過ごす。
操船実習と操機実習、ピストン抜き実習・・・計画立案も実習生におこなわせる。
海技とは・・・船舶職員として必要な技術。
この技術は単に船を動かすための技術にとどまらず、海で生活をしていくすべについても身につけることが必要となる。教官や上司から教えられるものに加えて、自然環境から教えられることも多い。
SeamanShip:本来は運用術なのだが、日本の「シーマンシップ」のような意味合いで外国でもこの言葉をつかうようになってきた。
「スマートで、目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」
三頭航海士時代、船乗りは口八丁手八丁でないとだめだと言われた。いろいろなことを同時にこなすということ。
基本となるもの(責任感と積極性)
運航技術上特に必要なもの(注意力と判断力)
船内生活などで必要なもの(協調性と規律)
3Kと言われるが次のように言い直している。
きけん→ きれない
きつい→ くじけない
いたない→ こわれない
(2)坂二等通信士より「認知的道具の役割」として,船橋での実習をビデオ撮影し,その分析についての報告。
「一般商船で帆船を使っていないのに、なぜ帆船実習が必要なのかという質問が一番多い」。負けじ魂だ、気合と根性だといってしまえばすむが、それだけではない。その質問に理論的に答えたくて研究を始めた。
実際に乗る船は、一般商船。その職場で必要となる資質能力を育成しなければならない。
帆船を道具に実習することがベターだという答えを出したかったのだが、活動場面を絞って研究し,実習生がどのような学びをしているのかということを考察した。
練習船自体が道具である。教室、エンジン、航海をおこなうための設備すべてが教材であり、道具である。それらを使いこなせるようになることだけが練習船教育なのか。練習船にある道具は他にも学習機会を与えているのではないかと思った。
ビゴツキーの「媒介の三角形」,八ッチンスの共同作業の研究・・・これは海軍。
練習船独特の環境があるので独自性ある研究ができると思った。
操船場所、海図室、見張りの場所。
ビデオカメラを構えて実習生を撮影する。
例1 津軽海峡で(新潟から函館への航海)
潮流に流されているから、それを回避する操船をしなさいという課題。船橋での航海士と実習生の会話分析。
「どうだポジションは?」という発話だけで、本来いなければならないところからどれだけずれているかという質問だと理解している。
実際にいなければならないポジションからずれているのでコースを修正しなければならないが,実習生は始めににコースの変更を「21度」と答える。すると一等航海士は「21度?だったら切りのいい」と発言する。それを受けて実習生は「20度」と答える。
*********
ここには,コースを指示する航海士役の実習生(これを副直という),その指示に従って舵を操作する操舵手(これも実習生に行わせる)がコンパスを見るときの数字の刻みの見やすさ(20度,25度などは見やすくなっているがその間の細かい刻みは数字が書いていなくて見にくい)に対する配慮があり,この短いやり取りだけで副直は一等航海士がそのことを指摘しているのだと理解している。
********
例2 入港の操船で,船長と実習生,次席一等航海士,次席三等航海士の会話分析。
船長が命令を出すと必ず航海士は復唱し,復唱が正しければインターホンやテレグラフ(エンジンの出力を機関室に指示する装置)によって船長の命令が伝えられる。
副直の実習生がその命令を間違えて,前進の指示を受けているのにテレグラフを後進に操作すると,すかさず次席三等航海士がテレグラフの操作をやり直す。
次の場面では,船長が「スロー アスターン ツー」と命令したのに対して次席三等航海士が「スロー アスターン ツー」と復唱する。
船長は「デッドスローアスターン ツー」と命令を訂正する。
副直の実習生が「スローアスターン ツー」と訂正前の命令を復唱する。
次席三等航海士は「デッドスローアスターン ツー」と訂正後の命令を発声する。
副直は「デッドスローアスターン ツー」と訂正後の命令を復唱してテレグラフを操作する。
*******
復唱・・・操作の調整機能もある。(正しいことの確認だけでなく)。
完全なOJTでもなく完全な学校でもないのが練習船。
教官も実習生とかかわりながら学習しているのではないかと思った。
実際の出入港操船でオーダーを出せるのは船長だけ。ならば船長になるまでオーダーを出せないかと言うと、航海士は復唱することを通してオーダーを出す練習をしていく。
船内では教官と呼ばせずに、職名で呼ばせる。それぞれの職に役割があるから。
船会社は、実際の船は少人数で動かしているのだから、少人数教育がいいに違いないと言うが、教育効果としてはある程度のグループサイズのほうが効果があると考えている。
例2では,船長のオーダーを間違えた実習生は次席三等航海士に操作を取られてしまうが,それは残りの19名が見ている中でおこなわれている。
商船乗りは海を道路と思う
漁船乗りは海を畑だと思う
プレジャーボートの人は海をグランド、ゲレンデだと思う。
参加者からのコメントと応答など。
:アマチュアだとレベルにバラ付があるので、夜にはベテランがワッチを取るなどがあるが、プロの場合には階級で組めばよいのか?
船長: ある。船で難しいのは朝晩。日出時と夕暮時は船が見難いので、ベテランを。8-0は経験の浅い航海士を。ただし、霧が深いときなどには船長や一等航海士が臨時に(下位の航海士の当直に一緒に)入ったりする。
:学生を教えるに当たって、以前と方法が違うことがあったりするのか?時代が変わって。
船長:国際的になってきた。我々が学生のときは日本人船員だけだった。15年位前から外国人が乗るようになって来た。今はひとつの船に二人くらいしか日本人が乗っていない場合もある。学生の本質は変わっていないと思う。
:今の商船は、専属の通信士は乗っていない。誰がするかというと航海士がしている。自分が入所したころは、通信士が乗っている最後の頃であった。
:使える英語になるのに,勉強の得て不得手が関係あるのか?
:実習では使える英語にはならない。彼らが、実際の船に乗って、責任を担うようになってから使えるようになっている。
:フィリピンの学生は英語がとても上手い。それなりに会話はできている。英語の能力が上がったからというより、フィリピンの学生が、日本の学生とコミュニケーションを取れるようにしてくれている。言い方が通じないと、何度でも言い方を変えたり、質問の視点を変えたりしてくれている。
:晴海のマリナーズコートの2回に展示室があったが、それのプロデュースをした。近代化船が増えている時代だった。昔と近代化船になってからでは実習方法にも違いがあるのだなと思う。天測も、GPSがあるからいざと言うときに必要なのかもしれない。帆船を使う意味を教えてほしい。
:天測実習にかける時間は、昔の三分の一くらい。国際会議では天測不要論も出た。それに対してアメリカ日本イギリスは必要と言った。北欧系は不要と言った。非常事態に必要だから。
帆船実習は航海時間が短くなった。以前は3ヶ月の航海をしたが、最近は短くなっている。私は帆船は長く乗らないとわからないと思う。風に逆らってはいけないなと言うことを実感した。風を利用するという考え方。
:機関室の実習風景とずいぶん違うと思った。機関科の実習では,機関の準備(ウォーミングアップ)と機関終了後の操作(クーリングダウン)のときに,先ほどの例のような場面がある。実習生に指揮を取らせる。それは,やり直しをする余地のある場面だから。たとえば,発電機が停止して停電してしまったような場合の実習では,安全な海域で,そのような場面を人為的に設定して,その上で行わないと危険だ。その点で,出入港や避航操船,コースの訂正などの場合の船橋の実習と機関室の実習ではずいぶん違うのだなと思った。
:機関室でもビデオ取りしようと思ったが,機械の音が入ってしまって,会話分析ができなかった。
その後船内見学。実習生居住区の通路から機関室が見えるようになっているところ,すばらしい。また,ギャレーと実習生食堂,士官食堂,乗組員食堂を至近に配置しているのは合理的だと思った。
見学者から「船は距離の単位になぜマイルを使うのか」という質問があった。これは地球の経度を基準にしているからという答えだったのだが,「でも,入港の場面ではメートルで指示していたのはなぜ」という再質問。これに対して,海図の上ではマイル,岸壁が近かったり眼で見える範囲などではメートルを使うようですとの通信士の答えだった。この再質問は面白かった。
また,六分儀の説明では,船長から星と星座の説明があったが,これはとてもロマンのある話。機関士だった私は10分の何ミリみたいな話ばかりで星の話ができないのは残念だ。改めて勉強しようか?と思ってしまう。
久々に練習船と海の空気を吸って,自分が機関士だった頃のことに思いを馳せた。士官居住区の名札に懐かしい名前を見つけたが,みな「三本線」以上になっている。歳月の隔たりを感じた。
研究会のあとは懇親会,懇親会二次会で仕上げ。
充実した1日だった。




まず船長から、乗船中の安全上の注意についての説明があった。停泊しているとはいえ,水に浮いている船なので,万が一の事故に備えてのこと。
火災の場合には長音5声,沈没しそうなときには短音7声長音1声の非常ベルが吹鳴するので,その場合には乗組員の指示に従って行動する。
報告1 青山学院大学大学院 吉岡さん(元都立高校情報科・理科教員)
実践のコミュニティ(Communities of Practice)の視点から教員の職階制について考察した論文(「認知科学との協働による学校教育のイノベーション」「学校教育のイノベーション再考」,ともに認知科学会論文集 VOL.16-NO.3,VOL17-NO.2)の解説
教員組織に職階制が導入され,学校が「なべぶた組織(校長ー教頭ー教諭)」から「官僚的組織(校長ー副校長ー主幹教諭ー主任教諭ー教諭)」に変わったことについて考察した。
教員を官僚的なトップダウン的な組織に置くことは「教育行政の実践のコミュニティと学校現場の実践のコミュニティを断絶」させることになるという考え方。
職階制(社長ー重役ー部長ー課長ー係長ー主任)は企業では当たり前で,それが学校にそぐわないとなぜ言えるのか?という質問に対する回答をまとめた論文である。
そういう疑問は当然で,軍隊や会社、一部の物理学者のコミュニティも、トップダウンだから、それを全否定するわけではないが、 Lave & Wenger の「正統的周辺参加論(LPP)」や Etienne Wenger の「実践のコミュニティ(COP)」に基づいて,)教員組織にはなじまないと主張した。
学校の中にはいろいろな組織がある。教科ごと、学年ごとなど。それらのコミュニティを横断することが大切である。職階制のひとつの理由は教員の育成が問題から。昔は、経験豊かな教員の姿を見て、その人の手ほどきを受けて・・・というぐあいに教員としてのキャリアを積んできた。教科についても同じ。職階制はこれらの教員文化を壊すのではないかと思っている。
参加者からのコメントと応答など。
:製造業との対比,製造業は仕事の成果がわかりやすい数値となって現れる。今日の仕事があしたの成果となる。しかし,教育は成果が見えにくい。教員に自己目標を立てさせ,年度末にその成果をまとめさせるような,会社組織の業務形態を教員組織に持ち込むと,「検定試験の合格率向上」「大学に何人合格させる」といった数値目標を掲げることになる。そういった一連のことと関連しているから教員組織への職階制はなじまないという論には賛成できる。
:今のことは,心情的にはわかるが教員組織が会社組織とは異なっていなければならないことの証明にならないのではないか?
:教授論では内容と方法,系統性と順序性,学習論は生徒の側から。保護者は先生ならみな教えられると思っている。教えてもテストの結果にすぐには現れない。二項対立でもって教育は語りきれない。生徒と一緒に歩むことによって理解が進むのだと思う。実践性が必要。理科の知識を教えるのではなくて理科の実践をする。デューイの生活中心カリキュラムとブルーナ学問中心カリキュラム。官僚的な教員組織では,学ぶ共同体がないのでそれらがつぶれてしまう。
:認知的徒弟性には,質の差がある。いい親方につくと良い結果が、悪い親方につくとだめと言うあたりはずれがあるからではないか。
:官僚制にすれば管理しやすいということか。だからトップダウン組織にしようかという発想が出てきたのか。
:ヒーローがいればいいということになってしまう。
:企業にいたときに経営規格部にいたことがある。社員に提案すると言う業務、研修業務を行っていた。博物館の展示を作る、教育プログラムを作ると言う組織。社員は全員プロデューサーとしての役割がある。社長、副社長、部長・・・という組織であったのは当たり前。 プロジェクトは社員が組織するが、トップダウンとの二重構造だった。一番下の人の提案がトップに行くこともある。プロデューサーとファシリテーターがいる。その二人のセット、会社なら営業もセットになる。その3人で物事を進めていく。ファシリテーターにかなりの能力がないとできない。
:物理学者の大きなプロジェクタにはそれがある。そこのコーディネーターがまとめる。
:修学旅行ならばその責任者がリーダーになる。教員にも階層はあるが、職階制ではなかった。
:製造業に勤めているが、階層構造があって、管理する立場と管理される立場がある。その他にコミュニティがありうるのではないか。管理しやすさのために。たとえばデザインする人が300人いる。その人はデザインを描く。製造業とも違う。階層構造はある。新人には親分がいる、中堅層。年齢とは違うところで。先生の質が下がったからこの構造になったからならば、先生の質を上げる方策をとればよいのではないか。こういう体制になれば先生の質が上がるとも思われない。
:「先生の質が悪くなった」というのは教育委員会が言ったことなので。先生と言うのは長いスパンで評価されるべきだ。東大に何人も入れた先生はえらくてそうでない先生は無能なのか。
:問題の根本は、「先生の質を上げろ」という議論があるとき、そんな必要はないという開き直りが必要なのではないか。旧体制と新しい体制、その下には常に生徒がいる。生徒の立場からは、先生のことなんてたいして期待していない。巻き込まれて管理体制に組み込まれてゆく。
:「先生の質なんか関係ないと」いうのはかなり良い諦観だ。我々はマクドナルドではない。
以上のように議論百出であった。
報告2
「練習船実習における教授学習過程 -認知的道具の役割と分析-」
独立行政法人航海訓練所 青雲丸船長 熊田、二等通信士 坂
練習船実習の概要、および実習の役割について報告する。
(1)熊田船長より船員の教育訓練の紹介
航海訓練所、練習船5隻 帆船2、ディーゼル2、タービン1
我々が主に教えている学生は商船に乗る。彼らの仕事をビデオで紹介。
NYK(日本郵船)の自動車専用船を舞台にした「海の上のプロフェッショナル」というビデオ上映。北海道から東京湾までの航海。霧の中の航海、船乗りが最も嫌う。霧の中を前方に横切り船。ステアリングを自動から手動に切り替える。機関部、機関のスタンバイ・・・霧の中ので前方の横切り線を避航するための緊迫感ある映像。このような経験をひとつひとつ積んで,新任の三等航海士は一人前に育ってゆく。
日本人船員に求められるもの。
外航船員 国際感覚を持ち,外国人船員とも意思疎通ができる。
内航船員 即戦力としての基礎的な技術、技能を持ち、年齢層の広い乗組員に対応できる。
航海訓練所では,日本の商船系統の学生の他に、フィリピン、インドネシアなどの実習生の訓練もおこなう。
帆船実習:判断力、注意力、協調性などを共同作業を通じて育成してゆく。
汽船実習:商戦で実際に行われている場面に近い実習を行う。
海技教育:生活の場と仕事の場が常に一緒、長期間同じメンバーで過ごす。
操船実習と操機実習、ピストン抜き実習・・・計画立案も実習生におこなわせる。
海技とは・・・船舶職員として必要な技術。
この技術は単に船を動かすための技術にとどまらず、海で生活をしていくすべについても身につけることが必要となる。教官や上司から教えられるものに加えて、自然環境から教えられることも多い。
SeamanShip:本来は運用術なのだが、日本の「シーマンシップ」のような意味合いで外国でもこの言葉をつかうようになってきた。
「スマートで、目先が利いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」
三頭航海士時代、船乗りは口八丁手八丁でないとだめだと言われた。いろいろなことを同時にこなすということ。
基本となるもの(責任感と積極性)
運航技術上特に必要なもの(注意力と判断力)
船内生活などで必要なもの(協調性と規律)
3Kと言われるが次のように言い直している。
きけん→ きれない
きつい→ くじけない
いたない→ こわれない
(2)坂二等通信士より「認知的道具の役割」として,船橋での実習をビデオ撮影し,その分析についての報告。
「一般商船で帆船を使っていないのに、なぜ帆船実習が必要なのかという質問が一番多い」。負けじ魂だ、気合と根性だといってしまえばすむが、それだけではない。その質問に理論的に答えたくて研究を始めた。
実際に乗る船は、一般商船。その職場で必要となる資質能力を育成しなければならない。
帆船を道具に実習することがベターだという答えを出したかったのだが、活動場面を絞って研究し,実習生がどのような学びをしているのかということを考察した。
練習船自体が道具である。教室、エンジン、航海をおこなうための設備すべてが教材であり、道具である。それらを使いこなせるようになることだけが練習船教育なのか。練習船にある道具は他にも学習機会を与えているのではないかと思った。
ビゴツキーの「媒介の三角形」,八ッチンスの共同作業の研究・・・これは海軍。
練習船独特の環境があるので独自性ある研究ができると思った。
操船場所、海図室、見張りの場所。
ビデオカメラを構えて実習生を撮影する。
例1 津軽海峡で(新潟から函館への航海)
潮流に流されているから、それを回避する操船をしなさいという課題。船橋での航海士と実習生の会話分析。
「どうだポジションは?」という発話だけで、本来いなければならないところからどれだけずれているかという質問だと理解している。
実際にいなければならないポジションからずれているのでコースを修正しなければならないが,実習生は始めににコースの変更を「21度」と答える。すると一等航海士は「21度?だったら切りのいい」と発言する。それを受けて実習生は「20度」と答える。
*********
ここには,コースを指示する航海士役の実習生(これを副直という),その指示に従って舵を操作する操舵手(これも実習生に行わせる)がコンパスを見るときの数字の刻みの見やすさ(20度,25度などは見やすくなっているがその間の細かい刻みは数字が書いていなくて見にくい)に対する配慮があり,この短いやり取りだけで副直は一等航海士がそのことを指摘しているのだと理解している。
********
例2 入港の操船で,船長と実習生,次席一等航海士,次席三等航海士の会話分析。
船長が命令を出すと必ず航海士は復唱し,復唱が正しければインターホンやテレグラフ(エンジンの出力を機関室に指示する装置)によって船長の命令が伝えられる。
副直の実習生がその命令を間違えて,前進の指示を受けているのにテレグラフを後進に操作すると,すかさず次席三等航海士がテレグラフの操作をやり直す。
次の場面では,船長が「スロー アスターン ツー」と命令したのに対して次席三等航海士が「スロー アスターン ツー」と復唱する。
船長は「デッドスローアスターン ツー」と命令を訂正する。
副直の実習生が「スローアスターン ツー」と訂正前の命令を復唱する。
次席三等航海士は「デッドスローアスターン ツー」と訂正後の命令を発声する。
副直は「デッドスローアスターン ツー」と訂正後の命令を復唱してテレグラフを操作する。
*******
復唱・・・操作の調整機能もある。(正しいことの確認だけでなく)。
完全なOJTでもなく完全な学校でもないのが練習船。
教官も実習生とかかわりながら学習しているのではないかと思った。
実際の出入港操船でオーダーを出せるのは船長だけ。ならば船長になるまでオーダーを出せないかと言うと、航海士は復唱することを通してオーダーを出す練習をしていく。
船内では教官と呼ばせずに、職名で呼ばせる。それぞれの職に役割があるから。
船会社は、実際の船は少人数で動かしているのだから、少人数教育がいいに違いないと言うが、教育効果としてはある程度のグループサイズのほうが効果があると考えている。
例2では,船長のオーダーを間違えた実習生は次席三等航海士に操作を取られてしまうが,それは残りの19名が見ている中でおこなわれている。
商船乗りは海を道路と思う
漁船乗りは海を畑だと思う
プレジャーボートの人は海をグランド、ゲレンデだと思う。
参加者からのコメントと応答など。
:アマチュアだとレベルにバラ付があるので、夜にはベテランがワッチを取るなどがあるが、プロの場合には階級で組めばよいのか?
船長: ある。船で難しいのは朝晩。日出時と夕暮時は船が見難いので、ベテランを。8-0は経験の浅い航海士を。ただし、霧が深いときなどには船長や一等航海士が臨時に(下位の航海士の当直に一緒に)入ったりする。
:学生を教えるに当たって、以前と方法が違うことがあったりするのか?時代が変わって。
船長:国際的になってきた。我々が学生のときは日本人船員だけだった。15年位前から外国人が乗るようになって来た。今はひとつの船に二人くらいしか日本人が乗っていない場合もある。学生の本質は変わっていないと思う。
:今の商船は、専属の通信士は乗っていない。誰がするかというと航海士がしている。自分が入所したころは、通信士が乗っている最後の頃であった。
:使える英語になるのに,勉強の得て不得手が関係あるのか?
:実習では使える英語にはならない。彼らが、実際の船に乗って、責任を担うようになってから使えるようになっている。
:フィリピンの学生は英語がとても上手い。それなりに会話はできている。英語の能力が上がったからというより、フィリピンの学生が、日本の学生とコミュニケーションを取れるようにしてくれている。言い方が通じないと、何度でも言い方を変えたり、質問の視点を変えたりしてくれている。
:晴海のマリナーズコートの2回に展示室があったが、それのプロデュースをした。近代化船が増えている時代だった。昔と近代化船になってからでは実習方法にも違いがあるのだなと思う。天測も、GPSがあるからいざと言うときに必要なのかもしれない。帆船を使う意味を教えてほしい。
:天測実習にかける時間は、昔の三分の一くらい。国際会議では天測不要論も出た。それに対してアメリカ日本イギリスは必要と言った。北欧系は不要と言った。非常事態に必要だから。
帆船実習は航海時間が短くなった。以前は3ヶ月の航海をしたが、最近は短くなっている。私は帆船は長く乗らないとわからないと思う。風に逆らってはいけないなと言うことを実感した。風を利用するという考え方。
:機関室の実習風景とずいぶん違うと思った。機関科の実習では,機関の準備(ウォーミングアップ)と機関終了後の操作(クーリングダウン)のときに,先ほどの例のような場面がある。実習生に指揮を取らせる。それは,やり直しをする余地のある場面だから。たとえば,発電機が停止して停電してしまったような場合の実習では,安全な海域で,そのような場面を人為的に設定して,その上で行わないと危険だ。その点で,出入港や避航操船,コースの訂正などの場合の船橋の実習と機関室の実習ではずいぶん違うのだなと思った。
:機関室でもビデオ取りしようと思ったが,機械の音が入ってしまって,会話分析ができなかった。
その後船内見学。実習生居住区の通路から機関室が見えるようになっているところ,すばらしい。また,ギャレーと実習生食堂,士官食堂,乗組員食堂を至近に配置しているのは合理的だと思った。
見学者から「船は距離の単位になぜマイルを使うのか」という質問があった。これは地球の経度を基準にしているからという答えだったのだが,「でも,入港の場面ではメートルで指示していたのはなぜ」という再質問。これに対して,海図の上ではマイル,岸壁が近かったり眼で見える範囲などではメートルを使うようですとの通信士の答えだった。この再質問は面白かった。
また,六分儀の説明では,船長から星と星座の説明があったが,これはとてもロマンのある話。機関士だった私は10分の何ミリみたいな話ばかりで星の話ができないのは残念だ。改めて勉強しようか?と思ってしまう。
久々に練習船と海の空気を吸って,自分が機関士だった頃のことに思いを馳せた。士官居住区の名札に懐かしい名前を見つけたが,みな「三本線」以上になっている。歳月の隔たりを感じた。
研究会のあとは懇親会,懇親会二次会で仕上げ。
充実した1日だった。
2010-05-01
納得研究会(2010年度第2回)
横浜国立大学で今年度第2回の納得研究会が開催された。今回の発表は次の2題。
報告1. 横浜清陵総合高校のキャリア教育の実践,横浜清陵総合高校 五十嵐先生。
総合学科高校は,普通科高校,専門高校に次ぐ第3の学科として平成6年度から全国で設置が始まり,横浜清陵高校は今年で6年目を迎える。
生徒が将来の職業選択を視野に入れ,主体的な学習をすることができるよう,多くの特色ある科目を開講している。「キャリア教育」というと”就職指導”や”進学指導”と誤解される場合もあるようだが,そうではない。生徒が自分の将来について広い視野を持つこと,そうして得た視野から自分の将来像と道筋を描くこと,そのために必要な職業観や進路選択を行う指導を横浜清陵総合高校は展開してきた。その結果,文部科学省が提唱する「キャリア教育」の目的に合致したということである。
清陵では,「産業社会と人間」,学校設定科目の「コミュニケーション」と「視点」,そして課題研究としての「探求」を学びの幹として全ての生徒が学ぶ。事業所見学と報告,校外の社会人に対するインタビュー実習ではインタビューイーへの交渉も生徒自身が行い,これも全校の前で報告会を行う。これらによって視野を広げ,総まとめとしての「探求(課題研究)」で自分の将来像を具体的に描く。
単位制高校には,目新しい科目や楽しそうな科目などを生徒が脈絡なしに選択する危険がともなうが,横浜清陵総合高校ではそのような危惧を払拭する実践を積み重ねてきた。我が海洋科学高校でも見習うべき点が多々ある。
報告2. 「花毛布」の歴史と継承,明海大学 上杉恵美先生。
日本の船で100年以上も続けられてきた「花毛布」について,その歴史,代表的な作品,その伝統継承に伝の企業の意識と個人の意識,技術の継承方法について,動画を交えて発表していただいた。
結婚式の披露宴などで,ナプキンをきれいな形に折ってテーブルに飾る事があるが,日本船ではベッドメークしたあとの寝台の上に,予備の毛布を花や生き物などの形になぞらえて飾る習慣がある。
下の写真2枚は,横浜の帆船日本丸に展示されているもの。


外国へ行く手段が船だった時代に,日本郵船や大阪商船等の日本を代表する船会社が競うようにして旅客へのサービスとして行っていた。戦後になってからも,青函連絡船,航海訓練所,海洋研究開発機構の船などで行われてきたが,外航旅客船が極端に減少してからは継承者も少なくなった。
しかし,近年は日本船籍のクルーズ客船の人気が出てきており,「花毛布」の伝統文化を継承しようとする動きもあるようだ。伊豆の下田から神津島へ行く新神汽船のアゼリア丸でも行われているらしい。
実はこの私も,練習船の機関士をしていた頃に花毛布のサービスを受けていたことがある。毛布を使う前に,折り方を再現できるようにそっと開いてひそかに練習したこともある。もう20年くらい前のことだ。
花毛布は,会社によっては「飾り毛布」と称されることもある。いずれにしても,永い間主として先輩から後輩へ口伝によって伝えられてきた。会社の誇りであり,司厨員にとっては一人前の証しでもあった。
また,旅客に対しては,生花を飾ることができず,季節感も乏しい長期の航海に潤いと癒しを演出するため,四季折々や寄港地にちなんだ形に花毛布を飾って,「おもてなし」を表現することでもある。
教科書もなく,系統的な教育で伝えられたわけでもなく,また,社史等にもその歴史や種類、折り方は記録されていないという。
私の勤める海洋科学高校でも,この「花毛布」を課題研究に選んだ生徒がいる。まずはたくさんの作品を再現し,記録し,さらに新作を創作したい。
【懇親会】
研究会のあとはいつものように懇親会を開いた。席に着いた面々が,だれ言うともなしにタオル地のお手拭で「花毛布」ならぬ「花お手拭」を作り始めた。ノリの良い人たちだ(笑)!

有元先生作「コブラ」







報告1. 横浜清陵総合高校のキャリア教育の実践,横浜清陵総合高校 五十嵐先生。
総合学科高校は,普通科高校,専門高校に次ぐ第3の学科として平成6年度から全国で設置が始まり,横浜清陵高校は今年で6年目を迎える。
生徒が将来の職業選択を視野に入れ,主体的な学習をすることができるよう,多くの特色ある科目を開講している。「キャリア教育」というと”就職指導”や”進学指導”と誤解される場合もあるようだが,そうではない。生徒が自分の将来について広い視野を持つこと,そうして得た視野から自分の将来像と道筋を描くこと,そのために必要な職業観や進路選択を行う指導を横浜清陵総合高校は展開してきた。その結果,文部科学省が提唱する「キャリア教育」の目的に合致したということである。
清陵では,「産業社会と人間」,学校設定科目の「コミュニケーション」と「視点」,そして課題研究としての「探求」を学びの幹として全ての生徒が学ぶ。事業所見学と報告,校外の社会人に対するインタビュー実習ではインタビューイーへの交渉も生徒自身が行い,これも全校の前で報告会を行う。これらによって視野を広げ,総まとめとしての「探求(課題研究)」で自分の将来像を具体的に描く。
単位制高校には,目新しい科目や楽しそうな科目などを生徒が脈絡なしに選択する危険がともなうが,横浜清陵総合高校ではそのような危惧を払拭する実践を積み重ねてきた。我が海洋科学高校でも見習うべき点が多々ある。
報告2. 「花毛布」の歴史と継承,明海大学 上杉恵美先生。
日本の船で100年以上も続けられてきた「花毛布」について,その歴史,代表的な作品,その伝統継承に伝の企業の意識と個人の意識,技術の継承方法について,動画を交えて発表していただいた。
結婚式の披露宴などで,ナプキンをきれいな形に折ってテーブルに飾る事があるが,日本船ではベッドメークしたあとの寝台の上に,予備の毛布を花や生き物などの形になぞらえて飾る習慣がある。
下の写真2枚は,横浜の帆船日本丸に展示されているもの。


外国へ行く手段が船だった時代に,日本郵船や大阪商船等の日本を代表する船会社が競うようにして旅客へのサービスとして行っていた。戦後になってからも,青函連絡船,航海訓練所,海洋研究開発機構の船などで行われてきたが,外航旅客船が極端に減少してからは継承者も少なくなった。
しかし,近年は日本船籍のクルーズ客船の人気が出てきており,「花毛布」の伝統文化を継承しようとする動きもあるようだ。伊豆の下田から神津島へ行く新神汽船のアゼリア丸でも行われているらしい。
実はこの私も,練習船の機関士をしていた頃に花毛布のサービスを受けていたことがある。毛布を使う前に,折り方を再現できるようにそっと開いてひそかに練習したこともある。もう20年くらい前のことだ。
花毛布は,会社によっては「飾り毛布」と称されることもある。いずれにしても,永い間主として先輩から後輩へ口伝によって伝えられてきた。会社の誇りであり,司厨員にとっては一人前の証しでもあった。
また,旅客に対しては,生花を飾ることができず,季節感も乏しい長期の航海に潤いと癒しを演出するため,四季折々や寄港地にちなんだ形に花毛布を飾って,「おもてなし」を表現することでもある。
教科書もなく,系統的な教育で伝えられたわけでもなく,また,社史等にもその歴史や種類、折り方は記録されていないという。
私の勤める海洋科学高校でも,この「花毛布」を課題研究に選んだ生徒がいる。まずはたくさんの作品を再現し,記録し,さらに新作を創作したい。
【懇親会】
研究会のあとはいつものように懇親会を開いた。席に着いた面々が,だれ言うともなしにタオル地のお手拭で「花毛布」ならぬ「花お手拭」を作り始めた。ノリの良い人たちだ(笑)!








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