2011-01-29

納得研究会(2011年第1回)

2011年1月29日(土)青山学院14501教室にて14時から17時半
 本年第1回の納得研究会が開催された。本日の発表は次の2本。ベタ打ちながら忘れないうちに修正したので掲載します。第1回にふさわしい、充実した発表と白熱した議論だった。
 研究会のあとは青山通りの店で懇親会,その後5人ほど二次会にながれて22時頃最終解散となった。

発表1 「10minボックス理科」制作を終えて:福田さん
発表2 「対話型鑑賞について」:平野さん

発表1 「10minボックス理科」制作を終えて(福田さん)
1. 福田さんは元中学・高校の理科教員で、その後NHKの教育番組制作に携わってこられた。今日の発表は『10minボックス理科』にどのようにかかわり、どのように制作が行われたかをお話いただいた。本日の参加者にはNHKの当該番組関係者や制作会社の人もいて、番組制作について興味深い内容だった。まず実例として、「校庭の中の細菌」という番組を丸ごと1本視聴した。校庭の土から放線菌を取り出し、培養し、精製し、抗生物質を作ることのできる菌を探す過程を説明した番組だ。校庭の土の中に住んでいた菌から、がん細胞を攻撃する抗生物質を作ってゆく地道な過程の繰り返しがテンポよく展開され、説明も分かりやすい。
 DNAレベルの話。アントラサイクリン類。校庭の土から見つけた放線菌から新しい薬を作る第一歩となる。株、コロニーなど中学生には難しそうな言葉も出てくるが、映像を見ながらなのでなるほどと思いながら見ることができる。この番組を作るのに半年近くを要したそうだ。中学・高校の理科対応。DNAなど分子模型を扱う単元。
 このシリーズは、1997年の4月から実際の授業で使えるように制作してきた。
 一部はパッケージソフト、博物館展示など、一部は国際展開(英語フランス語スペイン語)し、多くの国で使われている。

2. 以前中学と高校の理科教員(生物分野)をしていた。
 1)実験観察を中心とした授業を展開していた。年間20回程度の実験=ほぼ毎週。年間35週の授業のうち、祝祭日や学校行事などで授業ができない週があるので、実際には20回くらいの授業になる。生物を中心に15年間の教員生活をしてきた。
 ○ CAIなどではなく、音とつながっている映像教材は魅力的。
 ○ 以前はフィルムライブラリーから借りていた。
 ○ 市販の教材(コンセプトフィルム,ビデオ)。
 ○ テレビ番組を再編集して(著作隣接権上気になるけど使っていた)。
 ○ 自作の映像教材使って。
 昔は掛図を使っていたが、映画(映像)は「動く掛図」としての価値がある。
 「映画で教えるのか」、「映画を教えるのかと」いう論争もあった。
  →映画の文法ということはいらないという意見。
  →カメラワーク、カットのつながりなどの映像の文法を含めて考えるべきだ、すべて意味がある。撮った側のメッセージも読み取るべきだという意見。
 ○「コンセプトフィルム」音はなく映像だけ。概念を短時間で映像にしてみせる。1-2分の映像。アメリカ製。今はコンセプトフィルムでググぐると全く関係のないのが出てくるので要注意。
 このように、世の中の動きに従っていろいろ使ってきた。
 ☆「デールの経験の円錐」・・・要調査メモメモ
  言語・・・抽象的
  テレビ、映画・・・魅力がある
  直接的な体験。
  子供の学習はこの円錐の上から下を行ったりきたりしながら深まってゆく。

 ○ 映像教材の魅力
   時間や空間を越える
   鳥の目、ありの目・・・顕微鏡、航空写真
   同じフレームで比べる
   ☆なにより、視点を与える。・・・一番の魅力だと思っている。
   →どっちに見えますか?「少女に見えるか老婆に見えるか」、「アヒルかウサギか」。これは錯視の画像で、少女に見えたり老婆に見えたり、あるいはアヒルに見えたりうさぎに見えたり。絵を見るときの視点を与えられると、その視点から少女やうさぎが見えてくる。
   → 世の中の者は多義的に見える。授業の中では特定の見方をしてほしい。
   → 見せたいものを見せたいように見せる手法・・・TV番組は活用できる。

 2)「ステップ&ジャンプ理科」番組委員から声がかかった。・・・(福田さんの転機)
 ・15分がステップで中学向け
 ・15分がジャンプで高校向け
 というスタイルで3年経過後、番組委員になった。その後形式が変わって、
 ・20分で先生役のお兄さんが映像を解説し、10分は科学者が語る。これはあまり面白くなかった(このスタイルで3年やった)。

 3)放送教育研究会
 ○ 全国放送教育研究会連盟の研究部にはいる
 ○ NHKの放送を利用した授業を研究
   番組制作側の悩みは中高、特に高校の教員が離れていくことだった。
   指導講師(大学教員)がつき、当時のスローガン「生・丸ごと・継続」の実現を求める・・・そういう体制では高校教員はついてこないと批判した。これでは現場の教員は離れて当然、立て直しが必要。授業実践をしてくださいといっても、スローガン押し付けても教員はやりたくない。指導講師が邪魔である。それで、指導講師を論破して番組利用を増やすように仕向けていった。
  「番組60分では授業の1コマ50分におさまらない」など、学校現場の現状と乖離した番組では教員はその番組を使えないなど。
 この研究会はもともとは小学校が中心だった。生放送だった。時間割を放送にあわせて使っていた。
  NHK制作局の人の発言:「生・丸ごと・継続」はむしろ民放のスローガンに近い。コマーシャルを見てもらわないと成立しない」
 このごろは10minボックスの利用率は上がってきている。


3. 「10minボックス」前夜
 1)番組委員としてどのような番組がほしいのか?
 ステップ&ジャンプもつまらない間違いが多かった。
 教育番組に必要な条件:
 ○ 間違いがない(化学式など)
 ○ 生徒が寝ない(速い展開)
 ○ 先生を邪魔しない(テレビの中の先生と張り合いたくない)
 ○ 先生が知らないこと、教室でできないことを

 ○ 教室でできないこと(1)
   →大規模な実験・・・という誤解。先生が望んでいるのだろうか?
   →教室に持ち込めないから大規模ならわかる。
   →水でトリチェリの実験をするならわかる。10メートル少々のガラス管が必要だから。

 ○ 教室でできないこと(2)
   →先生にとっても目新しい話題や映像
   →NHKスペシャルのようなもの
 ○ 何がほしいのか、使いたい場面からかなえる
   実験観察の動機付け
   実験観察の視点
   生徒の先行学習先行経験をそろえる
   ばらばらの学習をつなげる(単元ごとに分断されてしまっている学習,例えば、電子のことは電流として物理分野で学んだり,イオンとして化学分野で学んだりしていることをつなげるということ。自然はシームレス、というかひとつながり。)
   日常生活とつなげる・・・(横浜国大で受けた「学習環境デザイン研修講座」でも同様な講義を聞いたので納得できる)
   クラスごとの時間調整
   緊急事態時の対応(急に授業ができない事態が発生した時など)

 2)試作番組
 ○ 水の不思議シリーズより
   → 表面張力をさまざまな現象からさぐる・・・おもしろい。しかし、学習指導要領のどこに対応するのか。学校現場は学習指導要領に従って動いている。

 ○ 観察のための視点を与える撮りかたは?
   その実験どうやるの?
   どこに行けば撮影できるか
   誰に聞けばいいか
   どういう意味か
   これで合っているか
   などなどの関係からスタッフ側に入ることになった。

 ○ 自分で使ってみたい
 ○ 学習指導要領によりそう
 ○ ネイチャー、サイエンスンなどを購読
 ○ 展示会めぐり
 ○ 大学や研究機関、企業に協力を求める
 ○ 研究者の専門分野での文脈とは必ずしも一致しない

 3) 科学コミュニケータか?
 ○ 研究者との議論ができるように先方の文献を読み込む。研究者ベースの議論にも乗れるよう。
 ○ 学校で番組を見たら生徒、教師はどう受け止めるか
 ○ 自分が授業者なら、どうだと使いやすいか

4. おわりに
   どうして勉強するの?という真剣な問いに番組作りを通して答えられたか、これから答え続ける。

(質疑応答)
 質問:視点を与える大切さ。しかし人は見たいものを見たいように見る・・・「授業で見せたいものを見せたいように」という部分に違和感
 答え)見せたいように見せておいて、それではこちらは?という見せ方。まずある視点から見せておかないと、さっと見て終わってしまうのではないか。
 
 発言1:見方の制限を与えるのではなく、見たあとの可能性のために見せる。

 発言2:自分が作らせてもらったときにはナレーションなしで現象だけを見せるコンセプトフィルムだった。授業のリソースとして作った。

 発言3:seeとwatchの違いか。視界に入るということと、看る観る診るはちがうということ。船で機関士になるための実習指導をしたが、「潤滑油の圧力に変化はなかったか?」「冷却水の温度差は?」のように、具体的な視点を与えなければ、実習生は機関室を眺めてくるだけ。

 発言4:科学館は一神教の立場。コンセプトなしに展示はできない。作った後は視点フリーだけれど。お客さんがどう見るか、解説員がどう見せるかはフリーだが、作るときには一神教である。作るときには「多様な見方」というのはありえない。

 発言5:何を見せたいかということはあるけれど、見せたい方向に行くかどうかは保証はない。15分間の実演:見せたいものがあるから実演するのでメッセージがある。展示には、視点を与えない手法もあるのではないかと思った。
 答え)トラの前で、「ライオンさん見てよかったねぇ」と帰っていく親子もいる。

 発言6:手法と政治性が違うだけで、学校にも博物館にも教育的な面では通底するのではないか。

 発言7:アクセシビリティが問題になっている。どこでチケットを買うか、どのように見る。また、動線をひとつにしようとする動きがある。「この展示はどういう意図?」「どのように見せる」ということから指標のようなものを求める方向になりつつある。

 (効率性、収益、集客などの要因から、展示に自由度がなくなってきているということか?)


発表2 対話型鑑賞(平野さん)
1 対話型鑑賞とは
  仕事は 統計学・社会調査、学力調査の研究を業務として行っているが、自分の研究テーマは「博物館学習論」、来館者研究である。そのなかで、対話型鑑賞を研究している。
 1)対話型鑑賞:作家や美術史から作品を解説するのではなく、作品を見て対話することから出発する鑑賞のスタイル
ニューヨーク近代美術館教育部講師のアメリア・アレナスによって1990年代後半から日本に普及。

  ○ みる   : 直感を大切にしながらまず作品をじっくり見る
  ○ かんがえる: なぜ自分がそう思ったのかについて内省する
  ○ はなす  : 自らの中に湧き上がった思いや疑問を言葉にして他の鑑賞者に伝える
  ○ きく   :他の鑑賞者の声にきちんと耳を傾ける

この4つが基本

  人数は決まっていない。しかしプログラムとして行う場合にはナビゲーターを中心にしておこなう。ひとりでも成立しうるかもしれない。

  アビゲールハウゼン(認知心理学者)の美的感受性発達論から。
  ステージⅠ: 物語の語り手となり、具体的観察や作品と個人的な結びつきや自分の感覚を使って物語を創作する。
  ステージⅡ: 構成の段階:自身の知覚、自然界についての知識一般的世界観から作品を鑑賞する
  ステージⅢ: 分類
  ステージⅣ: 解釈
  ステージⅤ: 再創造の段階

  ○多くの鑑賞者はStage I/II のレベルにとどまっている

 2)VTC/VTS(Visual Thinking Curriculum)
 協調的に観る事によって観るステージをあげて行く。鑑賞能力を上げてゆく。
 基本的な問いかけ・・・オープンエンドなクエスチョン
     作品の中では何が起こっていますか?
     それはどうしてそう思ったの?
     他には何が描かれていますか?
     ・・・新たな視点が増えてゆく

 3)Amelia Arenasの鑑賞教育
 『なぜ、これがアートなの?』1998
  厳密な方法論よりも対話の楽しさを重視
  社会的構成主義に立脚(奥本2006)

 4)ACOP:アート・コミュニケーション・プロジェクト
  京都造形芸術大学ASP学科対象に実施する教育プログラム
  対話型鑑賞で会話の交通整理を行うナビゲイターの育成に着目
  対話型鑑賞から鑑賞型対話へ

 5)学習環境としてのミュージアム
   学習環境デザイン
   学習を共同体への参加として捉える
   学習者の視点にたち学習を成立させる空間・ツール、活動・共同体といった構成要素について、それぞれの学習者にふさわしいカタチにデザインしていくこと。

 6)ミュージアムの学習環境デザイン
  ○ 鶴田総一郎(1956)「博物館学総論)
  ○ ミュージアムは学習環境:第三世代の博物館
  → 第1世代 保存志向、倉庫,威圧,収集保存、陳列
  → 第2世代 公開志向、展示,収集保存、調査研究、展示
  → 第3世代 参加志向、事業,活動重視,収集、調査研究、展示、教育普及

  ○ フォーラムとしてのミュージアム(キャメロン)
    →神殿としてのミュージアムに対するフォーラムとしてのミュージアム
  ○ ミュージアムは学習環境である。活動の重要性は増している。モノを中心に人が集い、さまざまな視点から新たにそれを価値づけていくプロセスである。
  ○ 活動を担うのがナビゲーター

 7)ナビゲイター
  ○ アート≠ 作品
  ○ ナビゲーター:作品と鑑賞者をつなぐ役割。
 8)対話型鑑賞への批判1:知識を与えないと勉強にならないのではないか?
   →鑑賞者が知識を与えられる準備ができているかを見極めることが重要
   →ナビゲイターが適切なときに適切な情報を与える

   対話型鑑賞への批判2:ナビゲイターが答えを持っていてそれに誘導しているのではないか? 
   →ナビゲイターも鑑賞者の一人 
   →あくまで一歩進んだ鑑賞者
   →オープンマインドな姿勢、オープンエンドな問いかけ
   →自分は伝えたいものを持っている。しかし自分も鑑賞者なので、他の鑑賞者の話も聴く。

 9)ナビゲイターがしていること
  ○ 受け答え/コメント  評価はここに入る(ああいいね!など)
  ○ 言い換え/パラフレイズ オウム返しだと会話が止まってしまう。問いかけは?
  ○ 結びつけ/コネクト
  ○ 情報提供/インフォメーション
  ○ まとめ/サマライズ
 佐伯先生:パラフレイズには「問いかけ」という意味はないよね。パラフレイズ「さっきあなたが言ったのはこういうことですか?」というならパラフレイズになるが、問い掛けはどうだろう。次回に対話例を見せてもらいましょう。
 10)学びほぐしとワークショップ
  ○ 学びほぐし:これまで学んできた、経験してきたことを“自分にとって”しっくりくるように理解しなおすこと・・・(これが納得的理解だな?)
  ○ 対話型鑑賞は学びほぐしのワークショップ
 11)ナビゲーターは「学習環境デザイナー」
  ○ 学習環境をデザインする、活動をデザインする。
    ミュージアムは学習環境であり中でも活動が重視されてきている
対話型鑑賞は物を中心に人が集いその価値を組み替えていくための活動である。
  ○ ミュージアムの学習環境デザインを持続的なものにしていくには学習環境デザイナーが必要。
 12)現在の研究
  ○ 4人のナビゲーターのプロトコル分析
  ○ 同じ日、同じ作品、午前/午後で異なる鑑賞者
  ○ よいナビとはどんなものか。

(質疑応答)
発言1 対話型鑑賞の目的・充実感・・・この作品に対して私の見方ができたという満足感が得られることが大切。新たな視点の獲得、価値の獲得がひつよう。よい対話型鑑賞ができていれば、次からはナビなしでも鑑賞することができる。自分の鑑賞を認められた。自分と違う見方をする人がいるという気付き。誰かによって価値付けられていない新しい作品に対しても自分で価値付けることができる。
 どういう聴き方をしたらそれを聴きだすことができるか。どういうナビゲーターならそれができるか、どうすればそのようなナビゲーターを育てることができるか。
 鑑賞の授業はどのようにすれば評価できるか、教員の悩ましいところだということはわかる。(以前は表面的に鑑賞していたが、深く見ることができるようになったなど。)

発言2 短歌をきっかけに、何を読み取ったか、どういう鑑賞ができたか。評価について、授業の振り返りシートを導入している、新たに思ったこと、知らなかったことなど気付いたことをまとめることを行い始めた。

発言3 ツイッターなどは赤裸々。電子媒体でなくても、私服で声を拾うことがある。未来館で、ツイッターを即時公開したことがある。アンケートよりも生の声を聴くことができる。

発言4 ナビゲーターの重要な仕事に、発散しすぎた発想を再び作品に向けさせる。複数の人が同じものを観ているというところに意味がある。同じベースで鑑賞しているという点。下手をすると空中戦になってしまって、全員が参加しているというおもしろさがなくなってしまう。

発言5 鑑賞が始まる前どう始まるか、どのようにはじめるか。修学旅行などで来館する場合には鑑賞する動機がないからきっかけが必要。

発言6 フロアを歩いていて観ている人に声かけをするというよりも、ワークショップ風にすることが多いと思う。

発言8 来月性感染症の授業をするが、そのナビゲーターということになる。学生相手の場合、興味ある子と興味ない子がいるので。そのときに覚えていなくても、聴いたことある、あのときのあの話・というようなことが残ればよいかなと思う。
  →トピックで照れなければよいですね。美術は?
  →美術も照れることがあります。小学生や中学生。裸体美人とか腋毛とか。話のきっかけにはなる。美術が好きな人には、ヨーロッパ美術の伝統の裸婦像ということを知っているが、子供たちにはそれはわからないから。

発言9 学習者のニーズが押さえられていないと、これを学習したいというニーズをわかっていないと成り立たないと思う。知らない自分を知るなど。
発言10 美術鑑賞のニーズとは。年配の方が多くて知識を求められることも多い。
そんなことより教えてよという人もいる。

発言11 ギャラリートーク:毎日同じ時刻。それを求めてくる人たち。参加者が始めはギクシャクしていても、終わったあとは一緒にお茶で続きをしたりしている。作品を鑑賞して自分をさらけ出すようにならないと良いツアーにならない。それがナビゲータの役。「それいいね」は禁句に近い。なぜならナビゲータ受けするコメントを鑑賞者が言うようになるから。
 ボランティアに対する教育をする。養成研修をする。コレクションの背景を学芸員がレクチャーする。ともに、ナビゲーションの技術よりまえに、作品の調べ方が最初。作品を知っていないと作品の前に立てないから。観客からどんな質問が飛び出すかわからないから。
  (←ライブだ。授業と一緒だ。その時に対応できないといけない。授業も、対話型鑑賞も、ジャズもライブだ。当意即妙が求められる。そこが命)

佐伯先生:どこを見てそう思ったの?という問いはとても大切。どうしてそう思ったの?よりも大切。思った根拠をしめす。気付きに焦点化する。気付くこと、あったものに気付く。勝手に思ったのではない。同時に、黙って味わうことが欲しいと思っていたが、何が描かれているかではなく、この作品を見てあなたは自分の中に何を描きますか。頭の中に何が思い浮かびますか、自分の中に絵を思い浮かべてほしい。なんでも言語化するのではなく思い浮かべる思い描くことをファシリテイートしてほしいと思う。注意、アテンション気付くことと思い描くこと。そこを意識して問いかけたらよいと思った。
 毎日何時間もフェルメールを見に通った人がある。それは思い描く世界に浸っているわけだ。そういう鑑賞の方法の視野も必要ではないか。

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