青山学院大学で開催された「第三回エデュネット勉強会」に参加した。今回の講師は青山学院大学教授の佐伯胖先生(東京大学名誉教授)で,認知心理学の立場から『博物館とは何か~原初的対話世界を取り戻す~』という題目でご講演をいただいた。
今回の講演内容は,博物館や美術館などの役割,「もの」との対話などについて佐伯先生のお話を伺うという趣旨で企画された。
以下,講演中に取ったメモから。
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博物館・美術館:保存する役割と人に出会わせる役割
人類の思考は絵を通じて行われてきた。考えることの媒体は絵だった。
アルタミラの洞窟の壁画:約18000年前に描かれ、その4000~5000年後に描き加えられた。
ラスコーの壁画:約15000年前に描かれた。遠近法が使われている。
日経新聞22年2月19日、素晴らしい絵を書く子供が、言葉を話すようになると稚拙な絵を描くようになる。という記事があった。
ショーヴェ洞窟の壁画:アルタミラ,ショーべよりさらに古く,約30000万年前の巨大な壁画。人類は文字以前にそれだけ長い時間絵と付き合っていた。
牛のような絵、足が8本あり,走っている姿をを表している。
本来獰猛な動物が優しい表情で表されている。
フクロウの絵が入り口に向かって挨拶するように。スピリチュアルな場所なのか?
人類の文字らしきものは紀元前3000年から。これに対し,数万年前から歌もあったようだ。
文字や数字で考えるようになるまで、人類は絵を媒介として思考してきた。
文字的思考と絵的思考。
絵:統合から分析へ
文字:分析から統合へ
絵は意味を一義的には固定しない。しかし,視点が定まると見え方が固定される。
rubinの壷
ネッカ-の立方体
嫁と姑
THE CAT
→文脈効果
生後10週目、人類は自分の手を結んで開いてじっと見る。『メーヌ・ド・ビランの世界』
コビト論(佐伯胖)
わたしはいくつもの「わたし」に分かれて、世の中のありとあらゆる世界に潜入し、その分身としての「わたし」(コビト)が対象世界の制約の中でかぎりなく「活動」し、「体験」し、そのようなコビトの多様な「体験」が統合されたとき、わたしは世界を「納得」する。
コペルニクス革命:人類を地動説から解放したのではなく,太陽から見た天体のパノラマの方がコペルニクスにより大きな満足を与えた。M.ポラニー「個人的知識」論
アインシュタインの相対性理論:私は光の中で光とともに走っている。
『Powers of ten』部分から全体へ,全体から部分へ,さらに細部へ分析的に。視点が変わるともののとらえ方も変わる。
EvaluationとAppreciation
作品の世界に入り込む
まず作品を味わうことが美術館の意義
鑑賞{Appreciation}を重視してほしい。
「包囲型」と「湧き出し型」
日本語は包囲型
→「きのう太郎が次郎を学校で殴ったことを花子は知っている」:統合的
英語は「湧き出し型」
→「Hanako knows that Taro puched Jiro at the school yesterday.」:分析的
多様な視点から観ることによって,そのモノの本質的な制約や境界が次第に内側から見えてくる。
見せる側と見る側の分離
見る側は見せてもらうという受け身にならざるを得ない。
感想を述べさせるーーー視点を固定することにつながる。
「もの」とはーーー何かをアフォードする外界。
私たちが世界と原初的に対話する時、世界がアフォードするものを受け止める。
あらゆるものになってみるということ
物事が真実としてわかるということは?
負の才能、negative capability 何者でもなくいられる力,何者にでもなりうる,半解の知
文科省は「言語活動の充実」→言葉で表現させることを推進しようとしているが,それは怖いことだ。
半解、こうだとも言えるしああとも言えるーーー何だろうなぁーーーという状態。
わからなさのすごさ、半解の知、博物館美術館を学校にしないでいただきたい。
美術館・博物館でやって欲しいこと
参加者に何らかの「変化」を与える。
○ 視点を変える
○ 証明や周辺環境を変えてみる
○ 「包囲」と「湧き出し」の視点活動を誘導する
やって欲しくないこと
「学校」にしない。「参加者一般」というまなざしを向けない。
○ 知識を注入したり,クイズを解かせたりしないでほしい
「子供にピラミッドを上から見たらどうなる?」と質問すると答えられない。
しかし,「ピラミッドを粘土で作って上から見たところを想像してごらん」というと答えられる。
ものの見方を変えてかかわり方を変えることで,見方が深まる。
赤ちゃんの認識:見ることと触ること→子供たちにとっては同じこと。
真実に迫ることが大切なのであって,エンターテインメントになってはいけない。
歴史をたどってみる。などのとき,要所ごとに知識はあったほうが良いが,あらかじめ用意したのでは本人が自由に「湧き出す」ことはできなくなる。
イタリア,レッジョ・エミリア:子供が「やっている姿」を記録し,それを子供たちと一緒に見る。見せ方の演出。子供は自分がやっていることを鑑賞できる。子供に見る視点を誘発することができる。
子供の中に生まれつつある「良さ」を一緒に味わう。はじめから与えるのでなく,子供がとらえた端緒は始まり。モノとの対話を援助する。
「教えよう」というウラ心を捨てよう。「一緒に味わう」ことに徹しよう。博物館の人も味わい合い,新しく発見する。教えるのでなく自分も楽しむ。それがMuseun Educatorの役割であり,そこに professionality がある。
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