小学校の頃から幾度か日記をつけたことはあるが,どれも挫折してそれらの日記帳は残ってすらいない。しかし,1996年からつけているこの10年日記は二冊目も中盤にさしかかってきた。写真のは家庭でつけている日記だが,これとは別に職場にも1冊10年日記を置いていて,そちらも欠かさずに書いている。
次々と迫ってくる新しい時間,そして「今」という時間が過去となってゆくこの流れはとめようもない。そして日々の「生活」は時間の流れに乗って過去に埋没してゆく。
「きのうの夕食は何だったっけ?」
「先週の日曜日はどこへ行ったんだっけ?」
「~~と映画を見に行ったのはいつだった?」
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父は13歳の頃から日記を書いていた。忙しいときには日記も留守になっていたようだが,それでも仕事の予定などを記録するための手帳はずっと保管してあり,日記をつけなかった時期を補うことができたようだ。父はそれらの日記や手帳,手紙集をもとに,「100年日記」というものを遺した。それは父の祖父(私の曽祖父)くらいの年代から100年間の記録で,教科書に記述されているような歴史と,曽祖父から私に連なる我が家の歴史が対照できるようになっている。
小学生の頃,その父から日記帳をもらったことがあったが,長続きしなかった。そのころは日記というと日々の感想を書かなければならないと思っていたからなのだが,とても面倒だったような気がする。
今は日記をつけるのが習慣になっている。書くことは,どこかへ行ったこと,夕食に何を食べたか,だれと電話したか,来客,覚えておきたいエピソード・・・などの事実だけ。思ったことや感想などは滅多に書かない。職場の日記には,どのクラスの授業をやったか,会議,出張,来客,特に大事な電話・・・など。初めての年は義務のように記録していたが,10年日記なので,二年目からは前年の同月同日に何をやったかが一目でわかるから,記録することが楽しみになった。
これに加えて昨年から不定期ながらブログを始めた。さらに,撮影したデジタル写真もコンピュータに保存するだけでなく,flickr や google などのスペースにアップしている。こうして,日々の生活をいろいろな手段で記録し,「私」が過去に埋没してしまわないようにしている。
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