2009-01-31

The Sting

 昨年(2008年)10月より校舎の耐震工事のため,校長室・事務室・職員室などを約4ヶ月のあいだ仮校舎に置いていたが,30日の金曜日に完工した。今日は土曜日だが,月曜からの仕事に備えて引越しを行った。作業が無事に終わったので,2月2日の月曜日からは何事もなかったかのように「普通」にもとの職員室での勤務となる。

 ポールニューマンとロバートレッドフォードが共演した「スティング」を思い出し,夕食後に,つい,DVDに撮ってあったのを最初から最後まで観てしまった。この映画,何度見てもおもしろい。競馬のレースを電信で配信するときの時間のずれがこの映画のポイントだが,インターネットが当たり前の現代では「昔は電信というのがあってね・・・」という注釈なしでは面白さが理解できない世代も多いと思う。

 騙す相手に疑われかけて,ロバート・レッドフォードが相手を電信会社の重役に引き会わせなければならなくなったときの重役室のくだりは,日本映画の「白昼の死角」で,ありもしない金融会社の事務所をでっち上げるやり方とよく似ている。どちらが本家なのだろうか?年代的には「白昼の死角」のほうが古いけれど,有名なカットやフレーズの借用は,映画やジャズでは先人へのトリビュートとしてよく使われるやり方だから,ペテン師物の映画では定番なのかもしれない。

 明後日は,「もぬけの殻」の仮校舎へ行ってあわてる生徒が数名はいることだろう。その様子を想像してちょっと意地悪なニヤリを今から懸命にこらえようとしている。

2009-01-19

呼吸する文庫

 専修大学ネットワーク情報学部コンテンツデザイン総合演習の発表会を見に行った。



 これは2年生の後期に必修でグループワークを行って課題制作を行った成果の発表会で,見に来た人に対してポスターセッションのように各グループの展示の前で学生が説明を行う形式だった。気軽に質問もできるし,学生と交流もできるので,この形式はなかなか良いと思った。
  大きく3つの課題(サイネージコンテンツ,呼吸する文庫,e-sportのプロモーション)に分かれ,それぞれ5~6のグループで課題制作を行う。各グループは5~6人で編成されている。特に「呼吸する文庫」に興味があったので時間をかけて各グループの説明を受けた。




 学生たちは指導教官から「呼吸する文庫を提案する」という課題を与えられた。与えられたのはこのキーワードだけである。そこからグループワークが始まり,学内外の大学生やアルバイト先の同年代の人へのインタビュー,グループでのディスカッション,発見した問題点のグループ分け・・・という具合に課題解決へ向けた足跡を見せてもらった。



 「呼吸するとは何か」「文庫とは何か」「呼吸する文庫とは何か」,各グループのたどった道筋も,到達した結論としての「提案」も異なるが,どのグループにも共通していたのは,コミュニケーションする場としての文庫を提案するという軸だった。

2009-01-15

ヴィゴツキーの著書の復刊

 明治図書のウェブページで、絶版となっているヴィゴツキー『心理学の危機~歴史的意味と方法論の研究~』を復刊させるための投票をした。これは、納得研究会のメンバーから協力の依頼があったためなのだが,現時点ではあと7票で復刊が決まる。もう一息。
リンクを貼ったけれどアドレスも念のために書いておきます。
http://www.meijitosho.co.jp/shoseki/shosai.html?bango=4-18-109800-1

 ヴィゴツキーのことを調べると,私の祖父のひとまわり歳下で,父の学生時代に37歳で亡くなったということがわかった。こうして考えると,昔々の人ではなく,身近な世代の人なのだと思えてくる。

 学生時代に教職免許を取るために教育心理と青年心理を履修して、授業は面白いと思っていたが、系統立てた心理学の勉強はしていない。そんな私にとっては少々難しい本かもしれない。しかし,このごろ社会構成主義だとか状況論だとかに興味を持ってきているので、さび付いた脳味噌を活性化させるには良いと考えた。

 このあたりの勉強は、やったからといってすぐに明日の授業に役立つというものではないけれど、教員としての拠りどころを得ることができるように思っている。

 少しでも興味を持っている人,ヴィゴツキーの名前を聞いたことのある人,御協力いただければ幸甚です。

2009-01-13

小学校の同級生

 K君は小学校のときの同級生である。互いに親の転勤にともなって広島で数年を過ごし、1969年に一緒に卒業した。私はその後ふたたび親の転勤で横浜に転居し、彼とはいつの間にか音信も途絶えた。
 その後、1984年春に、私の大学の同級生が「オマエ、小学校の時広島におったて言うとったなぁ。そんならKて知らんか?」と聞いてきた。K君とその同級生は職場の同僚なのだという。それで、15年ぶりに再会したのだが、迂闊にもK君の電話番号も住所も聞かずじまいだった。大学の同級生を介していつでも会えるような気がしていたからだ。
 それから25年すぎた昨春、息子が大学でラグビー部に入部した。同じ部の4年生にKという選手がいて、小学校のときの同級生のK君に表情がよく似ている。あのK君の子供に違いないと思いつつも、息子にとって見れば雲の上の4年生なので、父親の郷愁のために「お父さんオヤジの同級生ですか?」などと聞かせるわけにもいかず、親同士が会う機会もあまりないので年を越してしまった。
 いろいろな人伝に訊いてもらったところ,やはり予感は的中していて,今日ようやく連絡が取れた。今までに,いったい何人の友達と「それっきり」になってしまったことだろう。小学校の同級生と音信が取れるようになったのは,わずかに彼一人である。不思議な縁が二度も続くと,これは友達を大切にしなければならないという天啓だと思えてくる

2009-01-12

コンピュータは,むずかしすぎて使えない!

 情報デザイン教育について一緒に研究している先生からアラン・クーパー『コンピュータは,むずかしすぎて使えない!』翔泳社,2000年,を借りて読み進めている。


 これはまぎれもなく「情報デザイン」をテーマとした本である。出版されてから9年目をむかえる今も,まったく古さを感じさせない。IT化の進んだ現在の,普通に生活している私たちの身の回りにある機器の取り扱いを巡る問題を扱った本だ。

 私たちの生活の中で,コンピュータを埋め込まれていない機器といえば,室内灯のスイッチくらいのものではないだろうか?それすらも,ディマーなどがついていれば怪しいが・・・。最近の機器は,電気炊飯器や電子レンジ,テレビ,風呂の給湯器など,本来的にやりたい操作(飯を炊く,おかずを温める,番組予約をするなど)を行うためのモード設定の操作,つまりメタ操作を液晶画面で行わなければならないが,ここに「知覚的なずれ」があるという(同書pp.31-35)。まだ半分ほどしか読んでいないが,読み進めるほどに「そうだ,その通りだ」と膝を打つ。

 一昨年の春に,遠く離れて一人暮らしをする母のもとへ帰省したときのこと。
(1) 電子レンジが真新しくなっているのでどうしたのかと思ったら,10年以上も使っていたのが壊れたので,電気店に行って勧められるままに買ったという。とても高機能で,パン生地を醗酵させることなどができるようになっている。しかし,ダイヤルのようなつまみをちょっと触れると操作モードが変わってしまい,古い機種のように,「弱で1分」などのような単純な調理をするための操作はかえって難しくなっている。母はこの電子レンジで牛乳を温めたいだけなのに,レンジの中で牛乳を何度も突沸させていた。私でさえも,日本酒を燗しようとして突沸させてしまったくらいだ。商品を勧めた販売店にも疑問符がつくが,「あたためる」という簡単なことが簡単にできない最近の電子レンジは果たして「高機能」なのだろうか?

(2) 母はガスレンジで鍋を焦がすことが幾度かあったらしく,納屋に焼け焦げた鍋が一つ二つ置いてあった。ガスだと空焚き防止が難しいと思ったので,母と相談して電気店に電磁調理器を見に行った。しかし,電磁調理器のスイッチ操作はガスのものとまったく異なるし,調理器自体も三つの口のうちひとつはシーズヒーターで二つがIHヒーターになっていたりする。長年使い慣れた自動点火のガスレンジは,つまみで火力を調整できるのに対し,IHヒーターはメインスイッチのほかに火力調節スイッチがあって,機能はいろいろあるがどれもガスレンジのように直感的な操作とは「ずれ」がある。それで電磁調理器に模様替えすることはやめた。


電磁調理器もこんな感じだと普通に使えるのだが・・・

 あの年の冬,母は「高機能」な家電製品に囲まれて,とても不便に過ごしたことと思う。長年使い慣れてきた,直感的な操作ができる機器を選ぶことはできず,仕方なく購入した新製品に小さな液晶画面とボタンによる「メタ操作」を強いられ,普通に生活することの難しさを感じていたに違いない。これもディジタルデバイドの一種だろう。

2009-01-11

報道写真展

 横浜日本大通りの新聞博物館に「2008年報道写真展」を見に行った。職場のポスターにクリップで招待券を貼りつけてあったのを1枚もらっていたので入場料はタダになった。



 2008年に新聞報道で使われた写真が1月から12月まで時系列で展示されているほか、オリンピックの特集もあった。ラグビーの写真では、昨年の大学選手権決勝で早稲田のスクラムハーフが慶應の選手にタックルしている決定的瞬間が目を惹いた。


 帰りにスターバックスに寄って「スターバックスラテ、サイズは一番大きいやつのひとつ手前、エスプレッソショットを追加して、特に熱くして」と注文した。はたしてレジ係は写真のように、カップのスリーブにメモを書き込んでコーヒー係に渡していた。『デザインド・リアリティ』pp.22−29の通りだ。


カップのスリーブにメモした追加の注文。XH,3Lが見える

2009-01-10

毎日の記録

 小学校の頃から幾度か日記をつけたことはあるが,どれも挫折してそれらの日記帳は残ってすらいない。しかし,1996年からつけているこの10年日記は二冊目も中盤にさしかかってきた。写真のは家庭でつけている日記だが,これとは別に職場にも1冊10年日記を置いていて,そちらも欠かさずに書いている。


 次々と迫ってくる新しい時間,そして「今」という時間が過去となってゆくこの流れはとめようもない。そして日々の「生活」は時間の流れに乗って過去に埋没してゆく。
 「きのうの夕食は何だったっけ?」
 「先週の日曜日はどこへ行ったんだっけ?」
 「~~と映画を見に行ったのはいつだった?」
 ・・・・・
 ・・・・・
 父は13歳の頃から日記を書いていた。忙しいときには日記も留守になっていたようだが,それでも仕事の予定などを記録するための手帳はずっと保管してあり,日記をつけなかった時期を補うことができたようだ。父はそれらの日記や手帳,手紙集をもとに,「100年日記」というものを遺した。それは父の祖父(私の曽祖父)くらいの年代から100年間の記録で,教科書に記述されているような歴史と,曽祖父から私に連なる我が家の歴史が対照できるようになっている。

 小学生の頃,その父から日記帳をもらったことがあったが,長続きしなかった。そのころは日記というと日々の感想を書かなければならないと思っていたからなのだが,とても面倒だったような気がする。

 今は日記をつけるのが習慣になっている。書くことは,どこかへ行ったこと,夕食に何を食べたか,だれと電話したか,来客,覚えておきたいエピソード・・・などの事実だけ。思ったことや感想などは滅多に書かない。職場の日記には,どのクラスの授業をやったか,会議,出張,来客,特に大事な電話・・・など。初めての年は義務のように記録していたが,10年日記なので,二年目からは前年の同月同日に何をやったかが一目でわかるから,記録することが楽しみになった。

 これに加えて昨年から不定期ながらブログを始めた。さらに,撮影したデジタル写真もコンピュータに保存するだけでなく,flickr や google などのスペースにアップしている。こうして,日々の生活をいろいろな手段で記録し,「私」が過去に埋没してしまわないようにしている。

2009-01-06

情報デザインワークショップ

 情報部会主催の標記のワークショップに参加した。昨夏の「情報デザインワークショップ」に参加したのがきっかけで,情報デザイン教育に関する勉強会に誘われてメンバーとなった。今回は情報部会の主催だが,このワークショップの準備と実施の実態はこの勉強会で行ったので,「参加」というよりもむしろ主催者側に近い立場だった。
1. 浅野先生による講義「情報デザインとその教育」
2. ワークショップ1(コーヒーゼリーの商品開発を提案)
3. ワークショップ2(実際にコーヒーゼリーを食べてもらい,その行為を要素分解的に記述して各ステップごとのエラーを探す)

4. 浅野先生の講義「シナリオシートの説明」ユーザーがコーヒーゼリーを食べるシーンを(1)いつ食べるのか,(2)どこで食べるのか,(3)だれと食べるのか,(4)どうやって食べるのか,を4こま漫画で絵コンテにすること。
5. ワークショップ3(実際に上記の絵コンテを制作する)



6. ワークショップ4(コーヒーゼリーの新商品提案資料作成)
7. ワークショップ5(提案のプレゼン)
8. 井上先生の講義「リフレクション:’体験’を学びに変える手法」
9. リフレクションの実習(各グループのプレゼンに対する他グループによるリフレクション→還元→自己のグループのリフレクション)



10. 高校の情報授業で使える題材に関するブレインストーミングと発表
11. 浅野先生の講評

○ 「新商品の提案」という仮説→実際にその商品を使う様子の観察→問題点の洗い出しと可視化→再提案
○ 仮説と観察結果のギャップが大きいほど気付きがある.そこが大切。
○ ワークショップで行った体験は思い出として残るだけでは「学び」とはならない。必ず振り返り(リフレクション)を行って,体験から気付いたことを「構造化」するステップを踏んでおくこと。そのことによって体験→学びへの昇華,さらには実際の場面への転移の可能性がある。
○ リフレクションという耳慣れない言葉には,ジョージ=ハーバード=ミード(アメリカの社会心理学者,1863-1931)の提案が鍵となる。
○ 他者への評価を構造化し(分類分け,カテゴリーごとの説明)相手に伝える。これを相互に行うことによって,「自分が他者からどう見られているか」というメタ認知の力を得ることができる。このことはグループワークを行ったときには,成果を散逸してしまわないために必要なステップであるということがわかった。

懇親会は中華街へ!








2009-01-05

初出勤

新年明けて初の出勤。生徒もいなくてがらんとしているなかで,あさってからの仕事に備える。
9月から耐震化工事を行っていたほうの校舎は工事がほぼ終わりに近づき,足場も外れて外見はすっかり新しくなった。

海洋科学高校の看板が新しい

残る校舎も順を追って耐震化工事を進めて行く。

2009-01-03

高校の同窓会

 高校を卒業して33年9か月目の学年同窓会。

 


 神奈川で高校を卒業し,大学は関西へ進学,同時に両親が転勤で名古屋へ転居した。大学卒業後はすぐに船乗りとなって乗船勤務したために,疎遠となってしまった同級生も多かった。四半世紀を超えての再会に話も尽きず,お互いの顔と名前を確かめ,とても楽しい時を過ごした。
 恩師を御招きして新横浜プリンスホテルで12時から開宴,14時半から同ホテルの42階で二次会,18時から近所のカラオケで三次会,21時から新横浜プリンスホテルの42階に戻って4次会・・・。プリンスホテルの42階からは母校が見えて感激した。
 高校生の頃は新幹線のホームから見えていたのに最近はビルが多くなって見えなくなっていたので。新横浜は昔は通過する場所だったのに,いつしか目的をもって行く場所になったことを実感した。


新横浜から見る日暮れの景色

 携帯電話のカメラでも,露出を調整するとけっこう見栄えのする撮影ができる。

2009-01-02

大学ラグビー選手権準決勝

 千駄ヶ谷の国立競技場に,大学ラグビー選手権準決勝を見に行った。今回は取材票を申請していたので,グランドに入って敵陣ゴールライン付近から撮影した。
 結果は法政10対36帝京で,法政は決勝への進出ならず,残念だった。






このままトライをとった!

2009-01-01

初詣

 皆様あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。


朝夷奈切通の入り口は国道16号から朝比奈インターに向かう道の左側にある。


 我が家の初詣は朝夷奈切通(あさひなきりとおし)を歩いて鎌倉の荏柄天神社まで行くのが恒例で,今年は長男,長女を連れて四人で行った。次男坊はラグビー部の練習に行ったので初詣のほうは不参加。
 距離は8kmくらいだろうか?途中に熊野神社の分社があって,そこへもお参りした。切り通しの道中には道祖神がいくつか祀ってあり,その昔にこの道を切り開くために駆り出された人たちのことをほんの少し偲んだ。


切通の鎌倉側入り口付近の石碑。由来などが書いてある。


荏柄天神社。三人の子供がそれぞれお世話になった。来年は末娘もよろしくお願いします。