2008-11-17

乗船記念日

 今日は私の機関士としての乗船記念日だ。1979年9月30日に卒業し(卒延・留年にあらず。商船大学は修業年限4年6ヶ月だったので),10月1日に当時の運輸省航海訓練所に採用された。1ヶ月半の研修と国家試験の受験があり,国家試験の合格発表もないうちに高知港からの乗船を命ぜられた。試験に不合格になることは想定されていなかったようだ。
 同時に採用された航海士とともに東京から新幹線と宇高連絡船,土讃線を乗り継いで高知港に停泊中の練習船大成丸(2455トン,主機蒸気タービン1700馬力)に乗船したのが16日20時。翌日,高知海運局で正式な乗船手続を行って船員手帳に証明を受けたので,17日が乗船記念日というわけだ。
 
 船員手帳には「三席三等機関士」と書いてあるが,国家試験の合格発表がまだなので機関士の免許を持っておらず,船内では「員外機関士」だった。つまり,機関士としての処遇を受けるけれども員数外という,ミソッカスといえばわかりやすい立場だった。無事に合格発表があって「甲種二等機関士」の免許を公布された日に遡り,正式に「三席三等機関士」となった。この免許は,今は「三級海技士(機関)」という,あまりありがたみを感じない名前に変わっている。ちなみに,現在の私の免許は「一級海技士(機関)」,昔の名前で言えば「甲種機関長」である。

 大成丸は1947年建造の小樽丸という,日本郵船の貨客船を1953年に練習船に改装した船だ。改装に当たって船体を11メートル長くした。私が乗船したときで,すでに船齢32年で,練習船隊の中でも最古参だった。この船に1年半乗船し,1981年3月,同じ名前を引き継いだ新造の大成丸5800トン(主機蒸気タービン,7000馬力)に転船した。

 「大成丸」はとても伝統のある船名で,初代は東京高等商船学校(今の東京海洋大学海洋工学部)所属の4本マストバーク式の練習帆船である。戦前に2回の世界周航を行う名船だったが,第二次世界大戦中に機雷に触れて沈没してしまった。

 船乗りでなくなった今も,毎年この日を迎えると社会人として歩み始めたときのことを思い出す。「月月火水木金金」の乗船勤務だった。

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