2015-08-20

学習環境デザイン研修講座

横浜国立大学と神奈川県総合教育センターが連携して開催している「学習環境デザイン研修講座」を受講した。講師はもちろん同大学教育人間科学部教授の有元典文先生。顔見知りのリピーターも多く、70名くらいの受講者で満員だった。
2006年8月21日に神奈川県立総合教育センター(亀井野庁舎)で初めて受講してから毎年この講座に参加していて、今年は記念すべき10回目となった。

1. 理論編
学習とは、できなかったことが経験や練習によってできるようになること。
人間は学習するいきものであり、この能力によって温暖な地域から極限の地域にいたるまで、本来の生理的な限界を超えて、地球上に広く分布するようになった。これは他の動物にはないこと。
学習することは未来を切り開くこと。
教室の中で達成することが学習の目標ではなく、教室の外で生きて行けるようになるために学習する。(教習所の中で運転するために車の練習をするのではなく、一般公道を走れるようになるために車を運転する練習をするはず。)
人は教わるのが得意、やらされ仕事に慣れている。
変な算数の問題の例(『認知的道具のデザイン』加藤浩・有元典文、編著、金子書房、pp.239-257)

エクササイズ1:次の英文の和訳をみんなの前で発表しましょう
Development is the activity of creating who you are by performing who you are not. It is an ensemble - not a solo performance. (Lois Holzman,2008)
(発達とは、自分ではないものを演ずることによって自分が何者であるかを創出する活動である。それはみんなの中で協同で行うことであって、単独で行うことではない。)
→みんなの前で発表?「間違えたら恥ずかしい、どうしよう」という気持ちになる。→生徒にとってのリスク

学習するためには、まだやり方を知らないことに取り組まなくてはなりません。言い換えると、私たちはリスクに向き合わなければなりません。(キャリー ロブマン,2007)

学習=やり方を知らないことに取り組む・・・リスクに取り組むこと→背伸びをして自分の未来を目指す。

教師→児童生徒を学習させる。新しいことに取り組むにはリスクをともなうから「リスクを減らす支援」が必要。

(みんなの前で立って発言しなさい・・・大きなリスク)
子供達が安心して学習に取り組めるような共同作業の場→学習環境
そのような場を作ること→学習環境のデザイン

エクササイズ2:アイスブレーキング
「宝探し」、受講者が隠した「宝」を講師が探す。講師が歩く方向に宝があれば、受講者は大きな拍手を、講師が宝から遠ざかれば受講者は拍手を小さくしてゆく。

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最近ナナメ読みした本のタイトル“Invisible man” 、(“The invisible man(透明人間)”とは違う本、定冠詞一つで大違い、英語は奥深いね!)との関連。
この本は、「普段は(いない人)のように誰からも注目されることなく、悪いことをした時だけ見咎められる人」という意味の Invesible Man というタイトルで、1950年代のアメリカの人種問題を扱っている。本の内容は学習とは関係ないが、問題を起こした時だけ顔が見える生徒は普段の学校生活では確かにinvisibleだなと思った。まだはじめの数ページだけしか読んでいないけれど。

「言いたいことがあるけれどみんなの前で発言するのは怖い」という生徒は、黙っていると教師からは見えない生徒になっていないか?このようなことにならないように、みんなが共同で学習に参加できるような場を作ること。教室の中にinvisibleな生徒を作らないように授業を 工夫することが必要だ。

ZPD(Zone of Proximal Development)
「ひとりでできることと」と「手助けされてできること」の間には、みんなと一緒ならできることがある。この領域。
図1が用いられることが多いが、最近、私は図2で説明するようにしている。
「みんなと一緒ならできること」はやがて「ひとりでできること」になり、「できること」の範囲が同心円のように広がってゆくような、視覚的な捉え方をねらって。


図1




図2





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エクササイズ3:ランダムウォークをして3人グループを作る。制限時間15分。
グループ内で自己紹介、これまでの研修内容について各グループから一つずつ質問を考える。
「コンセンサス法:グループ内全員一致でなくて良いから、考えは違っていても納得できる結論をひとつ導く」


エクササイズ4:7人で3分間劇を創作する
シーン1 よくない学習環境の授業
シーン2 改善した学習環境の授業

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初対面の人たちとわずかな時間内に寸劇を作る。できるのかな?と思うが、これが結構できる。
思えば人生は筋書きのないことばかり。台本のない人生を歩んでいるのだから、私たちは日常的に即興劇の演者ともいえる。

毎年同じ研修講座を受講しているが、内容は進化(深化)し続けている。繰り返すことで理解が進み、日々の授業にも研修の成果を少しずつ取り入れられるようになってきた。
継続は力なり!

2015-02-22

納得研究会(2015年第1回)

2015年第1回納得研究会に参加した。
日時:2月22日午後2時~5時
会場:立教大学
26名参加

◯報告1:「Brunerと意味の行為の照準」横山草介さん(青山学院大学大学院)

ブルーナーがその著書『Acts of meaning』(Bruner, 1990)において論じたのは「行為の意味(meaning of acts)」への探求ではなく、「意味の行為(acts of meaning)」への探求である。
Narrative Psychologyの学的潮流において「行為の意味」への探求といえば、それは、ある「行為」に文脈を付与する(em-plotting)ことによって、つまりは、物語化(en-storying)することによって、当該の行為の「意味」を把捉可能にすることを含意している。
Bruner(1986, 1990)は、疑いなく、こうした潮流のパイオニアに位置づけられてきた。そして、彼の著書『Acts of meaning』もまた、上の含意において「行為の意味(meaning of acts)」への探求を推し進める心理学の宣言書として位置づけられてきた。
だがしかし、著書の標題に明らかなように、Brunerが同著をして論じたのは「行為の意味(meaning of acts)」への探求ではなく、「意味の行為(acts of meaning)」への探求であった。我々は、今日のNarrative Psychologyの発展を主唱する多くの論者が、専ら「行為の意味(meaning of acts)」への探求に傾倒し、「意味の行為(acts of meaning)」への探求に関心を向けていないと考えている。
従って我々は今一度Brunerの『Acts of meaning』を「行為の意味論」としてではなく、「意味の行為論」として読み直す必要がある。

◯報告2:「協働で授業づくりをする学校風土:小田原市立泉中学校の実践報告」
伊藤由紀(小田原市立泉中学校)・有元典文(横浜国大教育人間科学部)

(1) 概要
管理職やベテラン教員が中心となって指導技術などを一方的に伝授する形の教員の養成・育成から、メンター制に代表されるように職場における同僚性を
活かした同僚同士による学びの支え合いへと潮流が変化してきている。こうした協働性は、学校内だけではなく、大学と学校間でも広まりを見せている。
いわゆる「理論と実践の往還」というスローガンは、大学教員、院生、実習生が教育現場に出向くことと、学校教員が大学において自らの実践を研究的に見返すこと、といった風に、具体的な人の往還として根付き始め、「実践の理論化」と「理論の実践化」が進行している。
このように教員の養成・研修・研究・実践の一体化が具体的に進行している様子を紹介したい。泉中は有元が入った6年前には課題の多い学校だったが、
「良い授業こそが積極的な生徒指導」という考えのもと学習意欲を高める授業づくりを全校一丸となって続けてきた。
伊藤からは具体的な授業づくりの過程とその生徒・教員への影響を、有元からはこうした過程をどのように理論的に支援したかについて、それぞれ報告し、実践と理論の往還の可能性と意義について議論したい。

(2) 小田原市立泉中学校の実践報告(良い授業こそが積極的な生徒指導)
(発表要旨)
平成21年授業改善を目的として校内研究を開始し、現在まで継続している。
当初の研究主題は「基礎・基本の定着を図る指導のあり方」だった。教員自身が「学びのあり方」について漠然としていたが、「基礎・基本」の前提にある「学ぶ意欲を喚起する働きかけ」について研修を重ねた。
意義や技法を十分に吟味した「小集団活動」を授業に取り入れ、生徒同士が互いにサポートし合う授業展開を工夫し、生徒の学ぶ意欲喚起につながった。有元教授が提唱する「主体的な学習を喚起する4つのキーワードRISPを題材設定や授業形態に取り入れ、研究を深める中で、子どもたちの学習意欲が高まり、基礎基本の定着が測れるようになってきた。
4年目からは研究主題を「学ぶ意欲を高め、主体的な学習態度を育てる指導のあり方」に変更した。学ぶ意欲を喚起し、主体的に学習する態度を育てる授業を仕組むことこそ、生徒の生きる力の糧になると考えた。
当初は「授業研究」「公開授業」に対する教員の温度差や無関心もあったが、現在では公開授業を全員が行っている。そのことが授業研究を継続する大きな支えとなっており、さらに、授業研究は教員同士の学び合い、若い教員への支援にもなっている。
※ 「主体的な学習を喚起する4つのキーワードRISP」とは
R:Reality ほんとうのこと
I:Identity わたしのこと
S:Significance かちあること
P:Participation なかまとともにすること

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20数年前に高校教員になったばかりの頃、教育センターで行われた生徒指導に関する研修会で高校時代の恩師に出会った。「教員は授業を通して生徒指導をするんだ」というその先生の言葉を教師としての自分の信条のひとつにしてきた。
泉中学の「良い授業こそが積極的な生徒指導」というスローガンは私の恩師の言葉と全く同じ意味で、今日の発表は共感するところがとても多かった。
学習指導要領に「言語活動」という文言が入り、中央教育審議会が授業を「アクティブラーニング」型に転換すべきと指摘すれば、現場では授業にグループワークを取り入れることになる。
グループワーク、アクティブラーニングの背景に何があり、それによって生徒に達成してほしいこと、それをすることによる効果はなにか。その検討なしに形態だけを取り入れても、ただ行政文書に書かれていることをやっただけになってしまう。
平成21年からの泉中の取り組みは、授業研究を通して教師が研究と学びを続ける風土を学校に醸成したのだと思う。

2014-08-22

授業デザイン研修講座

授業デザイン研修講座(横浜国立大学と神奈川県総合教育センターおよび横浜市、川崎市、相模原市、横須賀市各教育委員会の共催)に今年も参加した。
(講師:同大学教育人間科学部教授の有元典文先生)

【この講座を継続して受講している理由】
2006年に亀井野庁舎で開催された初回から9回連続の出席となった。私の他にもリピーターの先生がかなりいらっしゃる様子。
この講座は、授業づくりのKnow How, How to を受講者に「教える」のではなく、人が学びたくなる場のデザインについて、
① 内発的動機づけ
② 発達の最近接領域(Zone of Proximal Development:ZPD, Lev Vygotsky (ヴィゴツキー, 1896–1934))
を背景として検討することを目的としている。
ヴィゴツキーは「直接人に教えることはできない」と言ったそうだ。このことは,これまでの自分の経験と一致する。
振り返ってみれば、学校で,あるいは社会に出てからも数えきれないほどのことを教わってきたが、自分の知識、技能、技術として獲得できたのは、人に助けられながら自分でできるようになったことと、自分でできるようになったことを土台として自分で解決したことだ。

教師になって30数年を経た今、「生徒を真っ白な画用紙に見立てて、そこに「知識」という絵の具を塗って絵を描きあげる」という授業観から抜け出して、ある主題について生徒が自分で考えて解決する授業づくりを模索している。
自分で「できる」「わかる」ことが一番嬉しいし、その嬉しさが「学ぶ」意欲を湧き出させ、後々まで覚えていて身につくことだということを、誰でも実感してきたのではないだろうか。
だから、空欄補充プリントを作って、順番に生徒を指名して空欄に正答を埋めてゆき、「試験に出るから覚えておこう」式の授業には違和感どころか、批判を向けている。この「違和感」と「批判」に理論的な裏付けをしたいと考えて、有元先生のこの講座のリピーターとなっている。

【講義の導入】
◎本日の目的
1 学習の必然性のある場
2 主体的な学習の4基準
本当の事
私の事
価値のある事
なかまがいる事
→「ほんわかな」授業をつくる
3 背伸び:未来の自分を体験させることの意義
4 生活の質を高める授業案を提案して実演する(本日の到達点)
5 学習観をとらえなおす

講義の最初に「本日の目的」と「到達目標」が示されるので,受講者は「どこへ連れて行かれるんだろう?」という不安を抱かずにすむ。
現場で日々行う授業も,このようにすると生徒は安心して授業を受けられる。

◎学習は人間だけが持っている能力
人間は自分達の生物的限界を超えた環境を学習によって生き抜いてきた。世界は変わり続けており、今の子供が大人になった時には、今はない仕事に就く可能性が大きい。変わり続ける世界を生きてゆくには学習が必要だ。

馬の出産シーン動画:母馬が何にも教えなくても生まれたばかりの子馬はすぐに立ち歩く、走る。そうしなければ捕食者の餌食となってしまう。
よちよち歩きを始める子供の動画:人が歩き始める時、親は練習みたいなことをさせる。人間は生理的早産と言われる。何もできないで生まれる弱い生き物だが、学習によって厳しい環境も生き抜いてきた。人間という種の先天的特徴は学習能力である。

【講義概要】
◎人間は学ぶことが得意すぎる
(1)puzzle box(ある手続きを踏むと飴を取り出せる黒い箱がある。実は箱の内部の上下は完全に仕切られていて,下の段の引き出しをあければ飴を取り出せる。しかし、わざと意味のない手続き(箱の上のボルトを外す,そのボルトで箱をたたく、上部の孔からボルトを差し込む、つぎに下の段の引き出しをあけて飴を取り出す))から飴を取り出す手続きをチンパンジーにやってみせると,チンパンジーはほぼそのとおりの手続きをして飴を取り出す。
次に同じ構造の透明な箱をチンパンジーの前に置くと、チンパンジーは「無意味な」手続きを省略していきなり下の段から飴を取り出す。

しかし、同じことを3-4歳児にしてみせると、透明な箱に対しても子どもたちは「無意味な」手続きをして箱から褒美を取り出す。
テキサス大学、Victoria Horner, puzzle box
http://www.nytimes.com/2005/12/13/science/13essa.html?_r=0
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15549502?dopt=Abstract

この実験は,人間がチンパンジーよりも劣っていると示したいのではなく、人間は学習する(学習してしまう)動物であることを示している。完全に真似ることが人間の発達には重要である。人間の学習は、指示追従性、模倣、slavish、他律的服従的という特徴を示す。
それは、教育可能性でもある。→人間らしさ
しかし、教育の場のデザインによっては、目的と手段が逆転して手段が目的化してしまい、生徒は「意味のないこと」、「おもしろくもないこと」、「興味もないのに「やれ」と言われること」を延々と忠実に、slavishにやることになる。

(2)変な文章題実験
「みかんが3個、リンゴが5個あります。かけると何個になるでしょう?」「身長5メートルの子供が8人います。全部で何メートルになるでしょう?」「家から学校まで2キロメートルあります。歩くと何分かかるでしょう?」などの算数問題を提示すると,ほとんどの子供が「解答」してしまう。
しかし、「この問題は小学生が作ったからおかしいことがあれば指摘してください」と前置きしてからこれらの問題を提示すると、これらの文章題の問題点を指摘する割合が高くなる。
問題の与え方によって、同じ人間でも対応が変わる。言われたことはやってしまう。という人間の特質をふまえた上で,学習の場をデザインする必要がある。
『認知的道具のデザイン(状況論的アプローチ)』,加藤 浩, 有元 典文,金子書房

◎内発的動機づけ
motivation(英語)、motif(仏語)に対して「動機づけ」。しかし、「づけ」られなくてもやりたくなることが内発的な動機。
知識理解が進めばやりたくなるのではなく、やりたいから、なりたいから練習し、勉強した結果、知識や技能が身につく。
バットの素振りを延々とやらせれば野球選手になりたくなるのか?
そうではなかったはず。プロ野球選手に憧れて、そのようになりたいから素振りでもランニングでも熱心に取り組むのではないか。

→背伸び:未来の自分を体験させることの重要性
やりたいから、なりたいから練習する。
「学校実践」という特有の環境の中ではいつの間にか「手段」が目的化してしまっていないか。

◎ヴィゴツキーの園芸家のたとえ
「園芸家は,間接的に,環境を適切に変化させることによって,花の発芽に影響を及ぼす。同じように,教育者も環境を変えることで子供の教育をするのです。」
授業力=環境づくり。間接的に、環境を通して、主体的な学習と活動に向かわせる力。

◎発達の最近接領域と「足場掛け」
「ひとりでできること」と「教えてもらわなくても皆と一緒ならできること」の間の差分を「発達の最近接領域」とヴィゴツキーは定義した。
何回に一回か、そんな授業を計画する。
できない自分を経験させるのでなく、足場かけ(ちょっとした手助け)によってできる自分を経験させる。→未来の自分を体験させる。

→私が子供の頃には子どもたちの間に「ミソっかす」という優れものの制度があった。今はもう廃れたかもしれない。
親に幼い弟妹の面倒を言いつけられた兄姉たちが「鬼ごっこ」などの遊びをするときに、弟妹も一緒に遊ぶけれどもその子たちは勝敗の得点に勘定しないという遊び方。弟妹たちは一緒に遊んでいるつもりになっているし、一緒に遊んでいるのだから兄姉たちは親たちに叱られない。そして兄姉たちは自分達のルールの中で遊ぶことができる。
弟妹たちもこれを繰り返すうちに少しずつ成長して、いつの間にか兄姉たちに混じって同じルールで鬼ごっこをできるようになる。
これは、ZPDでもあるしLPPでもあったのだなぁ。

→この夏参加した、ある研修会のグループワーク2題
1 研修にちなんだ替え歌を15分くらいで作って披露する
2 講師にインタビューし、その講師を紹介する寸劇を考えて演ずる
この二つとも、全く自分個人の能力を超えていた。替え歌も劇の台本も、わずかの時間では自分一人でひねり出す事など到底できないことだった。しかし、5人ほどのグループで取り組むことで二つとも無事にクリアできた。「みんなとならできる」、ZPDを体験する事ができた。

→本日のの研修2題
1 スパゲティ10本とマスキングテープ1メートルだけを材料にして、自立できるタワーをグループごとに作る
2 同じグループで、「ほんわかな」どれかに動機づけられる授業案を考案し、その導入部分を実演する
これらもやはり、「みんなとならできる」、ZPDを体験する課題だった。

【結び】
◎学習の再フレーム化
学習を個人で獲得すること、個人の垂直的な成長として捉える学習観から、「未来の集合的活動に備えて、いま・ここでできることを、皆で支える行き方もある。そのことでできなかったことができるようになったら、それも「学習」」とする。「いまを皆で支えることを学習ととらえる事について、検討したい。」
個人内の垂直的な学習→みんなの水平的つながりによる学習

→社会に出てからの人の活動は、ほとんどの場合集合的に達成される。会社でも、学校でも、官公署でも、個々人を周囲が支え、知恵を出し合って仕事を進める。
どれだけの知識を頭に詰め込んだかを問われるのは、学校や、入学試験、資格試験などの特殊な場合に限られる。

→学習指導要領に「言語活動の充実」「グループ別指導」と書かれているから、中央教育審議会の答申に「コミュニケーション能力の育成」と書かれているからグループワークをやってグループごとの成果を発表させる?
それは、ただグループワークをやって発表させただけのこと。
グループ活動によって「ひとりだったらできなかったかもしれないけれど、皆といっしょだからできた」,その達成過程を通じて、必要に迫られて言語活動もするし、コミュニケーション能力も鍛えられる。ということを授業者が意図してその授業をデザインしたのかどうか,そこが大切だ。
わたしたち教員は「学習とは」、「授業とは」「学校とは」何かを常に自問しながら、教員採用試験のために暗記した用語の意味を改めて捉えなおして現場に立つべきだと、意を新たにした。

本研修講座をより深く理解するための書籍
デザインドリアリティ[増補版]―集合的達成の心理学,(有元典文 , 岡部大介 ),北樹出版,2013/10
状況と活動の心理学―コンセプト・方法・実践,(茂呂 雄二,有元 典文,青山 征彦,伊藤 崇,香川 秀太),新曜社,2012/04
社会と文化の心理学―ヴィゴツキーに学ぶ,(茂呂雄二,伊藤崇,有元典文,他編著),世界思想社,2011/08
文化心理学(朝倉心理学講座11,海保博之監修),(田島信元,有元典文他編著),朝倉書店,2008/02
認知的道具のデザイン,(加藤浩,有元典文編著),金子書房,2001/10

2014-01-13

Kindertransport

2013年末から一週間の旅行で訪れたウィーン西駅、プラハ本駅の銅像のことが頭から離れない。
調べると次のようなことがわかった。

第二次世界大戦が勃発する以前の1938年から1939年までの9か月間に、Kindertransportと呼ばれる運動が行われ、10000人を超える、主としてユダヤ人の子供たちの疎開をイギリスが受け入れた。子供たちの家族はほとんどがホロコーストの犠牲となったが子供たちは助かった。

二人の彫刻家による記念碑が2008年頃から、オーストリア(Wien Westbahnhof)、イギリス(Beth Shalom Holocaust Centre)、チェコ(Hlavni Nádraži station,Prague)に建てられた。

チェコの親子像は、Sir Nicholas George Wintonがチェコスロバキアにおけるキンダートランスポートを組織したことを讃えるためのものである。

関連するウェブサイト
Saving Humans
Kindertransportに関するウィキペディアのページ
ニコラス・ウィントンに関するウィキペディアのページ
Kindertransport子孫の集いを伝えるページ(2008年)
Kindertransport75周年を伝えるCNNニュース(2013年)
Kindertransport75周年を伝える英国の新聞(2013年)

Kindertransportが行われた1938〜1939年は私が生まれる17年ほど前のことだ。書物でしかその時代のことを知らないが、生まれてから今までの年月よりも、もっと近い時代にこのようなことがあった。
その時に疎開した子供たちは私の両親よりも年下で、多くがご健在のようだ。
第二次世界大戦は"過去"のことではなく、「後世の歴史家が語る」ことでもなく、今生きている我々が考えることだと実感した。



2014-01-12

朝夷奈切通し

友人と朝夷奈切通しを歩く。地図などでは「朝比奈」と表記されるが、入り口の標識では「朝夷奈」となっている。

鎌倉幕府が1241年に切り開いた、現在の横浜市金沢区を通る環状4号の朝比奈インター南側に入り口があり、鎌倉市十二所まで通ずる道だ。一夜にして開通させたという伝説もある。

子供たちがまだ小中学校の頃は、我が家では元旦に一家でこの道を通って荏柄天神社に初詣していた。子供たちが大きくなって行かなくなったので久しぶりだ。

道中に熊野神社があるので初詣した。













2014-01-05

欧州旅行7日目

濃密な日を過ごしていたがとうとう最終日となった。
プラハの街を立ち去りがたく、朝食後にホテルからほんの少し外出してトラムが行くのをビデオに撮る。
ウィーンも,ブラチスラバも、そしてプラハも、路面電車がよく似合う街だ。歩道だけでなく車道まで石畳だからだろうか。
空港に入ってしまうと別世界なので、今のうちにプラハの空気を肌に染みつかせておこうと思う。

帰国
手配していた車が約束通り8時40分に来た。約20分で空港に着く。
空港カウンターで切符の確認をして荷物を預ける。飛行機が予定通りかどうか問うと、予定通りだというので安心する。出国手続きも円滑にすみ、プラハ通貨の残りで買い物をしてウィーン行きの飛行機の搭乗案内を待つ。

11時20分 プラハ発,OS706 
12時15分 ウィーン着
13時05分 ウィーン発,OS051
08時15分 成田着
の予定だった。

しかし、プラハでの搭乗時刻は10時50分からなのに、11時を過ぎても何の案内もない。
係に訊くと、機体整備のために50分遅れると言う。

ウィーン着が50分遅れれば,それは成田行きが離陸する時間と同じなので乗り継ぎができない。
「乗り継ぎできなかったらどうなるんですか?」
「OS051以降の成田行きは満席だからウィーンでホテルに泊まって翌日の便に乗ってもらいます。」
「???」

ということになった。
ウィーンで一泊余分に過ごせると気持ちを切り替えていると,成田往きに接続するように飛ぶと言う。

ウィーンまで約40分、機体はボンバルディアだと思う。
ウィーンの空港の中を乗り継ぎのために走って(今から考えると走る必要はなかったようだが)乗り継ぎ便に間に合った。

プラハで最後のプルゼニュ
プラハ空港の税関を通った内側だが、街中の4倍くらいの価格だった。




プラハ発ウィーン行きに乗り込む。乗継ぎがうまく行きますように!





予定通り成田空港着

1月5日午前8時15分、定刻に成田に帰着。
目的の所にすべて行くことができて、思い出深い旅行になった。

2014-01-03

欧州旅行6日目

プラハ初日に訪れた聖キリルと聖メソディウス教会を再訪する。
教会の地下が博物館になっており、その奥の、戦いの現場となった納骨室に入ることができる。


初日は地下鉄で行ったが,この日はトラムを乗り継いで行こうと思ってホテルのフロントにトラムの運行系統を尋ねると1本で行けるという。切符もフロントで売ってくれるというので30分のを買った。


近所に花屋がないかきくと、トラムに沿って150メートルほどのところにあると教えてくれた。
花屋に行って教会に供えたいので白いバラを1本欲しいと言うと、「教会に持って行くなら花束にしないと」と言われる。
そこで、聖キリルと聖メソディウス教会の、第二次大戦で戦ったガプチークとクビシュをはじめとする空挺部隊員に捧げたいのだと説明したら、「それなら黒いリボンをかけてあげる」と言って、たった1本の花を丁寧に包んでくれた。


トラム14番
花屋のすぐ近くにトラムの停留所があって,ちょうど目的の番号のトラムが来た。
切符を打刻機に差し込んで乗車時刻を打刻する。地下鉄とちがって街の様子を見ながら乗れるので楽しい。

トラム車内の動画






降りる停留所のアナウンスが聞き取れなくて一駅遠くまで行ってしまった。しかし,そのおかげでヴルタヴァ川をトラムで渡り,歩いてまた渡ってくることができた。川は雄大で白鳥がたくさん泳いでおり、遠くにプラハ城が見えて絶景だった。




聖キリルと聖メソディウス教会
電車道に面した慰霊碑に花を捧げ、地下の博物館入り口に回った。戦争当時は納骨室は全くの地下室だったのだと思うが、教会は坂の斜面に面しているので、現在は納骨室は測道の側から出入りできるようになっている。慰霊碑の前に花を捧げてから博物館展示室の玄関に回る。

測道に面した玄関から入るとまず博物館の展示室があり,その奥に重い鋼の扉があって、その向こうが納骨室になっている。その扉は、「二度と戻ることのできない扉」を表現しているということだった。ここで最後まで戦って亡くなったのは最年少22歳、最年長で30歳の7名だった。

展示室も納骨室も写真撮影可能だったが、納骨室に入ると、とてもカメラを向ける気持ちにはなれなかった。











Jelínkova Plzeňská Pivnice
70年前の戦史に触れて敬虔な気持ちになったあとだというのに、プラハに来たからには是非おいしいプルゼニュのビールを飲みたいという俗な欲望に駆られる。
街の中心部に近いビアパブJelínkova Plzeňská Pivniceを探しあてて入る。

開店は午前10時。我々が店に入ったのは開店30分後だったが、数名の常連客はすでにでき上がっている。

「プルゼニュのビールが飲みたい!」

「モンゴルから来たのか?」

「ヤポンスカだ」

こちらはチェコ語が全くわからないし、店の人と常連客の人たちはほとんど英語を話さない様子だったから会話があまりすすまなかったが、それでも互いにヤンヤと盛り上がった。

この店のビールは本当に美味い!ジョッキを水で冷やして,ほどよい泡をたてて出してくれる。カフェでコーヒーを飲むよりも安い。
ビールの他には数種類のウイスキーや乾き物のつまみだけの店だが、朝からにぎわっているところを見ると地元の人には人気なのだろう。
プルゼニュのビールは日本で一般的なビールの元祖らしい。








肉屋で昼食
街中の肉屋ではお惣菜を立ち喰いできるようになっている。さすがに生ビールはないので瓶ビールとサラダとお好み焼きみたいなのとパンを買って店の中の立ち席で食べる。






雪の聖母教会庭園で休憩
朝から歩き通しで、しかも午前からビールをハシゴしたので公園で休憩した。ここは雪の聖母教会庭園、初夏に来ればバラの花がきれいなのだろうと思った。



ヴァーツラフ広場
街中を歩き回ってヴァーツラフ広場に戻ってきた。日没は4時頃、ウィーン・プラハ旅行も最後のよるとなった。
見たいところはだいたい見たけれど、名残を惜しんで日没後も広場を歩く。

パントマイムの人、足元に箱を置いているので20コルナ(100円くらい)を入れたら「ありがとう」のジェスチャーをしてくれる。
気を良くして写真を撮影したら「写真を写すなら100コルナ」と言われる。なるほど、以前ハリウッドの街を歩いたときに、カウボーイの姿をしているマネキン人形のような人が実は本物の人間で、彼に寄りかかって写真を写している人もそれなりの札を入れていたのを想い出した。













セルフサービスの店に入って夕食をとった。店に入ると,まず縦長の伝票を受け取る。その伝票を持って,料理を並べて売っているところに進む。

好みの物を皿に盛ってもらってトレーに載せ、買った物を伝票に記録してもらう。
食事が終わったら伝票を出口に提出すれば清算してくれる。




こうしてプラハ最後の夜を豪華に締めくくった。