2011-08-30

一枚のハガキ

 新藤兼人脚本・監督『一枚のハガキ』を観た。映画は数年前から夫婦50割引適用のため、妻とふたりあわせて2000円で鑑賞できる。そういう年齢になったということ。

 自分が生まれる以前の歴史は、人混みの街路を望遠レンズで見る時の圧縮効果に似て遠近感が捨象される。子供の頃は、戦争もチョンマゲも恐竜も「はじめ人間ギャートルズ」も全部一緒くたで、「おじいちゃんが子供の頃は石のお金を使っていたの?」などと思ってしまうように。

 盆と終戦の日が重なる8月は戦争を語る映画が多く上映・放映される。それらを観るたびに、自分が生まれる10年と少し前は戦争の最中で、生まれてから今までのほうが永い歳月を経過していることを思う。今も帰らない110数万柱以上にのぼる遺骨、戦死として数えられることなく犠牲となった市井の人々は、「戦争による犠牲者」という統計上の数字ではなく、ひとりひとりに名前と人生があったことを覚えておきたい。

 映画の最後の場面で主人公が語る一言、彼がいう前にわかってしまった。ここには書かないけれど、私はそのセリフがとても好きだ。

2011-08-28

横須賀美術館

 横須賀美術館へ行ってきた。観音崎京急ホテルの向かいで、この近所には海上保安庁の東京湾海上交通センター戦没船員の碑、明治時代の砲台跡(北門第一砲台、北門第二砲台)など立ち寄りたいところが多くある。

 美術館の建物は「美術の殿堂」というような威圧感が全くなく、周囲の風景に調和するように斜面を利用して1階と地階に展示室が設けられており,前庭は芝生が広がって子供連れにも楽めるようになっている。

 浦賀水道がすぐ目の前に広がり、ちょうど練習船海王丸が東京に向かっているところだった。8月の終わり、訓練航海も終盤の「 home bound 」だ。船乗りだった11年あまりの間に浦賀水道を数えきれないほど通ったが、ほとんどの場合は機関室でスタンバイ配置についていた。建造中の艤装員として半年、就航から1年半は二等機関士として乗船していた海王丸が浦賀水道を通るのをこうして陸地から見るのは初めてのことだった。


望遠レンズを持って来ればよかった。これはRicoh GRⅢで撮影。


 練習船は原油タンカーや自動車専用船などと比べるとはるかに小さいが、母なる船として確かな存在感を示している。偶然にその船の走る姿を見て感慨と郷愁にふけり、絵画の鑑賞も上の空だった。


入り口の広場だけは撮影可能


美術館に来るときは,平野智紀さんの「美術館・博物館でしてはいけない8つのこと」が参考になる。

  • 企画展「集まれ!おもしろどうぶつ展」は本日が最終日。幕末から現代までの絵画、彫刻、ポスターなど多くの作品を楽しんだ。

  • 常設展では「第2期所蔵品特集:堂本右美 いきる」の他に、島田章三画伯の作品、海と横須賀をテーマにした作品など多数が展示されていた。そのなかに、帆船のメインマストに展帆した6枚の帆(Cource,Lower top sail,Upper top sail,Lower topgallant sail,Upper topgallant sail,Royal sail)をモチーフにした作品があって、東京港へ向かって走っていった海王丸を再び想った。

  • 谷内六郎館<週刊新潮 表紙絵>展、週刊新潮でおなじみだが、ろうけつ染めの作品もあるとは知らなかった。

2011-08-27

第5回ヒレ推進コンテスト

 標記大会に本年も参加した。ヒレ推進コンテストは横浜国立大学理工学部海洋空間のシステムデザイン教室主催(日本船舶海洋工学会共催,神奈川県教育委員会後援)で,高校生を対象として開催しており,本校は3回目の出場だ。
 初めて出場した平成20年の第2回大会:全く直進せずに一度も完走できなかった。

 2回目に出場した昨年:予選で一度だけ完走したが,本戦ではやはりコースロープに引っかかって完走できなかった。しかし,船体をバルサ材から切り抜いた伝統的な作り方が評価されて特別賞をいただいた。

 そして本年:加工しやすい工作用紙で船体模型を試作して船型を決めて,アクリル板と硬質ビニールで軽量・細長い船体を作って臨んだ。

 3回目の出場で初めて完走にこぎつけたが,今年のコンテストはレベルが高く,上位入賞はすべて10秒台/10m の成績だった。
 本校艇は,船体については直進性の改善とさらなる軽量化,ギヤについては減速比を変更して高速化するなどを来年度への課題としたい。ともあれ,完走できたことは大きな飛躍だった。
 クラブ活動の一環で参加しているチームは,先輩から後輩への経験や「勝ちたい」という場の雰囲気の伝承ができるが,「課題研究」の一環で毎年生徒が総入れ替えとなる本校の場合にはどのようにそれらを伝承するかということも課題となる。


声援に応えるため「UW1」の国際信号旗を掲げた本校の艇



Bon Voyage!




海洋科学高等学校艇の力走:頑張れ!


結果

  • 優勝 :早稲田大学高等学院 11.2秒

  • 準優勝:早稲田大学高等学院 12.3秒

  • 三位 :逗子開成高校 18.56秒

  • 特別賞:横浜サイエンスフロンティア高校

  • 特別賞:不二聖心女子学院

  • 特別賞:法政大学第二高校

  • 特別賞:法政大学第二高校





優勝艇(早稲田大学高等学院)



バルバスバウをつけた艇(早稲田大学高等学院)



アンチローリングタンクを備えた艇(法政二高)



本格的にビルジキールをつけた(法政二高)



表彰式後の記念撮影

2011-08-23

横浜歴史散歩

 花毛布の現地調査のために氷川丸と日本郵船歴史博物館を生徒と見学するついでに、 横浜開港記念館と、 横浜開港資料館に立ち寄った。

 横浜開港記念館: 1917年(大正6年)に竣工した「開港記念横浜会館」で、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で時計塔と壁体以外が崩落し、内部は火災で消失したものを、1927年(昭和2年)に復元した建物だ。

2階ホールのステンドグラスは主としてアメリカKokomo社製のガラスを使用して作られ、全部で2046ピース、400kgあるとのこと。このステンドグラスも昭和2年に復元されたが、経年劣化で歪や汚れが目立ったため、2008年(平成20年)に平山健雄さんの手によって修復されたのだそうだ。





 上は「鳳凰と横浜市章」、左は「呉越同舟」、右は「箱根越え」という日本的な絵である。

また、貴賓室に通ずる階段にあるステンドグラスは、1854年3月31日に日米和親条約を調印するために日本側が小舟で米国旗艦ポーハタン号に向かうところを描いてある。ポーハタン号の艦尾に星条旗が描かれていたことから、戦時中は全体を布で覆って見えないようにしていたそうだ。それにしても、当時の日本軍がこのステンドグラスの絵柄を「敵性」として破壊しなかったのは、どのような判断によるものだったのだろうか?



ボランティアガイドの方の説明では、戦後にこの施設を接収した米軍は、その保存状態に対して敬意を顕していたということだった。ちなみに、ポーハタンとは、アメリカ先住民族のある部族の首長の名前だそうだ。

 横浜開港資料館: 開催中の広瀬始親写真展「横浜ノスタルジア」は、昭和29年頃から数年の横浜の様子を伝える写真展だ。この頃私は生まれたばかりなので当時の記憶はないが、展示されていたような光景は小学校低学年の頃まではまだ残っていた。戦後の物資が乏しく生活の厳しい時代に、私たちきょうだいを必死になって育てた両親が見ていたであろう風景を、追体験するように観ることができた。



氷川丸と日本郵船歴史博物館: 両方とも日本郵船株式会社の施設で、花毛布のことを調べるために昨年も訪れた。氷川丸では一等客室のベッドに飾られた花毛布を撮影し、一等社交室や一等食堂などの豪華な内装と、これらとは対称的な三等客室(8人部屋)も見ることができた。










機関士出身の私としては、大きな空気圧縮機を備えた空気噴射式複動ディーゼル機関(B&W社)が何度見に来ても興味深い。

日本郵船歴史博物館を見学したあと、練習船大成丸(2世)に改装する前の貨客船「小樽丸」の写真を販売してもらえないか受付で問い合わせたところ、すぐにアーカイブから検索し、絵葉書数枚程度の価格で印刷していただけた。

2011-08-21

(おそらく最後の)菅平

 20日から1泊2日で菅平へ行き,ラグビーの練習試合4試合を観戦・撮影した。あいにくの雨と霧だったがその合間に何とか撮影できた。
 カメラはいつも通りNIKONのD300と300mm,F4.0のレンズの組み合わせ(これしか持っていない)。シャッター速度優先で200分の1から160分の1にして,絞りはカメラ任せ,フォーカスもカメラ任せだが,背景に白い曇り空がたくさん入るときは露出をプラス補正するなどの調整をする。

 次男坊が中学の頃から毎夏のように菅平へラグビーを見に行っていたが,今季で引退となるのでラグビーを応援するために行くのは今年が最後になると思う。









2011-08-18

『ジョン・レノン,ニューヨーク』と『昭和史のかたち』

 東京都写真美術館へ『ジョン・レノン,ニューヨーク』と、江成常夫『昭和史のかたち』を観に行った。

 『ジョン・レノン,ニューヨーク』:ビートルズ解散の頃から1980年12月8日までのジョンとヨーコそして周縁の人たちのインタビュー、スタジオ録音やコンサートの様子など2時間たっぷりの映画だった。


 私が高校入学前後から社会人になりたての頃までのドキュメンタリーなので、懐かしい気分もあった。
 世界中の誰もが知っているジョン・レノンの、あまり知られていない側面、ビートルズ解散後に彼が何をしたかったのか、子供に対する思いなどが音楽とともにテンポ良く綴られている。
 「Stand by me」はベン・E・キングのバージョンはもちろんなのだがジョンのバージョンがとても好きなので聴けて良かった。
 ジョンが、マルコムXの演説「私が刑務所にいたことを驚くな。君たちは今刑務所にいるじゃないか。」によく似たコメントをしているのは興味深い。


 『昭和史のかたち』:江成常夫の著作『レンズに写った昭和』(集英社)を読んだことはあるが,彼の写真展を観るのは初めてだった。代表作の「偽満洲国」、「シャオハイの満洲」、「鬼哭の島」に「ヒロシマ」、「ナガサキ」合計112点の写真の中に,著書で見たことのある写真も何枚か含まれていた。本の挿絵として見るのと,展覧会で大きく引き伸ばした写真を見るのとでは語りかけてくる深さがかなり異なるように思った。



満州事変から南方への展開、「満洲国」への入植政策、南洋の戦場跡、中国に取り残された孤児たちの肖像、原爆に被爆した人たちの肖像など。
 「シャオハイの満洲」は以前新聞で紹介されていたが今回初めて観た。人生を戦争に翻弄された結果、自分がどこの誰なのか、微かな記憶の家族以前には自分の「血」を遡ることのできない人たちの顔に刻まれた人生。
 「鬼哭の島」の、南洋に放置された兵士の頭骨の写真を見て、今もビルマから帰還しない叔父の遺骨を想った。

2011-08-11

コクリコ坂から

 このところ練習船大成丸を追って写真を撮影したので船がとても懐かしくなった。それで,7月に封切られたばかりのスタジオジブリ作品『コクリコ坂から』を仕事の帰りに観に行った。
 港を行き交う船はほとんどが三島型で,時代背景をよく表している。丘の上から見える港の風景、船のファンネルマーク。そういったものを見ると、船を降りて20年過ぎた今も船乗りのつもりでいる自分に気づく。遠洋航海で寄港した外国の港や母港に帰ってきたときのことなどを想い出して、物語に引き込まれ,感動した。
 ところで,映画のポスターでは旗ざおに少女が掲げる旗が「数字旗の1の下にアルファベットUW」になっており,映画のはじめの頃にタグボートに掲げる旗は「回答旗の下にアルファベットUW」となっていることに気付いた。

数字旗の1の下にアルファベットUW




回答旗の下にアルファベットUW


 この件については,現役の練習船船長をしておられるCAPT.IMOさんのブログで詳しく説明されているのでここでは省略する。

 CAPT.IMOさんが説明されているように,UW1についてはともかく、物語の全体が大切なので、素直に良い映画だったと満足した。

2011-08-10

清水港停泊中の大成丸

 清水港停泊中の大成丸を見に行った。部外者は港内に入れないので,離れたところから撮影した。この岸壁は22年前の秋に乗っていた船で着岸したことがあるが,就航したばかりの船だったので初期故障対応で忙しく,上陸した記憶がない。
 大成丸を観たあとは日本平に回ったが,あいにく雲っていて富士山は見られなかった。



2011-08-08

学習環境デザイン研修講座

2011年8月8日(月)
 横浜国立大学・神奈川県立総合教育センター連携による「学習環境デザイン研修講座」を今年も受講した。講師は例年通り同学教育人間科学部教授の有元典文先生で,納得研究会では毎回ご一緒させていただいている。
 今回の副題は「子供の学ぶ力を高める授業作り」で,2時間の講義および1時間のワークショップ形式で行われた。参加者はとても多く,小・中・高・養護から25名の現職教員が集まった。

 講座の骨格となるキーワードは「社会的分散認知」と「正統的周辺参加」そしてRISP(Reality,Identity,Significance,Participation)である。

 今日の内容をより深く理解するための5冊(新しい順に):
  1. 茂呂雄二他『社会と文化の心理学 ー ヴィゴツキーに学ぶ』世界思想社,2011年
  2. 有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ』北樹出版,2008年
  3. 海保博之他『文化心理学』朝倉書店,2008年
  4. 加藤浩・有元典文他『認知的道具のデザイン』金子書房,2001年
  5. Jean Lave,Etienne Wenger(佐伯胖訳)『状況に埋め込まれた学習――正統的周辺参加』産業図書, 1993

 学校は学校内の達成のために学習する場ではなく、学校外の生活の質を高めるために学習を行う場である。
(学校の生徒にするためではなく,こどもが社会の中で生活してゆけるようにするために学習を行う場)。
 QOL(Quality Of Life)

 人間は「言葉」という人工物によって新しい知を生み出し共有し、次代に伝える(教育する)ことによって、身体能力の限界を超えて生活できるようになった。暗ければ街灯をともし、場所を示すのに地図を使う。他の動物よりも走る・跳躍する・獲物を捕らえる・夜間に行動するなどの能力が劣るのにここまで生き延びてきたのは、教育と学習による。これらは個人の能力ではなく、集合的である。

 人間の学習の特徴:チンパンジーと人間の子供に対する実験のビデオ視聴
 実験1:からくりのある黒い箱、(1)棒で箱をトントンと叩き、(2)鍵のようなからくりを棒で操作し、(3)はこの真ん中の穴から棒で飴を出す。この教示をチンパンジーと人間の子供に見せる。どちらも教示のとおりに飴を取り出すことができる。
 実験2:実験1と同じだが透明な箱:実験1と同じように教示する。
 チンパンジーは(1)と(2)の手続きを省略して箱の真ん中の穴からやすやすと飴を取り出す。
 人間の子供は(1)と(2)の手続きを忠実に守って飴を取り出す。
 この例は、人間がチンパンジーよりも劣るという意味ではなく、ヒトの学習の特質を示すもの。
 ヒトの学習の特質:模倣的/他律的/服従的
 →人間は教わるのが得意すぎる(人間の子供は教えられることを期待しますが、類人猿は真似することはできても互いに教えあうことはないと多くの研究者は考えています。佐伯 胖:「学校を「学校的」でなくするには」

 ある小学校での「変な文章題実験」,小学校3年生が作った算数の問題
 
      
  • 意味のないかけ算:窓の数と窓の数を掛け算
  •   
  • 非現実的な数値の問題:人間の身長が6mもあるような掛け算
  •   
  • 条件が不足した問題:所要時間がなく速度だけしか与えずに歩いた距離を計算する問題
  •  

 
      
  • テスト群:解答できるはずのない問題を解答してしまったり,問題の不備を指摘できなかったりする割合が高い。
  •   
  • 先生視点を与えた群(この問題は小学生が作ったのでおかしなところがあれば教えて):問題のおかしさを指摘する率がとても高い。
  •  
  テスト群の子供たちの能力が劣るからこの結果になったのではなく、場面のデザインがおかしいからこのような結果になった。学校は「計算をしなさい、掛け算をしなさい」といわれれば、その算数の意味を捨象して「手続き的に」計算ができればよしとしてこなかったか?

 社会的分散認知(アンサンブル)
 犬:リードをつけて散歩するときは、犬はリードの範囲しか歩けない。リードをはずすと犬の走り方をする。水に入れれば初めてでも泳ぐ。車に乗せればずれないようにシートベルトに頭を差し込んだり背もたれと座席で上手にバランスを取る。
 →犬が生得的にもっている行動ではないことでも、社会的・文化的な状況とのセットから行動が生起する。
 人間が頭を使うということはすべからく社会的分散認知である。思考するのに使う言葉は個人が作ったのではなく社会的に成立してきた。「人間は社会的動物である」というのはこういうこと。

 人間の能力の限界:横浜駅の某コーヒー店、1時間に300ものオーダーをほぼ間違いなくさばく。
 研究室でこのコーヒー店のようすを実験:10種類のオーダーを覚えて再現
  頭の記憶だけ・・・最初の1-2個と最後の1-2個だけしか再現できない。
  実際の店と同じようにコーヒーカップにオーダーの種類を記号で記入する→100パーセント再現できる。
  コーヒーショップ・・・社会的分散認知、オーダーを外部装置(コーヒーカップ)に記憶させて人間の記憶力を補う。
  (この記憶テストの再現率を示すバスタブカーブは、機械の初期故障期、安定期,偶発故障期の故障率を示すグラフの曲線にそっくりだった。)

 人間の本質は社会の諸関係の総体(アンサンブル)である・・・マルクス1845/1888

正統的周辺参加(コミュニティへの参加)
 正統的周辺参加=学習 として。イコールとして。組織への参加として。
 学習というのは実践コミュニティへの参加である。知識とか技能は実践共同体に参加することでおのずと身につく。
 頭に知識を注入すると応用できるようになるという誤解。実は逆で、参加することによって知識・技能が見につく。
 基礎が応用に花開くのでなく、応用するから基礎的なことが身につく。
 その実例:横浜市のヨットスクール、子供たちにディンギーを教える市民ヨット教室。
 ほとんど座学しないで教える。用語の説明などしない。その教室の「場」は、手前にアクセスディンギー、奥には本物のヨットがある。
 実習だけのための場ではない。教室の向こうに大人社会の実物がある。実践のアリーナ、実践の中で学ぶ。ヨット用語や理論を教えない。
 4回くらいの実習で一応のことができるようになる。
 基礎→応用でなく、応用がまず先にあってできるようになってゆく。子供たちはお互いをよく見ている。
 「学校」のやり方とはぜんぜん違う。風向きは一定でないから今習ったことが今使える保証はない。

 学校外の学習、コスプレ、暴走族・・・学校よりも熱心に学ぶ。そこには、参加してあの人たちのようになりたいという内発的動機がある。:なりたい者に近づく,なりたい者になるためには自ら学習する。

 隷属的な奴隷のような学習でなく、QOLのある学習。知的好奇心、主体的な学び。
 テストのために学ぶ・・・矮小だ。
 暴走族の学び・・・出前のバイクのように見えるようにはバイクに乗らない。暴走族に見えるようにバイクに乗る、その乗り方を自ら学んでいる。
 内発的動機づけ:その動機が引き起こす活動以外の賞に依存しない動機づけ。賞というのは報酬のこと。

 一時期成人式で大暴れする若者をよく報道した。後輩はその先輩に憧れる。だから翌年に模倣する。テレビで大きく報道するのは後輩たちに動機を与えている。

 外発的動機:シールくれるとか、点数を稼げるということで学習が進むのはよろしいことではない。
 (我が息子が小学校のときの先生で、水道方式で算数を教えていて、問題ができるとパチンコの景品のチョコレートくれる先生がいたのを思い出した。)

 一見チャラチャラしたように見せているミュージシャンだって陰では必死に努力している。脚光を浴びるためには人目に触れないところで血のにじむような努力をしている。内発的動機があるから。
 やる気は教えることではない。やる気はかきたてること。子供を何かに向かわせる。彼らをして彼らが動き出すような場を作る。教育のロマン。教えるのではなく考えさせるのだ。

 授業デザイン:先生の目に見える状況に依存する。いろいろな子供がいて、いろいろな向き不向きがいる。→正規分布(Normal Bell-shaped Curve)の大きく広がった層に向かって授業している。このことを覚えてもらいたい。これが教室の特徴。

 RISPのある授業。
 R:Reality(リアリティ)
 I:Identity(アイデンティティ)
 S:Significance(意義)
 P:Participation(参加)

 Work1 
 3分間でA4の紙1枚でタワーを作るワーク。高さを競う。参加者はみな真剣に取り組んだ。
 リアリティがある。なぜタワーを作るかという意義はないけれど、リアリティがある。「やりなさい」と指示された外発的なものだけれど、高さを競いたいという内発的動機が誘発され、競うことに「参加」した。
 入試でよい点をとりたいというのはリアルではないのか?皆さんはどのように考えるか?点を取りたいことにはリアリティがあるのか?難しい。







 授業の実例1:音楽
 篠笛の授業:笛はあっても先生も吹けないし、吹き方を説明するだけ。生徒が吹いても音が出ない。
 笛はあっても楽器ですらない。竹の筒をフーフー言わせるだけの授業。
 映像も見せなければ、録音も聞かせない。吹ける生徒の見本演奏もない。
 →リアリティがない。「あんなふうに吹いてみたい」という動機を誘発させる工夫がない。

 Work2
 ごみ処理場のワーク。
 学校の裏側にごみ処理場を建設する計画。2-3人で議論し、賛成か反対か、そしてその根拠を発表する。
 これはIdentityに関するワークである。自分のこととして考える。抽象的な課題ではない。どこかの知らない土地のことではない。
 NIMBY(Not in my backyard. そのことの社会的必要性は認めるけれど、俺んちの裏庭には通さないでくれ。イギリスで鉄道を通すときの議論。課題の当事者化。わがままのことでなく、自分ごととしてどう考えるかということ。)、ごみ処分問題は誰でも知っているけれど、自分ごととして考えるための課題設定。


 授業の実例2:保健体育
 グループワークのように班を作らせているが、相談、討議などを行わせていない。→班活動には行動のデザインが必須。
 怪我の様子と種類を結びつけるクイズ、正解に対して1点与える→外発的動機づけ。
 子供が運動会で転んで出血して、そのときに授業で血のことを勉強したこと、赤血球とか白血球を思い出した。→その子供は転んで初めて血液のことを自分ごととして思い出した。

 Work3:理科の学習指導要領から
 「日陰の位置の変化や,日なたと日陰の地面の様子を調べ,太陽と地面の様子との関係についての考えをもつようにする」ことの意義を5つ挙げる。2ー3人で話し合って発表する。



 授業の実例3:現代社会
 鯨の授業、「これ覚えといて」「これ覚えといて」の連発。
 シーシェパードの話題にして議論させればよいのに。それをしない。
 これが大事だと大人は思うけれど、学習者はその意義がわかるのか?

 何を教えるか授業の冒頭で宣言する授業を、2-3回しか見たことがない。
 私語のやまない生徒たちに、「お前たちが困らないようにこの授業をやるんだ」と宣言した先生。

 Work4:音楽の学習指導要領から
 創造的に音楽にかかわり、音楽活動への意欲を高め、音楽経験を生かして生活を明るく潤いのあるものにしている集団を5つ挙げる。5-6人で話し合って発表する。


 授業の実例4:音楽
 先生がピアノに向かい、アベマリアを歌う。
 生徒と技術的な話のあと、本質に集中。
 音楽の授業の向こうがわに文化のにおいのする授業だった。

 授業の実例5:商業科目
 検定試験の準備のために、計算の手続きを徹底して教え込んでいる。

 授業の実例6:英語
 文化が何もない授業。前置詞の位置はどこ?
 教師の本能としてCall and Responceしたいのか?

 このほかいくつかの授業事例。漢字の授業なら、漢字を楽しむ、漢字を愛でるような方向に持っていっても良かったはず。
 RISPが全部そろっているのは、実践集団。学校では全部は無理だろう。どれかひとつは盛り込もう。年に何回かはそのように練り上げて授業しよう。

 動機、能力、主体性は子供の持ち物のように思うけれど、それは教員との関係性から決まってくる。個人の能力は周りとの関係で現れる。学校で問題児でも地域では・・・ということからもわかる。
 人格は個人の中にあるのではなく周囲とのセットがなせること。
 コミュニティへの参加が学習となる。
 個人の能力に頼るのではなく、個人の能力が輝くような場を設定することが教師の役割。そういう授業作りを目指す。

 授業の実例ビデオ:ミシンの例
 黒板には黒板に空欄補充問題が書いてある。
 先生は「布を」とか「はずみ車」などを強調して発話する。その用語を覚えさせたい。そのために板書があり、説明している。
 本当には縫わないで、点線に沿って空縫いする。
 本来RISPが備わったミシンの授業で、用語の説明となっている。

 子供向けのヨットスクールとの対比
 ヨットは用語の説明しない。知識を注入しない。まず実践に参加させてできるようにする。知識は後からついてくる。
 
 Work5:RISPが少なくともひとつ備わった授業を提案する。
  提案1:高校物理、力学的エネルギー保存の法則
  運動エネルギーと位置エネルギー、足したらいつも同じ。
  初速0、位置エネルギーがたくさん、運動エネルギ0
  ジェットコースターの話をする。最高位よりも高いところへは登れない。
  遠心力もわかる。どこが怖いかわかる。結果がわかっていて乗るとおもしろくない。2回目はなにも考えずに乗ると理屈もわかっておもしろい。
  有元先生:教室の中で椅子から飛び降りてもよい。紐を振り回してもおもしろい。レーサーは遠心力がわかってそれを体感する仕事。

  提案2:6年生の家庭科
  1食分の食事を作る。「もうすぐ中学生!安くて栄養たっぷりのお弁当をつくろう!」
  1食分の弁当を作る。買い物学習と合わせて、230円くらいの予算で近くのスーパーで買い物をさせてきて弁当を作らせる。
  栄養士の先生に栄養素の勉強をしたりしながらバランスのよい弁当を作る。
  有元先生:4項目のどこら辺?アイデンティティ、リアリティ、クックパッドへの参加、意義も大きい。

  提案3:中学1年生の分数の足し算。
  1/2 + 1/3 これをどのようにして教えるか。
  りんご半分とりんご3分の1個。これを5人で分けたい。という課題を出す。それぞれを6等分のうちのどれだけかというところに持っていく。
  図解で教える。
  有元先生:分数の通分の意義まで教えられるとおもしろい。ピアジェは日本の算数で通分させているのを見て驚いたという。

  提案4:小学校4年生、ごみの問題。
  理科と社会は実生活に近いので実生活に還元できるような授業を。
  G30、ごみ30パーセント削減。インタビュー、取材などもする。
  エコバッグを使うかどうか、もって行くかどうかという話にする。子供たちは使うべきだという意見が多い。
  以前はエコバッグがアピールされたが今はそれほどでもない。一人一人が実生活に置き換えたときに、これまで勉強してきたことをどのように生かすか。学習の本質にせまる。子供たちに話し合いをさせる。
  有元:オープンエンドなところがよい。(「だからエコバッグを使おうね」というところに誘導しないところ)

  提案5:小学校6年生の理科。
  コンビニ弁当ででんぷんが含まれているものと含まれていないものを考えさせる。弁当の中身ひとつひとつについて、生徒にでんぷんが「ある、ない」で答えさせる。
  でんぷんの実験をする。
  コンビニ弁当のどこにでんぷんがあるか。
   ポテトサラダ
   ウインナーソーセージ
   ちくわの竜田揚げ:コロモが怪しい。
   白身魚のタルタルソース和え
  それでは糊は?ボンドは?セロテープは?
  結論:植物原料はでんぷんが入っている、動物原料はでんぷんが入っていない。
  植物原料には太陽にもらったでんぷんが入っている。
  有元先生:みんながあおられて発言したくなりました。

《 感 想 》
  授業にRISPを。「これ大事だから覚えといて」という授業や、空欄補充のワークシートで進める授業に違和感を持っていた。そのスタイルには、教員が覚えるべきだと思っている用語を、なぜ覚えなければならないか、覚える価値があるかどうかを生徒が考える余地がないからだ。「それがなんの役に立つの?」と生徒に質問されて返事に困ったことがある。この問いに答えられる授業、生徒がそのことを知りたい・できるようになりたいという動機を持てるように授業をデザインすることが教員の仕事だと理解できた。


2011-08-06

京都歴史散歩

 第4回全国高等学校情報教育研究会終了後,一緒に教材研究を進めてきた仲間と阪急電車で京都へ移動し、荷物を預けて徒歩で京都をまわった。
 東本願寺→西本願寺→島原大門→輪違屋→新撰組記念館→壬生寺→八木邸→光縁寺→四条大宮と歩いて主に新撰組の足跡をたどった。
 四条大宮からは河原町まで電車で移動し,人ごみに驚いて鴨川べりを散歩した。実はこのあと三条大橋から先斗町の川床に行こうと思っていたのだが、川床はどこも満員だったので諦めて京都駅近くでミニ懐石をいただいて京都の旅を終えた。
 学生時代を神戸で過ごしたので京都へは幾度か行ったことがあるけれど,いつも友人の下宿で遅くまで飲むか,どこでも同じような繁華街をブラブラするだけだったので,どんなところへ行ったのか覚えていない。まして,40年位前に中学で行った修学旅行では,バスで点から点へ移動して名所旧跡を見て回ったという記憶があるだけだ。
 今回はテーマを絞って地図を見ながら歩いたので,自分がどこにいるかよくわかってとても楽しかった。

新しくなった京都駅に初めて【登って】京都タワーを見る。


ゴマをすって何を食すかと言えば・・・


トンカツです。


島原大門(しまばらおおもん)


輪違屋(わちがいや:輪が互い違いになった紋章になっている)


壬生寺


光縁寺


四条河原町の雑踏


先斗町川床は満員なので


鴨川散策


結局駅ビルでミニ懐石,鱧!


これは何だったかな?


湯葉


冷酒もすすむ


蛸の柔らか煮と茄子と南瓜


天麩羅


麺類には眼がない!


デザートのスイカ,今年初めてという人もいた!我が家ではほぼ主食。